1-21. 晴天下の黒剣士
どうする……
あの黒づくめの男に対抗するためには、どうすべきだ。
力量の差は圧倒的だ。この上ないほど強い敵だと見て良いだろう。
隊長は他二人の相手を負傷したまましなくてはならない。
それに比べれば、俺は一対一…本来望んでいた状況での戦闘となる。
だが、あれを相手に一対一という状況が有利不利に関係するだろうか。
単純に戦いを臨んでも、あの男には勝てないだろう。
っ…、考えている暇もない。
全身黒を基調とした服装を身にまとっている、剣士。
片方の剣はそのまま抜かず、一本を出したまま歩いてアトリのもとへ近づく。
これから戦闘が始まる。再び激戦が繰り広げられる。
何の対策もない。どうするか、どうすべきか。それを考えたところで、相手から時間をもらえるような話でもない。
思わず彼の構えを取っているその軸足が、僅かながらに後ろに後退する。
まともにやり合えばこちらに勝ち目はない。
そう直感が訴え続けている。この鼓動、心拍数、そして何より相手に対する気持ちがそう伝え続けている。
「………」
ただ真っ直ぐを見続けている。
眼力が確かに伝わってくる。
真剣な眼差しは明確にこちらへの殺意を持っている。
相手もその初動を警戒しているのかもしれないが、その間合いの詰め方は実にゆっくりであった。
しかし逆にそれが恐怖感を煽る。
相手のあの剣…どのような細工があるかは知らないが、鎧さえ斬り倒してしまうほどのものだ。
よほどの切れ味があるに違いない。
まともに剣で打ち合えば、こちらの剣が持たない。
ならば……。
刹那。
男の黒い剣が空から地へ振り下ろされる。
力の限り、そしてその素早さを以て、アトリという人間を破壊するために、その攻撃は放たれる。
真っ向から立ち向かえば相当な衝撃を生み出したであろう。
先程の戦いを見て、その黒剣が切れ味の良いものであることは容易に想像できる。
既に彼の剣は何度も戦闘を行っているために、ボロボロとまではいかないが刃こぼれも起こし始めている。
このまま衝撃を受け続ければ、いつか砕けてしまうだろう。
そうなる前に、出来るなら戦闘を終わらせてしまいたい。
そうしてアトリが選んだ戦闘方法は―――――。
「んっ…」
「…!!」
剣がその肉体を斬り込む前。
黒い剣士からも一瞬の出来事に見えてしまったその行動は、驚きのものであった。
大通りで戦闘を開始した彼ら。
アトリがすぐに取った行動は、剣戟に対し右方向へ飛び込むようにしてそれをかわす、回避行動であった。
激しい一撃は空を切り、その風切り音がハッキリとアトリにも、剣の主にも聞こえる。これ以上ないくらいの快音で。それが命中すればどうなることか、簡単に想像できるような状態で。
予想もしなかったその行動と、その速さに驚いた剣士であったが、そのような感情など振り払い、次の一撃を入れようとする。構えは突き。そして、アトリは何とその切っ先すら見ていない。
彼が向かった先は、通りに面する家。既に誰も居なくなった廃墟同然。
剣士もそれを見るや、その目的をハッキリとさせ、すぐさま二撃目を打つ。
同時に、アトリは家の窓に向かって再び飛び込んでいく。
ガラスは粉々に砕け、アトリの身体の至るところに切り傷を残して地面に散らばっていく。
窓はそう大きくなかった。窓枠から入ることも可能だろうが、それでは時間を要する。
やや大きな家の中に侵入したアトリを追いかけるために、黒の剣士は入口の扉を開いて中へと入る。
「…アトリ殿…?…んっ!」
「気にするだけ無駄だ!」
その姿を横目で確認していたヒラー隊長であったが、その目的と狙いにうっすらと気付き、少しだけ笑みを浮かべた。
瞬間。残された敵兵士二人のうち、一人がそう声をあげて接近してきた。素早い剣戟。力強い振り下ろし。
同時の攻撃に対応できる訳もなく、ヒラーは一人の剣を受けつつも、もう一人の剣戟からは距離を置いて回避する。
そして、一人目の剣戟と交差させ鍔迫り合いを起こす。更に、その一瞬でもう一人手の空いた男の懐に強烈な蹴りを入れて、転倒させる。
死地での激闘、第二幕があがる。
少人数での戦い。誰がどう見ても、どちらかが全滅しない限り終わらない戦いに見えただろう。
「……はぁっ」
息もつけぬ状況。
窓から飛び込み家の中に入ったとはいえ、あの剣士も当然入ってくるだろう。
奴ら全体としてみれば、アトリの命など取るに足らない道具の一つなのだろう。
しかし、こうして手練れな剣士を送り込んできたということは、少なくとも彼に対し一定量の脅威というものを感じたから。
そして、剣士は名指しで始末すると言った。それにも理由があるはずだ。あの槍兵がどこまで噂を流したかは分からないが、現にこうして狙われている。一対一の状況で。
このようなところで殺される訳にはいかない。相手をどうにかして撤退させる必要がある。
…そのためには。
やはり相手に一撃を浴びせるか、それ以上の危機感を与えるか…。
冷静に考えながらも、アトリは物音一つ立てないように、何部屋もある家の中を移動していく。
幸いにも一階部分の多くの部屋はその扉が開いており、自由に移動が出来る。
逆を介せば見られれば隠れることが出来ない。
相手がどこをどう移動するのかなど、あらかじめ察知できるとは思えない。
直感が動いているような気はするが、そのような当てずっぽうの感覚器官にすべてを委ねるほど甘くもないだろう。
いかに太刀を合わせず、相手に攻撃をされず、こちらが逆に攻撃をするか。
「ん……」
各部屋が別々の部屋への入口を持っている。
そのため、この家の一階部分には行き止まりという場所がほぼない。
一体何人この家に住んでいたのかは分からないが、その生活感がいまだに残っている姿を見て、急いで脱出したのだろうとアトリも把握する。
もっとも、そうさせたのは領主であり、自分たちなのだが。
アトリは後ろ姿で、同じく音を立てずに移動する男の姿を発見した。
距離はほんのわずか。外からは鉄の音が鳴り響いて聞こえているが、室内ではそれも微弱なもの。
アトリは剣先を相手の背中に向ける。背後から気付かれずに攻撃を仕掛ければ、そして背中に命中すれば、鎧を着ているようには見えないあの男にとっては致命傷にもなり得る。
そうすれば、撤退させるだけでなく、相手を斃す可能性も見出せる。
黒い剣士が、別の部屋の扉をくぐり、中へ入ろうとする。
アトリはそれを見て、静かに間合いを詰めながら、そして一閃を全力で繰り出す。
「あっ…!?」
「……!!」
だが、その一閃を繰り出している最中。
突如高速で目の前のターゲットが振り返り、そして振り返り様にその黒剣を振るってきた。
はじめからこの男には自分の行動が読まれていたのだ。
そうとしか思えない。全くの無音のまま接近し、直撃させようとした。しかし、男は自分の身体にその切っ先が直撃するタイミングを知っていたかのように、見事に反応して見せた。
アトリもそれに気付いて、すぐに攻撃を中止する。だが勢いよく前に進んだ一閃がすぐに後に戻るようなものでもなく、その回避行動は遅れた。
黒の剣士の放った一撃が、アトリを直撃する。
「うぐっ…!!」
思わず痛みを堪えるための少量の声が口から出た。
すぐさま彼は後ろに飛び退き、姿勢をやや崩す。
痛みが特定の場所から全身に向かって広がるのが分かる。
痛覚が走り抜ける。本来の感覚が汚染されていく。
そして同じようにして広がり始める血の跡。
彼が直撃を受けたのは、右脇腹。相手は振り返りながら、時計回りに反転する作用を利用して力を上乗せ、一撃を放ってきた。
幸いだったのか、まともに斬られていれば内の臓が零れ落ちていたであろう。
しかし斬り傷はそう深くはなく、ただ気にするべきは傷口が出来てしまったことと、そこから出血が始まっていることである。
「切っ先というのは、背中にでも感じやすいものでな。誰にでも身に着くものではないと思うが、危険予知くらいは学んでおくべきだ」
「……」
痛みを激しく伴う。
まだ戦闘は始まったばかり。
家の中を静かに移動し、緊張感ある中で起こった一撃だというのに、何故ここまで息を切らす必要があるのだ。
アトリの呼吸が落ち着かない。目の前の敵に対する脅威の証か、傷による追加効果なのか。
だがそれも無理もない。
目の前で打開策をいとも簡単に破られてしまっては、次の一手をどのように投じるかが問題。
再び剣士が歩きながら間合いを詰めてくる。
負傷したアトリはすぐに体勢を整えて、相手と向き合おうとする。
だが、相手の先程までの戦い方を見れば、自分の武器を破壊させられる危険性が大いにあることが予想できる。
それを思い出して、再び後ろに後退する。
互いに一歩、また一歩と前進後退を続けて行く。
「痛みと向き合うのも、また兵士としての心得だ」
「…どうかな。誰だって痛いものは痛いと感じて良い」
「それを与える立場の人間が痛覚に鈍感なのは、まだまだ甘い証拠だな」
痛みなら、今まで何度も味わっている。
幸いにしてまだ命はある。だが、兵士という責務を全うしていれば、それがいつ消えてなくなるかは分からない。
そう、今この瞬間に訪れようとしている、そんな予感さえするこの場所。
何か忠告のようにも聞こえるその男の言葉だったが、頭の中には確かに響いて聞こえてくる。
「人を殺すのであれば、人から殺される覚悟をする。そのくらいの自覚は当然持って戦争をしているのだろう」
「…そんなこと、言われなくとも持っている…」
まるで自分を子どものように扱っている、そんな言い草である。
子どもであることに変わりはないが、兵士という立場を考えれば、相手を斃すという目的を前に大人も子どもも関係なくなる。
そう思っている人も中には居るだろう。
兵士とは、戦う武器であることに変わりはないのだから。
直後。男がその剣を走らせる。一度、二度、三度。
立て続けにアトリに向けてその剣戟を打ち放つ。
空間を駆け抜ける一太刀は力強くも素早く、アトリに容赦なく襲い掛かってくる。
だが、彼にとってそれが見えないほどの一撃ではない。
今この状況下で意識しなければならないのは、相手の剣をまともに剣で受け止めてはいけない、ということ。
そうすれば、こちらの剣の耐久度は低下し続け、やがては粉々に砕けてしまう。
鎧さえ斬り倒してしまったほどの剣なのだから。
彼は極力直撃を避け、受け流す。そして、剣を出来るだけ交わさない方法を取る。
「くっ……」
何と、アトリは剣士から間合いを取り、その男に向けて家の中にある物を投げつけ始めた。
陶磁器類のものや、筆記具、更にはタオルや絹糸の巻物など、様々。
とにかく家の中にあり、目の前で使えそうなものを投げつけて行く。
流石に黒の剣士もその行動には驚きを越えて苛立ちを覚えたのか、投げつけられるものすべてを剣で薙ぎ払っていく。
小刻みな動作から大雑把な剣戟まで、様々な物をそれに対応し得る剣の一振りで片付けて行く。
アトリは常に移動しながら物を投げつけて行く。
これが兵士としての戦い方だと言うのなら、それは誤りにも等しい。
ただアトリは今の状況を見てそれが最善の策だと考えたのだ。
アトリは部屋を移動していく。
居間から客間へ。そしてその扉を勢いよく閉める。
間合いを取っていた状態から、間合いを遮断する状態に。
扉一つが外界と内界の分かれ目かのような状態。
しかし、この扉一つを侵食できる武器が目の前にある。
アトリはその場で再び剣を構え、扉で見えなくなった先にいるであろう
対象に向けて、その剣戟を放つ。
その声と共に、一閃が高速で隣の空間まで駆け抜ける。
「はぁっ!!」
「…!?」
扉と言っても、それは襖紙で覆われたもの。
鉄で作られた刃を相手に、破れないことはない。
それを利用して放たれた一撃。
確かにアトリの剣がその感触をわずかに捉える。切っ先が真っ直ぐに伸び、そして届いた先。
剣の先端から根元まで少量の血が流れてくる。それはわずかな量ではあったが、確かに相手に傷を負わせた証拠ともなる。
黒の剣士、黒い剣を持つその男の左頬に一直線の斬り傷が入る。
傷自体はそう大したものではない。
数センチメートルという斬り傷が生まれたぐらい。
そこから出血する量も多寡が知れている。
だが相手に攻撃をし、そしてダメージを与えることが出来た。
「…ほう。中々に面白い戦い方だ。子どものようだがよく周りが見えている」
だが。
所詮は掠っただけの一撃。
相手の技量と起点を確かめるだけの、一太刀に過ぎない。
目の前にいる男がアトリに与えたそれに比べれば、ちっぽけなものだ。
頬から血を流すのと、腹部から血を流すのとでは、秤そのものが異なる。
それを彼も理解していた。
この一撃がもし相手の胴体に入っていれば、状況は変わっただろう。
しかしそうならなかったのは、相手もこちらの動きを読んでいて回避したか、あるいは純粋に自分の力量が届かなかったか。
その言葉の直後。
扉の奥の剣士に動きがあるのを、扉に空いた小さな穴から確認できた。
次の動きと言うならば、相手もこちらと同じような攻撃をしてくる可能性がある。
いや、そうに違いない。
そう思ったアトリは身体を右に向けて急回避行動を取る。
そして見事にその予感は的中する。猛烈な速度で打ち放たれた一撃が扉そのものを破壊し、身体ごと向かってきた。
慌てて回避した為に、アトリの体勢は崩れる。
それでもその一撃を回避できたことが救いであった。
まるで突進するようにして向かってきたその男だったが、その一撃は外れた。
扉は破壊され、お互いに隔てる空間はもはや存在しない。
痛む腹部を気遣う暇もなく、アトリはすぐに体勢を起こして構えようとした。
しかし、それよりも相手の二撃目がその速度を上回る。
真っ直ぐに伸びたその剣が、再び身体の回転を利用して勢いづき、その二撃目を打ち放ってくる。
ほんの一瞬の出来事。
目で見ることは出来ても、自分が思っているように反応することが出来ない。
彼は咄嗟に反応してしまった。本能がそうしろと命じたかのように、自分の思惑とは異なる反応の仕方を示した。
目の前の男も、その後に訪れた現実にやや笑みを浮かべる。
鉄と鉄が交じり合う激しい音。だがそれよりもハッキリと聞こえた、物が一気に砕け散る音。
ただの普通の剣では、あの黒い剣に勝つことは出来ない。鋭利な刃先、細くも強靭な造り。鎧さえ断ち斬るほどの威力。そしてそれを実現させている剣士の腕。
そのすべてを一つ剣で受け止めた時、彼の持つ剣はその一撃で粉々に破壊された。
この状況下、武器を失うという失策を演じられてしまった。
これがもし相手の予想通りの展開だとしたら、次はもう決まっている。
武器の無い兵士など道具だとしても、ただの玩具に過ぎない。
…まずい。
心の奥底、そう一言だけ呟く。
相手に何も返す手段がない。昨晩と同じように、死に直結するだろうこの状況。
しかし、槍兵の時に感じたそれとはまた違う、絶望感。
諦める訳にはいかない。だがこの空間の内部ではどうすることもできない。
相手の一撃を封じることなど不可能。
ならば、回避し続けるしかない。室内に入りその利点を活かすことは出来た。
だが結果に結びついたか、と言えば当然そうとは言えない。
相手は今もこうして動き続けている。早くしなければ、こちらがやられる。
そう思った時。
彼はとにかく対象から遠ざかるために、室内を抜け外へと脱出していた。
その途上何度か相手の攻撃を受けそうになるが、必死に回避しながら外に出る。
大通りの反対側の道に出たのだろうか。
そこにはまたも沢山の死体が転がっている。
先程までの戦闘の爪痕だ。
しかし、ここまで来れば武器となるものは幾らでもある。
使い慣れない誰のかも分からない剣だが、何も持たないよりは遥かにマシだ。
そう思い、ここまで何とか辿り着けたことを良しとした。
既に町を包んでいた霧は晴れつつある。上空には青空。
太陽からの光が行き届き、町の通りはそれが小さくても照らされる。
民たちのいなくなった町、死にゆく者の墓場となった町。
お互い充分な間合いを空けて、再び対峙する。
「…はぁ、はぁ………」
「流石に辛くなってきたようだな。無理をすることはない。人間はいつか死ぬもの。その時がいつ来るかは、時の運命のようなものだ」
死ぬことが、運命だと……?
確かにそうだ。間違ってはいない。いつか人は死ぬもの。
不老不死などというものは物語の中の世界でしか存在し得ない。
現実がそう甘くないことは、今までもこれからも味わってきたし、味わうはず。
だが、死ぬのが「今」だと決めて諦めて良いものか?
否。
それは断じて許されない。
この身がある限り、一人の兵士として戦わなければならない。
そうでなければ、この信条は果たせない。
「……、そんな運命、信じたくはないな。少なくともここで死ぬということは。俺が本当に死を迎える時があるとすれば、それは…」
「…」
心の中で、確証も無い独りだけの呟きを放つ。
答えにもならない、誰かの回答にもなり得ない、自分ただ独りの言葉。
しかし、彼の中には確たる事として信じ続けていること。
少なくとも、この段階では。
「ならば、その運命に抗ってみるがいい」
男は剣を構え直す。
今にでも突入してきそうな勢いだ。
それに対し、アトリも同じく剣を構える。
味方の兵士が落としたもの。志の中で遂にかなわなかったもの。
傷ついた剣と対するのは、黒い剣。
今までと状況は変わらない、圧倒的に不利な状況。
己が持つ剣も借り物に過ぎない。この状況でどのようにして戦うか。
考えた。
昨晩、あの不可解な現象を前に、自分は何とかそれを凌いだ。
同じことを、起こせないものか、と。
確たるものは存在しない。予感のようなもの。
それに自分の命を賭けるなど、暴挙も良いところだろう。
だが、もしそこに活路があるのだとしたら。
構えられた剣は、両者一斉にその切っ先を相手に向ける。
そして、一瞬にしてその間合いは詰められる。
半ば運を天に任せたようなアトリの手段は、意外なところで効果を発揮することになる。
1-21. 晴天下の黒剣士




