1-13. 他方への警戒
―――――俺を狙ってきたのには、必ず理由がある。
だが、今はそれを突き止めることは出来ない。
こうしている間にも、自治領地がどうなっていることか。
それに、あのような者たちがこの付近に現れているということは、
他の地域とて充分に危険となる可能性がある。
そうならないことに越したことは無いが、問答無用で襲い掛かってきた者たちだ。
もし、あれが自治領地を攻撃することになれば…。
アトリは自分の記憶の中にある光景を、引き出しとして思い出していた。
あまりに酷い光景を何度か目にしたことがある。
恐らく生涯かけて忘れることが無いだろう、惨劇の有り様を。
打ち倒すことは出来たが、あの者たちはかなりの手練れだった。
相手に露骨な感情が無ければ、攻撃を読み取ることも防ぐことも出来なかったかもしれない。
そういう意味では、決して一方的な戦いの展開ではなかった。
こちらにも危険は大いにあった。
同じように正規の兵士たちにも危険性はあるだろう。
戦いに備えるのは良いが、備えよりも上回る力量が相手にあった時、どうなる。
果たして無事に立っていられるだろうか。
アトリはかなり冷静に自分の中で分析をしながらも、その存在に対し危機感を募らせていた。
確かに戦いとしてはアトリの圧勝ということで結果は締めくくられるだろう。
だが、アトリはあの者たちの力量がただ者で無いことを、戦ってすぐに分かった。正確な一撃に力強さ、俊敏さ。
すべてを兼ね備えた時、名も知れぬ兵士は自分にとって、あるいは国にとっても脅威となる。
そのような脅威の存在がもっと沢山いるのだとしたら、今後王国の直轄地でさえ安全とは言えなくなる。
そのような事態にまで陥ってしまわないように、自治領地を護るだけでなく、直轄地周辺の警備も行う必要がある。
もっとも、そのために兵士が多数派遣され王城周辺の警備が少なくなっている、という現状がある。
既にアトリが危惧していることは上層部も認識しており、それに対する対策も打ち出している。が、それ故に兵士の数が不足する。
広大な国の領土を護るために必要な人的資源が不足している。
こればかりは、すぐに補うことは出来ない。
自由と平等の理念を掲げた国である。民たちには安心して生活を送ってもらいたい。
だが、兵士の数が足りないから徴兵を課すなどもってのほか。
国として、国の理念としてやってはならないことだと考えているに違いない。
だが、それで有事に対応できるのだろうか。
起こってからでは遅い。
ある程度先手を打って対応しなければ。
そう思いつつ、思いだけが加速していく。
思いや願いが現実に投影されない。
そのもどかしさを晴らすことが出来ず、あのような悲劇を生んでしまった。
今はとにかく、急がなければ。
アトリは移動するペースを速める。無論ノンストップという訳にはいかないが、出来る限り寄り道をせず、目的地へと急ぐ。
先程の戦いがアトリにとって更に危機感を与えるものとなっていた。
自治領地のことが気になり、自然とその足は早まっていた。
今回の支援要請は情報量が少ない。具体的な敵さえ示されていない。
しかし、民たちが恐れ抱いているそれを無視することは出来ない。
アトリは大自然の中を快速で駆けて行く。
ひたすら道を走り続ける。
丘陵地帯に広がる自然の名所を越え、やや荒れた土地の道も越え、浅瀬の川も越えて行く。
目的地までは4日程度かかると予想し、到着時刻の目標も定められていた。
だがアトリはこの時間を出来るだけ短縮し、3日と4分の1程度で接近することが出来た。
寝る時間などを出来るだけ削った結果である。
道中、馬の餌などに困ることもあるのだが、今は豊富な自然に感謝しなければならない。
そのおかげで、動物の補給物資に困ることはほぼ無いのだ。
「止まれ!!何者だ!!」
本当に遠くまでやってきた。
視界のかなり奥に山々が少しだけ見えている。
彼は早いペースで駆け抜け、目的地である自治領地へ入るところまで来た。
そこへ、彼の行く手を阻む者たちが声を荒げていた。
だがアトリは何も心配はしていない。ただ馬を減速させ、歩かせながらその兵士たちに近づくのみ。
アトリには既に道の管理をしているその者たちが、自国の兵士たちであることを知っていた。何より、兵士に支給される基本的な防具を身に着けている。
色合いも全く同じ。
あれは味方である。
「自分はウェールズ王城直属のアトリと言います。支援要請に従い参上しました」
淡々とアトリが話し、そして鞄の中から持っていたエンブレムをその場で見せる。エンブレムは兵士としての認証にもなり、そこに描かれているものによって所属などが大まかに分かるようになっている。
アトリの所属は王城。普段の任務はこうして派遣されることが多いが、大元は城に所属する王家直属の兵士である。
それを見た兵士たちが、きびきびと動き始める。
道を大きく開けるようにして、道脇に整列した4名の兵士たち。構えていた剣は地面を差して、その十字柄を掌で支える。
「失礼しました!!…どうぞお通り下さい。町で部隊が待機しています」
「…」
そういうと、アトリは4人に頭を下げて、その後馬を歩かせる。
既に町の姿は見えており、あと数分程度で辿り着くだろう。兵士たちが道の警備をしているのは、恐らく奇襲に備える用意なのだろう。
一人の兵士の足元には歪な形ではあるが、たらいと木の棒が置いてある。
これならば敵襲を知らせる音としては充分鳴り響くだろう。
アトリが通り過ぎ、暫くしたところで、兵士たちが再び集まる。
「もしかして、あれが隊長の言っていた、アトリさんって人か?」
「そうみたいだね…噂の」
と、彼の存在について噂話を始めた。
アトリが彼らに頭を下げられる理由などどこにもない。
だが幾度かアトリもこのような経験をしている。今ここにいる兵士たちも、自分より年上であるはずなのに、自分をまるで上士のように扱ってくる。
それには理由がある。
確かに彼ら王国の正規兵たちには、上下関係がしっかりと存在している。
城の中ではアトリは下士であり、アルゴスのような部隊長やその管理をしている者は上士にあたる。
アトリが現場に来ると、城にいる時とは違い関係が逆転することが多い。
その理由は、アトリが王城直属の兵士だというところにある。
「態々城から派遣されてるってんだから、結構ヤバい相手かもな」
「アトリさんは…元々派遣されてばかりだって、聞いたけど?」
「だとしてもだ。今回は部隊も来てるんだぜ」
「んー…」
兵士になるためには、兵士としての訓練を十分に受けなければならない。
その教育機関は王城が中心ではあるが、他の直轄地で兵士が駐留している場所であれば、そこでも兵士としての訓練を受けることが出来る。
アトリの場合は、兵士の見習いから今に至るまで、ずっと王城で鍛錬を重ねてきたため、直属の兵士扱いをされる。
アトリとしては、直属の兵士=王家を護る者、という定義をしているのだが、彼らのような兵士からすると、直属の兵士=城に仕える優秀な兵士、という風になってしまっている。
年齢もまだアトリの方が若い場合が多数あるのだが、城に仕えるという一点を考えれば、それだけで王家の目に届く兵士だという認識に変わる。
自分が直轄地の部隊長や管理職にいない、普通の兵士であるという自覚が常にあるのなら、アトリのような王城直属の兵士に対しては頭が上がらなくなる。
奇妙ではあるがそうした上下関係が働いている。
それはアトリも何回か経験したことである。はじめは戸惑い訂正を求めたこともあったが、そこでこの経緯を知る。
まだその時は穢れも知らない青年だっただろうが、今となってはその頃の陰は無くなっているだろう。
アトリは町の中に入っていく。
支援要請のあった自治領地。
町の中を歩いているのは、少ない民とその数より多い王国の兵士たちであった。
民たちは皆家の中に身を潜めている。
これだけ多くの兵士が集まるのだから、この民たちは何か事態が良からぬ方向へ進んでいると自覚しているのだろう。
町の規模は自治領地にしては大きく、家や商業店の数も多い。
沢山の民が生活しているのだろうが、その姿はあまり見当たらない。
町の規模がやや大きいというのは、出撃前に図書館から情報を得ていた。
町の中心に大きな十字路の通りがあり、そこから4つの方向に向かって道が分岐している。
つまり、この町に入る道と呼べるものは4本存在している。
アトリはそのうちの一つから町へ入り、そして部隊の集まる十字路までやってきた。
時間は夕刻を迎えようかというところである。
「ん、貴殿は」
「自分はウェールズ王城より派遣されました、アトリです」
「そうか、貴方がアトリ殿か。お待ちしていた」
どういう手筈なのだろうか。
もしかして自分は王城からの派遣者として、この部隊を待たせていたのか…?
状況がいまいち掴めていないのだが、それも無理もない。
誰かを責められるような状況でもない。
アルゴスから受けた要請での情報も少なかったために、まさかここまで兵士が揃っているとも考えていなかったのだ。
だが、逆にこれだけの兵士がいるというのには必ず理由がある。
しかし、まずは戦端が開かれず民たちも無事で良かった。
「私はウェールズ王国北東部防衛部隊の統括をする、ヒラーだ。貴殿は死地に数多く派遣された経験があると聞くが…まだ当方の地域には来たことが無かったな」
「そう、ですね」
どうやら自分の話は外部でも少しばかり噂になっているらしい。
この時アトリはそれを改めて確認した。
確かに彼は幾度となく死地に赴いて戦場を渡り歩いてきた。
戦いが発生し、相手を倒し、味方を護るという意味を含めて。
はじめ死地での任務は、出来る限り王城から近い位置で発生するものを優先されていた。
いきなり今日のように遠い地域を任されると、命が幾つあっても足りたものではない。
慣れないうちは上の者たちも配慮してくれていた。
今となっては、長い道のりも心配無用の状態となったが。
ウェールズ王国北東部防衛部隊。
広い大陸の中、王国領の北東部の直轄地を防衛する部隊だ。
直轄地の大きさや広さ、広大な地域を防衛する役割を担っているが、そのような部隊がいてもなおアトリが派遣されている現状である。
だが今回は、彼らも北東という護りを一時的に捨てて東部に入り込んでいる。
東部は自治領地の一帯が多く、王国としても直轄地にしている地域は数少ない。
「ヒラー隊長。状況を詳しく教えて頂きたいのですが…生憎本国には上手く届かなかったようで」
「なるほどな…情報の錯綜は起こり得るし仕方のないこともある。分かった。情報を共有しよう…だがそれは、領主も交えて話されるべき内容だ」
そこでヒラー隊長はアトリを領主の家まで連れて行くことにした。
到着早々領主の話が聞けるのは、アトリとしても都合が良い。
タイムリミットを設けられていたが、その時間よりもかなり早めに到達することが出来た。
いち早く情報を知ることで、この町の中でも準備できることもあるだろう。
アトリは伝令兵に必要事項を本国まで伝えるようお願いした後、すぐに領主のもとに行く。
この町に集まった兵士たちの中に、王城直属の者はアトリただ一人。
自治領地として救援要請を送った民たちとしては、それとは別の兵士たちが来ても救いだっただろうが、アトリという本国からの派遣者が来ることでより安心する者も中にはいるだろう。
「領主。入ります」
ヒラー隊長が家のドア前でそう声に出すと、中から男の声が聞こえてきた。
渋めの声。年齢は高いようなイメージを一瞬にして持ったアトリ。
だが取り敢えずは呼びかけに応じ中へと入る。
このような状況だ。いくら兵士たちが町を固めているとはいえ、外を警戒しないはずがない。
ドアを開け中へ入ると、玄関からすぐ居間に通じていた。
部屋の中は明かりが灯されており、その男の顔を見るには充分であった。
一体型の深々としたローブを身に纏っているその男が出迎えてくれた。
アトリに対し深々と一礼すると、アトリもそれにこたえるように頭を下げる。
そして居間の中央にある椅子へと案内された。
アトリは簡単に挨拶と自分の身分を明かし、そして早速本題へと入る。
「では領主。今の町の状況を教えて下さい。変わったこと、起きたことなど…出来る限り」
「はい。それはつい先日の話で…」
アトリの問いに答えるべく、領主は口を開け言葉を放つ。
この町にも自警団なるものが存在しており、この領地を護るために日々鍛錬を積み重ねているという。
今彼が派遣された自治領地は、単一の町だけでなく、この大きな町を基準に3つの小さな町が各地に点在している。
周りから見ればこの領地は自治領地としてかなり大きい部類になるのだという。
アトリもその辺りはあらかじめ地図で確認していたが、領主の話でそれぞれの町に自警団が配備されている、と聞く。
計4つの町はそれほど遠い距離には無く、歩けば3時間もかからず到着するという。馬で走ればその2分の1かそれ以下にはなるだろう。
各地の自警団同士常に連絡を取り合うために、毎日定時に交代制で伝令を兼ねた兵士が移動し合っているという。
「しかし、先日うち二つの町との連絡が途絶えました。普通なら交代制で入れ替わるはずの兵士が、定時になっても現れない」
「その二つの町、というのは…」
「ここから東側に更に進んだところにあります。やや荒地の多くなる地域ですが…それでも多くの民が住んでいます。定時連絡が無いものですから、この町の兵士二人を確認に向かわせたのです。しかし、今度はその兵士たちも連絡が途絶え…」
なるほど。
二つの町に駐留している兵士からの連絡が途絶え、更にそれを確認しに行ったこの町の兵士も行方不明に…。
「どう思う。アトリ殿」
ヒラー隊長はあらかじめこの話を聞いていたというのだが、アトリが到着するまで具体的な行動を起こさず、ただじっと防御だけを固めていたという。
そして彼はアトリに意見を求めた。
本国から派遣された身、領主もアトリの考えを知りたがっていた。
たとえ子どもであれ見識は時に重要な資料になり得る。
「…残念ですが、彼らの身はもはや安全ではありません。具体的なことは言えませんが、どこかに捕らわれてしまったか、あるいは…」
ヒラー隊長も同じ考え、そしてこう考えるのは兵士として当然だと二人は頭の中で考えていた。
王国の兵士たちも連絡を伝令という形で欠かさず行っている。
定時刻まで定めてはいないが、必ず確認を取るために連絡を取り合っている。
それが無くなれば、本国としては何かあったのかもしれない、と警戒を強めるし、必要であれば確認もしに行く。
その先の結末を打ち明けるのはあまり心が乗らない。
顔に感情があまり籠っていないこの領主とて、仲間の死は痛々しいものだろう。
「何か心当たりはありませんか。自分たちが何者かに狙われる理由など」
「いえ。他の自治領地といがみ合っていた訳でも無く、ただ純粋に皆は毎日を過ごしていたでしょう。ただ気になることはあります」
「…?」
―――――ついこの間から、貿易商人がこの町を訪れなくなりました。
貿易商人は、各地を転々と回る自由商人…王国領に限らず、直轄地や自治領地、更にはまだ見ぬ大陸のどこからかの物を集めては、民に売り資金を得る。
彼らの活動によって兵士たちが今まで多くの情報を得たこともある。
それこそ、俺の派遣先でその情報が役立ったことも幾度となくある。
貿易商人はあらゆる地方に精通した民だ。
その彼らが来なくなった…?
「この町の商人、というのは」
「確かに町の中にも商人は要るのですが、珍しい物を好む民も多いです。貿易商人による販売は、民たちにとっては人気であり貴重でした。惜しむ声もありますが原因が掴めず…」
「………」
アトリとヒラーは同時に目を合わせる。
貿易商人たちの「行動の自由が阻害された可能性」を二人とも瞬時に考えたのだ。
貿易商人たちの行動は自治領地や直轄地、まして王国が管理統率するものではなく、彼らの思うがまま行動をしているのが常である。
彼らは利益を得るために各地で物を買い、物を売る。
その行動はつまり生活を維持するためのものでもある。
貿易商人たちが町を訪れなくなったということは、売買する物の仕入れが途絶えたか、あるいは彼ら自身に何かあったか。
二人は後者に注目をしていた。
「ヒラー隊長。貴方たちの滞在期限は」
「こちらでは特に指定されていない。本来の領地防衛も大事だが、今は目の前の状況を解決したい」
「…分かりました。領主殿、少しの間この町に部隊が駐留することをお許し願いたい。推察できる程度の状況は分かりましたが、あくまで仮定の話。本当と分かるまではお互いに安全ではありません」
自分でも身を疑うほど冷静に分析していたアトリ。
戦う手段を考えながらも、その原因までも先読みする複数の考察が重なる。
ただ領地を護るだけでなく、出来るのならその人たちがこれからも安心できるようにしたい。
領主は事態が判明するまでの間、部隊が駐留することを許可した。
アトリたちの任務は、深刻な事態に向かって長期化していくのである。
1-13. 他方への警戒




