2-15. 戦が歩み寄るとき
ようやく目的地に辿り着く…かと思われたアトリの道中であったが、思わぬ形でそれを阻まれることになった。
彼が目指していた町は既に壊滅的なダメージを受け、それらの町から逃げてきた民や兵士たちが、今このヤヴィノスクという町に滞留している。
戦闘が開かれ暫くは、ウェールズ王国正規兵団とマホトラス軍の戦いは互角に展開されていた。
だが、一時を過ぎたあたりで急に王国兵団の前線が崩壊し、一気に押し込まれたことで後退を余儀なくされた。
町の民たちや兵士たちも必死に抵抗を続ける中で、奴らは一気に町中に火を放ち殲滅を行った。
その結果、生き残った者が僅かに数十名と、悲惨な状況を生み出してしまった。
ヤヴィノスクよりも北に位置する二つの町がそう規模の大きいものでなかったとしても、王国の民たちが巻き込まれたこと、その事実に変わりはない。
アトリはそれを聞いて動揺しつつも憤りを覚える。
奴らの狙いがどの程度にあるのかは分からないが、明確にあの城を目指していることに変わりはない。
その過程に一般の民を巻き込むことも是とするのか、と。
無関係の民が巻き込まれ命を落とすことなど、決してあってはならない。
たとえそれが戦争であろうと、彼らは本来「武器を持たない民」なのだ。
善良であれ悪であれ、彼らの身分は国の下に生きる民。
それが、ただ一度の抵抗によって外敵扱いをされたとあっては、今後も同じように民たちも殺されてしまうだろう。
しかし。
アトリはこうも思う。
マホトラスは、自分たちの目的を前に、無辜の民など一切関係ないのではないか。
何せ、奴らにとって自分たち「王国と言う存在そのものが、敵なのだから。」
部隊長から言われたように、彼は夕刻以降の警備役を引き受ける。
ただ昼間、明るい時間帯はヤヴィノスクの郊外に出て辺りを継続警備していたのだが、夜間は町の傍から警備を行うことにしていた。
夜間、警備を厚くすることも難しく、いざとなればすぐに本隊を呼び出せる位置にいることが重要であると考えられた。
アトリがいる場所以外にも、複数個所で少人数の警備隊を敷いてマホトラスの動向を探る。
周りにいるのは当然誰も知らない人。だが、これも妙な縁なのか、彼の周りにいた兵士たちは皆若い。
「そんなに沢山の戦場を…今までに…」
「はい。色々ありましたがそれでも生きています」
「凄いですね…自分には想像も出来ない」
アトリと共に警備をしていた兵士たちは、全員が兵士の見習い上がりの、新米兵士であった。
ヤヴィノスクより南に下り、アトリも途中休憩地として立ち寄った町で兵士としての訓練を受け、そして今回マホトラスへの対抗部隊として派遣されたのだと言う。
因みに、元々北西部を中心に布陣していた部隊は、先日の戦闘でその数の多くを失った。
増援部隊として既に領地北部と、中央部から派遣されて来ている。
兵士の数は失われつつも補充され、アトリの傍にいる彼らもそのような扱いを受ける。
無論アトリもそのうちの一人。
戦争を前に一人ひとり兵士の扱いなど気にしてはいられない。
アトリもそのつもりではあったのだが、彼を知る兵士たちは彼が今までどのようなことをしてきたのか、それを理解したうえで敬意を持って話をしていた。
彼に自分が今まで進んできた道が誇らしい、などと思うことは一切ない。
だが、彼の進んできた道が王国の為、民の為に必要なことであり、その功績が計り知れないものだと考える者も確かに多くいたのだ。
――――――どうしたらそんなに強くなれるんですか?
警備中、ただじっと黙って警戒を続けるのも味気ない。
無論すぐ敵が来るのであればそれに対応するのが常だが、夜間はそうとは限らない。
視界が取れない中での戦闘は不慣れどころか、敵味方の判別もしづらくなる。
その状況下で両軍入り乱れる戦闘が起こる可能性は低いだろう、とアトリは考えていた。
その意味も含めて、まだ兵士になったばかりの、それでも自分よりも年上の男性数名と話をしていた。
「自分は、自分を強いと思ったことはありません」
「ですが、アトリさんの評価は辺境にいる私たちでさえ聞きますよ…?」
「…あぁ、それですが……」
彼は自分の話がどの程度周りに知れ渡っているのか、それを知るためにあえて聞く。
自分に対する評価など大して気にはしないと自分自身では思っているのだが、自分と言う存在がどれほど知れ渡っているのか、何故下士である自分が他人とは違う扱いを受けることがあるのか、というのを確かめようとしていた。
ただ、これには明確な解答が無いにせよ、既に彼は聞いた部分の話もある。
つい数週間前、東の地を訪れた際に、北東部を管轄する部隊の長の一人である、ヒラーから聞いた話。
彼は各自治領地にて発生する戦闘に度々派遣され、その都度救援要請のあった自治領地を護るために戦い続けている。そういう、物好きな兵士がいるらしい、と。
ヒラーは楽観的な考え方を彼に明示したが、それは彼を少しばかり気遣ってのこと。
彼の前にいる兵士は言う。
その経験は、他の誰もしていないことなのだと。
「アトリさんは王城勤務で、そこから各地を転々としながら戦い続けていると思いますが…実際にアトリさんほど戦闘経験を積んでいる方は、そう多くはありません」
「………?」
「少なくとも、俺たちからすれば実戦を経験する機会は殆どなく、日々模擬戦などで訓練を積み重ねるのが常ですから。アトリさんのように、たとえ相手が民上がりの警備兵だとしても、明確に敵だと認識された相手を斬り殺す機会は、そう多くはありません」
彼は王城所属の正規軍兵士。
だがその扱いは直轄地に派遣されている兵士たちとは大きく異なり、役割も変化している。
自治領地と自治領地での戦い、死地において民や救援主を護るために戦うアトリ。
それは、今彼が目の前で話している、直轄地を所属とする兵士には普段担うことのない任務の一つだ。
アトリのように死地に派遣される兵士は数少ない。
だからといって彼がすべての自治領地の戦闘を管轄するかと言えば、当然そうではない。
広大な大陸の中で、そのうち領地の全域をカバーすることは、一人では到底不可能である。
しかし、複数の自治領地が同時に各地で武装蜂起する機会も起こり得ない。
彼の経験上そのような機会は指を数えるほどである。
だから、城から派遣される兵士たちがその任を受けるのが通説であり、直轄地に所属する部隊の兵士は、あくまで直轄地を防衛するのが鉄則となる。
今の現状のように、マホトラスという強敵を相手にするため、自分たちが本来居ない場所で活動を行う機会は、そう多くは無いのだ。
アトリはそれを聞いて理解をする。
そう、この人たちには実戦の経験があまり無い。
彼には彼らに無い経験が備わっている。
その引き出しの豊富さは、皮肉にも戦争への対処に上手く役立てられるのだ。
「本当であれば、経験が多いからあの人に頭が上がらない、などというのは避けてもらいたいところです。人となりとは別ですから…」
「確かに。アトリさんの言う通りですね。これを知った俺たちはまだ良いにせよ、他の兵士たちの態度は変わらないかもしれませんが…」
「…ですね」
………、戦う機会が無い?
本当なら、それでいい。
戦うべきことなど、本当なら………。
強くなりたいと思うのは理解できる。
兵士として当然のことだろう。
強く無ければ殺されるのはこちらかもしれない。
だがそこに、強くなるために戦う機会を求めると言うのでは、
いつまで経ってもこの世から戦いは無くならない。
…その度に、無関係の民たちが犠牲になる。
そんな世の中に、どれほどの希望や理想があるものだろうか。
アトリは、そう冷静に、今を取り巻く現状を酷評した。
その考え方一つが、他の兵士たちには想像もつかない彼の経験から導き出された、路の一つである。
それから、各警備隊は明け方の交代時間まで周囲を警戒し続けた。
アトリが予想した通り、流石に夜間に攻めてくるものではなかった。
いや、もしかしたら夜間でも攻めてくる方法はあるのかもしれないが、それが思い付かない。
「…しかし、本当に寒いな」
明け方。
特に太陽が昇り始めようとしている時間帯は、特に冷え込みが激しい。
呼吸をすれば白い息が見えていく。
寒暖差が激しいというものでもないが、夜間は特に冷え込みが激しいために、
何時間も同じ場所に立っている訳にもいかない。
夜間は夜間で室内で暖を取りながら、また外も確認しながら、というものの繰り返しだった。
星空が綺麗だということが、少し気を落ち着かせる要因でもあった。
どことなく、懐かしい空気感を覚えていたアトリ。
だが交代時間になり太陽が昇っていく朝方には、彼は空き家に戻っていく。
夜間と違い、広範囲かつ多い人数での警備が今日も行われる。
ヤヴィノスクよりも北にある町が破壊されて数日は経過している。
「……とにかく一休みするか」
今のところは、警備を務めるのが仕事。
それ以外の時間帯は身体の休息に当てることにする。
アトリは、空き家の二階の一室に一人で行き、太陽の光を浴びながら、鞘に納められた剣を脇に締め、胡坐をかいたまま目を閉じる。
身体を休める方法にしてはあまり良くない体勢だと思いながら、彼が普段寝ている体勢に近いもので、その日の朝は休息を取る。
どうやらここを借りている他の兵士たちは、自分たちと交代で外周警備に行ったようだ。
「………」
だが。
睡眠というものも、中々に上手くはいかないようだ。
ずっと目を閉じながら、陽の光を浴びながら眠りにつくと思ったのだが、そうでもないらしい。
何が睡眠を邪魔立てしているのかは全く分からないが、目を閉じたところで眠気は来ない。
休もうという気持ちがあっても、休むという動作に結びついているかどうかは分からない。
そんな状態がまず一時間ほど続いた。
眠ろうとしても、眠れない。
今自分は何をすべきか。いや、このことに何の意味があるのか。
まるで睡眠そのものを行動の無駄と立てて払うかのように、一時間後には起き上がっていた。
「…やはり、ひと気はあまり無いか」
当然と言えば当然。
既にこの町にも、マホトラスの存在は知れ渡っている。
今まで影を潜めるようにして、その存在を公に出さなかった奴らも、今は明確な目的を持って行動に移しているだろう。
あの時。
貴族連合がもし、ウェールズ王国と分離することが無かったら。
どのような現在を迎えていたのか、それを考えるのは野暮である。
パラレルを気にしたところで、それが現実になる可能性は、万に一つも無いのだから。
そして、民たちの間では、いずれこの町が襲撃されることを悟って逃げ出す者もいる。
それはそれで良いのかもしれない。
少しでも戦いから遠ざかってくれるのであれば。
だが同時にその人たちを保護下に置けなくなることで、護れなくなってしまう。
かつて何度か経験したことだが、今度はその比ではない。
護る兵士でさえ無事に済むとは思っていなかった。
それから少しのこと。
彼は空き家のキッチンと予め部隊が駐留することを想定され用意されていた食材を利用して、簡単な食事を作る。
本当に軽食というレベルのもので、彼からすればまず口にできるものであればいい、という程度のものであった。
こんな生活を続ける訳にはいかないが、今はこれで凌ごう。
食事を済ませ、眠れない身体を無理に寝かしつけることもせず、椅子に腰かけて装備品を整理していた。
ここ一週間は使われることの無かったもの。
とはいえ、身に着けていれば汚れはつく。
一つひとつ汚れたものを綺麗に拭くのも、兵士としての日常の一つだ。
それには、彼がこの出征前に手に入れた独自の剣も含まれる。
戦闘で使用すれば当然整備はするのだが、それ以外にも彼は剣の様子を度々見る。
誰かを護る為に、今は絶対に必要な武器。戦うための道具とはいえ、手放すことは許されない。
やや太い剣の刃が鏡となって自身の姿を映し出す。
まるで剣が目となりこちらを見透かしているのではないか、と思いたくなるものだ。
「…ん?」
その時。
彼は僅かながらに、異変を感じ取った。
それは今見ている剣に対してではない。
微かだが、何か空気が入れ替わるような感覚を覚えた。
さらに彼はその感覚を頭の中で明確に感じ取り、それが何を伝えているものなのかを探る。
自然と、頭の中の思考が回転し始めている。歯車にギアを付けたものがなだらかに、かつ素早く加速していく。
一つひとつ聞こえてくる音がハッキリと認識できる。
研ぎ澄まされる神経。
あらゆる自然界の情報を一つに集約する思考。
「…はっ…!!」
それに気付いた時、彼の身体は既に行動に移っていた。
手元に広げられていた装備を急いで身に着ける。剣は腰に下げず手に持ったまま。
誰もいない家の中、二階から階段を急いで降りて外へ出る。
自らが出す生活音で聴覚からの情報は消えつつあるが、感覚は今も残り続け、しかも同じ方角を向き続けている。
彼は自らの感覚、それに疑問を持ちながらも自分なりに扱い捉えることに成功した。
そして、その結果がすぐに現れる。
「お、おいアトリさん…どうしたそんな急に!」
『敵です!!!』
町の中を武装しながら歩いていたその男、ジャスタが彼に声をかけるが、彼は走るのをやめない。
そして走っている最中、そのような言葉を口にした。
疾風のごとく目の前から消えた、その様子から察するに本当のことなのだろう。
一瞬何が起きたのか把握できなかったが、彼の今の行動そのものが、明確な敵に対しての対処に向かう行動なのだと判断したときには、ジャスタも走り出していた。
アトリの後に続いてジャスタも走っていく。兵士であれば戦場に急行する必要がある。
あくまでアトリの行動を見て判断したジャスタがそのようにしただけのこと。
敵の姿を確認した訳ではない。ただ、彼の行動に自分も従っただけ。
そうすることが正しいのだろう、と。
二人が町を出てから、すぐに町の中に銅の鐘を打ち鳴らす音が響き渡る。
敵襲を知らせる合図だ。
昔ながらのこの手法。直轄地にある町の多くは、このように町中に知らせる鐘が用意されている。
非常時だけに使われるものではないが、こういう状況下では誰もが非常時であると判断するだろう。
アトリやジャスタの行動よりも鐘の音は遅かったが、それでも事実を伝える手段としては正しかった。
町の中にいる、戦える兵士は大急ぎで町の外へと向かっていく。
そうして、町の中から兵士が次々と消えて行く。
「…いよいよ、この町も駄目なのかね…」
「ああ…!!奴らが来たんだわ…!!」
町の民たちは震え上がった。
当然と言えば当然だろう。
つい先日の結果を目の前で見届けた民も中には居るのだ。
マホトラスという連中がどれほどの力を有しているか、それを知る者にとっては、
この鐘の音は絶望を与える役割としては、十分すぎる。
中には急いで身支度をして町から離れようとする者も現れた。
そうして、混乱が一気に町の中を包んでいく。混沌とした中、その事実は彼らに牙をむこうとする。
「…!!!」
彼の感覚が既に伝えていたものではあったが、奴らは本当に来ていた。
その事実を否定したくもなったが、これが事実なのだ。
奴らと戦う術を持つ自分たちが立ち向かわないで、どうする。
それを体現するかのように、既に大きな声と鉄がぶつかり合う接触音が、辺りに広がっていた。
ヤヴィノスクから僅かに1,2キロ程度離れた位置。
本来であれば北の二つの町に通じるはずの道や、その周囲の草原に突如現れた奴ら。
両軍入り乱れる形で激突しており、その僅か後方で部隊長と側近の上士たちが構えていた。
「おーい部隊長!!」
決して暢気に言葉を交わそうと思った訳ではない。部隊長は背後から走ってくる兵士たちを見る。
アトリとジャスタを先頭に、その後方数百メートルから次々と兵士が詰めかけてくる。
戦闘が起こったという報に対しての対応である。
ジャスタが部隊長を呼びかけると、部隊長とその側近である上士が彼らを待ち構える。
「遅くなりました…!」
「いや中々の反応だぞ!」
アトリがそう詫びるのに対し、部隊長は目の前の戦闘を確認しながらどっしりと構えている。
既に戦闘の様子は混戦で誰がどこにいるのか、分からないものとなっていた。
幸いと言うべきか、ウェールズ王国の兵士たちが身に着けている装甲と奴らのそれは色合いが異なる。
敵味方を区別するのは苦労ないが、両軍入り乱れている状況に変わりはない。
部隊長は次々と戦場に駆けつけてくる味方兵士を待つことはせず、真っ先に辿り着いたアトリとジャスタにすぐ指示を飛ばす。
「この道は何とか俺たちで防ぐ。お前たちは町の西側に来る奴らを倒せ!」
「はい…!!」
単純かつ明快な指示。
ヤヴィノスクに通じる道は一本だけではない。
主要の道は、現在目の前で繰り広げられている戦闘で塞がれている。
奴らの狙いがヤヴィノスクの占領にあるとすれば、間違いなく町の中に兵力を送り込むだろう。
それを全力で阻止するのが、アトリたちの役割。
敵も当然自分たちのように別の道に阻む相手が現れることを想定しているだろう。
極端な話、道の上を歩かなくとも町には辿り着くが、結局人目につき見つかることに変わりはない。
目の前に脅威がいて立ち退くことが無いのであれば、排除するしかない。
アトリとて同様の考え方だ。結局戦いは回避できないのだから、自分たちが負けないためには
相手を排除しなければならない。
自分たちが負け、相手に自分たちが間違っていた、などと定められないように。
「アトリさん!あいつらだぜ!」
「……!!」
部隊長も、そして彼らも予想通り。
走って接近する集団の姿を捉える。
武装をしているし硬そうな鎧も身に着けている。そして全員が同色。
間違いなくマホトラスの連中だろう。
アトリは、授かったばかりのその剣を抜く。
鞘から抜かれる抜き身が鞘と擦り合い、綺麗な鉄の高温を鳴らしていく。
ジャスタも、そして後続に来た味方の兵士たちも次々と剣を抜いた。
他の人たちが持っている剣とは明らかに違う、アトリの剣。
いよいよ、特注だと言われるその剣が、それを扱うアトリの腕が、発揮される時が来た。
………これは、今までの死地での戦いとは違う。
明確な敵はいる。
斃さなければならない相手だ。
ただ、相手が王国の領地に攻め込んでいる、国の規模の相手であるということ。
しかし、今はそれよりも…
――――――――あれは自分たちにとって、等しく「敵」。ならば、討つのみ。
2-15. 戦が歩み寄るとき




