1-2. 『彼』
何か、硬い物が交わる音がする。
この日は、決して良い天気とは言えなかった。
どんよりとした雲に覆われた空。所々黒色の際立つそれからは、もうすぐ雨が降り出すのではないか、と思うほど。
太陽の日差しも雲の前に今日は勝てず。雲の厚さに遮られつつも、それを通り越してくる残光が大地を明るくしていたのだろう。その情景は決して穏やかとは言えなかった。
風は弱くも吹き付ける。大自然が風の恩恵を受けて安らぎを発する。
風に靡かれる草は音を立てながら、自然の象徴として今日もあり続けている。
だが。
そんな情景の中に、硬い物同士がぶつかり合うような音が聞こえる。
音は一つひとつ交わると、轟音のごとく高い音を叩き付ける。広い大地の中にその音がこだまするように、幾つも、幾つも。
音色は何種類かあっただろうが、そのどれもが打ち付ける強い音。
とても穏便な音ではなかっただろう。
時々風切り音も聞こえてくる。
―――――っ!!
ぶつかり合うそれと共に、声も聞こえてくる。
立て続けに何度も、何度も。それが交わると同じタイミングで、声もまた
聞こえてくる。あまりに必死そうな声。
というよりは、何かどこかで苦しそうにしているようにも聞こえる。
何かに対し必死そうにぶつけ合っているような。
その声は、二人の男から発せられるものであった。
硬いものに接触することで発せられる高温と、それに負けないくらい聞こえる
確かな声。一人のそれは大きく、もう一人のそれはやや小さかっただろうか。
一人のそれは必死なまでに、もう一人のそれは静かに疲れているように。
だが、その直後。
そんな二人の間に静寂が訪れる。一つの生々しい音と共に。
―――――グサッ。
肉を突き刺し、骨を粉々に砕き、厚い脂肪の膜を貫く。
皮膚は刃物を抵抗しながら受け入れ、接触面はまるで爛れたように広がり、そして引き裂かれる。
剣を突き刺した男は、動きを止めた男の胴を片方の手で押さえ、直後。
その剣を引き抜く。強い力が入り抵抗面を貫いた為に、そのようにしなければ剣が抜けてはくれなかったのだ。
剣が抜かれた直後、皮膚の断面図は赤い血で一瞬にして見えなくなる。元々土で埋められていた地面に血は流れて行き、少しだけ色を変えていく。やがて血溜まりとなったそこに沈むようにして、その男の身体は一切動かなくなる。
―――――はぁ。
周りには、同じようにして血だまりに沈む男の姿が幾つもあった。
最後、必死に動き回っていたその男も、今この場の役目を終えたその男に、
殺されたのである。
そう。この者たちがしていたことは、戦い。
高鳴る音をぶつけあっていたのは、剣と剣。
その手に握ってあったのは、紛れもなく相手を倒すために生まれてきた、武器と呼ばれるものである。
剣同士のぶつかり合い、人の意思のぶつかり合い、気迫と共に溢れ出る声。
剣撃が入ればそれは人にとって命の危険を生む。だが、そのようなことは百も承知。でなければ、はじめからこのような武器など持つことはない。
身体から引き抜かれた剣の刃には、名前も知らない男の血がビッシリとついていた。その男は、剣を一度空振りさせる。
そうすることで、ついたばかりの血を払うことが出来る。血痕が残ると刃の切地が鈍くなる。それを阻止するためだ。
もう、そんなこと流れ作業のように経験し続けてきた。
この現場が何度目であったかは、最早記憶の中では数え切れない。
いや、そんなことは関係ない。
『彼』にとっての役割を果たすのが、この場所での目的。
仲間を失いながらも、彼は生き残りこの場所での役目を終えたのだ。
大きくため息をつく。
今日も仲間が死ぬところを見てしまった。
もし自分があの人の分まで戦えていれば、あの人が死ぬことは無かったのかもしれない。
だが、それは自惚れだ。
自分を護れない者に他人を護る余裕などない。そう、今の彼は自分の戦いが精一杯。他の仲間を気遣うほどの元気も力も余裕も無かった。
だから、仲間が死んだことは彼の責任、という訳ではない。死ぬ時は死ぬ。
でも確かに、護れるものなら護りたい。
いやそもそも、戦いを回避できるのなら、その手段を第一にとりたい。
そう思う気持ちに変わりは無かった。たとえ余裕が無かったとしても。
―――――報告しに行こう。
日が落ちる前に、依頼主のもとへ戻ろう。
この現場の後片付け…きっと誰かがしてくれるだろう。今までもそうだった。
気付けば残酷な死体は消えていた。ただ、そこに死体が消えたとしても、彼にはずっと覚えがある。
その地に斃れた者の血の匂いを。
仲間たちの小さな遺品をそれぞれ一つずつ回収し、その場を去る。
少し離れたところに待たせてあった馬に乗って、彼は依頼主のもとへ戻った。
「…そうか。いや、そうか。…あぁ、そうだな。私たちの為に戦ってくれたのだ。文句を言う資格などどこにもあるまい。むしろ感謝している」
彼が報告をしに行ったのは、自治領主の家。
一つの嘘も言わず、ただ生き残った者としてその事実を打ち明けるのみ。
自身も血の匂いをまといながら、鞘に納めた剣を腰に下ろしながら、出撃前は大柄な態度を示していた小太りの髭を生やす男性に、報告をした。
結果。
この自治領地の自警団として防衛を担当していた民たちは、全滅。
敵対していたのは、別の自治領地の兵士たち。
度重なる襲撃を受け、一般の民にも犠牲者が出ていた。その状況を見過ごすことが出来ないと、自治領主は「王国」の「兵士団」に助力を要請した。
そうして派遣されたのが、彼。
自警団の兵士たちは戦いに心得が無かった訳ではないが、そのぎこちなさに自身を震えさせることも多く、一方的に殺されてしまった。
単純に敵対する自治領地が強かった、というのもあるだろう。
逆に、相手に下らないだけ、まだマシと言えるのかもしれない。王国からこうして彼のような兵士がやって来なければ、自分たちは占領されていた。
そう思うと、自治領主の背中も冷汗が流れる。
仲間たちを失ったのは大きな損失であったが、最悪の結果にはならなかった。
「それで…今後私たちはどのような処置を受けるのだろうか」
「私から言えるのは、すべての裁量は自治領主様にお任せする、ということだけです。私に出来るのは、出来る限り貴方たちを護ること」
「…では。直轄地としての認定を頂きたい。これ以上、王国の支援なしでは私たちも生きてはゆけぬ」
「承知しました。そのようにお知らせします…では」
逆に言うと、今のこの状態でそれ以上出来ることが無い。今後の対応は自治領主が決めてもらったほうがいい。
すべて事を片付けるのが王国の役割、という時もあるが、そんなに簡単な話でも無いのだ。
疲れ切った身体を動かし、彼は自治領主の家を去る。
すぐそばに休ませていた馬に乗り、この自治領地を離れようとする。
―――――。
その時。
聞いてしまった。
どこかの家から聞こえる声を。
女性が大泣きして、人の名前を呼んでいる、声を。
……………。
『王国の兵ならば強い』
『正規の兵士ならきっと護ってくれる』
それは偏見だ。
正直、誰でも護り通せるほど都合良く人間は作られていないのだ。
どうしようもない時は、どうしようもない。
本当はそう思いたくないし、それが現実だと受け入れようとすると、腹が立つ。
結局自分とはちっぽけな存在で、この手に護れるものなど数少ないのだと。
それでも、諦めることはしたくない。
確かにこの場所に来ることは、この場所に住んでいる人たちに求められたもの。
だけど、彼の気持ちはそればかりではない。
求められれば来る。そうではない。
本当は、救える者がいるのなら、そんな人たちを平和にさせてあげたい。
敵対する者は排除しなければならない。
そうしなければ、救いを求めた者たちの救いは訪れないのだから。
―――――。
無言で、後を去る。
この世界には、恐らくは無数の「自治領地」が存在している。
自治領地では、その土地の管理者か、あるいはその土地を支配する者が
施政権を握っており、その者の施行する統治の下で、人々は生活を送る。
自治領地の大きさは様々。大規模なものもあれば、今日彼が訪れたように、小さなものもある。
だが、そんな自治領地よりもはるかに大きい領土がある。それが、彼も所属する「王国」と呼ばれるもの。
「王国」
文字通り、王のいる国。王が国を統治し、王のもとに人々が存在する。
こんな広い大陸にも、そうして巨大な領土が存在している。
世界の地域との関係には、幾つかの種類がある。
自治領地のように、施政権を持った民が民を従え共に暮らす者。
それと、王国の統治のもとに暮らす直轄地というものがある。王国の直轄地は、文字通り王国の管理下でもある。
直轄地である以上王国の方針には従わなければならない。
その代わり、直轄地には必ず王国の兵士たちがその土地を護る義務が発生する。
中には、それを目当てに直轄地を希望する自治領地もある。
王国は直轄地を事実上の支配下として、その領地を拡大させ続けてきた。
どのような地域も直轄地になるとは限らない。
すべてが希望通りにいくとは限らない。
たとえば、王国の中心地からはるか遠く離れた自治領地、それこそ馬を使ってでも一週間以上かかってしまうような、遠い土地に対しては、たとえ王国が領地を防衛しようとも、遠すぎるために間に合わないこともある。
が、この荒んだ時代の中で、巨大な国からの支援を受けられるというのは、
強みでもある。
なにしろ、この土地が襲われる前に、王国の兵士たちが護ってくれるのだから。
それが成功するか、今回のように全滅を招くかは別にして。
中には、自治領地でありながら王国に支援を求めるところもある。
王国には自治領地に対しての義務は発生しないが、護って欲しいと言われて拒否するような国の在り方でも無かった。
だから、今回のように彼が派遣された。
―――――。
彼の愛馬がたくましい足を大地に蹴りつけながら、高速で走っていく。
この世界での移動手段は、その大半が馬による移動である。
大陸はあまりに広いので、歩いていくには気の遠くなるような時間が掛かる。
と言うよりは、ほぼ自殺行為である。
今回彼が派遣された自治領地は、王国の本元である「王城」からそう遠く離れた位置ではなかった。馬を走らせれば、半日以内に辿り着く場所。
逆に、王城に近い位置で自治領地の体制を執っている地域は珍しい。
基本的に王城の目の届く距離は直轄地である場合が多い。
しかし、今回訪れた地域は例外であった。
王城から馬を走らせればわずかに半日にある距離で、今日のように戦いが起こる。
自治領地同士の争いが絶えない地域は、たとえ王国があっても存在するのだ。
―――――疲れた。
日が落ちる前に自治領地を離れて、ずっと馬を走らせていた。
途中何度か草を食べさせたが、それでも半日と少しで戻ることは出来た。
改めて、馬という生き物が人にとって便利な移動手段であることが理解できる。
馬の管理場に到着すると、彼の馬専用のレーンの中に馬を入れ、今日もお疲れ様と言い、馬の頭の毛をなでる。
その愛らしい表情が、まるで彼にお疲れ様でした、と優しく返答するようにも見える。
そうして。
彼が馬舎を出て視線を向けた先には、すぐ近くに大きな「王城」がある。
周りの大地に生えるように聳え立つ、大きな大きな城。
建物の高さにして8階程度の大きさにはなる。そこが、彼の本拠地である。
王城は、その地域のみならずその大陸の中でも有数の大きさを誇る建物である。
一体どのようにして作られたのかは、普通の民が知るところではない。
まして、兵士でもその過程を知らない人もいる。そういう時代となったのだ。
見た目はとても豪華たるものだが、中身もその表現に恥じぬ作り方をしている。
質素なところから華美を追求したところまで、ありとあらゆる空間が城の中には点在している。
その中に、王となる者はもちろん、王城に仕える者たちが生活をしている。
王城を基準としたこの周辺は、とても栄えている町である。
馬舎もこの町の外れに位置している。町の中には万事屋通りや飯屋街道などがあり、日が昇れば人々が行き交う活気ある町となるのだ。
だがそんな町も、さすがに朝から賑わっている訳ではない。
所謂城下町と呼ばれるのだが、この町には大多数の人間が生活をしている。
王国の軍事に勤める兵士たちの多くは、この城下町の中にある兵舎で生活をしている。そういう意味では、帰還場所が兵舎ではなく王城の内部、となる彼は少し特殊であったかもしれない。
長距離移動につき、朝帰りとなってしまった彼であったが、少しだけ霧のかかった町のやや外れの道を静かに通り、橋を渡り、大きな城の裏手の小さな入口から城内へと戻る。
城内も、この時間はまだ閑散としている。
物音一つが響く。絨毯に靴が擦れるその音も、よく目立つ。
任務を終え帰還した彼であったが、その報告をしようとも、こんな朝早くに起こすわけにもいかない。
取り敢えずは、自室に戻ってこの疲れた身体を癒そう。
そう思い、城内にある彼の部屋に戻ろうとした、その道中。
―――――あら、随分お疲れなことだねぇ~、『アトリ』。
優しくもどこか強い笑みを含んだその声で、呼び止める女性の声が聞こえた。
『アトリ』
それが、今帰還した彼の名前である。
1-2.『彼』