2-7. the Time has come
少しだが、穏やかな時を過ごすことが出来た。
遠征帰りの疲れ切った身体が癒されていくのを、感じている。
疲労などいつも感じている。
身体が万全であったとしても、身に圧し掛かる重圧は消えそうにもない。
それでも彼は自分の目的を果たすために、戦う道を歩き続けなければならない。
そのためには、魔術への知識が必要で、彼女の手助けも必要だった。
彼女―――――エレーナも、自分の中で自分への迷いを思い込みつつ、それをアトリにも相談することが出来た。
本当は強がりなのかもしれない。芯はしっかりと硬いのかもしれない。
だがその裏には弱さもまた確かに存在しているのだと、自分で思えるほどに脆いのかもしれない。
圧し掛かる重圧は、二人とも感じている。
出来るのなら逃れる道もあったのだろう。しかし、それは二人とも認めてはいない。この身にかけて出来ることを成す。
この先。
どのような未来が訪れるのか。
今はまだ、誰にも分からない。
今日一日は本当に濃い中身であった。
この城に戻り、王と謁見し、王女と作業を共にし、そして今に至る。
彼は疲れながらも眠れないその身体を、自室に戻して壁を背に座っていた。
静かな夜に僅かな隙間の穴から聞こえてくる虫の鳴き声。
彼は今日のことをもう一度思い返していた。
明日になっても意識し続けられるよう、忘れないように、と。
「……こんなことにはならなかった」
「…そうだな。けれど、起きてしまったものはもう取り返しがつかない。やり直せるはずも、無いのだから」
「だよね。もし…なんていう世界が許されるのなら、何でもありになるもの」
それは、僅かに数時間前の記憶。
今日あったばかりのこと。
エレーナとアトリ、二人で宝物庫の魔術本を探っていた時のこと。
魔術への手掛かりはかなり掴め、強引ではあるが魔力を得る方法も知った二人。
しかしながら、結局魔力を持つ者に対しての対抗策が見当たらなかった。
極端な話、魔力をどのように外界へ放出するか、その手段が分かればある程度対策の打ちようもあるというものだ。
しかし、まるで「魔術とはイメージに他ならない」と伝えている幾つかの魔術本を見れば、魔術行使が具体的な物か何かを使用した投影でないことは、容易に想像できた。
結局、魔術には魔術でしか対抗できない。
その結論を持ちながらも、それ以外の知識は深めて行く。
過程、エレーナが彼に「この城にも魔術師がいた」という話をする。
それもつい最近までのこと。
だが今は誰一人居ない、ということも知らされている。
同時に、彼女自身もその魔術師には会ったことが無いのだという。
サイナス・フォン・マホトラスという貴族連合の中心人物がレオニグラードで挙兵する前のこと。
話によるとその頃まで魔術師はこの国にいたようだ。
魔術師が本物で存在していることは、民たちには知らされていない。
この話を、エレーナは王であるエルラッハから通じて伝えられたことだからだ。
王も他人に言いふらすような話題でないことを彼女に伝えていたし、彼女もそれを理解していた。
「ではその人は…」
「話によると、当時の貴族連合会と王国とが権利争いみたいな抗争をしている、それが嫌になって国を離れたみたい」
「なんだ……その人が直接かかわる話だったのだろうか」
「んー……」
考えようによっては、確かに理由はあるものの、その後発生したマホトラスの挙兵に加担したのではないか、とも捉えることが出来る。
魔術師は国を離れ、どこかへと消えてしまった。
その人は城内の警備も務めていたし、宝物庫の存在も知っている。
人柄はそう怪しい者には見えなかったというが、何故二つの抗争をキッカケに国を離れてしまったのか。
王国としては国の内部事情を知る者が外部に出てしまったことを、気にしていた。特に国の秘密に関わることを知る者がその魔術師であったために、探すことも考えたのだと言う。
だが、その後マホトラスの動乱が発生し、大陸に戦火は広がる。
そうしていくうちに、もはやどうすることもできなくなった。
抜け出す理由は色々とあるのだろう。
だが今の彼にはそれを推測するくらいしか出来ない。
確かに宝物庫を知る者が外部へ離脱してしまうのは、国の秘密を暴かれる危険性を大いに生させる。
幸い、彼がいつも警備している限り宝物庫が暴露され困るような物は、そこまで入っていない。
それこそ魔術本は外部に出すのを差し止めているが、その人もまた魔術師であるのなら、自分の存在を外部の不特定多数に打ち明けるようなことはしないはず。
そして、今に至るまでその者が原因による国力の変化や不都合の発生は無い。
まるで蒸発したかのように消えてしまった魔術師だが、国に与える影響はあまり無かったのだろう。
それが彼の推測であった。
「………」
もし。
魔術師が近くにいるのなら、その人から色々と聞けただろう。
…中々、うまくはいかないな。
だとしても、あの宝物庫にはまだかなりの本がある。
すべてを読み切るには相当な時間が掛かる。
更なるヒントが隠されているかもしれない。
幸いにして、彼の次なる出征までは少し時間があるようだ。
城の勤務をしながらでも、時間を作ることは出来る。
宝物庫への出入りも許可されているのだから、時間を見つけて本を読もう。
そのように考えているうちに、ようやく眠気がやってきた。
考えることは沢山あるが、夜遅い今は取り敢えず寝ることにした。
……。
美しい自然が広がっている。
正面には、どこまでも続いているのではないかと思うような、草原。
大地を彩る花の数々。たくましく存在し続ける大きな木。
空は青くどこまでも高い。白い雲が浮かび空の中を流れて行く。
背後には、左右に連なる山々。決して高いとは言えないその山地も、裏では何かを取り囲むようにして聳え立っている。
左右にいつまでも続いている訳ではなく、視界の中でその存在を消している。
地平線上に拡がっていく大地の姿を正面とすれば、裏手にあるのは山や丘。
目の前が綺麗な光景だとするのなら、背後にあるのは歪な形の大地。
だがそれも、自然という言葉で当たり前のように存在している光景だ。
男が、一人だけ立っている。
草原の上。周りに花が幾つも咲いているその空間に、人間が一人だけいる。
ゆっくりと、ゆっくりと一歩ずつ、周りを歩いているその男。
まるで見慣れない景色を確認するかのように、足元を見つつ、前も見つつ、そして空も見つつ、本当にゆっくりと歩いている姿がある。
……誰だ……?
彼はそう口にした。
思わず誰かもわからないその男の姿を見て、そう言ったのだ。
彼から見ればその男は後ろ姿しか見えないが、背が高く腰に剣を下げているのは見てわかる。
間違いなく兵士か自警団の人だろう。
それが誰で、どこの人であるかは、確認のしようがない。
この時の自分の身体は無といっても過言ではない。
ただ、目の前にある光景を見続けるだけの存在。その世界に景色の一部として入り込んでいるのだが、自分の姿は実体化されていない。
一方的に見続けているだけのもの。
もしあの男がこちらを振り返れば、自分の存在に気付いてもらえるだろうか。
だとしても、その術は無い。
声も出せなければ音も立てることが出来ない。
………。
ただ静かにその時が過ぎて行く。
その景色の中に、その男以外の姿は無い。
自然意外の姿も無い。
その美しい自然の大地に見覚えはあったのだが、それでもこの空間が架空のものとして彼には見えてしまう。
だが、確かにどこかで見たことがある。
何となくだが、そんな気がする。
どこか懐かしいような、いや古い記憶を見ているような。
…それもそうか。
数多くの死地に出征してきたこの身。
あらゆる世界の光景は見ている。
もっとも、まだ見ていない姿も多くあるのだが。
ん……?
その時。
男の姿のある景色の先、どこまでも続く青い空と白い雲の中に、突如光が現れる。
ハッキリと白く輝く光の点。
どれほど遠くにその輝きがあろうと決してその光量を失わない、強さ。
だが光に照らされることはなく、光の点が動くことも無い。
一体何が起きたのか。
困惑の時間が流れて行く。
彼の頭の中で思考を巡らせても、そもそもこの景色がハッキリとしない。
何が起きているのか分からず、何が待っているのかも分からない。
だが。
やがてその光は、突然変異の時を迎える。
「っ……!?」
思わず心の中で呟く焦りの台詞。
声にならないその音は、やがて周囲を巻き込む突然の強風に掻き消される。
刹那。
あの光輝く点の向こうに、風が一気に強く流れて行く。
周りの景色が急に変わっていく。
草原に無限と存在する草の葉、大地に流れる風、木の枝に多色な花びら。
何もかもが、一気に急展開を迎えた。
青かった空が、白かった雲が、一気に黒い空間へと変わっていく。
いや、これはまるであの光の輝きにすべての景色が飲み込まれていくようであった。
自分の身体は存在せず、何も動かされることが無いはずなのに、その景色に彼は圧倒される。自分の身があの光の点に吸い込まれていくように感じる。
景色が急に漆黒色に染まったかと思えば、次の瞬間にはその光の点が膨張した。
瞬く間に光は広がっていき、瞬く間に彼の視界を埋め尽くしていく。
視界がすべての光に遮られる直前―――――。
その男を見る。
わずかに、こちらに顔を向けようとした、その男の姿。
途端。
白い光に覆われた無の世界に、幾つもの光景が流れ込んでくる。
それは彼が見ていた景色の世界とは隔絶されたもの。
光の中から現れ、映し出されたのは、彼だけの固有空間。
彼の中に流れ続ける、断片的な光景の数々。
だがその過程にあるものはあまりに速く、一つひとつの景色を確認するような暇は全くない。
まるで今見た、あの光の中にすべての景色が取り込まれていくように。
彼の中で再生された記憶もまた、その景色のように流れ移ろう。
白い世界、黒い世界、青い世界。
そのすべてを記憶することは不可能。
映し出されたその空間が何を意味しているのかを求めるのも、無意味。
そう、ただこの景色に彼は圧倒され、見せられている。
自分から見ようとしたものではない。
一つひとつの光景を確認することは出来ないが、遠くから「カチカチ」という音のようなものが聞こえる。
はじめは小さな音で、次第に大きくなっていくのが分かる。
何の音かは分からない。
何故なら、幾つも流れて行く光景にも音はあり、ありとあらゆる音が一度に耳に入り込んでくる。
そのために、区別も何もつけられない状態に近かった。
だが、その一定のリズムで刻む音はよく聞こえている。
聞き覚えのある音だった。
何かは分からないにせよ、どこかで必ず聞いたことがある。
後々そう思えるような音であった。
これは夢だ。
自分だけの世界で描かれている、夢なのだ。
彼は自分の中でそう決めつけ、高速で流れて行く景色に一つの終止符を打つ。
これは現実とは違う。
自分は何もかもが分からないが夢を見ていた。
そう決めつけ、答えを得たと自分で思った瞬間、再び白い光に視界が奪われる。
頭の回転が、再び緩やかになる。
思考を巡らせても無意味だと分かっていながら、考え続けようとするその姿。
だが、それも次の瞬間にはほぼ止まっていた。
「――――――――――。」
再び夢を見ているのだろう。
現実には見たことのない夢なのだろう。
夢かどうかを確認する術はない。
今見ている景色が現実である可能性も捨てきれない。
それでも彼は夢だと言い切った。
その果てに、その景色が急に現れた。
熱い。
暑い。
急な自身の変化に、目の前の視界が揺らぎつつある。
その景色は、先程までの流れて行く景色とは違い、ハッキリとしていた。
言葉を失う光景だった。
―――――。
世界が、赤く染まっている。
空も、雲も、大地も、そして太陽までも。
誰がこのような光景を覆すことが出来るだろうか。
どこまでも続いていく、赤い炎。
すべてを飲み込むかのような、光景。
先程まで見えていた美しい大地は、空は、今はもう存在すら許されなかった。
燃え盛る大地。崩れゆく瓦礫の数々。
外界から隔絶されたかのような、見たことも無い空虚な姿。
あらゆる物が混在していてもなお、空っぽにしか見えない大地の姿。
いや、元々あったものが失われ、奪われ、その果てに永久に棄てられたと言うべきか。
取り戻す術を持たず、やり直すことも叶わず。
「っ……」
だがその光景も、本当に一瞬であった。
炎が自分の視界を遮る。高く燃え盛る炎が自分を包み込んでいく。
燃え盛る大地に、自分の見る光景も巻き込まれていく。
景色が飲み込まれ、消えて行く渦中。
彼は男の姿を、再び見る。
僅かに見えた、その姿。
燃え盛る大地に、ひたすら立ち続ける男の姿。
片膝を下ろし、最早武器ですらなくなった鉄の塊を地面に突き刺した、その男の姿。
歯をギシリと噛み合わせ、悔しそうに景色に沈んでいく、男の横顔を。
………。
―――――ドクン。
その音を、彼はハッキリと聞き取る。
今までに聞いたことのないくらい、ハッキリと聞こえた鼓動の音。
たった一度きりだが、それで目が覚めるほど、明らかに聞こえた。
鼓動が一度鳴り響くと同時に、急激な悪寒じみたものを感覚として覚える。
それに気付いた彼は、すぐさま起き上がる。
一体何が起きたのか、と周りを見渡すが、そこは自室だ。
外の景色が満足にみられるような空間ではない。が、今まで見ていた訳の分からない景色が夢であることを確信するには充分だった。
それよりも。
悪寒がやってきたと思えば、次に彼に訪れたのは急激な汗。
しかも背中をぐっしょりと濡らすほどの冷たい汗が、彼を襲う。
色々なものに気付けば、今度は自分自身の体調が優れないのが分かった。
………なんだ、この感じは………。
アトリ自身でさえ何なのかが分からない感覚。
だが身体が本能的に反応していることだけは分かる。
これも見た夢のせいなのだろうか。
いや、あるいはあの光景は自分の体調に合わせた悪夢の一つなのだろうか。
幾度かの咳をする。
途端、口の中が血の味で一杯になるのを感じる。
慣れている味だが何度味わっても良いものではない。
彼の経験は戦闘での負傷によるもの。
だが、戦闘でない時にこのような味を得るのはそうそうない。
味わいたくもないし感じたくもないその味が、勝手に体内を逆流し彼の口の中を汚染していく。
身体が、怠い。
目眩がする。
ダメだ、このまま居ても何の解決にもならない。
立ち上がるのさえ厳しいと思えるほどの、調子の悪さ。
それも急激に訪れたものだ。彼とてその時は激しく動揺していた。
心臓の鼓動は早く刻み続けているが、ハッキリとした音はそれ以降聞こえなくなっていた。
だが、鼓動に連動するかのように息も上がる。
静かに、だが呼吸は乱れて行く。
汗をかきながら、壁に手をつけながら、彼は自室を抜け、静かに城の外に出る。
身体を犯す汗を、悪寒を、何とかしたい。
暑いような寒いような身体の異常を解消させたい。
そう思って訪れたのは、城の外にある井戸。
彼は欲望のまま井戸の水を引き上げ、顔面ごと水を浴びる。
とても冷たい新鮮な水が、顔から体内に流れて行く。
血の逆流が再び喉を襲っていく。一度溢れ出ようとしたものが、再び封じられていく。
「……はぁ、はぁ……」
それで、ようやく落ち着きを取り戻す。
いったい何が起きたのか、と自分でも思いたいくらいの身体の突然変異。
これは出征続きの身体の疲れによるものなのか。
それとも、今見た不可解な夢の影響なのか。
原因が何だかは分からない。確認しようもない。
落ち着きを取り戻したとは言っても、体調の悪化は今も続いている。
目眩は落ち着いたが、身体の怠さは変わらない、散々な状態。
彼はその状態の中でハッキリとした記憶、夢の中に見た光景を思い出す。
……、何かを言っていた気がする。
それは、突然にして起こったこと。
まだ見ぬ景色に見せられた、一つの光景。
景色は時間を取り込み、時間は景色を移り変えて行く。
―――――この景色は、記憶の欠片の一つであった。
2-7. the Time has come




