4-22. 月夜の再会
別動隊の作戦は静かに進んでいく。
城に辿り着くまでに、5日~6日程度かかる。
今はその行程をひたすら進めているだけだが、兵士たちの緊張が収まることはない。
別動隊は王城から東側に迂回して近づきつつある。
出撃してから4日目の夜。
少人数で構成される別動隊には、兵士階級を持つ者と義勇兵として参加する者が半々程度いる。
それをアトリ、クロエ、フォルテ、グラハムの4人が率いる。
人員の中にはまだ子どもだが圧倒的な技量を持つ子供、クリス、エクターもいる。
彼らは今、王城の東側に離れた小さな町に辿り着いていた。
アトリが出撃前に予想した通り、ここまでの行程でマホトラス軍と遭遇することは無かった。
王城周囲に配置されていたマホトラス軍が本隊に増援に向かった、という可能性がある。
あるいは、王城から本隊へ派遣された部隊を補う形で、王城へ招集されたか。
「町には誰一人いなかった。ということは………」
「まぁ、あり得る話だね。城とて労働力が必要だろう」
ここにマホトラス軍はいなかったが、
恐らく軍の手はここまで伸びていたことだろう。
町には本来占領民とはいえ、ウェールズの国民が住んでいる。
それがごっそりもぬけの殻となっていたのだから、民たちも労働力として引き連れられた可能性がある。
クロエはそのように話した。
考えられない話では無い。
自治領地同士の戦闘で、敗れた自治領地のその後の生活を、彼も幾度も聞いたことがある。
アトリが直接関与しなかったものもあるが、自治領地は他の自治領地を潰すことで、負かした相手の領地を自らの領地に加え、勢力を拡大する。
そして自分たちの領地に潤いをもたらすために、その地の民を労働力として働かせる。
マホトラスも同じように、いずれ来るウェールズに備えて国民を使った準備を整えているのかもしれない。
「さて、アトリ。もう一度作戦を確認するが………本当に使うのか?あれを」
「あぁ。一ヵ所に攻めるよりも奇襲を幾つかかけた方が、揺さぶれると思う」
アトリは先日、出撃の前にアルゴスからある情報をもらっていた。
恐らく城のすべての出入り口は兵士たちが封鎖していることだろう。
正面から入ることは容易ではない。
だが、そんな城も抜け穴と呼べるものが一つだけ存在する。
城と城下町の郊外を抜けて東側にある、錆びれ今は使われなくなった教会。
その教会はかつて国の魔術師が外界との出入りに使用していた場所であり、穴倉から城の地下に通じる長い地下道がある。
別動隊としてアトリが考え出した作戦はこうだ。
真っ先に城へ向かっても手厚い防衛が行く手を阻むことだろう。
なので、別動隊の主力は城下町から侵入して、各所にいるマホトラス軍を殲滅する。
一方で一部の人間たちは、この地下道を使って城内へ侵入し、城内を制圧する。
城内を制圧するために、グラハム以外の魔術師、つまりアトリ、フォルテ、クロエの三人が往く。
町の各所で戦いが発生している間に、アトリたちが全力で城内を制圧し、城を解放する。
その後で、更に城下町にいるであろうマホトラス軍を殲滅して、城下町も解放する。
これは、王城から敵の本隊に増援が送られたということを前提とした条件だ。
もし敵の主力に近い程度の部隊がいまだ駐留していたとしたら、彼らの作戦は難航する。
不可能に近いものとなるだろう。
だが、全くの勝算が無い訳では無い。
彼とてこの作戦がどれほど厳しいものであるかは分かっている。
だからこそ、自分たちのような存在が幾人かいるのだから。
「しっかし、魔術師だけであの広い城内を制圧か。苦労するねぇ」
「城内にも魔術師が潜んでいるやもしれません。単独行動は出来るだけ避けた方が良いかと思います」
「確かに。んで、俺は別動隊の主力を率いて町を進めば良いんだな」
「頼む。グラハムを筆頭に兵士たちを動かしてくれ」
正直アトリもかなりの無茶を通した城内制圧作戦であることは重々承知している。
だが不思議とそれを告げられた時、彼ら三人は異論を唱えることもなく、心に不安はあろうとも深刻そうな顔をすることは無かった。
彼らに自信がある訳では無いが、不可能だと思っている訳でも無い。
これが普通の兵士たちに少人数で城を制圧しろ、と言えば誰もが否定的に捉えただろう。
魔術師という常人には理解されず到達も出来ない力を持っていない限り、成功の可能性すら見出せないものだ。
アトリは、必要であれば相手を倒すということを前提に魔術の解放を行うことを告げた。
一対一という状況であれば、フォルテもクロエもまず負けることは無いだろう、とアトリは思っている。
が、それも複数を相手にする時にはそうもいかない。
一つの戦いで20人ほど殺すことがあったとしても、たった一瞬で20人に囲まれて生き残るという状況は、そういつもあるようなものではない。
不利な状況に堕ちてもなお戦わなければならない、そういう時は自らの力を使ってこれを凌ぐ。
もっともアトリの場合は、こうした状況を死地で多く経験している。
それでも油断すること無いように、状況が思わしくない時は好転させられるように、必要な手段を使うべきだと考えていた。
その時が今である、と。
「町で戦闘が起きてりゃ、城も騒がしくなる。それを狙って、ということだね」
「そんなところだ」
「それにしても、本当にこの人数で城下町まで解放出来れば、一躍有名人だな………俺たち」
城下町側から侵攻する別動隊の負荷も相当なものだ。
魔術師だけで城を制圧しようとするのも無理難題に近いものだが、
城下町は王国内でも五本指に入る大都市だ。
そのため、彼らはすべての区画を維持することは出来ないし、殲滅することも出来ないだろう。
町の中でも幾つか主要な街道や建物、行政区画というものがある。
恐らくはそこに人や兵士が集まるだろうというところだ。
城があるために規模はそう大きいものではないが、城下町の中にも兵士の詰所はある。
さらに、町の中の治安を維持するために建てられている見廻り屋、一般で兵器を取り扱う武器屋など。
兵士や義勇兵たちは、こうした要所に向けて攻撃を行うことになる。
グラハムが、もしこの作戦を少人数で成功させれば、その噂が国内のみならず、広く知れ渡ることになるだろうと話す。
特に兵士たちを率いる立場であるアトリたちは、その可能性が充分にある。
アトリについては既に知れていることも多いが、他の三人のことを知る者はそう居ない。
「グラハム、あんた有名人になりたいのか?」
「いや、出来るならあまり。戦場で真っ先に狙われるというのも落ち着かないだろうよ。な、アトリ」
「………確かに狙われることはあるが、それは兵士であるのなら当然のことだと思う。それを回避してこそ………というべきか。でもまぁ、確かに有名にならない方が都合が良いということもあるだろう」
「ほっ、流石先輩の説得力は違いますねぇ」
「茶化すな、クロエ」
全く、と言いながら微笑して言い返すアトリ。
彼の言葉に説得力があることは事実なのだが、彼もそれを分かって否定はしない。
ある程度名前が知られてしまう、顔が分かってしまうと、集中的に狙われる危険性も高くなる。
それを乗り越えてこそ、などと彼は思っているが。
何はともあれ、これで確認すべきことは終わった。
戦いのときは近づいている。
作戦を形式的に立てるが、実際の戦闘では現場の状況は変わっていくものだ。
結局は臨機応変さが求められる。
「そうだ、クロエ。前に吸っていたあれ、また頂いても良いかな」
「ん?………あぁ、煙草か。別にいいけど、身体にはよくないと思うぞ?」
「あれ以来機会もなくて。たまにはあれで息抜きでも」
そう言うと、アトリは煙草の入った小さな箱とマッチをもらい、玄関へと向かう。
彼は少し気分転換をしてくる、と言って玄関から離れて行った。
ここは誰もいなくなってしまった町。明かりすらない、ゴーストタウン。
食住を勝手に借りるのは心苦しいが、今は必要なことなのだ、と割り切る。
その家は4人で使うことにしていた。
「………クロエ。たばこ、とは何ですか?」
「ん?私も詳しくはないが、まぁ嗜好品の一種だな」
小さな小さな、町の郊外。
天から降り注ぐ白い光と、天に昇る光の正体。
時折その光を隠そうと空に浮かぶ雲の数々。
この時既に時刻は夜の10時を過ぎている。
元々ゴーストタウン化していたこの町に兵士たちが入り込んだ訳だが、
その兵士たちも今は就寝していることだろう。
普段はこのように都合良く家の中で休むことが出来ない。
ベースキャンプより遥かに豪勢な生活だ。
だがそのような状況はいつまでも続けられるはずがない。
休める時には休んでおかなければならないだろう。
アトリのこれも、一種の気分転換のようなものだった。
考えることは尽きないが、一度頭の中を落ち着かせたい。
その思いで、ひと気のない町の外の大地までやってきた。
もう夜で辺りはあまり見えないが、ひたすら自然の光景が広がっているのは分かる。
「………はぁ」
風が吹く。
決して強い風では無い。
少し服が靡く程度のものだ。
「………」
煙草を持つ手とは反対、彼は左手を目の前で広げて自分の目で見る。
再びこの手が血に染まる時が来る。だが今までとは異なる戦いばかりとなるはずだ。
空に浮かぶ月と星々を眺める。
ふと考えたことがある。
自分は今回、無事に生き残ることが出来るだろうか、と。
死地の護り人として行動していた時も、あらゆることを想像してそう思ったことがある。
死を覚悟したこともあるし、予感したこともある。
今回は、そういった危機感というものは、今のところ感じられない。
だが、不安とも危機感とも違う、言葉には言い表しづらい嫌な予感というものはあった。
ところが。
その“嫌な予感”というのが、まさかこんなにも間近なものだとは、
思わなかっただろう。
「ほう、煙草片手に考え事か。おめぇも中々良い色出し始めてきたな」
「なっ………」
懐かしむより、あの頃を思い出すより、
その声、その言葉に戦慄さえ覚える。
ハッキリと耳の中でこだまするように聞こえたその声は、何の冗談のつもりか。
何故、この男がここにいるのか、と間髪入れず疑問を叩き込みたくなる。
雲の切れ間から差す光に導かれて、大地に立つその男。
月下の夜、彼にとってここにいてはならない者の一人が、現れていた。
「よぉ。あん時以来だな、おめえと会うのは」
「………オーディルっ………!!」
まるで暗闇に同化するようにやってきたその男は、
一切の気配を感じさせずにアトリのすぐ近くまでやってきた。
月夜の明かりが男を照らすと、アトリは飛び退けながら煙草をくわえ、そして右手で剣を鞘から抜き出していた。
この男が現れてまるで嵐のように唸る風、のように勝手に感じてしまった。
嵐のようになっているのは外の自然ではなく彼の中身だ。
突然の敵の来訪に思わず超高速で反応し、すぐに臨戦態勢を整える。
「おっ、覚えててくれたのか。ありがたいねえ」
一方、明らかにマホトラスの槍兵オーディルの様子は余裕たっぷり、といったところだ。
彼はそもそもこんな近距離に来るまで気付けなかった己の未熟さを呪いそうになった。
だが、彼が気付けなかったのも実は幾つかの理由がある。
単に彼が考え事をしていたからではない。
この男は人間であると同時に、人間からは離れた魔術師という存在だ。
オーディルが明かすことはなかったが、彼は内なる魔力を外界に認知させない能力に優れている。
世の中には認識阻害の魔術行使などというものもあるが、彼のそれは魔術の行使ではなく、素で気付かせないよう、魔術師としての能力に付随する特殊効果というような位置づけだ。
無論、魔術を行使すれば明るみにもなるが、魔力の発動でさえもある程度の外界放出を制限することが出来る。
つまり、他人が目にしても疑わず魔術だと分からない行使については、そもそも槍兵が魔術師なのかと疑ってしまうほど、彼は魔力の放出を軽減させることが出来るのだ。
「何故お前がここにいる………我々の行動を読み取ってのものか」
仮にも彼はオーディルに殺されかけた。
あれは殆どもう死んでいたようなものだが、それでも彼はいまだに生き続けている。
それどころか、あれから普通なら巡り合えないだろう魔術の世界にも踏み入れている。
彼が槍兵を警戒するのは当然のことだ。
一方のオーディルは、アトリがただ単純にマホトラスの敵だけでなく、私怨に近い敵対感情を抱いていることをあまり気にしていない様子。
アトリはつい事の真意を確かめようと槍兵と距離を取って確認するが、
オーディルは槍一つ出しはしない。
「お前たちの動きくらい読み取れるけどよ、別に今日の俺ぁお前たちを止めにかかろうって訳じゃねえぜ」
「………何?」
「単純よ、ただの通りがかりだ」
………な、何?
思わず剣を握る手がいつもならぬ力みを持っている、と感じる。
この男が現れる時は決まって何かが起こるか戦いになるか、と思っていたのだが、
オーディルは通りがかりだ、とだけ言いすぐ近くにある大きな切り株を椅子に座り込んだ。
月夜の明かりが照らしたり、隠れたり。
何がどうなっているのかが分からない、いやこれはどうするべきなのだ?
考えている間に時間は30秒ほど経過し、そして槍兵は言った。
「なぁ。こっちに戦う気はねえんだ。それを仕舞ってくれねえか」
「あっ………い、いやしかし」
「お前だって丸腰の相手を斬りたくはないだろう?」
何を言う、いつもの魔術で槍を隠しているくせに。
と、難癖をつけたいところだがそれは言葉には出なかった。
どうやら本当に戦う気が無いし、気付けばなぜか切り株の上に座っている。
「はあーあ」などと声を吐き捨てながら、天を見上げる。
綺麗な月の夜に現れる、というのは槍兵らしい。
というのも、アトリがこの男と初めて出会ったのだが、もう数ヶ月前の話だが、同じく月夜の日だったからだ。その印象が強いのも当然だった。
流石にそうと言われてしまえば、彼も頷くしかない。
丸腰の相手を斬り殺すというのは彼としても後味悪い結果を生むに違いない。
目の前にいる男が明確な脅威であるにも関わらず、まるで今日は敵ではないと言っているようだ。
「しかしまぁ、良かったぜ。おめえが生きていて」
「何を言う。お前が殺そうとした相手だぞ、俺は」
「分からねえかなあ。確かに俺たちは敵同士だし、殺し合うべき間柄だ。けどよ、“殺し合う仲”ってのも実はそう悪かねえんだよ。お互いに好敵手だって認めれば、あいつに届きたい、あいつを超えたいと思えるしそれが起爆剤にもなるってんだ」
――――――――――――要は、おめえと戦えることが楽しみの一つだったってことだ。
と、槍兵は実に決め台詞のようにハッキリとした口調で言い、そしてアトリに左手を出してきた。
握手では無い、手のひらを見せて何かを乗せろと言っているようだ。
目線はアトリの口元から伸びる一本の煙草。
彼の煙草は気付けばかなりの部分が灰になりかけている。
つまり、その煙草一本よこせ、というのがオーディルの要求だ。
彼はそれに応じ、一本だけ箱から取り出してそれを渡す。
「………あ?渡すだけでマッチは無しかよ!つれねぇ、おめえケチくせえぞ!」
「うるさい。お前ほどの奴なら自力でどうにでもなるんだろ」
「分かりましたから火を下さい」
笑顔で突っ込むようにアトリに話しかけたのだが、あっけなく冷静に対処される。
仕方が無いお願いしてやるからそのマッチをよこせ、と裏で言っているであろうオーディルだったが、
アトリの方も仕方なく、マッチを渡すことにした。
これで要求は揃った。彼もまた火を通して煙草を愉しむことが出来る。
………他の人がこの現場を見れば、この二人は異様な空気を放ちながらも仲が良さそうだ、と思ったことだろう。
さらっと聞き流したことだが、オーディルにとって既にアトリはよき好敵手、という扱いだった。
敵であることに変わりはない、と言い自らの立場を保ちつつも、その敵と勝負が出来るということを楽しむ傾向がある。
ただ単純に戦闘が好きというのではなく、強い者と勝負が出来るというのが槍兵の望むもののようだ。
そう言う意味では、先日戦った長刀使いのリッターも、似たような雰囲気を持っていた。
殺し合いだが、その殺し合いに人を斬り否定するという負以上に、お互いの実力を発揮できる価値を見出していた、というか。
「………それで、何故ここにいるんだ」
相手に戦う気が無いのなら、アトリも有り余る殺気を持たずとも良い。
少なくともこの場では殺し合いにならなさそうだ。
アトリはずっと立ち続けたまま、オーディルは切り株に座り楽になりながら話をし始める。
「通りがかりっていう理由をつけたんだが、納得していないのか?」
「してない」
「即答かっ。んまぁいいけどよ。そういうお前らは、後日城に向かうんだろ?」
恐らくこの男にはどのような嘘をついても見抜かれるだろう。
彼は無言の肯定を彼に見せる。
彼とてマホトラスの人間だ。
そのことを知れば、普通は国の為に防衛に出ることだろう。
彼は無言の肯定を受けたが、それでもただ一言「そうか」とだけ反応した。
「………止めないのか」
「別に、好きにやればいいさ。俺は国盗りの戦争なんざ興味ねぇからな」
確かに、この男は前にもそのようなことを言っていた。
あれはたぶん、ウェストノーズの戦い前だったな。
と、アトリが思い出す。
この男はマホトラスの人間でありながら、敵対する存在とは思えないほど、いやマホトラスの人間とは思えないほど自らの国に対する思い入れがない。
元々は一つであったウェールズだが、今はこうして敵対関係にある。
まるでこの男にはそれすらもどうでもいい、と感じていることのようだ。
他人事、ただ戦争に巻き込まれただけの魔術師。
『結局な、人の為に戦っても永遠と使役される運命にあるってのは変わらない』
男は、それを馬鹿馬鹿しいと言って吐き捨てた。
この男にはこの男の誇りがあるのだろうが、それは国に向けられたものではないだろう。
国盗りに興味はなく、国で争う戦いにも執着しない。
ああ、そうか。
だからこの男は一人、こんなところで油を売っているのか。
それにしても自由奔放過ぎるような気もするが。
「おめえはまだ、あの甘ったれた考えを棄てねえでいるのか」
「………ああ」
「そうか、まぁ良いけどよ。それを求めている人間がいるってのも事実だ。おめえにとってはそいつらの助けになれるのなら良いってことだろう」
「今更この生き方は変えられない。悲しいがこれも戦争だ」
………。
オーディルは、気付いた。
あるいはこれは、気付いてはならないものだったかもしれない。
触れるべきでなかった、見るべきでなかったものかもしれない、この少年の内なるもの。
アトリが自らの理想の断片を槍兵に話した時、槍兵は彼の理想をハッキリと否定した。
態々国の為、民の為に戦い救ったとしても、何一つ己に還って来るものはない。
あるとすれば、それは顔も名前も分からない他人を救ったという自己満足だけだ、と。
黒剣士ブレイズのようにそれが偽善であると酷評した訳では無いが、槍兵もそれなりに批判している。
今の世は馬鹿馬鹿しい、そんな世の為に力を尽くして己に何一つ向いて来ないなど、馬鹿げている。
何の為に戦わなければならないんだ、と。
アトリは、誰かがその馬鹿馬鹿しい世の中に一石投じることで、それを変えられる可能性があることを信じる立場の人間だ。
オーディルは、どうしようもない世の中はどうしようもないらしく運営されれば良いと思う質の人間だ。
この二人では、そもそも考え方が異なるし価値観も大きく異なる。
槍兵は、いまだ彼がこの手で救える者がいるのなら、それに手を差し伸べていきたいと考えていることが確認できたため、それに関連した質問をアトリに投げつける。
「じゃあお前は、国以外の人間たちもお前を必要としたら、そこに出向く覚悟があるってことか?」
「覚悟はあるし、今までもそうやってきた。これからもその生き方に変わりはないと思う」
「そうか。じゃあ一つ耳寄りな情報を教えてやろう」
………?
どういうつもりだ、この男は。
男は何か真剣そうな表情をし、語り始める。
それは今までの余裕の籠った、オーディルらしい人間の姿ではない。
この男ですら直面した幾つかの問題に深刻そうに考える、というような感じだ。
「………っと、その前に。色々とハッキリさせておかなきゃならねえこともあるな」
本題に入る前に、
槍兵はある事柄を確かめるために、アトリに話を振る。
その問いは唐突に、そして確信めいたもので。
「お前。ようやく自分の持つ力ってのに気付いたようだな」
「っ………!?」
その確信は、もう既に随分と前から持っていたものだ。
だがそれを確かめる手段は、お互いに敵であるために戦場でしかなかった。
戦うことで相手の技量を知るというのは、戦場ではよくあること。
しかしこの未知なる力においては、普通の兵士が相手では気付かれない要素の一つだ。
的を射た確信の問いに、思わずアトリも驚く。
気付かれた、見抜かれている、というよりは見透かされているといったところか。
当然のように疑問を投げかけ、疑問を答えるまでもなく既に分かっている。
だから、疑問を持った主はその反応を見るだけで満足だった。
「やっぱりな。おめえの戦い方は普通の兵士とは大きく異なる。強い相手と遭遇した時に、自然と体内の魔力が発動して機能を強化させている。体内に魔力を持つ兵士などそういるはずもない。それに、今のおめえは前に会った時よりも、精神が強靭になっている。魔術師としての素養を身に着けたってことだな」
「………気付いていたのなら、聞くまでもないだろう」
「いや、これからの話はこの要素ってのが重要でよ。それに今も気付いていなかったのなら、話そうかどうか迷っていたところだ。あぁ、実際のところおめえが強靭な魔力を持ってるってのは、最初に会った時から気付いてたぜ」
槍兵は、彼と初対峙した時から彼の存在を確信していた。
本人は気付いていないようだが、奴は間違いなく魔術師として必要なモノを持ち合わせている、と。
通常戦闘時でも恐らく常人とは異なる戦闘技量を発揮し、時に強い相手が現れると自然と魔力が解放される。槍兵が彼と初対峙した時に見抜いたことだ。
だがあの時は、彼もその存在を知らなかったし、自らに魔力があるなどと思いもしなかった。
疑うことはあっても、それを確かめる術は無かった。
槍兵の頭の中で今も思い出される、あの攻撃。
そのまま通っていれば間違いなく臓を穿つ一撃だったが、“あり得ない速度”でその攻撃を防いだ。
本人は気付いていない以上その防御はまぐれにしかならないが、既に魔術師たる力を確立させている槍兵からすれば、あれは間違いなく魔術行使の一つだったのだ。
まるで周囲の時間が止まり、奴だけがその中で動き続けていたような。
槍兵は既にその時に確信を持っていたが、二回目の戦いの時にもそれは感じられた。
本人は気付いていないだけで、俺と戦う時には魔力を解放して全力で戦っている。
そんな彼だからこそ思ったのだ。
お前がその理想に近づくためには、今のままでは駄目だ。
お前自身が持ち得る力をすべて発揮できる状態になってこそ、
ようやくお前の理想の路とやらが拓け始める、と。
ある意味試練を与えたのはオーディルの方だった。
槍兵は少年の身体を穿つ一撃を放ち、瀕死にさせた。
それでもあの瀬戸際で殺すことはしなかった。
トドメなどいつでも刺せたものだが、それでは彼の言う世の為人の為にはならない。
何故敵であるはずの男に情けにも似た情をかけてしまったのだろうか。
分かっていたことだ。
強い敵と戦うことは、槍兵としては確かに嬉しい。
だがそんなものより優先すべきことがある。
奴の想いは、国を超えて人間という存在そのものに向いていたのだ。
「それで話というのは。どうやら魔力が関係しているようだけど」
「キエロフ山脈のすぐ麓まで行ったことはあるか?」
「………何度か。麓ではないが、近寄ったことなら」
「ほう。なら場所を言っても分かるだろうな。んまぁ地図を見れば良いってもんだが。キエロフ山脈の麓近くに、アルバンという町があった。町と言っても百人も住まねえ集落みたいなもんだったが………そこがある時消滅した」
………?
消滅、だと………?
流石に地図を頭の中に入れてある人間ではないので、キエロフ山脈のおおよその場所が分かっても、アルバンという町には詳しくなかった。
一度も聞いたことが無い町なので、死地になったこともないだろう。
槍兵は深刻かつ真剣な顔をしながら、低い声でそのように告げた。
町が消滅する。
考え方は色々あるが、アトリが考える消滅とはどれも異なるものだった。
彼は死地において町の者たちを護り切れず、結局敵の支配下に堕ちる瞬間を見たこともある。
そういう時は決まって、町の人間が虐殺されてしまう時だ。
自らの力のなさと護れなかったことの後悔が残る。
だが、槍兵のいうそれは、どちらかといえば“消失”に近い。
まるで町が丸ごと消えたというような主旨の話だ。
「どういうことだ。他の領地からの侵攻を受けて町が消えた、という訳では無いと?」
「あぁ。加えて人が意図的に町から消えたって訳でもねえ。寧ろ消されたのは人だけ、みてえなもんだ」
「何が言いたい」
腕を組み、無限に広がる空を眺めながら、それをにらむようにしてオーディルは言う。
「その周囲数キロ四方で、魔力の異常を検出している。辺り一面濃霧と業火で埋め尽くされて、とても“生身の身体”が入っていけるような場所じゃねえ。詳しいことは俺にも分からねえが、超高濃度の汚染された魔力と考えて良いだろう」
槍兵オーディルがマホトラス軍に加勢せず何をしていたかと言うと、
彼が感じたままの“異常”を確かめるために、キエロフ山脈まで出向いていたのだ。
キエロフ山脈は、この西側大陸で最も高い連峰と言っても良いだろう。
王城からは見えないが、東側の土地に進んでいけばその山々が次第に見えてくる。
今回彼が独自に調査を進めていたのは、その山脈の一部の麓近くにあるアルバンという町だ。
「俺には自然界の魔力の異常を検知する機能がある。こいつはまぁ、魔術師としての付加価値みたいなもんだ。あれほどの大規模な異常であれば、他の奴らも気付いているかもしれねえが、おめえは何も感じないんだろ?」
「………違和感に似た何かを感じることはあるが、正体も分からないのにそれが確かなものだとは言えない。何故お前はそんなものの調査に?」
「時には戦争よりも重要視しなきゃならねえもんだってある。今回はそれくらいのレベルだ」
正直この男のことを見縊っていたのかもしれない。
戦闘における技量や力量は凄まじいものだが、強い敵と槍を交わすことが出来るのならそれでいいと、
そう思っているのではないかと勝手に考えていた。
だが、意外にもそうではないのかもしれない。
槍兵はこの異常な現象を、戦争よりも重視しなければならないことだ、と言い切った。
元々彼の言うアルバンの町は百人程度が住む町だったが、周囲の突然変異により人間たちが消滅。
町も原形を留めながら、濃霧と業火の中に取り込まれてしまったのだと言う。
異常現象の原因とされるのが、魔力の汚染によるもの。
自然界に流れる魔力が何らかの原因で異常を起こし、それが現実に可視化されてしまった。
と、オーディルは見ていた。
燃え盛る炎と立ち込める濃霧の周囲は、とても自然界では感じられないほどの強い魔力を感じることが出来、しかもその濃度は人間が感じたことの無いくらい恐ろしく強いものなのだという。
この時。
彼はあることを思い出した。
まだウェールズ王城が健在で、マホトラスの動向が再び活発化した、一ヶ月以上も前のこと。
彼はいつものように任務を受けるために、アルゴスの執務室を訪れていた。
任務の内容を確認していた時だが、確かアルゴスが気になることを言っていたはずだ。
山脈の近くで大規模な災害が発生した――――――――――と。
今の今までその存在を忘れていたが、確かにあの時そう言われたはずだ。
彼には他の任務があるために単独でその災害地域に行くことは出来ない。
王国領でもない遠く離れた土地であること、そしてマホトラスと戦時下にあったために、
その真相を突き止めることは誰も出来ていない。
元々キエロフ山脈の周囲は大森林が存在したり、自然の痕跡がそのまま残されているところが多い。
資源が豊富な訳では無く、人も住むような地域でも無い。
だからこそ、人々はその異常に気付き辛いという。
「それは、一体今後どういう影響をもたらすんだ」
「だから、詳しいことは分からねえ。だけどあんな異常、放っておけば必ず良くないことが起こる。どうだ、おめえも見たいとは思わんか?」
「………」
現状、あまりにも情報が無さすぎる。
この男が調べに行ったということは、恐らくそれは事実なのだろう。
だが、一体そこで何が起きているのかは、正直この説明だけでは分からない。
強いて言えるとしたら、今起きている濃霧と業火という現象………。
この現象は既に一ヶ月も前から起こり続けており、
しかもいまだ解決されることが無いと彼らは読んでいた。
アトリは城にいる頃にその異常を聞かされ、槍兵は最近手に入れた時間を使って、ようやく調査に乗り出した。
その異常が何を示しているのかは分からないが、アトリのこれまでの経験と被る話が一つある。
まるで世界が地獄に包まれるかのような火の手、業火の嵐。
大陸の一部分だけの災害だとしても、いまだ燃え続けているというのも不思議なものだ。
同じように彼がいつまでもあの夢を見続けるのも、不思議だと思い続けてきた。
だが、あれは間違いなく夢を見る主に何かを訴えている。
もしかしたら、この大陸の現象もそのうちの一つなのだろうか?
「おめえは国を超えて人々の為になりたいと思ってる人間だ。もしこれが人々の生活を脅かす何かであるのなら、放ってはおけねえだろう?」
「………しかし、これを俺が解決できるとは到底………」
「これについては、解決は二の次だ。必ず原因がある、それを突き止めねえことには始まらねえ」
オーディルは、自分の目でその異常を確かめて来い、と言ってきた。
このような話、明らかに他人事ではあるのだが、アトリにはそれが否定できない。
また槍兵も彼が否定できない信条を持ち合わせていることを知っていて、その話を持ちかけたのだ。
彼はマホトラスとの戦闘が本格化する前に、この異常を確かめてみたいと思ったことがあった。
それが人々の生活難をもたらす現象であるのなら、何とか出来ないものだろうか、と。
町の人々が消滅し、高濃度の汚染された魔力が漂う地域。
それは、紛れもなく人々の生活を脅かすものであり、この自然界においても普通では無い現象だろう。
だとしたら、それを解決するのも死地の護り人としての役目になるのではないだろうか。
自分とは全く関係のない地方で発生した事案でも、彼には捨て置けない。
しかし。
今はウェールズ王城を取り返すことが最優先だ。
作戦は進行中だし、敵がいる目の前で言うのもあれだが、こちらも捨て置けない事態だ。
「なるほどな。んまぁそれでも良い。他にこの事情を知っている奴がいれば都合が良いからな」
「だが、ウェールズ王城を取り戻して状況が落ち着いたら、その話受けることにする。直接現地まで行って確かめるとしよう」
「お、そうか。大丈夫だ、おめえらなら今のマホトラスには負けねえよ」
何とも奇妙なものだった。
目の前にいる槍兵はマホトラスの兵士で、本来彼とは敵対する関係。
今もその立場にあることに変わりはないのだが、槍兵は自国の拘りなど持たない人間だった。
槍兵が自ら言うように、国盗りの戦争に興味が無いということを、全身で表現しているようだ。
そんな槍兵も上の指示で戦うことはあっても、そうでない時は自由奔放にしている。
だとしたら、この男がマホトラスにいるのは、何故だろうか。
「何故お前は、マホトラスに居続ける」
「んあ?」
「正直今日の話を聞いて、お前が敵だという認識が薄れた。国盗りに興味が無いのも分かる、それに駆り出されるつもりもないというのも分かった。なら、何故マホトラスに居続ける?あの場所に居続ければ、望んでいなくても戦いに出されるのは明白だろう。ウェールズの人間を倒すということは、マホトラスに加担することだ。それを、お前は望んでいないんだろう?」
「………ハッ」
―――――――――――俺の身の上話が気になるのか。
そいつはまた珍しいな、と槍兵が笑って話す。
他の人にこの男の正体を伝えても、同じように感じるものがいることだろう。
マホトラスの為になろうと思ってもいない人が何故、マホトラスに居続けるのか。
ウェールズ国内でもそういう民はいるだろう。
自分たちは安定した生活を手に入れるためにここまでやってきた。
だが、国の為に自らを使おうとは思わない、と。
ウェールズ王国に居る以上何らかの形で国の為にしていることがあるのだが、
意識上は国に向くことは無い。
槍兵もその一人なのかと思いたいが、彼は間違いなく兵士の立場だ。
ウェールズもマホトラスも、兵士であるのなら国の為に尽くすのは当然のことだ。
アトリとて今までそのようにしてきた。
死地にある民を救い護り続けることで、それが国の為になることもあった。
しかし、この男はどうなのだろうか。
アトリが純粋に気になった疑問に対し、槍兵は。
「良いぜ。時間もあるし、少し聞かせてやる。そら、もう一本よこせ」
「ん」
槍兵オーディルの身の上話。
月の明るい光が大地を照らす中、彼は自らの過去を口にする。
………。
4-22. 月夜の再会




