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Broken Time  作者: うぃざーど。
第4章 時間(セカイ)の歯車
131/271

4-19. 偶像





再び西の大陸で戦火が巻き起こる。

その情報は瞬く間に軍を超え、ウェールズや各自治領地に伝えられた。

休息の時は終わり、再び戦いの時がやって来る。

この戦争がいつまで続くものかは分からないが、争いというものはそう早くに消えるものではない。

アトリたちが右翼部隊としてマホトラス軍の防衛部隊を強襲したと同時に、左翼部隊を指揮するアルゴスらの部隊も強襲を始めた。

戦闘時間はほぼ同じ、ただ終わるタイミングはアルゴスらの左翼部隊の方が早かった。

右翼部隊にはリッターという魔術師がいたが、左翼部隊には魔術師はいなかった。

それが早く戦闘を終えられた直接的な原因であるかどうかは、誰にも正確には判断し難い。

だが、アルゴスやグラハム、フェデラーやルイス率いる部隊は、かつて北部や中部でマホトラス軍と接触し戦闘を行った残党部隊である。

そのために、アトリたちに比べれば戦闘経験が豊富な人間が多い。

その違いは戦闘において現れたと見える。




これにより。

境界線各地で防衛線を張っていたマホトラス軍は、

この戦闘に敗れたことで境界線を手放し、本隊が駐留している北側の地方まで撤退する。

アトリが加筆した作戦が順調に進められるが、この段階で早速想定外の展開が始まっていた。

彼としては予測のうちだったが、そうなった時の次の加筆を行っていない。

そのため、一度部隊を招集して状況を共有し、次なる戦いに備えなければならない。

どのような状況が発生したにせよ、ウェールズ王国軍は上層部が立てた作戦の通りに進んでいく。

ひとまず、左右から中央部を挟撃し、次なる町「ルクスハイム」を解放するまでは。





「聞いたか?軍が再び動き出したってよ………!」



「うんうん、聞いてる聞いてる!また兵を従えて、こっちに向かってきてるんだってね!」





ウェールズ王城を支える王国領内最大の都市、城下町。

再び戦いが行われたという情報は、兵士たちだけに共有されるものではなかった。

情報の漏れ所は一体どこなのか、と問い質したくもなるのだが、この世界には行商人もいる。

兵士たちの会話からその事実を知ったのかもしれない。

出所を掴むのは困難で、その情報を封じるのもまた、困難であった。

ウェールズ王国軍が再び軍をこの城に向けて戦闘を開始したという情報は、すぐに国民に知れ渡る。

いまだ国王が亡くなったという情報を知らない者ばかりの、城下町の民。

一方で、南部に居住する国民の多くは、その情報を知ってしまっている。

情報格差がある中、再び軍を進めたという事実が、城下町に住む国民にとって何よりの吉報だった。

正直、諦めていた国民も多くいただろう。

かの誇り高きウェールズは、逆賊であるマホトラスに穢されたのだと、思った者も多くいたはずだ。

だが、その誇りは今でも生き続けている。

たとえ王国の象徴が奪われた今日だとしても、その誇りや誉れは決して失われるものではない。

そのために再起を図ったのだと信じ、そして再起することを国民たちは信じていた。



今、城下町にいる国民の生活は、その多くが制限されている。



まず、誰一人として現在、この町から外へ出ることが出来ない。

町の外縁部はすべて占領したマホトラス軍の管轄にあり、一人たりとも外出は許可されていない。

情報の流出を防ぐという意味もあるが、仮に国民の中に不届き者がいて、ウェールズ王国軍と連絡を取られでもしたら、現在の計画がすべて台無しになってしまう。

また、外からやって来る交易商人などは、この町に来た時点で捕らわれの身となってしまっている。

それも同じ理由だ。マホトラスが自らの体制を整えるまで、彼らは自由行動を封じられている。

そして、城下町にいる国民すべてに番号が割り振られ、その番号ごとに毎日指定の場所に行かされる。

国民番号登録制度。

ウェールズに住む国民を番号で管理するというごく単純な制度。

たとえば、今日は1から1000番までの国民が、町内の清掃活動を行う。

1001番から1500番までの国民が、町の城塞化の作業を行う。

というような形で、番号にして役割を割り振っているのだ。

自由と平等が原則のウェールズ王国では考えられない制度の一つだった。

しかし、これに逆らえば当然捕縛されてしまうことは目に見えている。

叛乱などもってのほかだ。

国民を利用して、マホトラス軍は城塞都市計画を進めつつある。

町の外に繋がるすべての街道を封鎖し、すべての通り道に兵士の駐留場所を設ける。

監視の目も行き届き、防衛の役割を持つことも出来る。

町内にも商工会が存在し、あらゆるお店が展開しているのだが、

国民が国民に商売をすることについても、兵士たちの監督が入る。



そういった、不自由な生活をこの一ヶ月間は強いられている。



それだけに、ウェールズ王国軍が再びこの城を目指している、という情報は大きな意味があった。





「町は散々盛り上がっているようですね、貴方」



「………その呼び名はやめてくれ」





これは、ウェールズ王国軍がマホトラス境界線の防衛部隊を破った日から、三日後のこと。

王城にもその情報が行き届いた。

同時に、城下町にもその知らせが伝わっている。

国民たちは表面では明らかにしないが、裏ではその情報を知って歓喜していることだろう。

それを、マホトラスの女魔術師イザベルが、盛り上がっているとゲーリングに伝えた。

夜。

城下町は占領下にあっても明かりが途絶えることはない。

その中、ゲーリングは王城の上層階、玉座の間の端からガラス越しに町を見ていた。

背後に現れたイザベルには見向きもしない。





「伝令からの報告は受けましたか?」



「あぁ。敵も大部隊のようだ」



「それで、貴方の考えはいかがですの?」





ゲーリングはずっとイザベルに背中を向けているだけだが、

彼は右手で頭を少しかいた後、両腕を組んだようだ。






「敵がその気になったのだ。こちらもそれ相応の返礼をしなければな」



「では、この城から増援を派遣して欲しい、という要請には答えるんですね?」





そう。

この時、伝令を通じて本隊からの増援要請を受けていた。

防衛部隊にそれほど大きな戦力を投入していた訳では無いが、相次いで敗北したことに、

ゲーリングもらしからぬ焦りを感じていたのは事実だ。

誰に打ち明ける訳でも無いが、イザベルには彼の心中を察することが出来ただろう。

長刀使いのリッターが防衛部隊の応援に向かったというのに、敵はそれを打ち破った。

ここを出る時、リッターは無用な血は出来るだけ流さないと言っていた。

自らが不利な状況に陥った時には、撤退する方法を選ぶ、と。

この伝令はリッターからではなく、本隊にいる司令から送られたものではあるが、

再起した敵の部隊がそれほどまでに警戒しなくてはならない相手なのかと、ゲーリングは疑ってもいた。

ただ単純にウェールズが防衛下手という可能性もあるかもしれないが、

この一ヶ月ほどで王城を取り返すほどの算段を用意してきたに違いない。

今までの戦闘とは訳が違うし、こちらもそれなりに準備をしてきたのだから、それを駆使しなければならないだろう。



だが、同時に思う。

これは敵軍による罠の可能性も無いだろうか、と。




「………どうしました?浮かない顔をして………私が聞いてあげましょう」



「お前に話したところで結論は変わらん」



「それでも良いのです。お話し下さい。お力にはなれずとも、お悩みくらい口にしませんと」





一体、この女にとってこの私はどのようにみられているのだろうか。

などと考えてしまうゲーリング。

らしくない。本当にらしくない。

だが、事実悩みはあるのだ。

既に結論は決まっていることだが、それに対して疑心暗鬼になっている。

ゲーリングは静かに口を開ける。





「力で押し切れる相手でなくなったのだとしたら、相手の策略に乗せられる訳にはいかない。だが、これが真に急所を狙えているかは分からん」



「と、言いますと?」



「この出征、はじめから敵に乗せられている気がするのだ」





確証の無い話。だからこそ不安とも言い、悩みとも言えるものだろう。

この時のゲーリングには、今までとは異なる予感があった。

マホトラスとて盤石の態勢を整えるまでに、まだもう一月は掛かるだろう。

敵はこの領土が確固たるものと決められる前に、その算段を打ってきた。

決断は中々に早い。

国王を失ったとはいえ、エルラッハの傍で国政を支援していたフリードリヒの策略だろうか。

いずれにせよ、向こうから望む戦争であれば、こちらもそれに応える“必要がある”。

そうしなければこの領地を防衛することなど出来ないのだから。

もし、敵に我々と対等に戦い得る手段が整えられたのだとしたら、ここから先はただ戦い合うだけでは事をうまく運ばせられない。

戦争が再開されたのだから、前線で兵を必要としている者たちには、後方であるここからそれなりの支援は与えなければならないだろう。



だが、引っ掛かる。

この選択は、何か敵に的を示しているのではないか、と。





「なるほど………ですがご安心を、貴方」



「何?」







―――――――――――そのために、私の手駒が沢山いるのではありませんか?








若い女性にも関わらず魔術師。

普段は愛想のよい大人しめの性格。

どことなくお嬢様気質を思わせるその女性だが、

時にこのように背筋が凍るような言葉を平然と吐く。

それが、ゲーリングにとってこの女、いや「魔術師」そのものを信用しない理由だ。

彼らは絶対的な力となるが、彼らが国に、いや主に真に忠実であるとは言い難い。

気難しい者たちの集まりだし、何より手下にしてはおけない存在だ。

うち、一人は完全に手駒と化したが、他の者たちは今も健在だ。

その彼らにも対処できない事態が起こったとすれば、どうなるものか。




「………なるほど。それもそうだな」




「ご信用下さい。既に完成されております故、安心して増援を送ると良いでしょう」




「それで、その手駒とやらは信用にたる人物なのかな」




「どのように思うのかは勝手ですが、手駒を信頼するほど“彼らに情はありません”のよ?」





手駒が使える状態にある、というのであればそれを使うまでだ。

その前に本隊で敵を食い止めれば、態々危険な方法を取ることもないだろう。

結局、ゲーリングは要請に応じる形で、翌日城塞都市を防衛する部隊の一部を本隊へ組み込むために派遣する。

本隊が待ち構えているのは、城から約一日離れたところにある小中規模の町「レイクホルム」だ。




一方。

時間は少々遡り、左右両方の部隊で勝利を収めたウェールズ王国軍は、そのまま境界線から進んで最初に接触する中央部の町、ルクスハイムへ向けて行軍していた。

ほぼ時間通りに進軍し、勝利を収めた時間から約一日後にレイクホルム町に辿り着くことになった。

アトリの加筆した作戦では、二つの部隊がここで町全体を取り囲んで挟撃し、一気にマホトラス軍を撤退させるか殲滅するというものだった。

しかし、実際に町に来てみると、既にマホトラス軍の姿はなかった。




「………とんずらされたって訳かい」



「………ああ、そうみたいだ」




ルクスハイムは決して大きい町ではない。

住宅地と町の中心部があるカークスに比べ、この町は住宅地のみで出来ているようなものだ。

それほどの大きさは無いのだが、町内に辿り着いてすべてを捜索しても、マホトラスの軍人どころか、その痕跡さえも殆ど見つからなかった。

クロエは舌打ちしながら現況報告を聞いたが、原因はすぐに推察できる。





「こちらの作戦も、ある程度見抜かれていると見て良いだろう」




「だろうねぇ」




もぬけの殻だったルクスハイムの町を見て、

ある程度の兵士たちはこの様子から色々と察することが出来るだろう。

この町にあったはずの物資は既に運搬されており、残っていたのは食糧に困る国民だけだった。

中には餓死寸前の者もいた。

このような町の状況が、これからも続いているのかと思うと、彼も苛立ちを覚える。

占領して、人を酷使して、挙句の果てに放置。

そんなことが赦されるはずがない。

これを誰が指示して行わせたのかは分からないが、いずれにせよこのようなものを人道とは呼ばない。

困窮する国民には、王国軍の物資の一部を分け与えて、ひとまず三日分程度を生活できるようにはした。

この町からも南部のカークスやそれよりも南に逃げた国民がいただろう。

幾つも空き家があったが、とても合流した部隊全員を家に収容しきれる訳では無い。

戦いに浸かれている義勇兵たちを優先して空き家に収容し、余裕のある兵士は外で休むことにした。

ルクスハイムは事実上の無血開城ということにはなったが、ここに兵士がいなかったということは、間違いなく本隊に合流しているということだ。

本隊との戦闘は激しくなることが容易に想像できる。




「恐らく、敵から攻めてくることは無いでしょう。敵は私たちの動向を見て動くはずです」



「そうだろうな。初戦で敵の戦力を削ぐことには成功したが、後が続かなかった。こちらの思い通りにはならないということだ」





今は夜。

上士たちの集まる家で、いつものように会合が開かれる。

このルクスハイムまでを制圧し、次なる戦いは恐らく敵の本隊となるだろうと誰もが予想していた。

アトリの加筆の成果で、退路を塞がれる心配はなくなった。

一方で、敗退した兵士や他の部隊が、敵の主力部隊に合流したことも容易に想像がつく。

そうなると、この間の戦いをどうしても思い出してしまう。

アトリはその場にいなかったが、本隊と現在のウェールズ王国軍の力量差はそれなりにある。

特に右翼部隊であったアトリたちの部隊には、義勇兵が多く含まれている。

そこで初戦に苦戦を強いられたのだから、本隊を相手にすればどれほどのものか。

ただ真正面にぶつかっては、相手に力の差で厳しい展開を強いられるだろう。





「となると、次にいそうな場所は………ここだな」





フェデラーが指をさしたその場所。

王国領から約一日という距離にあるそれなりの規模を持つ町、レイクホルム。

カークスと似た雰囲気を持つ小中規模の町で、カークスに比べ住宅地がそこまで多くないというところだろうか。

だが、それでも本隊が駐留する規模の町としては必要な機能を揃えている。

ここには元々それほどの規模では無かったが、町を防衛するための駐留部隊がいたのだから、

本隊が駐留する条件としても都合が良い。





「………そこと見て間違いはない。そうだろう、アトリ」





アルゴスが、彼に発言を求めた。

皆がそれぞれアトリの方を向いたが、彼の顔は少々沈んでいる。

自らの作戦によって新たな課題が生まれることは、あらかじめ予見していた。

それでもこの先の展開が彼の頭の中でイメージされてしまうと、どう考えても苦戦となる未来しか見えない。そのことに対して少し暗く考えてしまっていた。

その表情をフォルテも見ていた。






「………そうですね。ここで間違いはないと思います。ただ単純に攻めたのでは、いつかの繰り返しになってしまう。少し、手を考える必要があるように思われます」





もしこのルクスハイムの町に程度の敵部隊が駐留していれば、

アトリの思惑通りに事が進んだだろう。

マホトラスがこの町の前で敵軍を迎撃する用意をしていれば、ここで挟撃して敵を殲滅し、

本隊に合流することなく敵の軍勢を排除できたかもしれない。

だが、既に敵本隊と敗走兵たちが合流したことを考えれば、やはり直進のみというのは怖いものがある。





「いずれにせよ、対策を練らないことには進軍も出来ません。明後日までには出撃できるように協議しましょう。それで良いですね?アルゴス隊長」



「………そうしよう」





結局その日の夜の会合では結論を導くことが出来ず、

それでも明後日の出撃までには間に合わせるという形で、

彼らは明日の昼に再びこの場所で会合を開くことにし、夜までには作戦を発令することとした。

半日ほどの猶予が与えられた。

町の中にいる兵士たちは既に休んでいる者たちが多い。

戦闘と行軍のせいで疲労が溜まっていたのだろう。

空き家で休める人もいれば、そうでない人もいるという状況も、本当はあまり良くはない。

だが、今は耐えなければならない時でもある。

アトリ、グラハム、クロエ、フォルテの4名はこの町で同じ空き家を借りている。

そのため、会合が終わって家に戻る道も一緒だ。




「………」




「………」





その帰路が短いとはいえ、

4人に会話は一切なかった。

アトリは重く深い表情を浮かべており、グラハムは無表情に近い。

クロエはそんなアトリを見て少しばかり心配する顔を浮かべ、そしてフォルテもクロエと同じだ。

彼の場合は戦ったことによる疲労というよりも、これからをどうするか、という先行きの見えない未来に不安を感じているのだろう。

それも含めて、残り半日である程度の結論を出さなければならない。

いつまでもこの町にいる訳にはいかないのだから。

暗く、松明の灯りも頼りにならない帰路を歩いていた、そんな時――――――――――。




「アトリさん!!」




「………!」





それは、いつか聞いた声だ。

彼には間違いないと言い切れるほどの覚えがあった。

あの日、あの時。

小さき少女ながら勇敢で不条理な世の中に立ち向かおうと覚悟するその姿。

透き通った綺麗な声にはどこか強い志を滲ませていた。

彼は思った。

何故自分よりも若く、自分よりも早く、このような子供たちが戦場に出る必要があるのか。

その準備を進めなければいけないのか。

あの長刀使いは言っていた。

彼のような存在が今後増えて行けば、国は民の知らないところで確かな力を得て行くのだと。




彼は声のする方、後ろをゆっくりと振り返った。

そこにいたのは、あの時たった数時間ではあるが講師を務めた相手、

まだ少年少女の組み合わせである、クリスとエクターだ。




「お久しぶりです!アトリさん」



「戻ってきた、という話を聞いたので」





「………っ、何故君たちが………」





いつか聞いた声、いつか見た姿。

だというのに、否定の念が拭い切れない。

何故ここにいる、何故こんなところにいる。

その思いを断ち切ることは出来ない。

戦場に来る覚悟が出来ている、と語ってくれた少女と、

その少女と親しくも良きライバルとして訓練に励んでいた少年。

彼よりも年の若い子供が、争うことしか出来ない人間の成れの果ての行為に手を染めて行く。

自分でこんなにも醜い世の中だと理解していながら、否定したいという気持ちが浮かび上がったとしてもそれをなかなか口にすることが出来ない。

必然的に彼の表情は重くなった。




「俺たちだって戦ってます!」




「………」




夜と彼の雰囲気には似合わない元気の良さだが、

隣にいたフォルテが声を出して疑問を投げかけた。

この人たちは一体誰なのでしょう、と。

アトリは答えない。

また傍にいるグラハムにも事情が分かっていない。

だが一人、この場で彼以外に知る者がいた。





「………その二人はな、こいつを目指して頑張ってる子供だ。それでも兵士なんだよ。なぁ、お前たち?」



「クロエ先生、ご無事で何よりです!」

「あの日以来ですよね。俺たちもここまで来ることが出来ました」





そして、疑問と共に思い浮かべる。

何故この二人の子供を前に、アトリはこれほどまでに重く苦し気な表情を浮かべているのだろう。

彼が露骨にそのような表情、感情を表に出すことは、あまり無いと思う。

だがこれは明らかだった。

クロエはそれを庇うように、というよりはこの場の空気を明るくするように、

優しくかつ強く子供たちに声をかける。





「そうだ。お前たちこの後は時間あるのか?」



「「はい!!」」



「そうかそうか。なら私たちの借家に寄ってきな。お茶くらいは、そこの姉ちゃんが出してやるって」



「え、わ、私っですか?」




いつの間にかそのような流れになっていたが、首謀者はクロエに違いない。

傍に居たグラハムもアトリを気にしてか、あまり口数が増えない一方だったが、

それでもこの子供たちはクロエの誘いにより一緒についてきた。

決して子供らしいとは言い難い二人だ。

だからこそ、その二人を見て思うことがある。

借家はカークスにいた時にアトリとフォルテが借りていたものよりはずっと小さい。

部屋も二つしかなく、大きな居間に必然的に人が集まる、というような仕組みだ。

まるで意図的にそのように作られたかのように。

後にクロエから聞いた話だが、カークス町にいた時に、クロエはこの二人と偶然出会って、

アトリの話を聞いたという。

実は少年少女は、かつて一度だけグラストンという王城から南部に僅かに離れた町で、

剣術訓練をアトリに見てもらったことがある、ということを打ち明けられている。

二人にはあの時間がそれなりに影響を及ぼしているようだ。

それで、もし機会があれば、また本人に直接尋ねてみると良い、と言ったところ、今晩のような状況になったのだという。




とはいえ。

もう彼らも兵士の一人であることは一目瞭然だ。

腰のベルトから下げる剣に各所を覆う鎧が、何よりその証拠だ。





「………前より少し大人っぽくなったようだな」



「い、いいえ。そんな」





エクターとアトリは、彼女クリスほどの面識が無い。

かつてクリスは、あのエクターから一本取るにはどうしたらいいか、と相談をしたことがある。

一本取る、というのは剣術の訓練において、相手に一撃を与えるという意味である。

木刀でも竹刀でも、実戦形式の訓練をするときには、互いに剣戟の打ち合いとなる。

その時、試合を行っている時では、一度でも明確な攻撃を受ければ負け、逆に攻撃を与えた方が勝ちとなる。

エクターはアトリが感心するほど卓越した剣術を繰り出すことが出来る。

それはクリスにしてもそうだ。

それ以外にも色々と、つまらない身の上話をしたな、と彼は思い出していた。

クリスはアトリを見て一見相当に疲れているのではないか、と思っていた。

出来るだけ顔に出さず姿に出さずにいるのだろうが、彼の雰囲気がそのように感じられたのだ。




「カークス町にいた時に、アトリさんが戻ってきたという話は聞いたのですが、時間が無くて………こうやって会う機会があって嬉しいです」



「………そうか。無理はするなよ、二人とも」





二人が今回の戦闘で所属していたのは、アルゴス隊だった。

左翼部隊は右翼部隊ほど苦戦することもなく、戦いにより犠牲になった味方兵士の数も少なかった。

だが右翼部隊と同じように、敗残兵を追撃することは出来なかった。

クリスとエクターも、この戦いが初めての実戦で、そして初めて人の命を奪ったという。

彼らが所持しているその剣には、既に人の血が浮かんでいることだろう。

無理だけはしてほしくない。こんな戦いで命を落としてしまうほど、君たちの運命は短くはない。

アトリはそのように助言した。

クリスは、今まで自分を育ててくれた環境の為に、兵士としてみんなを守りたいと望んでいる。

エクターは国の窮地に自分の出来ることを活かして取り組みたいと望んでいる。

二人とも望みはそれぞれだが、こうして兵士としての立場を確立させている。

正確には兵士の見習いなのだが、恐らくこの戦争を経験した兵士でその後も路が変わらないというのであれば、そのまま兵士階級に収まるだろう。

フォルテが淹れてくれたお茶を飲みながら、ゆっくりと会話をする。

既に時刻は夜の11時を過ぎている。




「あの日以来、私はアトリさんを目標にここまで頑張り続けました。やっとエクターから一本取れるようになったんですよ?」



「たまに、だけどね?」





少年と少女、二人が笑顔で話しているところに、

アトリの質問がいく。




「俺を目標に?………それは、何故?」



「色々とお話は聞いています。あの日見た教えも含めて、アトリさんみたいに強い兵士になりたいって、本気で思っています!」


「クリスは、こんな風に言っていますが、俺もアトリさんを参考にこれからも励んでいきたいです。多くの人にとって、きっとアトリさんは憧れの存在なんですよ。俺たちも含めて」






憧れの存在。

その人を目指すに相応しい評価であり、

目標として申し分ない相手であること。

一人の戦士として、この大陸のこの戦争に生きる一人の人間として、

彼らはアトリを尊敬していた。

死地の護り人、数多くの自治領地で人々を救うための剣となっていること。

争いが絶えない世の中で、争いを鎮め人々の平和を護るために戦う兵士。

そんな姿に憧れていると、彼らは話す。

戦闘に出れば誰よりも強く、決して挫けることのない剣の精神を持っている。




そう。

それが、人々が見たアトリの姿だ。




彼は誰よりも強い。

誰よりも戦闘を経験している。

恐らく、この大陸で最も多くの人間を救った人だろう。

これ以上の安心感は無い。

彼が帰ってきた、これで反撃が出来る。



あらゆることに、アトリという存在が利用されている。

彼もまたその路を進み続けている。

人々が見たアトリとは、兵士の中でも絶対的な存在。

まるで救国の主導者のような人。

どれほどの評価を受けていようと、変わらない根底がある。

総じて人々は彼を事実から語る。





「今からでも間に合う。その考えは、やめた方が良い」



「え………」



「憧れとか目標とか、そういう相手はもっと他にいるはずだ」





そうして。

彼の存在が輝かしいものだと信じ、何の疑いも無くそのイメージを抱いて、

そんな理想の人間の姿に憧れる。

いつしか彼を目指すものが現れてもおかしくはない、目の前にいる彼らのように。

だが、当の本人はそれを否定する。

恥ずかしいからでも、対した功績を上げていないからでも無い。

皆が語る事実は事実、確かにアトリはそれだけのことをしてきた。

だが、そのように思われたとしても、自分という存在を目標にしてほしくない。




このような人間になってはいけない、と。

彼はそのように、二人の考えを否定する。





「人間の記憶など幾らでも美化できる。たとえどれほど偉大な功績を遺したとしても、人間が語るのはその都合の良いことばかりだ。あたかも人間が判断したそれが正しいかのように振る舞われ、伝えられる。だがそれが現実だ。イメージの曲解は常に起こり得る。つまるところ大勢の人が思う俺という存在も、そのうちの一人、人々が都合の良いように作り上げた理想の存在ということだ」




「っ………」






“彼はこうあるべきだ”という理想の存在。

こうあって欲しい、こう願って欲しいと人々が築き上げたイメージ像。

彼は国内の兵士の多くにその存在を知られており、今となってはマホトラスの人間でさえ「死地の護り人」という言葉を知っているほどだ。

兵士たちの間で強い兵士だ、誰よりも経験がある、正義感が強い、多くの人々を助けてきた、などという事実が都合良く並べられる。

だがそこに、アトリという人間性が語られることはあるのだろうか。

確かに彼はその事実を執行する者として、自らに理想を掲げている。

しかしそうした事実ばかりに憧れ、目標として目指すのはあまりに不明瞭で恐ろしいものだ。

大多数の人間が知っていることは事実からの人物をイメージした偶像。

本当の人間がどのような姿でどのような心を持っているのかなど、知りようもない。





「事実を基にその人のように強くなりたいというのであれば、俺以上に強い兵士はどこにでもいる。それでもなお、俺という存在(じじつ)を目標にするのなら、それは人々が見知った事実に美化された(イメージ)を目指すということだ。事実を体現する本人はそのように美化されるほど輝かしいものではない」






―――――――――――――だから無意味なんだ。この偶像は。









その言葉の羅列は、

その場にいるすべての人間が息を飲むほどに、重く圧し掛かった言葉であった。

皆が思うアトリという存在にどれほどの価値があるのか、それを殆どの人は知らない。

彼が今まで成してきた事実の裏、彼の人間性を知る者がどれほどいるだろうか。




彼がどのような姿で、

彼がどのような心境で、

この路を進み、そして果てに向かっているのか。




だが、この言葉を聞いたその場の人間たちでさえも、

今までそんな彼の内なるものに触れる機会は殆ど無かった。

それも想像の世界でしかない。

彼がどのようにこの路を進んできたのか。

その過程、どう思い、どう考え、どう願い、どう望んだのか。

それを分かってもなお、この身に憧れるものがあると言うのか―――――――――――。




本気で理想を追い求めている、そのはずの男。

あれは、もしかして、そうではなかったのだろうか。

彼の信条で、彼の望むままに理想を追い続けていた。

その理想を体現するために、多くのものを失いながら駆け抜けてきた。

やがて、彼は気付いた。

自分は必要とされている。多くの場所でこの力を使うことが出来る。

そうして、少しずつ結果に近づいて行くことが出来る。

この路はそう、自分が願って進んだ路の一つなのだから。





………だったはずだ。

なのに。

いつだろう。

いつまでも信じ追い続けている、長くて(とお)い路に、綻びが生まれてしまったのは。




いつからだろう。



自らが望む理想よりも、

人々が願う理想を実現させるために、この手を使うようになったのは。















いつしか、それでは貴方自身がこの世界に利用されることになる………!!







いつか君はこの世界に滅ぼされるぞ………!











偶像。

それが都合良く作られたイメージであり、真実。

アトリそのものの姿。

そうなってしまったことに、何故もっと早く―――――――――――――。






………。






4-19. 偶像





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