2-22. 戦う意味
「お…お前は………」
「よぉ、久しいな坊主。いや、確かアトリって名前だったか」
あの日から暫くの時が流れていた。
思えば、この男と初めて対峙する時は、マホトラス軍の動きなど大して気にしていなかった。
彼にとっては、それ以上に自治領地にある死地での戦いで民たちを護る、というのが目的であったから。
だが彼に取ってあの時から、既にマホトラスとの戦いは始まっていた。
ちょうど、今日のように、月夜の中で出会った目の前の男、槍兵オーディルとの出会いから、彼の運命は動き始めていた。
ウェストノーズに辿り着いた二日後の夜中のこと。
月下の夜に再び槍兵は現れた。
この男がここにいるということがどういう状況を指し示すのか、考えるまでも無い。
彼の内なるものが全身を刺激していく。
この感覚に覚えがある。何度も、何度も。
「………」
彼は心臓の鼓動が早くなるのを感じながら、額に僅かながらの汗を流す。
それでも平静を装うつもりで顔色を維持していたのだが、逆に槍兵オーディルから見ると、目の前の子どもが緊張感に囚われている、と思ってしまうのだ。
「お前と会うのは二度目だったな。でも少しばかり落ち着いてるじゃねえか」
「…敵に言われることでもない」
「確かにな。お前にとっちゃ敵であるマホトラスの一人に言われたかねぇわな」
確かに内心アトリは緊張していた。
ごく自然、と言うよりは当然のことでもある。
目の前にいるのは、既にアトリが「魔術師」だと確信した相手。
しかも、初めてあの夜に対峙した時に、その可能性を目の前で示されてしまっている。
この槍兵オーディルにどれほどの力があるのかは未知数だが、それでも自分よりもはるかに強い存在であることくらいは容易に想像できる。
オーディルはまだ落ち着いている、と言うが、彼はいつ攻撃されてもおかしくないという危機感を持って、平静を装っていた。
こちらのペースを確保しないと、そう思ったアトリは自ら相手に言葉を向ける。
「貴方の名前を聞いた。槍兵オーディル」
「お…?」
「名前を知ったからどうこう言うものでもないが…調べることは出来るし身元も分かるかもしれん」
「さてはお前、ゼナから聞いたな?あの女は気に入った敵には素性を明かしていくって言うからな」
―――――ゼナ…?なるほど、あの暗殺者のことか。
お気に入りの兵士には素性を明かす、というがアトリがその場面に出くわしたかどうかは判断のし辛いところであった。
何故なら、彼は初見で彼女に殺されそうになったのだから。
強い敵は早めに始末しておいた方が良い、そう思っているに違いない。
だからこそ、気配を殺して急に彼のいた家の部屋に乗り込んできたのだから。
疲弊していたからとはいえ、多くの兵士がいる中に単騎で侵入してくるあたり、普通の兵士とは言い難いものがある。
それは、今目の前にいるオーディルとて同じことである。
今、ウェストノーズにいる兵士はヤヴィノスクと似て疲れているとはいえ、数十人規模。
この場所は町外れとはいえ、彼がすぐに戻ることが出来るのなら、数十人にこの槍兵は囲まれることになる。普通の人であれば、そんなリスクの高い行動を起こそうとは思わない。
アトリとて同じである。かつて何度も味方の何倍もの兵士に囲まれ、それを乗り越えてきた経験がある。
だが、今も大勢の懐に入るようなことを簡単には出来ないし、その判断や決断もそう簡単には下さない。
彼は言葉を続ける。
「もう一つ、確認したいことがある」
「?」
オーディルもその場で耳を傾ける。
表情は硬いがそれでもハッキリとした声で、彼は言う。
「兵士の中でもずば抜けた力の持ち主…その者たちは、皆『魔術師』と呼ばれている者か」
………。
言った自分が、その場の空気が凍り付くような感覚を持った。
目の前にいる槍兵も、その言葉に流石に驚きの表情を隠しきれなかった。
まるで、何かの核心を貫くかのような、一閃の言葉。
アトリは頬に僅かながらの汗を流しながらも、微動だにせず目の前の「敵」を見続けている。
やがて、槍兵は少しだけ笑顔を浮かべ、溜息をついた。
何故だろう。
その表情が一瞬、敵のものではなく、純粋に一人の人間としての顔に見えてしまった。
彼はずっと、オーディルという強大な兵士の敵を見続けていたはず。
だがその時ばかりは、まるで自分が何かに気付かされたようだった。
それとも槍兵が無言で彼に訴えた末に、彼が気付いたことの一つだろうか。
そう思いながらも、この場の空気が凍てつくものである感覚は維持されている。
「魔術師、か。表現としては正しい」
一呼吸整えたオーディルが、彼にそう伝えた。
だが、次にはこうも言う。
「けどな。なんで今それを聞く必要がある?」
確かにそうだ。
まして敵に確認したところで、今の自分に何が出来るだろうか。
いや、もとよりこの質問には大した意味はなかった。
というよりは、意味を見出す必要が無い。
何故なら、彼は彼が魔術師であることに、既に確信を持っていた。
東の地で共に戦った戦友ヒラー、城で見た魔術本の数々。
それを思い返せばこの男が魔力の力を有して戦いを行えることも想像できる。
何より目の前で自分がそのように示されたではないか。
オーディルは身を持って自分は魔術師だと証明したことがある。
それも、今日のように月下のもとで。
魔術師は自分の存在を知られてはならない、秘匿するものだという表現も多く見られたが、それを考えればオーディルのそれは半ば失敗しているようなもの。
何故なら、オーディルが示したその存在を、アトリは知ってしまっている。
「疑問を晴らす為に敵に聞く…まぁアリっちゃアリだがよ。だが俺に聞く前にちゃんと調べてきたんだろう?」
―――――――魔術師ってのは、その存在を知られた相手を消すってな。
既に確信を持っていたことではあったが、それでもアトリは再確認した。
そして改めてそれが事実であることを得た。
この槍兵の技量や力量を支え得るのは、間違いなく「魔力」によるものだと。
確信を持った時から、何とかこの人たちを相手に戦う方法を見出そうとしたが、結局のところ魔術師には魔術師で、というのが結論。
嫌と言うほど頭の中で繰り返された結論である。
彼らを相手に自分たちの力は無力。だとすれば戦ったところで勝ち目はない。
オーディルを相手にしても同様だ。
それが今度背後にいる味方の兵士たちと戦うことが確定した今この瞬間こそ、まさに絶望を与えられた瞬間ではなかっただろうか。
「まぁそう構えるな。今は戦うつもりはない」
「…?話が矛盾している気がするな。魔術師だと自ら明かした相手を生かすのか」
「別に魔術師の掟なんて絶対守れって訳でもねぇしな。俺にとっちゃそんなに大事なことでもねぇ」
え?
と思わず口に出してしまったアトリだが、同時にこの男の人となりが少しだけ分かったような気もする。
確かに魔術師だからといって魔術師の掟を「絶対」に破ってはならない、などと決められてはいない。
魔術師になった者同士の法令がある訳でも無く、ただそれは今まで魔術師同士で「暗黙の了解」として常に守られ続けてきたことである、というだけだ。
彼は魔術師らしからぬ魔術師、とも言えるのだろうか。
いや、そもそも調べたうえ確信を持っただけのこと、魔術師になった訳でも無い自分がそれを語るのはおかしなものだろうか、と彼は自分で思った。
「まぁいい。お前らがこの辺りの町にいるってことは分かった」
「やはり我々も消すつもりか」
「当たり前だろ。お前らも俺たちを敵だと認めてるんだからよ。相容れない者同士は戦い合う運命…それはお前らの先代の国王が身を持って教えてたじゃねえか」
息を吐くように殺害宣言をするオーディル。
それを聞くアトリの表情は変わらずとも額に冷たい汗が流れて行く。
「お前も…その、ウェールズが領地を占有して国を作ったことを不快に思っているのか」
「…あー、そういうことか。安心しな坊主。俺は貴族連合会に何の肩入れもねえし、逆恨みもねえ」
「………?」
では、何故この槍兵はマホトラスに加勢してこちらと敵対しているのだろうか。
彼の中で等しくマホトラスの敵とされる者は、その多くがかつて北部でウェールズの激しい戦闘に巻き込まれ、自分たちの生活を奪われたことへ反感を抱く者たちだと思っていた。
しかし、今のオーディルの発言からすると、彼がそういった実情を戦闘への参加という動機づけにはしていないのだと取ることが出来る。
「ではお前は一体何の為にこの戦争を……?」
「”この手で何かを成し遂げたい”なんてのは一切思ってねぇ。少なくともマホトラスが目指すものの理想の為に戦おうとは考えてもいねぇ。は、こんなこと上の連中が聞いたらなんて嘆かれるか分からんがな」
「マホトラスの為に戦っている訳では、ない…?」
アトリがその言葉に対して突っ込みを入れる。
構えを改め、敵である男から出る真の言葉を期待するように。
「結局な、人の為に戦っても永遠と使役される運命にあるってのは変わらない」
――――――そんな馬鹿馬鹿しい世の中なんだよ、今の時代ってのは。
ハッ、と何かに気付いた表情を浮かべるアトリ。
それを見たオーディルは少しだけ表情を曇らせて溜息をついた。
ああ、そうか。
この少年は本当に自らの理想を成し遂げる為に、愚直に努力しているのか、と一目で勘付いた。
オーディルは誰かの為に戦ったところで、結局は利用されているだけだと彼に警鐘を鳴らす。
もっとも、彼にとってはオーディルのその言葉が忠告であるとも受け止められなかったが。
「確かに俺がお前らと戦うことで、マホトラスの連中にとっちゃ”人の為”なんて思ってるんだろうよ。何せ勝てるんだからな」
「………」
返す言葉が思い浮かばない。
こうして話している目の前の敵は、圧倒的な技量と力量でしかも魔力持ちの兵士だ。
自分が全力で戦ったとしても敵う相手ではない。
そんな男がウェールズ王国軍を攻め上げれば、一人でも相当な戦果をもたらすことが出来るだろう。
この男が言うように、誰を相手にしても勝てるのだから。
「だがそこに、俺自身の為になるものは無い。ただ使役され”国のため”に戦わされたところで、戦う奴には何も還って来ねえ。そんな国盗りの戦争に俺は興味なんかねえ」
結局は国が成すもの、自分たちの掲げる理想の為に良いように利用される手駒でしかないことを、オーディルはよく理解していた。
同じ理想を尊びそれを成就しようと考えるのであれば、話は別だろう。
もしその考えがあったとすれば、オーディルも積極的に前へ出て敵を斬り殺してきたのかもしれない。
だが彼は違う。
そのような理想が自分にとって輝かしいものであるとも思えず、国が成すこと、成せることに利用される今の自分に対しても、良いものとは思っていない。
マホトラスとウェールズの戦い。
確かにお互いに成し遂げたい理想はあるのだろう。
既に理想の姿を体現しているウェールズと、それに反抗するマホトラス。
いかが綺麗な理想やお題目を並べ上げたとしても、それが個人に報われるかどうかは別の話。
兵士としてなら尚更だ。
目指す理想の為に戦い続け、その果てに死んでしまったのなら、一体この人生は何の為にあったのだろうか、と。
まだ見ぬ未来の理想の為に、自分たちは下積みにされた。
ただ使役され続ける人生であった、と振り返ることしかできなくなるのだろうか。
オーディルが、そんな人生はただの道具だ、と言う。
何かに気付くような表情が出来たアトリには、その道理がよく分かっている。
分かっていながらも、その舵取りを変えることの無かったアトリ。
それは、アトリの持ち得る信条と、ウェールズ王国が建国されるまでの理想や、された後に民たちを相手に掲げ続けた理想とが、繋がりを持っているからでもある。
――――――この手で誰かを護れるのなら。
誰かを護れるのなら、それでいいと思った。
だって、この身はそのために兵士になったようなものだから。
人助けの果てに何があるのかは、いまだに分からない。
だが、それでもこの身を以てその誰かを護ることで、その誰かが幸せになれるのなら。
それが見届けられるのであれば、嬉しいことだろう。
そのために戦って戦って、護って護って。
今まで何度もそれが脅かされる瞬間を目の当たりにしてきた。
だが、その度に自分が立ち上がり、その者たちの為に戦い続けてきた。
護られた命もあるし、護られなかった命もある。
それでも。
この行動自体が間違いだったとは思っていない。
たとえ国から派遣され、自治領地の人たちに利用された事実がそこにあったとしても。
この身が剣となり戦うことで、護られる命があったのだとしたら。
それは、自分の為にもなる、だろう。
彼はオーディルの言葉を心の中で否定したがっていた。
一方で、自分が国や自分自身の理想にさえ利用されていることも分かっている。
どちらの立場も理解しながら、自分の立場を変えずにここまで生き続けていた彼。
オーディルと彼は、まるで正反対の立場で生きているようなものであった。
「俺は強い奴と戦えるならそれでいい。向こうの連中のように、無抵抗の民を殺すことはしねえし、お前みたいに誰かの為になろうっていう気持ちもそうはねえ。結局俺がこうやって戦うことで、向こうの連中は勝手に自分たちの為だと思い込んでいやがるけどよ。そんなもんだ」
「…もとよりお前と肩を並べるほど強い敵など、ウェールズには一人とていないだろう」
オーディルのこの戦争における目的がその言葉に見えた。
「強い奴と戦えればいい」というのが、恐らくこの荒んだ時代の中で彼が見出した、唯一の目的なのだろう。
戦うことで国の為になっている、というのは彼自身が持ち得る理想でも希望でも何でもない。
ただ勝手にマホトラスの人たちが、オーディルが戦うことで味方の為になる、と考えているだけだ、と。
彼はアトリの知らないところで、ゲーリングに指図されている。
槍兵はそれを断れずに「やってやるよ」などと口にするのだが、結局それは自分の為に行動しているだけのこと。
「…ははは!おめぇ意外と鈍感なんだな」
と、急にオーディルが噴き出すように笑う。
それは今までに見なかった男の表情なのだが、何がそうさせたのか、彼には考える時間が必要だった。顔を渋らせて笑う男を見る少年。
「確かに俺が負ける相手は一人もいねえ、かもしれない。けどよ、だったらなんで俺はここに来て、しかもただの兵士であるお前と話をしてるんだ?」
「………」
オーディルが一呼吸整える。
アトリは相変わらず表情を曇らせているが、しかしそれも真剣な眼差しだ。
敵であるにも関わらずその話に耳を傾ける。
普段、それも戦っている間であれば、このような機会は滅多にない。
槍兵は表情をより一層真剣にさせて、彼に言う。
――――――お前は自分の存在に少しは危機感を持った方が良い。
「…何…?」
「今はこれくらいにしておく。だが時間の猶予は与えねえからな。明朝まであと数時間、逃げるも良し戦うも良し。すべてはお前が決めることだ」
眉間にしわが寄るのをアトリは実感していた。
すると、オーディルは彼に背を向けそのまま歩き始めた。
今はもう、それ以上の言葉は必要ないと訴えられていたように感じられる。
彼は素直に、だが疑問にも思いながら、結局それを問いただすことをせず、男の背中を暫く見続ける。
「……危機感……」
それが全く分からない、という訳でも無かった。
ただ、自分の中では半ば否定し続けてきたようなもの。
これが普通の人と異なる感じ方、考え方だとすれば、恐らくあの槍兵が忠告したのはその辺りのことだろう。
だがある時、彼はそれを欲してしまった。
もし、自分にもその恩恵が受けられるのなら、相手がどれほど強かろうと最低限太刀打ちできるだろうと。
いや、あるいはそこに勝機を見出せるかもしれない、と。
そうすれば、もっと多くの人たちを護れる、自分の信条の真に届き得るのではないか、と。
そう願ってしまった。
明朝と言われた処刑宣告。
どの程度の敵が来るのかは分からない。
だが、明朝まであと数時間とないこの短い時間で逃げることなど、不可能。
オーディルは月夜の灯りにあたりながらその場を去っていく。
浮かぶ雲が月の光を隠し、彼をその陰の中に引き入れた。
夜明けまで、そう長くはない。
2-22. 戦う意味




