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Broken Time  作者: うぃざーど。
第2章 混迷の戦時下
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2-12. 少女の面影




珍しい任務と言えばそうもなるだろう。

まさか、この俺が子どもたちのために教育者になるのだから。

いつぞや、クロエと一騎打ちした時のことを思い出すな……。



城下町の南部にある隣町、グラストンに赴いた彼。

この町に駐留する部隊が定時偵察のために町を留守にすることから、ほぼ毎日行われている兵士の見習いを目指す子どもたちの教育を、彼が代わりにすることになった。

定時偵察は時間が経てば戻ってくるため、これ以降アトリが教育者として関わるかどうかは全く分からない。

彼が見た子どもたち25名の中で、ひと際目立つ存在。

どちらも彼の年下だが二人の男女は同い年。

少年『エクター』と少女『クリス』。

実戦を想定した模擬試合を急遽行ったアトリだが、ペアとして現れたその二人の対戦は、周りの子どもたちも驚き、またアトリ自身も目を丸くしたほどだ。



周りの子どもたちから言わせれば、そのエクターという少年とクリスという少女が、この町の訓練生の中で一番優れた技術力を持つ人だという。

殆どアトリと歳が変わらない二人であったが、彼自身もそれを認められるほど、二人の動きは凄まじいものであった。

特に身体の俊敏さ、跳躍力などは、既に一般的な兵士と同レベルだと見ても良いほどである。

打ち込みの速さや判断力も優れており、子どもたちを含む町の人たちからは、将来の兵士として期待されているのだという。


模擬戦の結果は、エクターの勝利であった。

僅かに1分ほどの試合時間であったが、彼がクリスの脇腹に竹刀で突きを掠めたことで、勝敗は決した。

二人にそれほど実力の差があるようには思えない。

確かにクリスは女性であり男性に比べれば体力や筋力の身に付き方が異なるだろう。

エクターが身に着けた技量に対し、クリスは自らの才能とそれを引き出すために努力し続けていることが戦いを見て感じ取ることが出来た。

そうして、模擬試合が終わると、昼過ぎとなり訓練の時間を終了とさせた。

子どもたちも流石に朝から昼まで動きっ放しであれば疲れも溜まる。

激戦を制したエクター少年も、僅かに敗れてしまったクリスも、その戦いでようやく呼吸を乱した。

この様子なら、そのうち兵士の見習いにすぐ上がってくるだろう。




…この時期に兵士の見習いになれば、間違いなく戦地に派遣される。




「アトリさん!」



彼のすべきことは、戻ってくる偵察部隊に後を引き継ぐこと。

既に子どもたちの訓練は終わり、まだまだ元気の良い子どもたちは外で遊び始めている。

一方の彼は、町にある飯屋で食事をしながら、外の景色を眺めていた。

実に静かな昼食。天気が良いとは言えないが、温かな気温と心地良い風が吹いていた。

そこへやってきたのが、先程エクターと善戦した、クリスであった。



「ん、どうしたのかな」


「あ、はい!お疲れ様です…!」




彼は箸を置き、不意の来訪者に優し気な声をかける。

彼女はその姿を見て少し驚く。先程までどっしりと構えていた教官代理とは異なる顔。

目の前のご飯を美味しく食べるその姿は、自分たちと似ているのかもしれない。

親密さも感じることが出来る。

だがそれでも、自分と相手とでは人も違うし格も違う。

あくまで礼節を保とうとした。



「そんなに畏まらなくて良い。先程は惜しかったな」


「は、はいすみません…もう少しのところでした」



一方で、アトリはその礼節を気にすることはない、とフォローする。

そもそも自分たちは歳が近いだろうから、と。

彼は直接歳を確かめた訳ではないが、その容姿を見れば大方想像がつく。

この場合、アトリは彼らの上士に当たる存在になるのだろうが、彼らが兵士として正式に認可されれば、その差は埋められる。

彼がこの先昇進することが無い限りは。

彼女はやや悔しい思いを表情に滲ませながらも、次なる模擬試合では勝ちたいと口に言葉を乗せる。




「どうやったら、エクターから一本取れると思いますか…?」


「まず、今まで彼から一本取ったことは?」


「あります!ただ…数えるくらいで、エクターは私の比じゃありません」




「…そうか。そうだな、まずは誰を相手にしても等しく勝ちに行く気持ちを身に着けることだ」




彼から見れば実力差は大して無いと思っていたが、どうやらクリス自身は彼との間に実力差を感じているらしい。周りの子どもたちからとやかく言われないのは、二人が「男女」違いであるから、と彼女は思い込んでいたのだ。

女性は、男性に負けて当然。

しかし彼女からすればそんなことは関係ない。

ただ、自分と実力と同じくするエクターという少年には、負けたくなかった。

アトリは彼女がそのように思っていることを見透かしていた。だからこそ、そう話したのだ。



「それは一体…」


「よく考えてみて欲しい。今貴方はこうして小さな町の一角で、知っている人と打ち合うことが出来る。ただ…それがいざ、外の世界で戦闘をすることになれば、相手がどのような人など見極めることは難しい」


「……」


「俺だってそんな芸当は簡単には出来ない。だから、誰か特定の人を目標にするのではなく、己のために己を鍛え上げる。誰に対しても隔たりなく自分が勝てるように、鍛錬を積み重ねる。『この人には勝てるから手を抜いてもいい』、『この人相手には全力で戦うべき』という、気持ちの切り替えは大切かもしれないが、実戦では通用するかは分からない」



「……なるほど……」




彼女はうんうん、とよく頷く。どうやら話の筋は理解できているようだった。

そう。

戦場で顔を合わせる敵兵士は、当然赤の他人であり見知らぬ兵士だろう。

どのような腕前で、どのような考えの持ち主で、どのような戦略を打ち立ててくるか。

それを瞬時に見極めるのは容易ではない。

この時、アトリも同じようにして相手の行動を読み取るのは難しい、と子どもたちに答えていたのだが、彼は日常的な戦闘で既にこれを身に着けている。

特に、相手の剣戟をかわす、不意を突く、衝撃を出来るだけ最小限に抑える、というのは既に実行できている。ただ、先日レイモン鍛冶師がアトリに教えたように、パワーバランスが乱れているというだけのこと。

相手がどのような敵であるか分からないのであれば、自分と相手どちらの方が実力が上か、それは剣で確かめ合う他ない。

だからこそ、誰と対しても自身の力を最大限に発揮し、誰を相手にしても自分が相手を倒せるようにしなければならない、とアトリは彼女に教えた。



「…よく分かる話です」


「ただ、貴方も実戦に出れば分かる。実際には理論よりも経験が物を言う。マニュアルなどというものは当てにならないことの方が多い。経験したその腕が、身体が、その頭が何よりのマニュアルになる」





「…アトリさんも、今まで沢山の戦闘を……?」




そんなことは聞かなくても分かっている。

兵士となればこの町にいる部隊のように、直轄地の防衛のための駐留部隊一員となったり、城の警備なども行う。彼のように自治領地同士の戦闘、死地において民たちを護る仕事をするために、敵となる者を排除する役割を持つ兵士もいる。

クリスが聞きたかったのは、形式上の回答ではない。

彼が今まで具体的にどのような経験を積み、何を感じてきたか、ということ。

その質問の意図をアトリもよく分かっていた。




「…あぁ。もう数え切れないくらいには」


「大変、ではありませんか…?」


「大変でない訳が無い。だが貴方たち兵士を目指す子どもは、それを承知でこの世界に志したんだろう?」


「はい!その点については充分に覚悟をしています」





「……、『覚悟』か」





彼は座りながら、また外の景色、流れて行く灰色の雲を眺めながら、その場で両手を組む。

この会話が始まった時から、アトリは彼女を隣に座らせて、少し近い距離で話をするようにしていた。

覚悟。兵士という身分を目指すために問われる、自分自身への質問。

兵士とは国の為に尽くす者。国の為ならば、己の命さえ差し出すこともあるだろう。



「そんな覚悟は、本当は無い方が良いのかもしれない」


「え………?」


「俺も初めは、貴方のように強い信念を持ち続けていた。いや、今もきちんと持っているし、それを自分の中で揺らぎながらも確かに持ち続けている。だけど…クリスさん、誰かを護るということがどれほど過酷で険しい道のりなことか」





彼は彼女に語り掛ける。

兵士としての今までの過ごし方の一部。

すべてを話すには時間が掛かる。

それでも彼女は知りたい、と言う。


本当は知るべきではないのかもしれない。

もし、今兵士として誰かを護ることを志し、それを軸に

誰かの為に戦おうと考えているのなら。

こんな男の姿など、何の参考にするべきではない。

だが、彼女の瞳は真っ直ぐに彼を捉えていた。

たとえどのような話であったとしても、それも一つの現実なのだと。

そう、受け入れる準備を整えていた。

それを教訓にしようとしていたのだ。



「そう。覚悟もあった。だが…挫折も経験した。その果てに今もこうして生きている」




覚悟が折れ曲がるほどの現実。

自分の行いが決して間違いではなく、誰かの為になるものと信じ続けた理想。

死地の護り人として歩み続けた、兵士としての生活。

感謝されることもあれば、非難されることもあった。

何故このような子どもを派遣したのか、と。

大して実力も無い名ばかりの兵士に何が出来るだろうか、と。

それでも、彼は走り続け、戦い続け、多くの民たちを護り救ってきた。






――――――――――多くの人々を、犠牲にしながら。






一度失われた命は、二度と蘇ることはない。

人生は一度きり。

それを、戦いの道具として利用される。利用し合う。使い古す。

自由で平等だという考え方、誰にでも幸せになれるという権利があるという理想。

それを成就するために流された血の量は、何万ガロンというレベルではない。

相手の臓を突き刺し、肉を断ち切り、骨を砕く感触。

今も手に残り続けている。

記憶にも残っている。

あの時、自分が殺した相手の表情。姿勢。そして最期の言葉。

彼が初めて「人を殺した瞬間」。

斃さなければ自分が殺されるのは目に見えている。

戦いは発生してしまったし、それ以外に解決の方法は無い。

人々が起こした戦いは人々の手によって、自ら鎮められなければならない。

だから、戦うことに躊躇ってはならない。

油断なく躊躇いなく、相手を封じ息の根を止める。



初めて殺した人の言葉を、彼はよく覚えている。





―――――――生涯後悔するがいい。





「貴方は、何故兵士になりたい?」




その言葉は、かつてアトリが言われたこと。

彼女からすれば、これから言われることになるのだが、彼女はまだそれを知らない。

兵士になる理由。

それは人によって様々だし、本来尊重されるべきもの。

自由と平等が約束され、誰にでも自分の思う生活を送る権利が保障されている、この王国。

だがアトリは、本当ならこのような少女が戦場に来てほしくは無かったのだ。

戦いに巻き込まれれば、命など幾つあっても足りはしない。

初陣で命を落とす味方など、今まで何人いたことか。

その中で自分がこうして生き続けているのは、実力があるのか、あるいは単に運がいいのか。

両方あり得るかもしれない。だがそれが時として幸福なことだと思った、その油断が命取りになる。

生半可な気持ちで兵士になりたい、などと思うべきではない。

その先は決して明るい道ばかりではない。

だからこそ、彼女にそう問いを投げかけたのだ。




「私は、今まで私が育ててくれた人たちのために、恩返しがしたいんです」


「…恩返し?」


「はい。親無き私をずっと育ててくれた、町の人がいます。料理をしてくれて、一緒に遊んで、時に叱ったり怒り合ったり、沢山の時間を町の人と過ごしてきました。だから、今度はその生活を私が護りたい、と思ったんです」





………、この人もか。





彼女は相変わらずその目を輝かせながら、真っ直ぐに瞳を映し出している。

彼にはそんな彼女の姿と気持ちとが、眩しいくらい。

大して歳の差が無いと言うのに。

ただ、兵士の訓練などを含めた時間の経験が、圧倒的にこちらの方が多いということだけなのに。

輝かしく思えた。

自分が何のために兵士になりたいのか、兵士として何を目指したいのか。

彼女にはそれが軸としてしっかりと備わっているのだろう。

それは望ましいことだ。

今まで育ててくれた人のために、その人たちが今後も安心して生活をしていけるために、

兵士として国を護り、民を護り、そして自分をも護る。

その力を身に着けたい。

結構なことだ。理由としては筋も通っている。

彼女であれば、兵士の見習いにすぐ昇格し、実戦を経験することが出来るだろう。




だが、彼は思う。

まるで「かつての自分」を見ているかのようだ、と。




この手で誰かを護れるのなら。

幸せに暮らしてもらえるのなら。

その理想は根底にある信条と結びついている。

昔も今も変わることが無いし、今後も変わらないだろう。

そうか、自分もかつて訓練に明け暮れていた時は、実戦を経験するまでは

こうして巨大な理想を抱いていたのだ。



そして彼は気付く。

彼女たち、子どもたちの存在から比べれば、自分など既に翳んだ存在なのだと。


それでも、彼にはしなくてはならないことがある。

そのために戦わなくてはならない。

この道は決して間違いだとは思いたくない、そう信じている。

答えを得るまでは果てしなく遠い。

だからこそ、そのためにこの道を走り続ける以外に、道は無いのだ。




「駄目…でしょうか?」


「…いや、立派なことだと思うよ。俺も少し昔の話を思い出した」





それは、彼が兵士としての訓練を受ける、もっと前の話。

遠い遠い領地での日々。

毎日薪を割り暖炉の火を頼りにしながら、その温かみの中で暮らしていた日々。

ガラス越しに見る雪の粒と氷の結晶が、美しくも寂しく、虚しかった。



彼女―――――クリスの姿を見て、彼は少しばかり昔の話を思い出す。

それは、今はもう取り戻せない生活の一つ。

彼女の存在は、彼の過去の記憶に生き続けている、『あの少女』と少し被るのだ。




「それでは、俺はそろそろ行くよ」


「戻られるんですか?王城に」


「あぁ。そろそろ定時偵察も戻ってくるだろう?あの方たちに報告した後でね」




昼食を終えたアトリは、店の主に料金を支払い、そして店から通りに出る。

隣に座っていて話を聞いていた彼女も同じように外に出る。

そして、後ろ姿を見せた彼に声をかけ、もう一度振り返させるのだ。



「アトリさん、今度お手合わせ願います!!」


「…今度、ね」




そういうと、彼は右手を上げて彼女にそう答えた。

この瞬間が、クリスとアトリという二人の約束の時間であった。

手合わせをするときは、この少女は立派な兵士になっているだろう。

後は戦いの最中に命を落とさないよう…祈るのみ。

彼はそう思いながら、どんよりとした雲の下を歩いていく。




男は去り、少女は経ち続ける。

この時の約束が、後に意外な形で果たされることになるのだが、

それがいつなのか、そしてどのような状況なのか、

この時は予想もつかないことであった。




アトリが用を済ませ、城に戻ったその日の夜。

遂に彼の出征時期が決定する。

今日を抜いて後三日。

事態が思わぬ形で加速しているとの報告を受け、そのように決められた。



「厳しい戦いになる。用心しろ」


「…はい」




自治領地同士の戦いではなく、マホトラスという存在と戦うことになる。

これまでの死地での戦いとは様相が異なる。

それでも彼は、この道を進み続ける。







各地で、激しい戦火が巻き起ころうとしている。





2-12. 少女の面影




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