1-23. 護り人の往く道
それからのことだ。
彼らは時間をかけ、しかし戦ったその日の夜には、彼らに追いつくことが出来た。
日が暮れこれ以上進むのは危険では、と別の自治領地に入ったところで、その町にも逃げてきた民たちがいたのだ。
しかし。当初より逃げていた人数は少なかった。
そのうちの十数名は、途中の道で分かれてしまい、別の方向へ行ってしまったのだと言う。
到着後、その話を聞いたアトリは無論確認した。その時の状況を。
だが民たちが焦燥感に駆られ選択を誤った、などではなく、心からの感謝を述べたうえで、自分たちで何とかすると言い離れて行ったのだと言う。
彼ら正規兵にそれを止める術は無かった。
兵士である前に、ウェールズ王国という国家の一員。
国家が提唱している自由や平等を、そのような形で強制する訳にはいかない。
そもそも、この逃亡案もある種一つの提案と言う形。
それに従う民たちがほとんどだったものの、従わなければ強制させるようなことを彼らは考えていた訳ではない。
他の自治領地の人々は、はじめ大勢の民たちが移動してくるその姿を見て、身構えたのだと言う。
無理もない話だ。誰かも分からない者たちが大勢押し寄せては、まるで自分たちが戦ってきたその状況と同じように構えるものだろう、と思った。
事情は正規兵が領主に伝え、その許しを得た。話の分かる人だったと良い、彼らも安心したようだ。
そしてアトリは、当然のごとくその領主にも事態の深刻さを伝える。
自分自身が傷ついていながらも、職務に励み続けるその姿。
それを多くの兵士たち、多くの民たちが見ていた。
―――――彼は誰よりも、誰かの為になろうとしている。
それが共通の思いであった。
「自己犠牲」と捉える人もいれば、心からの善人と捉える人もいる。
感じ方はそれぞれだ。彼にその言葉が行き届いていなかったとしても、彼はそのような評価を真っ向から気にして考え方を曲げる人ではない、とも考えられていた。
ある意味で、それが彼らしい。
「忠告ありがとう。アトリ殿。じゃが…頼まれてはくれぬか」
「…?」
自治領地から数十キロも離れたこの土地に入ってきた、よそ者。
そんなよそ者に対して、心から受け入れを表明し、民たちもそれに賛同してくれた。そのご厚意には全員が感謝していた。
今は各家に分散しながら、共に夜を越えようとしている。
領主にこの土地の危機情報をあらかじめお伝えすると、頼みがあると申し出てきた。
こちらとしては難民となってしまった彼らを受け入れてもらったのだ。
出来る限りのことはしたいし、聞きたい。
「危険から逃げたい者たちだけを、連れて行って欲しいのじゃ」
「…しかし、それでは…」
「分かっておる。その奴らがここを統治するために攻めてくるだろう…じゃが、この土地を愛しておる者も、大勢いる。わしのように。ここで新たな生活を迎えるも良し。それがどんな形であれ、この土地に居られることを嬉しく思う者たちのために…どうか、頼まれておくれ」
……。
その気持ちは分かる。
多くの民たちがそのように思うだろう。
思えば、今日連れてきた彼らとて、同じ気持ちでは無かっただろうか。
本当は自分たちの故郷に住み続けたい。しかし、危険が目の前に来ているという理由から、退去を命じた。
おかげで、彼らは助かった。しかし、彼らは自分たちの故郷を失った。
持てるものは己の身だけ。
この領主の言うことも分かる。
この地に生まれた者たちが、この地で生を成す…。
確かに自分たちは強制はしてはいけない。それが民の希望であるのなら。
…だが。
その先に見える結末を、彼は知っている。
彼だけではない。兵士の多くは、その話を既に知っている。
それでもなお、この土地に留まる気持ちを持ち続ける民たちの顔を見て、
心が苦しくなるのが分かる。
この先。何が待っているのか。どのような姿に変わり果ててしまうのか。
それを思うと、ここで彼らの気持ちを尊重するということは、彼らを見殺しに
すると同義ではないか。
この手で護れるものを護りたい。
しかし、国に尽くす一人の人間として、自由や平等を優先しない訳にはいかない。
その逆になれば、まるで奴らと変わりないではないか。
「…分かりました」
それは、アトリの持つ信条とは反していた答えだったかもしれない。
この手で護れる者があるのなら、という想い。
あの時心に誓ったその答えからは外れる承諾であったかもしれない。
しかし、彼の信条は彼が成すべきことでもあり、国が成すべきことでもある。
自分ひとりの信条と国と、どちらを取るべきか。
彼は国を優先した。国としての在り方を。
分かりました、そう答えるしか彼には無かった。
それ以降のこと。
翌日には希望者を募り、王国直轄地に向けて再び移動を始める。
幾つかの自治領地を転々としながらも、約一週間かけて移動を続けた。
流石に道中の疲弊も激しくなってきた頃に、また別の自治領地に一時滞在する申入れを受諾してもらった。
そして、そのタイミングでアトリが伝令に伝えた要件が整う。
一時滞在をしている自治領地ではあったが、その自治領地を中継地点に、王国の正規兵団が次々と集まる。
「一体何が起きるんです…?」
「凄い人の数だねぇ」
当然、何も知らない自治領地の民たちはそのように警戒するだろう。
そう思って、この町に依頼した時、既に領主にはそのことを伝えていた。
この町のみならず、この地域一帯に別の領地の脅威が近づいている。
いずれはこの町もその波に飲み込まれるかもしれない、と。
領主やその話を知った民たちは、あの王国でさえ敵わない敵がいるのか、と少しばかり困惑した様子を見せた。
戦ったアトリがそういうのだ。経験者の語る言葉は何よりも強い武器となる。
領主もやや顔を青ざめて話を聞き続けたのだが、先日訪れた逃亡先の自治領地と同じように、今後訪れるかもしれない危険を回避したい人は、これから戻る兵士たちと共に直轄地へ共に行くがいい、と領主は募った。
「アトリ殿、今よろしいでしょうか」
「え、はい」
夜の町。
多くの兵士たちが町の外で、次なる戦いの為の準備をしていた。
アトリも領主の家を借りていたが、その場から出て外の様子を見に行こうとした時に、兵士の一人に呼び止められた。
軽装で今は武器を所持していない若い兵士。
何の用だろう、と思いながらも、彼はその人の話を聞く。
「本国から伝令役として派遣されています。アトリ殿と合流したら、この封書の内容を私と共有して指示を仰ぐように、と…」
「封書…?」
つまり、これは本国からの手紙だ。
しかも自分宛ての。他の人に見せるな、という訳ではないようだが、どうするかは現場の判断に委ねる、ということなのだろう。
伝令に指示をしてほしい、ということだったが、これは一体…。
彼は手紙の筒をその場で綺麗に破り取り、中から直筆の手紙を黙読する。
アトリへ
先の任務、偵察や報告を含め支援行動感謝する。その功績により、東側の敵に対応できる部隊を用意することが出来た。引き継ぎは部隊長に行い、貴殿は一度本城へ帰還してもらいたい。
貴殿が居ない間に、刻一刻と状況が悪化しつつある。
新たな任務は、国王のもと発令する。
エルラッハ・フォン・ウェールズ
アルゴス
短い内容であったが、その末文に国王の直筆サインが入っていたことが、事態が深刻化している様子を察するに十分であった。
内容はそれほど書かれていないが、アトリはやや表情を険しくする。
それを間近で見ていたその兵士も、何となく言うところを理解していた。
少なくとも、どこかで再び何かが起こったのだろう、と。
「私はすぐに城へ戻る必要がある。この状況を確かめなければ…」
「それで、自分はどうすれば…」
「紙と筆はあるか?」
「あ、はい。こちらに」
伝令が所持している紙と筆を持ち、彼はその紙に無言でひたすら文字を書く。
口だけで伝えきれるほどのものではない。
自分の目で何度も確かめられるようにしておく必要がある。
そうしてアトリが伝令に指示した内容が以下の通りである。
・領地北東部防衛部隊の派遣勢力が全滅したこと。
・それに伴い、北東側各所に分散している兵力の再編成を行うこと。
・部隊長の一人は負傷中で、当分は戻れない。一次的に東側敵勢力に対する味方援護に加わること。
・『マホトラス』勢力の行動範囲の拡大。および本城への接近。
奴らは間違いなくこちらに向かってきている。
戦争を戦争によって無くし、争いを争いによって収めようとする人たちだ。
争いが起こる一つの原因であるウェールズ王国を早々に片付けてしまいたいところなのだろう。
それはこちらとて同じこと。奴らの存在が被害拡大に繋がるのだとしたら。
「ここからはかなり遠いが…大事なことだ。これを伝えて欲しい」
「北東部…!?え、いやしかし、この情報は確かなことで…!?」
「私が経験したことだ。必ず役に立つ…どうか頼まれて欲しい」
この時。
既にアトリはマホトラスが王城の城に向けて侵攻を続けていることを予測していた。
ただ彼らは自治領地を制圧し、占領下においている訳ではない。
王国のように、直轄地として認定しながらも、自治領地にある生活を保障している訳でも無い。
占領下に置きながらその勢力を拡大し続け、いずれは王国の中心である城下町を制圧し、王国に台頭する気なのだと。
何もアトリだけがこの予測をしていた訳ではない。
確実に奴らの手は各地へと伸び続けている。
ヒラーが統括する北東部も充分に対象になり得る。
各自治領地で戦闘が発生している状態も充分に考えるべきところではあるが、国の脅威となる奴らを見逃すわけにもいかない。
出来るだけ先手を打つ必要がある。そのうえで対策しておけば、少なくとも突然現れた奴らに対して、ある程度の対応をすることが出来るだろう。
ただ、要件は誰かを通じて伝えなくてはならない。そのための伝令役であった。
伝令は北東地方へ行った後、その地域を統括する部隊の幹部に指示を仰ぐように伝達し、彼はヒラーのもとへ行く。
「この手紙は…?」
「本国から、私宛に届けられたものです。読んでいただきたく…」
彼はヒラーにその手紙を見せた。
他の人に見せるような内容でも無かったが、少なくともここ数日を共に過ごした仲間の代表たる者には、知らせておく必要がある。
それを読み、ヒラーは同じように驚いた表情を見せる。
そしてその後、深刻な表情を浮かべながら、アトリに話しかけた。
「よほど、差し迫った事態が近づいているのかもしれない」
「ええ。そうみて良いでしょうね」
「そのためにアトリ殿が呼ばれたのか…これはまだ、随分と飼われていますな」
「しかし、それも人の為ですから」
その時の彼は少々苦笑いではあったが、それでも笑みを浮かべていたことに変わりはない。
自分の役割が各地に拡がっていることを自覚したうえでのことだ。
それを見たヒラー自身の背中に寒気が少しだけ走るのを感じ取った。
その表情は変えないまま、アトリに話を続ける。
「アトリ殿。この先どのような相手が現れるかは分からない。それこそ、あの男のように魔術を行使する者も現れるかもしれない」
それは、ヒラーが自治領地の戦闘において見た光景のことを指していた。
アトリと対峙した黒剣士。黒い剣を扱うマホトラスの兵士。
あの剣士が自分たちの前から姿を消す時、後方に高く飛びあがり、屋根上まで上がるところを目撃した。
ヒラー曰く、あれは間違いなく魔術の加護を受けている、という。
魔術を扱うには魔力が必要なのだと言うが、魔術そのものは多岐に渡り存在しており、その特性や効果は多種多様なのだと。
「だから。もし可能であれば、魔術の記載がされた本を読むと良い」
「記載のある本、ですか…」
「少しばかり、参考にはなるだろう。本当であれば、あの夜に出した答えのない結論のように…魔術には魔術で干渉するのが、一番の対処法なのかもしれない。そもそも適性の無い者は魔術を扱うことなど出来ず、魔力を得るには特定の何かをしなければならない、と聞いたこともあるが…」
その内容までは知らないが、魔術の本に関しては覚えがある。
それだけならば、城に戻れば宝物庫から探し出すことが出来る。
アトリの本来の任務の一つに、宝物庫の整理や防衛といったものも含まれている。
自分の置かれた状況とその話を理解してくれる人がいるのなら、自分もその本をじっくりと見られるかもしれない。
宝物庫の整理をしている時に見れば良いという話だが、本を探すというだけで膨大な時間が掛かるだろう。
そのためには。
任務で遠い地方に派遣される前に、それを知る必要があるということだ。
「何にせよ、これは帰還命令だ。国王の名の下に送られた正式な文書。背く訳にはいかないだろう」
「…そうですね。準備ができ次第、出発します」
「アトリ殿には本当に世話になった。はじめは子どもが派遣されて来たのだと、少し心配にもなったが…むしろこちらに気をかけてしまって、すまなかったな」
「そんな。私こそ、皆さんに助けられてばかりでした」
アトリには分かっている。
暫く、このヒラーという一人の兵士と会えなくなる、と。
ヒラーも自分自身の身体のことはよく分かっている。アトリも同じように怪我をしているのに、彼はそれを平気だと言い切り任務を全うしている。対して自分はこの傷を引きずっている、と少しばかり弱気にもなっていた。
しかし、確かにやるべきことはある。
ヒラーも同じように、青年兵士のアトリとは暫く会えなくなるだろう、と思っていた。これほどまでに珍しい兵士は久しい。
そう。
昔に本当に変わった兵士がいたな、と思い出すほど。
任地は変わるが、自分たちのため、人の為に戦うことに変わりはない。
彼も、ヒラーも、再び死地に向けて移動することになる。
「色々回って話を付ける必要があるだろう。そろそろ、行くと良い」
「はい。ヒラー隊長、またいずれ、必ず」
「…そうだな。今度は酒でも…おっと、まだ君は未成年だったな」
「お茶なら付き合いますよ」
まるでその言葉が、年下を思いやる先輩面のようであった。
彼らの間にあったのは、仕事の関係上必要なコミュニケーションだけではない。
そこには、お互いに死地で戦ったという、友情があった。
アトリがそういうと、ヒラーは自分の手を差し出してきた。
筋肉のついた男らしい大きな手。それが握手を求めるものだとすぐに分かり、ヒラーとは対照的にやや小さな彼の手を差し出した。
いつかまた、会える日が来る。
そう信じて、二人は暫くの別れを迎える。
もし戦争というものが存在しなければ、お互いが兵士でなかったとしたら、お互いどのようにして会っていたであろうか。
いや、そもそもこの立場でなければ会わなかったのかもしれない。
それもまた不思議なめぐりあいなのだろう、とヒラーは思い、その背中を見る。
………。
本当に、誰かの為になろうとするその姿が、眩しい。
今まで数多くの経験を積んでいながら、その現実を知っていながら、なお争いに挑み続けるその姿。
時に、誰の理解も得られないその姿が、それでも誰かの為だと言い放っている。
中々、この男の姿は忘れられないだろうな。
『少しばかり、生きた人間らしい姿からは離れているかもしれないが、』それも彼らしいと言えばそうなのだろう。
ヒラーは、後々まで彼の評価をそのように自分自身で定めていた。
少しばかり、生きた人間らしい姿からは離れているかもしれない。
直接誰かに伝える訳でも無く、書き記す訳でも無い。
その時が来ればそのように記すのかもしれないが、今のところは分からない。
しかし、今から発生する歴史の過去よりも、いずれ来る未来のために、やるべきことをしなければならないという、仕事がある。
そのためにも、奴らは何としてでも防がなければならない。
彼もまた、そのようにして戦うのだろう。
国に仕える死地の護り人として。
国の為、民の為、その果てに何を得て、何を見て行くのか。
彼は、再び大地を走る。
1-23. 護り人の往く道




