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Broken Time  作者: うぃざーど。
第2章 混迷の戦時下
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2-8. 漠然とした不安




まるで、現実とはかけ離れた世界であった。

これは現実ではない。恐らく勝手に作られた世界の情景なのだ。

そう思ってしまう彼がそこにはいた。

幾つもの景色が流れて行く。早く、早く、そして早く。

一つひとつを確認するのは不可能なほど、早く。

だが、見たことも無いような景色もあった。

あれはいったい何なのだろうか。何がそうさせたのだろうか。

ただの夢でなら何も思う必要はないし、そこまで考え込むこともしなかっただろう。

だが、夢は夜明け前に醒め、突如彼に身体の異常が襲い掛かった。

急激な悪寒と荒っぽい咳。

どうしようもないくらいの身体の怠さと、水分への欲求。

城の外に身体を揺らしながらも運んでいき、井戸水をくみ上げて顔ごと突っ込む。

急激な喉の渇きと血の味に埋め尽くされた口内を、新鮮で冷たい水が癒していく。それだけが今は救いであった。

心臓部を圧迫される一つの鼓動は、今はもう感じられない。

だが今も鼓動が早く動き続けているのがよく分かる。




―――――はぁ…。





そう、一息彼はつく。

まだ夜が明けようとしている時だというのに、城から出て外に来てしまった。

身体が本能的に水を欲していたし、何より自分が落ち着くための手段だった。





―――――何だったんだ、あの夢は……。





ハッキリ言って、あの光景は『異常』であった。

覚えているのは、綺麗でどこまでも続いていく美しい大地が、急に光の点に飲み込まれていったこと。

刹那、何かも識別することが出来ない光景が幾つも流れていき、最終的に行き着いた光景が、あれであった。


まるで大地が死滅していくかのような、燃え盛る光景。

崩れた建物の数々に、散乱した物の数々。

何もかもが飲み込まれていく、絶望の光景。

彼の経験上、一つだけ夢に見た景色に似たような光景を見たことがある。

だが、それにも増して、その光景はどうしようもない世界観であった。




あの炎の中に、一人でいたあの男は、誰だったのだろう。





ただの夢であれば、それほど気にするほどでもない。

夢はいつでも見ている。

過去、見たくもない光景を見ることもある。

後悔もある。

だが彼にとって、今日この瞬間に見ていた夢は、特別のようにも思えた。

その先が気になってしまったのだ。

あの炎の中に一人だけ存在していたあの人間は、誰なのか。

何故このような景色を見ることになったのか。

それを、ただ一言「夢だから」とは決めつけられなかった。

いや、そのように出来なかったのだ。

身体の調子さえ圧迫させるほどの高圧的で印象的な夢の景色。

その欠片が幾つも再生されながらも、覚えているのはその燃え盛る光景ばかり。

思い出されるのも、その光景ばかり。

現に、彼は顔を洗い水を飲んでいる最中でも、その心の内であの景色を思い出していた。



夢を見果てた時、その夢は記憶の中から消えていることもある。

自分は今朝、何の夢を見ていただろうか、と。

だが今日見たその夢は、他とは完全に区別された光景であった。






―――――――――時は、その始まりを迎える。






その日は、午前中までとにかく身体が怠かった。

これでもか、というくらい身体が言うことを聞かなかった。

思わずいつも部屋の整理や掃除をしてくれる召使が心配してくれるほど。

彼女は俺が壁に背をつけ横たわる姿を見て、慌てて道具を地面において駆け寄ってきた。

結局、水を飲んで喉を潤した後部屋に戻ったのだが、その後は怠さで身体が動かせそうにもなかった。



「アトリ様…!」


「大丈夫。少し身体が疲れているだけだ」




朝食の時間を過ぎても、彼は動くこともなく、ただ目を開けたままその身体を出来るだけ休めていた。

幸いと言うべきか、城に戻ってきて今日はまだ具体的な仕事の依頼をもらっていないので、自由に動かせる時間は多い。

そのため、動けない今の時間は休養に当てようと彼は思っていた。

その時に召使の彼女はやってきたのだが、その表情は焦りでいっぱいだった。

彼は自分が大丈夫だ、と言うことで彼女を落ち着かせた。

とても大丈夫な様子ではなかったのだが、他人にそれほど心配され大事になるのも厄介なものだ、と彼は考えていた。




「無茶し過ぎです。少しは休まないと……」


「そのつもりだったのだがな。まぁ…旅の反動というものだろう」




実際には違うのかもしれない。

この身体の異常が示すものは、出征による疲れか、あるいはあの夢か。

後者を彼はその召使に言うことはしなかった。

何も相談するほどのことでもない。

いや、というよりも、この人に心配させるのが申し訳ない、と彼は思った。

それもそうだ。

自分の本来の役割を忘れて、頭の中を真っ白にさせながら、彼の元に彼女は駆け寄ってきたのだろうから。


いつも、彼の部屋を決まった時間に掃除してくれる召使。

『メディア』

それが彼女の名前であることは、アトリも随分前から知っている。

彼がこうして、兵士として一人前の仕事を任されるようになった頃からの付き合いだ。

その暦は長い。

献身的な性格の持ち主で、とにかく相手の為に自分の身を使おうという召使。

裏を返せば心配性と言うことも出来るだろう。

特に付き合いの長いアトリに対しては、とても意欲的に対応してくれる。

そのためか、メディアは彼が長期的に死地の防衛へ行くと、心配そうな表情を浮かべてしまうのだ。




「本当によろしいのですか…?」


「あぁ。気にしなくていい。あまりここで時間を使いすぎると、周りに迷惑をかけてしまうだろう」




確かに言っていることは事実だ。

アトリ一人の部屋に時間をかけすぎるのも、明らかな非効率。

それは彼のことを思う彼女の厚意であることは、彼も分かっていた。

気持ちを拒んではいないし、むしろそのように気を遣ってくれることに感謝もしていた。

だが、自分の為に他人の多くに迷惑をかけるのは申し訳ない。

彼女に本来の仕事をしてもらうように、彼は頼んだ。

当然彼女もその指示には従うのだが、その表情は少し浮かばれない。

彼を心配してのことだろう。

アトリも、彼女が来てからは、身体を移動させ椅子に座らせた。

僅かな時間では解決しそうもない身体の異常だったが、暫くは仕方がない。

彼女は自分自身の仕事に戻り、少しばかり会話を交えながら進めて行く。



「アトリ様。そういえば、今日はお昼頃から城下町で売り出し祭りをするそうです」


「それは…また、賑わいそうだ。色々と」




売り出し祭り、というのは正式な名称ではない。

というよりは、彼女の言うそれに正確な名前などというものは存在しない。

ただ民たちの間で行われる催し物を、勝手にそのように呼んでいるだけである。

今日昼頃から開かれるとはアトリも知らなかったが、それが決まったのはつい数日前のことだという。

このお祭りは、城下町の経済を支える様々な商店がそれぞれ協力し、お客人となる民たちに普段よりも低い価格であらゆるものを提供しよう、という催しである。道具や食材など、その数は計り知れない。

安く売られるのであればその時に買ってしまいたい、と思うのが民たちの普段の考えらしく、お祭り開催時には非常に多くの民たちで賑わう。

このお祭りは開催時期が全くの未定で、急に開かれることもあれば、一ヶ月に一度といったペースを維持することもある。

いつ来るかは分からないが、いつか来るその時を楽しみに待つ民たちも多い。

恐らく城下町を警備する兵士が今日は増員されるのだろう、とアトリは思う。

もしかしたら自分もその任務につくかもしれない。

今はまだ朝で何も呼び出しなどはされていないが、後でアルゴスの部屋に確認へ行くことにした。




「それでは、今日は失礼しますね」


「あぁ。いつもありがとう」


「…普段は、誰もいない部屋を整理するばかりでしたから、その、ちょっとだけ新鮮でした。…ではっ」




召使、メディアは少しだけ頬を赤く染めながらアトリにそういうと、

静かにその扉を閉めて行く。

部屋に残されたのは、ただ一人。

確かにいつもはここを空けていることが多く、まるで泥棒のように召使をこの部屋に入れている訳だ。

それが今日は久々に彼がいる前で仕事を進めていたメディア。

気持ちはわかる。いつもと変わらない景色がいいのか、時には変化を求めるべきなのか。

両方バランスが取れたほうが、少なくとも精神的には落ち着くのかもしれない。


彼は、暫く休んでいた。

起きた頃に比べかなり楽になってはいたが、それでも今無理をすることも無い、と自分を優先していた。

出征から戻ってきたばかりの男をすぐに駆り出すほど、城内や城下町が深刻な人手不足という訳でも無いのだろう。

もっとも、彼は王との謁見で次なる指令が言い渡されている。

その時期は日を跨ぐごとに近づいていくのだ。

部屋で休んでいた彼なのだが、ただじっと黙っているのも退屈に感じてしまい、歩きながら休もうと考え、自室から出て城を回る。

既に朝食の時間は過ぎており、今更食事をもらいに行くわけにもいかない。

昨晩のエレーナのことを思い出しながら、アトリは城の中層階から高層階に向けて歩き続けていた。



「アトリお兄ちゃんだー!!」


「久し振りー!!」



途中。

子どもたちが元気に階段を下っていくところに遭遇する。

相変わらず笑顔の絶えない希望に満ち溢れた子どもたちだった。彼も少しばかり笑みを浮かべて、返答をしていく。

身体はかなり落ち着いたようだ。まだ妙な感覚は残り続けているが、いつも通り歩いても問題ないくらいには。




ん……?




階段を上ったあと。

城の外壁と接触するガラス戸の向こうの空間。外へと通じる城内外縁部の踊り場、背筋を丸めながら背の高い石の柵に手を置き、外を眺めている人間の姿がある。その人の顔面の傍からは、何やら煙のようなものも見える。

それが人を見分ける理由ということでもなかったが、彼はそれが誰なのかをすぐに理解し、そのガラス戸を開ける。

開く音が聞こえると、その人は振り返りアトリの方を見た。




「あら、帰って来てたんか。アトリ」




ある意味、男よりも男らしい女かもしれない。

常々そう思うその相手は、クロエ。

彼女が自己満足で彼を愛弟子と言う、彼の年上の先輩である。

格好と柵に立てかけてある竹刀を見て、恐らくそれが子どもたちの鍛錬指導の後だということが分かる。

クロエも久々にアトリの姿を見て、笑顔でそう言いながら不意の来客者をその場に受け入れた。




「あぁ。昨日ね」


「どうしたんだい、またそんな疲れた顔して」


「またって…」




あぁ、クロエには見抜かれてしまうのか。


彼女はすぐそのように言葉に出したが、アトリは平静のつもりで彼女の前に姿を現す。しかし、彼女からはアトリの身体の調子が簡単に推察出来ていた。返事の仕方、身体の運び方、一つひとつが瞬時に情報として脳内にやってくる。その末の判断であった。




「帰ってきたばかりだから、疲れているんだろう」



と、アトリは彼女にそう言葉を返す。

たとえ彼女が彼の状態を見てそのように推察でき、それが正解であったとしても、その原因が何によるものか、正確には把握できない。

あくまでも予想なのだ。そして彼は出征が原因であると伝える。

もっともそれは正しいことなのだろうが、一概にそれだけとも言えないのが、今の彼の事情だ。

特に、今朝見たあの夢は、そのうちの一つと言える。

彼は彼の中であの夢に対しての影響力を疑問に思いながらも、確信に結びつけてはいなかった。

彼女は、まるで深くため息をつくように、口の中から煙を吐き出す。

スーッと外界へ放出される煙の色は灰色。

その正体は、彼女の右手、人差し指と中指に挟まれた一本の小さな棒のようなもの。



「そうか。いつも聞く台詞だから、まぁ信用してあげるよ」


「……それ、どんな感じなんだ?前から気になってはいたが…」


「ん?」



今度は、口にその小さな棒を加えながら、アトリの方に疑問の表情を投げかける。

先端部が何やら火で燃えているのは分かる。

燃えている、とは言っても燃やし尽くしてしまうほどの勢いなど全くなく、少し時間が経つことにそれも短くなっていく、という程度のものだ。

再び息を吐くと、彼に言葉を発す。



「こういうのが好きっていう人も、中には居るんだろうね」


「あまり見たことが無いが…」


「まぁそうだろうさ。私も貿易商人から買っている身でね。城下町にはこんなもの売ってない」


「…値打ちあり、か」


「いいや、そこまで大それたものではない」



どうりで見ない訳だ。

クロエは確かに王国正規兵の一人であり、王城に勤める兵士でもある。

そのため、城下町では彼女が武装した姿を知っている民たちもいる。

が、だからなんだと言うかのように、彼女は城下町での買い物を楽しむ姿も数多く目撃されているのだ。

兵士が城下町を私的で歩く機会は少ない。

城の兵士が民たちの町を歩いていると、どうしても委縮してしまうものなのだ。

だが彼女はそうではない。

とても兵士とは思えないような日常的な私服を身にまとい、買い物を楽しむのだ。その中身が誰であるか知っている民も中には居るのだが、その姿を見ても民たちが委縮することはない。



「なぁ、クロエ」


「なんだい」


「それ、一本良いか?」



その言動があまりにも突然、というよりは意外だったのだろう。

クロエは驚いたような表情を見せてアトリの方を見る。

特段断る理由も無かった訳だが、彼が自分の持っているこれに興味を持つとは到底思えなかったのだ。

彼とて、この物の正体は分かっているだろうに。

分かってて、あえて体験してみたいというのなら、何か理由はあるのだろうか。

と、考えながらも彼に返事を出す。




「…まぁ、いいよ。一本吸って気に入ったら自分で買うことだ」




彼女が吸っていたものは、煙草と呼ばれるもの。

この世界に生息する煙草の葉を乾燥させたうえで火をつけ、その風味を楽しむという嗜好品の一つだ。

彼はこの城内で煙草を吸う人を彼女以外に見ることが無い。

もっとも、買う手段さえ限られているのだから、無理もない。

彼女はこの嗜好品の良さを知っている。

味わい深く肺の底まで風味が浸透していく。

だが同時に悪さも知っている。

それは貿易商人から教えられたことだが、身体には悪影響なのだと言う。

一時のリフレッシュには効果的だが、やがて依存し煙草を次から次へと欲するようになる。

彼女はまだその域にまで達してはいなかったが。

アトリがある意味で経験としてこの味を知るのなら、別に構わないか、と彼女は思い、一本持って彼の口に突っ込む。

その後で、上着のポケットの中に入れていたマッチ箱からマッチを取り出し、火をつけて煙草に引火させる。



「ごほっ!!」



結果は目に見えていた。

彼女はまるで彼をはめたかのような、満足そうな笑みを浮かべて彼を笑う。

急な刺激に身体が拒否反応を起こしたのか、思わず咳を出したアトリ。

決して体調が良くない中とはいえ、少し興味が前に行き過ぎただろうか。

と思いながらも、3回目以降は落ち着いた吸引が出来るようになる。

彼女からすれば、初めて煙草を吸う人がその反応を示すのは至って通常。

はじめからこれに慣れる人はいない。

自分も興味本位でもらって吸い始めた頃は、なんだこれ、と思わずにはいられなかったのだから。

昔の好奇心を思い出しながらも、愛弟子だと自分で思い込んでいる彼の顔を見る。



「どうだい?煙草の味は」


「…あぁ、変な味だが悪くはない」


「そうかい。今回はオマケだ。あまりいいもんじゃないって聞くから、気が済んだら捨てちまいな」




あぁ、と返事をしつつもアトリはその煙草が最初の半分まで短くなるほど、味わい続けた。決して表情は穏やかなものではなかったが、その感覚が決して拒まれるものでもなかったようだ。

一度地面に落として足で火を消すと、その吸い殻を回収した。

その頃には既にクロエの方は吸い終わっていた。



「それで、あんた今日は何の仕事だい」


「いや、まだもらっていない。これから上士に顔を合わせる」


「ほーう…流石に出征直後だから上も配慮したのかね。良いじゃない、今日くらい休んだってさ。アトリは充分やっていると思うよ」




そうだと信じたい。

やることはやっているつもりだが……。




彼女が彼を気遣うその姿勢は、何の偽りもない。

同じ兵士だからということでも、単に弟子扱いしているから、ということでもない。

純粋に一人の女性、いや一人の人間として、彼と言う人間そのものを気にしているのだ。

アトリがどのような性格の持ち主で、今までどのような行動をしてきたのかは、彼女もよく知っている。

今でこそ改善された面もあるが、これがもっと若かった時は手が付けられないほど、と感じたこともあったのだ。

この時、アトリは彼女に自分への次なる任務を話す。

今日の話ではない。これからの彼が行わなければならない、少し先の未来の話だ。

マホトラスの連中が各地に侵攻し続けていること。

北西部のそれを阻止するために、今度は直轄地を防衛するために兵士として派遣されること。

その話を聞くクロエの姿は終始真剣である。

国王から直接依頼されるということ自体、事の重さを想像するに容易い。



「とにかく、自分を生かすことは常に考えときなよ。どんな奴らかは知らないが、強い相手であることは間違いないんだろうから」



「…あぁ」




彼女と共に遠くを見渡す。

地平線を覗いてもなお見えない先に来ているであろう、脅威。

それを思うと気が心配を起こす。

クロエから彼に向けられた忠告は、今初めて受けたものではない。

この戦いが始まった時から、戦う兵士は常に死と隣り合わせであることを、何度も教えられているし、彼自身もそう言い聞かせてきた。



長い目で見た時、

安息の日は訪れることなく、遠ざかるばかりである。





2-8. 漠然とした不安






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