2-16. スイッチ
人は元々自分たちの領域を侵害されるのを好まない性質を持っている。
それは「人間だから」という理由ではなく、この星に生を受けたあらゆる動物の概念が、
人間も単純に周到しているからである。
そして。
自分たちと意見の合わない、対立する者たちを軽蔑し、排除し、無くそうともする。
これも動物と同じ。
食物連鎖という現実があるように、
人間にも強者と弱者が存在し、またそれぞれの思想・信条を持ち合わせた者たちもいる。
相容れない者たちとの共存は、この世界の中ではそう上手くは見込めない。
ウェールズとマホトラス、この二つが良い例だ。
かつてこの二つは一つだった。
お互いに国を名乗ることもせず、争うこともせず、平穏な日々を送れるはずだった。
しかし、歯車は徐々にその回転をぎこちなくさせ、やがてレールにかみ合わなくなった。
………、その結果が戦争である。
結局人は争うことで自分たちの私欲を充たす。
他者を討ち倒し自らが正義だと打ち立てる。
何と、醜い生き物だろうか。
「てやあぁっ!!」
「はあぁっ!!!」
周囲から、そのような激しい音が聞こえてくる。
人間の口から発せられるものだが、最早声にすらならない大きな音。
それと同時に何度も鉄と鉄が打ち合う音が聞こえてくる。
時に高温に、時に鈍い音で。
戦うことで発生する、戦争をすることで奏でられるメロディー。
だがその一つひとつの音が、相手の息の根を封じるために演奏されるハーモニーなのだ。
鉄の音は踊り、人の声は狂い咲き乱れる。この戦場の中で。
アトリとジャスタ、他の兵士たちは主要の道とは異なる道で、マホトラスと対峙した。
マホトラス軍の目的がヤヴィノスクの町を占領することにあるのなら、目の前でウェールズ王国の兵士たちにすべての戦力を防がれるのは避けたいだろう。
だから他の道からも侵攻してくるはず、と部隊長は考えすぐにアトリたちを行動させたのだが、読みは正確に当たった。
もっとも、道など通らずとも草原の上を越えて行けば町には辿り着く。
だが、主要の道と脇道の距離はやや離れており、マホトラスが一気に突破しようものなら対応に間に合わず町の侵入を許す可能性がある。
それならば、町に通じる幾つかの道に兵を配置したほうが対応速度は格段に向上する。
アトリたちもそれに応じ、駆けつけたところすぐさま戦闘は開始された。
彼は他の兵士たちが持つ剣の鞘とは大きさが違う鞘を持っていたため、それを腰に下げたまま戦うのではなく、背中に固定して剣を両手で握る。
「アトリさん!二人行ったぜ!!」
「………」
だが、戦闘が開始してからすぐに気付く。
数の差が圧倒的であった。
確かに自分たちは急に脇道に送られた。一度戦闘が始まってしまえば、たとえ離れた隣の道で戦闘が起きているとはいえ、救援を呼ぶことも難しい。
アトリたちは十数人で戦闘を開始したが、パッと見たところ相手の数は30名を超えている。
単純に二倍の敵が押し寄せてきたといっても良いだろう。
部隊長のいるところでどれだけの人数が戦闘に参加しているかは分からないが、戦闘開始から相手の数はこちらのそれを上回っているのだろう、とアトリは冷静に考えながらも戦闘に参加している。
二人対一人。
数の上では不利。しかも相手の攻撃が素早く正確ときた。
「っ……!」
アトリは表情を厳しくさせながらも、相手の攻撃をまずは受け続ける。
いつものように、相手の攻撃が緩んだその隙を突こうというもの。
だが今までとは違い、剣の重さが腕にも肩にも通じてくる。
兵士に支給されている標準の剣と比べ、刃の幅も重さも異なる。
大剣というほど重いものでも無かったが、彼はその重みを両手でしっかりと支えている。
攻撃を受けている間は、相手の攻撃の威力も上乗せされより重みを感じる。
しかし、この程度はいつものこと。
そう言い聞かせながら、とにかくも目の前の敵に対応し続ける。
一つひとつの攻撃が重たい。相手の重装甲もあるせいか、こちらが攻撃をしても一撃で致命傷になるかは分からない。
また、それはこの剣がどれほどの切れ味を持っているか、にもよる。
分からないことだらけの剣。無理もない、この剣はこの場所で初めての実戦を迎えたのだから。
しかし、レイモンさんが作ってくれたその剣に無駄も迷いも無いはず。
それを信じようと、アトリは相手の隙を伺う。
「ぐはっ!!」
「チッ…やっぱりやりやがるなこいつら……!!」
敵の数が単純に二倍程度であるならば、必然的にジャスタも複数を相手にしなければならなくなる。
そして彼は横目で味方の戦闘を見ながら、目の前の敵にも対応していた。
アトリも同じだが、複数個所にしっかりと目線がいく辺りは器用なのかもしれない。
だが、味方は次々と殺されていく。
地面に倒れて行くその姿を横目で見ながら、中々に敵わない相手に気持ちを高ぶらせる。
このままではやられてしまう、と。
最終的に勝てば良いという程度のものでもない。
戦力を失えば失うほど、王国にとっては不利になる。
防衛戦力を温存しているほどの余裕がないためだ。
先日も北の二つの町で戦闘を行い、兵力を多数失った。
確かにその後補給と増援部隊がここに到着して、再び戦力は回復したのだが、次から次へと兵員が湧き出る訳ではない。
それはマホトラスとて同様なのだが、先日相手にも大きな打撃を与えたにも関わらず、それに匹敵する兵力を再び投入できるということは、看過し得ない。
奴らがどれほどの領地からどれほどの兵力を得たのかが、気になる。
「おいアトリさん…このままじゃヤバいぜ…!!」
「…分かっている、分かってはいるが…!」
二人は多数の敵を相手にしなければならなくなり、一度大きく間合いを開けた。
既に残された味方の兵士は10名以下。
それに対して相手はいまだ20名以上が生きており、しかもその大半は息も上がっていない。
アトリもジャスタも冷静ではあるが、一方的に攻撃を受ける機会ばかりで、まだ敵を一人も倒していない。
他の兵士たちが斃れる前に何名か敵を葬ったようだが、それもいつまで続くかどうか。
相手は剣を構え直し、ゆっくりと歩きながら残された彼らのもとに歩いてくる。
その歩幅、足音、鎧が接触し合う音、それらが妙に統一されていて恐怖感を煽る。
思わずアトリもジャスタも、半歩、また半歩と後退するほどに。
「……何とかならんのか……!!」
「………」
一方的だ。
今まで幾度もそのような状況に陥ったことはある。
何度も死地で死に直面するほどの危機を経験したことがある。
…だというのに。
何故こんなにも絶望を?
相手が『本物の兵士』だからか…?
………だが。
そうだ。
奴らは等しく「敵」だ。
たとえ自治領地を相手にした自警団でなくとも、
敵であることに変わりはない。
ただ、その対象が本物の兵士で、俺たちと同じく鍛錬を重ねた熟練者というだけのこと。
倒さなければならない敵だ。
背後にいる味方の為、民の為にも…。
「…ジャスタさん」
「えあ??」
全く考えてもいない腑抜けな声が二人の間で広がる。
妙なタイミングで彼に話しかけられたせいだろうか、気の抜けたものであった。
だが目の前の状況がそれで好転する訳ではない。
ゆっくりと、奴らは近づいてくる。
それに対し、生き残っている自分たち僅かに10名ほどは後ろに下がるのみ。
しかし、アトリがそのようにジャスタに声をかけた時から、アトリはその場に停止していた。
他の人たちが流れるように、だが遅く後退しているのに対し、彼は後退をやめた。
そして言う。
「この人数を町に入れる訳にはいかない………」
「お…おう……だがよ…?」
「分かっています。このままでは埒が無い。だからといって策も用意できない。なら…」
「………」
その時。
彼が右足を力強く一歩、踏み出した。地面が彼の一歩に反応するように、小刻みな振動を伝える。
ジャスタはそれを見た瞬間目を丸くし驚愕の表情を浮かべた。
その男、自分より何歳も歳が下の男の背中が、これほどまでに「頼もしく」見えるものだろうか。
まだ子どもであるはずのその男が、目の前の危機的状況に立ち向かおうとしている。
二倍以上の差を付けられた、この劣勢。
並みの技量では到底敵うことも無いだろうと、絶望感さえ味わっているというのに。
だが、それでもこの男の背中で物語るその姿が、絶望への反抗を一身に示していた。
背中から全身に変換され、空気が一新する。
そう。
彼はその時、確かに剣気というものを感じ取った。
剣士であるのなら誰もが持つであろう、剣気。
その中でも、秀でた強い気が。
一度、剣を強く左から右に振り下ろす。
空気を断ち切る力強い音。
「……この俺が、全力で止めます」
このままでは埒が無い。
だからといって策を用意できるほどの余裕も無い。
既に隣の道では激しい戦闘が繰り広げられている。
そして人数差が生じている。
この状況をどう覆そうと言うものか。
ジャスタがそう思いながら彼の言葉を聞いたが、思わず転びそうになるほどの答え。
いや、そもそも答えとしてその言葉は全く成り立っていない。
彼は言う。ただ一人、自分が全力を尽くして目の前の状況を打破しようと言う。
この絶望感の中で遂に我を忘れたか、と思いたくなるほどの珍回答。
だが、そう思いながらも、ジャスタも、他の兵士たちも、誰も笑うことが出来なかった。
誰も否定し、排除することのなかった、一つの答え。
何故か。
その男なら、本当にやってしまうのではないか。
小さき可能性に自分たちも乗せられたい、それが本心であった。
「はあぁっ!!!」
マホトラスの兵士の一人が、一気に突出して攻撃を仕掛けてくる。
「………」
それに対するアトリは、ただ静かに闘志を燃やした。
「っ……!?」
次の瞬間。
それを見た味方の兵士たち誰もが、その一瞬に目を疑った。
今までまじまじと彼の姿を見ることは無かった。
戦闘に集中して中々横目でしかその姿を見られなかったにしても、疑いをかけるレベルのもの。
防御ばかりに打つ手がないと思われていた、子供の太刀筋とは到底思えない。
むしろそれは否定したいレベルのこと。
自分たちとここまでかけ離れた動作を、しかもこのたった一瞬でやってしまうのか、と。
彼の示した剣気。そして放たれる一撃。
マホトラスの一人の兵士から放たれた一撃は、そのままアトリの直撃コース。
頭から腹部にかけて直撃し、命中すれば軽装甲で鎧などあてにならないアトリの腸はざっくりと斬られ無残な結末を迎えるだろう。
だが、その一瞬がすべてを変える。
相手の剣先が絵具を描くように、その軌道が見える。
それに対しアトリは最小限の回避行動を取り、その軌道を避ける。
素早く、正確に放たれた一撃は、故に回避することが容易い。
態々アトリの基本姿勢である、受け手からの隙を突いた攻撃を繰り出すまでも無かったのだ。
「うっ……!!」
それは、最早声とは言えない。
口から放たれた何らかのもの。
だが間違いなく断末魔と言えるだろう。
アトリが放たれた一撃は、やはり一同を仰天させるもの。
攻撃が素早く正確かつ力強い、という意味ではマホトラスのそれと変わらない。
だが、その要素を含んでいながらも決定的に違うものが、二つ見出せる。
「は…早い……!!」
彼が放ったその一撃で、ゆっくりと歩行を続けていたマホトラスの兵士たち全員が、一瞬で止まってしまった。それだけの破壊力を相手に影響として与えるものであった。
人間としてはあまりに残酷な死に方だろう。
彼は左によけ攻撃を避けると、高速で剣を両手に持ち替え、今度右から左に向けて剣を斬り上げた。
その攻撃速度、たった一度の剣戟が、あまりにも早すぎた。
気付いた時には、その男が絶命していた、などと評価しても「そうだろう」としか言えないような光景。
男の左腕は骨ごと肉体を斬り刻む。あとわずかで腕そのものが切断されるというもの、僅かな骨の一部と斬り裂かれた根元の肉体とが、腕を何とか繋げていた。
ゆらゆらと、腕が揺れ動く。ハッキリとした断裂面。
そして斬り上げの攻撃は、相手の重装甲をいとも簡単に貫通し、深く傷を入れた。
切っ先は心臓を真っ二つにし、当然その周囲の臓器も傷つけ、重装甲の中の裸体は斬り刻まれ血だらけだ。
その男は、無気力に、いやあまりに自然に、背中から倒れ絶命した。
驚かせたもう一つのこと。
それは、その剣の切れ味。
今まで剣を受けるだけで攻撃に転ずることをしなかった彼。
根元は太く切っ先は鋭い刃を持つ、その剣。
鎧を断ち切ってしまうほどの切れ味を持っていたのだ。
「………!」
彼は心の中で言う。
次、と。
目の前に広がる敵兵士たちの壁。
自分が最前線でこの敵を倒さなければ、後ろが危ないと悟る心。
それが尚更彼の行動を加速させていたのだろうか。
何と、彼は最初の一人目からたった十秒で四人を斬り殺していた。
いずれも、一切の反撃の余地を与えさせない、一瞬での絶命。
一方的な展開を受けていた男の一方的な剣戟の展開。
僅か10秒でそれを成し遂げてしまう男の急な出現に、マホトラスの兵士たちは委縮する。
今までのあれは何だったのか、と。
「お、おい……」
「おおおほほほおおぉぉぉ俺たちもつつつ続けええええ!!」
20秒で6人。
とんでもない強さを急に表し始めた彼の勢いは止まらない。
それについていくことそれ自体が不可能ではあったのだが、手を止め続ける訳にもいかない。
兵士に基本支給される剣とは見た目も大きさも異なる、アトリの持つ剣は軽快に振られていた。
その見た目からはやや考えづらい。
彼は基本的に両手で剣を持ち攻撃を繰り出していた。
が、時々片手で相手に攻撃を入れることもあった。
彼が充分に鍛錬を積み重ねている結果、とも言えるのだろうが、これも経験論なのだろうか。
が、ともかくも相手が委縮している間に戦況を有利にさせようと、ジャスタは目の前の光景におかしな笑いを混ぜながら続こうと前に進む。
他の味方兵士たちも戸惑いながらも攻撃を開始する。
一方、その光景に圧倒されたマホトラスの兵士たちは、逆に後退を余儀なくされる。
たった一人、本気になっただけでこの戦力差を返してしまうのだ。
恐ろしくない訳が無い。
だがそれは逆の立場でも言えること。マホトラスの連中は、先日の戦いでそれを見せつけたのだ。
同様に今回はアトリという一人の男が頭角を現し、その力を如何なく発揮している。
剣戟で打ち合う機会が若干あったにも関わらず、わずか1分で10人を斬り倒してしまったアトリ。
形勢は一気に傾きウェールズに向き始めている。
これだけ瞬間的に相手の戦力を削ぐことが出来れば、少なくとも町に侵入することは難しくなるだろう。
アトリの狙いもそこにある。
………。
それからの戦闘は、今までのそれとは比較にならないほど早く展開が進められる。
まるでアトリが今までその力を隠していたかのように見えないこともない。
ジャスタもそれを疑ったのだが、不思議と憎みはしなかった。
これだけの力量をすぐに発揮できていたとすれば、味方の犠牲も少なく済んだのかもしれない。
だがそれはあくまで結果論だろう。
起きてしまった事実を覆すのは難しい。それも命に関わることであれば。
初動からハイパフォーマンスを繰り出すのは難しい。
アトリは攻撃も防御も、この時点で他の兵士たちに全く劣らないものを持っていた。
ある程度戦うことが出来る。
それを知っているからこそ、味方を護れないことが悔しい。
「い…いやぁ、すげえなアトリさん……」
最終的に、アトリの一転攻勢から形勢は一気に逆転し、ウェールズ王国の兵士たちが優勢に戦いを進めた。
その道での戦闘は残り数名を残して、アトリが大半を倒した。
生き永らえたマホトラスの残兵たちは散り散りに撤退していく。
数の劣勢を一人で跳ね返してしまったアトリ。
味方からも目を付けられるほどの、驚愕の戦闘。
これが今まで何度も死地を経験してきた男の、本当の姿なのだろうか、と誰もが思った。
ジャスタが感嘆の声をあげるが、アトリは答えない。
息を切らしていた訳ではないが、少しだけ呼吸を落ち着けて――――――。
「本隊の様子を見に行きます」
それだけを言い、走ってその場を去る。
彼らが押さえていた道は防衛に成功したため、次なる増援部隊が来るとも考えにくいがそれでも道を押さえておく必要があった。
万が一ここを離れたその隙に突入しようものなら、民たちに犠牲者が出るのは避けられない。
アトリはただ一人、生き残った兵士たちに背を向け、小さな挙動で走りながらその姿を消していく。
………。
ジャスタは思う。
これもアトリという男の実力の内なのだろう、と。
彼がその力を隠していたのが本当なのかは確認することが出来ない。
それが事実だとしても、今が使い時と太刀を振るったと考えることも出来る。
だが、それを含めたとしても、ジャスタには彼に対しての違和感を感じていた。
言葉で表すのはとても難しい。
まるで人が変わるように剣を振り、正確に相手の隙を突き一瞬で絶命させる。
その背中、その姿、その立ち振る舞いは、紛れもなく強者の兵士と言うことが出来るだろう。
ああ、なるほど。
あの少年が一人でここに来た理由が、何となくわかった気がする。
しかし、それだけではない。
少年が持ち得るにしてはあまりに大きな剣気。
兵士として長く仕え、剣の鍛錬を重ねた者には、同じく剣を持つ者の力量をその姿で感じ取ることが出来る人がいる。
誰にでも剣気を敏感に感じ取れるかどうかなど、多数の兵士がいる現状では分からない。
だが、ジャスタには感じ取れた。
使い所を見極めたうえでの、あの行動。
あれは、まるで「自分の体内にあるスイッチを入れた」かのような、切り替わり方だと。
死地で幾度となく戦いを切り抜けた男であれば、ここまでの力を発揮できるのだろうか。
しかし、それだけとは言えないかもしれない。
それも含めて実力の内なのだろうと思うが―――――――。
「……あれが続けば、アトリさんの心身は………」
2-16. スイッチ




