2-21. 月下の再会
王国領北西部に位置する町、ヤヴィノスク陥落と北西部の王国軍部隊が壊滅という情報がもたらされてから、二週間が経過する。
二週間もの間にその後様々な情報が行き交うことになるのだが、果たしてそれが正確なものかどうかは王城の人たちでさえ分からなくなりつつある。
特にその原因としては、城に来る貿易商人たちの持ち得る情報がそうさせていた。
決して彼らが悪いという訳ではないのだが、兵士が直接伝令役として授かる情報以外のものを、彼らは有している。
そのために、町の民たちは「貿易商人が正しいのか」あるいは「王国の発表が正しいのか」、決められない状況となっていた。
この件については、城に勤務しているクロエをはじめとする兵士たちも、直接城下町の貿易商人に確認するなどして情報を得ていた。
だが、結局のところ情勢が悪化していることに変わりはない。
どの情報を得たとしても、聞くことはそればかりである。
そのために、民たちの不安はより一層強まるばかり。
いずれこの町にもマホトラスがやってくることを予期してか、町から離脱する民が見え始めるようになる。
出来るだけ戦火の遠い地域、南側へと逃避を始めるのだ。
「ん、あんた戻ってきてたのかい」
「ああ、昨日の朝にな」
ウェールズ城内。
物静かで物音さえ普段は聞こえてこないその部屋に、一人女性が竹刀を振るっていた。
風を断ち斬る音が竹刀のものには思えず、まるで刃を持つ剣を振っているかのような、ハッキリとした音を鳴らしていた。
扉を開けながら一人黙々と鍛錬を重ねていたのは、女性兵士のクロエ。
そこへ一声かけたのが、アトリの友人でありクロエとの親交もある、グラハムである。
ほう、と感心するような声を出しながら笑顔で入ってきたグラハムと、汗を一拭きして振り返るクロエ。
「女が剣というのも、中々に映えるな」
「しょうがないだろう?いよいよ私だって戦うかもしれないんだから」
「そうならないと良いけどな…俺たちの戦闘にかかっている」
と、グラハムが少し深刻そうに言葉を放つと、それにすぐクロエが反応する。
先程まで自分を感心するように見ていた男の表情は、どこかに消えてしまっていた。
その理由は、グラハムが一度ここに戻ってきた理由にあるようだ。
「…あんた、もしかして中央へ?」
「あぁ、そうさ。戻ったところを偶然…みたいな流れかも分からんが、次の派遣先が決まった。奴らは間違いなく南下してくる。俺も他の部隊に合流して奴らを迎え討つ。それが国王と上士の結論だからな」
グラハムが懸念することは、兵士であるクロエにもよく分かる。
彼が城より北、王国領地中央部への派遣が決定されたのは、つい昨日のことだ。
ヤヴィノスク陥落の報を受けた国王エルラッハは、3日以内に今後の動きについて定めることを上士に知らせていた。
そのうえで、上士たちが下士たちに今後の動きが数日のうちに決まることを告げていた。
結果として、上層部が出した答えは、一極集中であった。
東部、北東部、北部、北西部など、各所であらゆる町から前線に駐留部隊が派遣された。
兵士の数は本来各地域でこのように配置されており、現状マホトラス軍が侵攻してくるであろうルートを各地域がカバーするというものである。
だが、実際には各地域での戦闘状況は差があり、北西部では部隊が壊滅状態に陥っているにも関わらず、東部では敵の出現がまちまちで、戦闘にならない地域さえある。
だが、北部と北西部での激しい戦闘が続いており、それらから考え得るルートから、奴らが城下町を目指していることは明らかであった。
であれば、出来るだけ早めに部隊を合流させて、城に近づく中央部で敵を迎え撃つ方が、数の不利をなくすことが出来るだろう、という考えに至った。
すべての部隊を中央部に配置することは出来ないので、大きな勢力を中央に配置、迂回されても迎撃できるように左右の街道を別動隊で固める、というのが今回立案された方針と作戦だ。
これには、北西部での失敗を活かそうという狙いがある。
激化する戦闘に対し、不足した兵員を北部から補充して戦うことで、北西部のヤヴィノスクやその北にある町を維持しようとした。
だが、実際には北西部の部隊は敗れてしまった。
これが兵力分散で生じる力の差であるのなら、相手に匹敵する力で対抗することで、有利にしようというものであった。
「けどねぇ、私からしたら今更な気がするけども?」
「俺もだ。かといってそれ以外の方法で奴らを負かす手が考えられるか?」
「運を天に任せるっきゃないね。マホトラスの連中だって、元々あたしたちの軍勢にいた奴らもいるだろうし、自治領地にいる自警団なんてものより遥かに優れてるんだろう」
クロエはそのように言うが、それが本心でないことをグラハムは察していた。
彼女は楽観的に考えようとしているだけだ、と。
ここ数日で自分たちが今まで聞きもしなかった情報を沢山もらっただろう。
それを思えば、今後どのような展開が待ち受けているか、それが最悪のシナリオだったとしても、想像することが出来るだろう。
マホトラスがそれだけの相手であることを、今一度自覚しなければならない。
危機感を感じたからこそ、彼女は今ここに、使われなくなった旧道場にいるのだから。
「…まぁでも、無茶するんじゃないよ。命あっての何とやら、だからね」
「分かってる。あいつも今頃何とか戦っているだろうしな…暫く会っていないが…」
兵士たちにはそれぞれ上士にあたる存在がいて、上士が異なれば配置先が同じでないことも多い。
アトリとグラハムは親しい友人関係でありながらも、共に戦場に出た機会がない。
いつもお互いの経験をお互いに話すばかりである。
もっとも、自治領地を守護するための兵士、という位置づけをされていたアトリと彼とでは、戦闘の経験値が遥かに違う。
少なくともグラハムはそう思っていた。
そんな彼が派遣されていた北西部の部隊が壊滅状態にある、という情報はグラハムも聞いている。
それを思っての言葉であった。
暫く会っていない、だが何とかやっているだろう。
確信などどこにもないし、彼一人の情報など回ってくる訳でも無い。
今はただ、民を護りながら撤退を繰り返しているだろう、そう祈る以外に無かった。
そう。
グラハムが推測していたように、彼らは撤退を繰り返していた。
大陸の西側、海岸線沿いに向けて幾つもの町を通り過ぎて、その度に民たちに知らせる。
――――――ここは危ない。逃げた方がいい。
マホトラスの軍勢がどの程度この地域に向かってくるかは分からないが、いずれにしても残された戦力であれほどの大軍を相手にするのは無理がある。
そして、出来ることなら民たちも戦闘から遠ざけたいところではあったのだが、彼らすべてを護れるほどの余裕も無かった。
町と町の移動には相当な時間を要する。
その間、殆どの人は徒歩で移動しなくてはならない。
確実に逃げる民たちの体力は失われていくし、限界と感じた民たちの多くは、途中の町で留まるなどしていた。
兵士たちは、それでも民たちを護る存在として、彼らの動きと合わせながら警護をする。
そうして辿り着いたのが、ウェストノーズという町。
城からはまだ遠く離れているが、大陸の西側に位置しすぐ近くに海岸がある町だ。
この辺りの海岸線は少々複雑な地形をしていて、ウェストノーズも平面の地形に対して突出するような形をしている。
海が近いということは港町、というイメージもあったのだが、ウェストノーズに関してはそのようなことはない。この辺りの海岸線の地形が複雑だということ、また海抜の高さがあり崖のような場所も広がっていることから、港として構えるような町ではない。
潮風は吹き付けるが、あまり良い恩恵を受けるような場所ではない。
そんな町だが、彼らが到達した時には既に閑散としていた。
「…あぁ、こいつはもう………」
ヤヴィノスクから遥々移動し、それでもまだ生き続けているジャスタが、その町の様子を見るなり言葉を失くした。町の中に入ってきた人の数は100名にも満たない。
が、町の中にいる人の姿は殆どない。
寧ろ来客側であるこちらの数の方が多いのではないだろうか。
そう思わずにはいられないほど閑散とした空気が流れていた。
ウェストノーズがそれほど大きい町には見えなかったが、それでも幾つも家はあるし民たちが買い物を楽しんでいたであろう商店通りも見える。
だが、日中だと言うのに人の姿は殆どない。
「アトリさん、どうするよ」
「………」
恐らく、色々な噂を聞きつけこの町から逃げ出したのだろう。
この一ヶ月間でマホトラスの噂は、貿易商人などを通じて民たちにも広まっている。
急速に侵攻を続けている奴らへの対応が出来ないことを知り、いずれこの地が戦場となることを恐れ、出来るだけ戦いの無いところまで逃げる。
それも無理のない話だ。
そこに待ち受けているのは、死か、それとも生涯使役される運命か。
抗うことのできない運命があるのだとすれば、それから遠ざかるのはごく自然なことだろう。
アトリは後ろを振り返り、民や兵士たちの姿を見る。
まだ若い兵士たちが多く、民も含めその表情は疲れていた。
幾つかの町を転々としているものの、長い距離を移動することに変わりはない。
馬を持つ兵士などほんの数人程度。
荷物を背負ってもらうにはかなりありがたい存在だが、馬の無い民や兵士からすると、それが羨ましく思えるのは当然であった。
「休みましょう。先に町の様子を見て来ます」
アトリがそういうと、彼は馬を少しだけ走らせ、町の中へと入っていく。
ひと気の感じられないその町は、まさにゴーストタウンそのものであった。
彼が中を見回ると、全く人がいない訳ではなく、家の中でずっと閉じこもっている民がいるのも明らかとなった。
だが、全体から見れば空き家の方が多い。
町の中の幾人かに尋ね、彼らの滞在を認めてもらった。
こういう時はお互いに助け合わなければ生きていけない。
態々アトリが町の人に確認する必要など本来無かったのだが、そこは彼の人となり故だろう。
100名にも満たない、兵士と民とが混ざり合った小集団が、それぞれ空き家となった家に入る。
鍵のかかり開かない家も幾つかあったのだが、非常時故に破壊して利用することにした。
「民も兵士も酷く疲れてるってもんだ」
「ですね……少し足止めになるかもしれませんが、致し方ありません」
彼ら兵士たちは、自分たちの部隊長を失くした。
正確には、彼らは部隊長や残ると言って自分たちを追いだした兵士たちの結末を知らない。
今この場にやってきた兵士たちは、殆どが若い者たち。
アトリと同年代の子供もいて、戦闘経験がほとんどない人も含まれている。
だがそれでも兵士は兵士。
この集団の中で最も兵士としての経験があるのは、アトリであった。
彼はウェストノーズに辿り着くまでに、兵士と民をジャスタと共に引き連れてきた。
「ジャスタさんも、お疲れでは…?」
「若いモンに心配されるほどへこたれはしねえさ。疲れてることに変わりはないが、んまぁこうやって身体は動かせる。アトリさんはどうなんだい、そこんところ」
「自分は大丈夫です。まだ余裕があります」
そう言っているが、実際のところは相当疲れているんだろうな、とジャスタが心の中で一人呟き、取り敢えずその場は流した。
疲れていない訳が無い。
自分よりも歳が若いのに、誰よりも人の為になろうとし続けている。
もう、そんな姿十分すぎるほど見せてくれたというのに。
道中、脱落者が何名もいて、その一人ひとりに声をかけ励まし、一緒に行こうと言い続けていた。
だがそれでも、もう体力も気力も残されておらず、別の町に留まることを選んだ民や兵士たちがいる。
目の前から遠ざかっていく人たちを見て、彼は無力に感じたことだろう。
ジャスタは、アトリの人となりがそのように思わせていることを予想していた。
そんな苦しい現実を突き付けられながらも、ここまで辿り着くことが出来た。
やっと、海が見える。
大陸の西側に辿り着くことが出来た。
戦火が及ばない、と言うことは出来ないが、主力部隊がこちらに来る可能性は中央ほど高くはないだろう。
…それでも、ここに敵が来ることに間違いはない。
そう思いながらも、今は疲弊した彼らの為に休むほか無かった。
「ここ2,3日は休息を取って…その後どうするよ」
「出来るのなら、城に行きたいと考えている人が多いはず。ですが、今城へ行くのは危険です」
「………あぁ、なるほど。そいつはつまり、俺たちを倒した奴らが城を目指してるってことか」
「はい。考えればごく当然のことです。彼らは城と城下町を占領することで、ウェールズ王国の機能を事実上停止させることが出来ると、考えているはずですから」
態々危険なところに民を行かせるわけにはいかない。
だが、アトリはそう言いつつも最終的な決断は民たちに任せる、とも言う。
つまり彼自身が彼らの行動を最終的に強制するようなことは出来ない、ということであった。
兵士たちと共に行動をすれば自分たちの命も保障される、と考えている民もいる。
だが、兵士側からすると、自分たちでは護り切れないかもしれないという思いがある。
それはアトリとて同様で、今後マホトラスが更に西側にまで手を出して来れば、自分たちの身さえ危なくなるだろうというのは容易に想像できる。
「…ですから、西側に来るのは主力部隊ではない…そう思いたいです」
「主力でなければ押さえられる、と言いたいところだがそうでもなさそうだしな」
「…えぇ」
――――――特に、魔術師が来る場合には…。
誰かに打ち明けようとも打ち明けられない。
魔術師の存在が広まれば、彼らには今以上の絶望が与えられるだろう。
魔力を持つ者に対抗するには、魔術師しかいない。
確証を得てそう言える訳でも無いが、今まで彼が見続けてきた資料や光景からするに、
あれほどの強さを持つ者に普通の人間が太刀打ちしようとしたところで、全く歯が立たないだろう。
恐らく、ヤヴィノスクで自分たちのために命を張ってくれた部隊長の命は無い。
いつしかこの存在が知れ渡るのかもしれないが、そのような絶望を味方に与えたくはない。
だからこそ、
彼は誰にもこの存在を打ち明けることをしなかった。
ただ一人、自分だけが魔術師の存在に気付き、出来るだけ彼らから遠ざけようとしていた。
いずれ戦うことになるのも分かっていて、対峙することを避けられないのも察していながら。
ウェストノーズはそう大きい町ではない。
端から端まで行くのに十数分とかかりはしないだろう。
彼らは数日休息を取り、再び西側から南側へ進路を取ることにした。
無論、希望者を募って賛同した人のみ。
無理をして連れて行こうなどとは考えていなかった。
その間、兵士たちは外回りの警備をすることになった。
複数人で時間交代をしながらマホトラス軍の接近があるかどうかを確かめる。
ウェストノーズにいる間に近づいてくるのであれば、全力でそれを迎え討つ。
そうでなければ、再び安全圏を求めて逃避する。
彼らが初めてこの町に辿り着いてから、二日が経過した夜のこと。
既に時刻は0時を回っている。
この日の夜は静寂が特に目立ち、風も吹かずただ空には月が出て、雲が所々に浮かんでいるだけだった。
「アトリさん、どちらへ?」
彼が馬に乗って外周警備を担当する兵士のもとを訪れた。
だが彼の目的はその場所には無い。
警備の交代要員にこの時間の彼は担当されていない。
それでも、急に現れたアトリに兵士たちは疑問に思いながらもそう言った。
「郊外まで行きます。念には念を…」
「勤勉な方ですね、本当に。自分たちはここでも大丈夫ですか?」
「はい、そのままで。万が一の時は後ろに報告を」
そういうと、彼は馬を一気に加速させその場を去っていく。
既に夜中だというのに、彼らを引き連れてきたリーダーのような存在となってしまったアトリは、ただ一人郊外まで走っていく。
兵士たちがそんな彼の姿に影響されない訳が無い。
同じ風になろうとは思えなかったが、若くありながら積極的に前に出て仕事を成すその姿は、若い兵士たちにも刺激的となっていた。
このような状況下においても、なお必死に戦おうとしているその姿。
どれほど厳しい状況下であっても、戦意喪失無く味方の為にあり続けようとするその姿。
少なくとも、味方から見た彼はそう見えているのだ。少なくとも。
――――――あの町からすぐに追っ手が来なかったことを考えると…。
マホトラスが残党となった自分たちの出方を伺う、ということは考えにくい。
何故なら主力を回さないだろうとはいえ、自分たちは敵に対し圧倒的不利な状況である。
もし自分たちを無き者にしようとするならば、ヤヴィノスク制圧からすぐに追って来ても良いくらいだ。
さらに言えば、アトリたちは途中の町で民たちを護りながらここまでやってきた。
馬で走るそれと大きく違い、徒歩移動しなければならない民たち。
移動速度など多寡が知れている。
にもかかわらず、ヤヴィノスク以降一度も接敵していない。
時間差を考えれば、そろそろこの辺りに近づいていても良い頃合いだ。
ウェストノーズに到着してから、アトリはそのことを強く気にするようになっていた。
今、こんな夜更けに馬で一人駆けだすのも、それが気になったから。
大部隊が一気に詰めてくるのであれば、彼も太刀打ちできない。
が、例えば相手もウェストノーズの状況を偵察しようと夜更けに数人送り込んでいた、それに接敵するようなことがあれば、勝ち目がないとは言えない。
やや浅はかではあるが、その眼が一番頼りだと自分自身で思いながら、この手段を選んだ。
かつて、月夜の下で偵察を行った、あの日のことを思い出す。
あの偵察もやや無茶な作戦ではあった。
結局のところ、あの夜に戦ったのは彼だけで、その後に現れた黒剣士にも勝てなかったのだから。
「っ………!?」
町から10分程度は走っただろう。
馬の駆ける速さは人のそれとは大きく異なり距離も取ることが出来る。
彼は、なだらかな傾斜を上がりその頂点に達したその時、視界のすぐ先に現れた一人の存在を見て、驚愕する。
そういえば、あの時も今日と似たように、突然視界に現れなかっただろうか。
「よぉ、久しいな坊主」
月夜の下で。
この槍兵に。
2-20. 月下の再会




