1-12. 対峙
彼の左手は、自然と剣に触れていた。
視界の奥から接近してくる3つの物体が、彼に対し立ち向かっているように思えた。
彼は王国の兵士としての任務をこなしていた。
一つ目の任務。先日派遣された自治領地の敵となった相手を偵察すること。
お互いの自治領地の自警団を務める民が全滅し、領地を護るものがいなくなった。
そのことで、自治領地にどのような変化が生じるかを調査するものであった。
結果としては、もぬけの殻。
自治領地から民たちは消えてしまっていた。荒らされたような跡は無く、まだ生活の余韻がそこには感じられた。
荒らされていなくとも、何かに急いでいた可能性はある。
その情報を届けるためには、次の目的地にいると知らされた、伝令に会わなくてはならない。
伝令を通じて本国にその情報をもたらす。
それ次第で、先日の自治領地が直轄地になるかどうかが判断されるだろう。
負けたとは言えないが、防衛力を失った自治領地。
早めに直轄地として認定し、兵士たちが直接防衛する態勢を整えた方が良いだろう。
だが、その途上。
彼の行く手に現れた、三つの動体。
間違いなく自分の方向に向かってきているものと判断される。
今彼が馬で走らせている道は広めである。
道と言うよりは、見晴らしの良い大通りのようなものだが、自治領地からやや離れた周りには目立つような建物はない。遮るものもない。
人が左右に並べば十数人程度の幅は取れるだろうか。
さらに接近してくる。
左手は剣の柄に触れたまま。
走ることで揺らされる身体を整えながら前へと進めて行く。
その時、彼の本能が彼に警告を出していた。
これから向かってくる相手には注意した方が良い、と。
無理もない、彼はこの辺りの土地では敵である。
もしかすると、あの三つの動体………人間が自治領地の自警団という可能性もある。
誰も居なくなった、先程までいた自治領地とは別の。
徐々にその姿が捉えられる。ハッキリと見えるところまで映し出されたその姿、相手3人はほぼ同じような格好をしている、と確信する。
同じ格好で、同じ速度で、3人が並ぶようにして接近してきている。
このままやり過ごすことも出来るだろう。だがそれは相手が何もしてこなかった時だけだ。
自分から攻撃をすることは無い。
態々この段階で戦闘を仕掛ける意味はない。今この場においては、任務のために移動している最中。
無用な消耗は最小限に抑えたいと考えている。
だが。
もし向かってくる三人が攻撃を仕掛けてきたら。
その時は、覚悟しなければならない。
―――――っ…!
見ず知らずの三人を目前に控えて緊張感を高める。
これから先に起こることを幾つか頭の中で考えておきながら、それに対応できるように分析しようとしていた。
だが現実にはそのように上手くはいかない。頭の処理と回転が絡み合っていないのだ。
考えばかりが先に浮かんでしまい、具体性に欠いている。
それもそのはず。
3人の格好は、紛れもなく戦う人間。
やや明るめ、白色をベースに少しだけ黒を混ぜたようなグレーの鎧に、頭を保護する黒色のヘッドヘルム。
手には恐らく鋼鉄仕立てのグローブを装着している。
そして腰に下げているのは、何らかの武装品。
剣か、短剣か。
そのようなものは関係ない。武器であることに変わりはない。
そして、それに対して反応する必要があることも、この時点で確定していた。
何故なら。
次の瞬間には、三人一斉にその武器を抜き出していたのだから。
「くっ…!!」
そう苦い声を出したのは、アトリであった。
高速でお互いが接近し続けていた結果、3対1の馬に乗る4人の人間はそれぞれ行き先が交差した。
3人の鎧を装着した者たちが剣を抜いた瞬間、それに彼も反応するようにして急速に剣を鞘から抜き出す。
そして騎乗で剣を素早く構えた。
それ以上の行動は出来ない。こちらから攻撃を仕掛けることはしない。
幾つか理由はあるが、最大の理由は敵とみなした場合、同時に攻撃を受けるという数の不利が発生するからである。
3人と馬ですれ違うのなら、並んでいる3人の間に割り込むか、一番端から通り抜けるかすれば、最悪でも1対1で通り過ぎることは出来る。
だが、相手はそれを許さなかった。
アトリを中央に誘い込むようにして馬を操り、3人の列は左右に広がった。
相手の隙間を縫うようにして、アトリはそのまま前進を続ける。
剣を抜いたその者たちは、アトリに向かって剣を振ってくる。
だがアトリはそれに応じない。
ここで相手の術中にはまる訳にはいかない。
二人の相手が剣を同時に振り抜くのであれば、自分はそれを受け流すだけ。
剣の柄を最大限の力で握り締め、剣を地面から立てるようにして構え、自身の体勢は極端に低く構えた。
低く構えることで胴体への攻撃を阻止する。その一瞬の判断が効いたのか、相手の二つの攻撃は馬にも身体にもいかず、剣に対してのみ強烈な衝撃を与えた。
この瞬間、アトリはこの3人を敵とみなした。
どこの敵かは分からないが、とにかく自分に対し攻撃を仕掛けてくるものと瞬時に認識した。
このまま高速で走り出すことも出来ただろうが、追いつかれた時には戦う必要がある。
それ以前に、自分を攻撃してきたということは、ここで逃せば後に脅威となる可能性だって十分にある。
明確な殺意をもとに行われた事であるのなら、それに対応することも兵士としては役目の一つ。
なので、アトリは馬を反転させ、道外れに止めさせた。
「………」
アトリの行動を見て、ほか三人の者たちも馬を手早く降りて、剣を構えながらアトリに近づいていく。
3対1の小さな戦場。だが戦場であることに変わりはない。
数のうえでは圧倒的に不利。
戦いにすらならない、かどうかは確かめてみなければならない。
だが。
戦いにすらならない、と言ったところで、この状態となったからには戦う以外に選択肢は無い。
「どこの者だ」
それでも確かめる必要はある、とアトリは自分で分かっていた。
普通すれ違い様に相手を襲うようなことを、普通の人間ならしないだろう。
だとすれば、この3人の格好も納得できる。
彼は自分で口を開いて、そう口にする。
「答える義理は無いな。俺たちにとって邪魔な存在はさっさと消すだけだ」
今の言葉を発したのは、3人のうちの一人。
アトリが敵とみなした人物の中で、聞こえてきた男性の声。
その声色は若く聞こえ、だが明確な殺意を持っていることがすぐに分かった。
これだけでも情報としては得られるものがある。
つまり、彼らにとって邪魔な存在である、ということで彼らの存在を絞り出すことが出来る。
先日の敵か、あるいは兵士たちの言う「奴ら」という存在か。
少なくともアトリという人間か、その背後に控える存在が邪魔のようだ。
「………」
「見たところ、まだ若いようだが王国はこんな若造も兵士に仕立て上げてるんだな。難儀なことだ」
「………」
「それに、身体を護る鎧さえほとんど装着しないとはな。お前のような若造が他にどのくらいいるかは知らんが…」
―――――目障りだ。さっさと消すぞ。
間違いない。
敵として認識するだけでなく、この男たちは俺という人間の背後にある存在を警戒し潰そうとしている。
その存在に対し明確な敵意を示している。
俺たち王国の兵士は、皆似たような鎧や剣を持っている。
今目の前にいるこの男たちと同じように。
だから、俺が王国の兵士であると認識し有無を言わさず攻撃を仕掛けてきた。
「………そういうことか」
冷静に頭の中で言葉を羅列させながらも、彼の心情はやや落ち着きを失くしていた。
敵意を晴らすためには相手に打ち勝たなければならない。
だとすれば、戦闘という行動に移さなければならない。
このような場所で戦いが起こるとは予想していなかったが、万が一のために備えることは重要。
その万が一の場面、戦いという方法をあえて開くことによって回避できるものだろうか。
この人たちと戦ったところで、誰も護ることが出来ない。
今の自分には明確な対象がいない。
強いて言うならば、この人たちが誰かを虐げているのだとすれば、その人たちのためになるというくらい。
それよりも。
今は自分を護るということを優先すべき。
そのために、ただ逃げるだけでは意味が無い。
だとすれば、やるべきことはただ一つ―――――!!
戦う人間。
『兵士』たちのうち、まず一人が急速に接近し剣を振り下ろしてきた。
アトリもその剣戟を見て対応できるように構える。
相手が高速で接近してくるのに対し、アトリは一歩も動かず構えるのみ。
お互いに前進する必要は無い。それに、あまり突進や積極攻撃は得意ではない。
あえてそのような状況をとる必要がある、ということ以外は基本的に「防御」だ。
彼はそれを有言実行する。
相手の一振り一振りを目で追いながら、力ある攻撃を受け流すようにして捉えていた。
敵の一振りにはかなりの力が込められている。
こちらも同様に剣に力を入れて振り返せば、どちらかの剣は必ず傷つく。
彼らは替えがいたとしても、彼には替えなど無い。
人もいなければ武器も一つしかない。
そのような状況で戦いを仕掛けても、何の勝ち目も無い。
だからこそ防御に徹した。
「はあっ…!!」
「………!」
右に、左に、上から下に、斜め上に。
あらゆる角度から剣戟が彼の胴体目がけて飛んでくる。
その攻撃は力強く、重く、そして早い。
ここまでの段階を踏むためにどれほど鍛錬を積み重ねただろうか。
隙を見せればこちらがやられてしまう。
油断など一瞬も出来なかった。
さらに言うならば、既に何十かの剣戟を受け流しているはずなのだが、速力、力量ともに衰えるところを見せない。
相手の兵士は気迫ある声をたまに出して攻撃を仕掛けてくるが、アトリは出来る限り声を出すことはせず、また大きな動きもしなかった。
自分が疲労して受け流すことさえ厳しい、という状況にならないようにするためである。
この戦い方は、前にクロエと子どもたちの前で見せた時のものと同じである。
防戦一方、と捉えられがちなのかもしれないが、それでもアトリは明確な目的を持って防戦をあえて選んでいる。
相手が攻撃をし続ければ、それによる疲労は確実に蓄積されていく。
そのタイミングが自分の疲労と相手と、どちらの方が早いかは、技量や経験にもよるのだろう。
そこまで判断し推測することは出来ない。
まだ戦闘が始まって2分と経過していないだろう。
そうこうしているうちに、残された二人が回り込んで自分の背後を取ろうとしている。
それを見たアトリは、自分の足で後退しながら剣戟をかわしていく。
防戦一方ですべて防ぎ切れているとはいえ、背後から攻撃されればそうもいかない。
理想は、自分の身体を中心点において、そこから180度の視野のみに相手を捉え続けること。
それは容易なことでは無い。しかし、アトリはそれをこなしている。
理由は意外にも簡単なこと。
一人を相手に3人が同時に攻撃をするというのは、兵士が持ち合わせている戦いにおける間合いが、彼らにとっては狭すぎるのだ。
真ん中の配置の兵士が剣を振っても、両端の兵士が剣を振っても隣にいる味方の動きを見ながら対応しなければならない。
大きく振りかぶれば、その分隣の人は離れるという動作をした後、攻撃を繰り出す必要がある。
離れる動作ともう一人が攻撃を仕掛けるタイミングが同じであれば、剣戟は三つ同時には向かって来ない。
それをアトリは知っていたために、3人を相手にしても防戦を維持することが出来ていた。
敵となる兵士たちが攻撃し続け、自分が防御し続ける。
その状態が長く続く。
この間、アトリは一度も攻撃を行っていない。
自分の持つ剣を信じながら、その剣戟を受け流し、かわし続ける。
流石に合計して百回以上も攻撃しながら一度も胴体に入ることのない戦い方をまずいと思ったのか、3人は一度間合いをあける。
「チッ…」
「………」
思うように攻撃が決まらない状況に苛立ち舌打ちをしたのは、敵の兵士たちの方であった。
アトリはその場で呼吸を大きく整え、再び剣を構える。
先程第一撃を受け流すために構えたものと、同じ構え。
剣の柄の部分はアトリの太ももに近い辺りに停滞している。そこから伸びる剣の長さは、頭までの背丈を越えている。
流石に刃の一部に刃こぼれを起こしている。剣戟を多々受けて傷一つ無い、というのも無理な話だ。
しかし、もしそうなったとしても対策はある。
だがそれはすべて、この戦いが終わった後でのこと。
次も同じように攻撃を仕掛けてくるだろう。
いや、そうでなくては困る。
「ハッ!若造が。精々防ぐのが限界か?」
「………」
そこで、彼は反発することも頷くことも無かった。
ただ、少しだけ目を細めてその言葉を聞き流すのみ。
「そんな戦い方しか出来ない己の不運を呪うが良い…!!」
相手の兵士の一人がそう吐き捨て、そして剣を強気に構え再び前進してくる。
全く剣戟が相手を捉えられないことに、苛立ちを隠せないのだろう。
無理もない。殺しにかかる相手にはたとえそれが子どもと言えど、全力を出す必要があることもある。
アトリも少ないとは言え、武装して鎧も装着しているのだから。
防御ばかりされて攻撃が入らないと、苛立つというのはアトリの中では少しだけ考えていることではあった。
むしろその「効果」は「副産物」に近い。
それらが作用した時、相手は痺れを切らして強気に攻撃を仕掛けてくる。
戦いの中でそれを弱点として見出し、次にはその弱点を確実に突く。
「うがぁっ…!?」
「あっ…!!」
その光景を見て、思わず味方である二人が驚きの声をあげたほどであった。
一人で猪突猛進したその男は、走りながら振りかぶってアトリに攻撃を繰り出した。
その行動自体は何の誤りでもない。
早い剣戟に力強い一打。
その男の強みでもあったかもしれない。
だがアトリがいつまでも防戦をしているか、と言えばそうとも限らない。
疲弊と苛立ち、この二つを見出した時、アトリはようやく一撃目を相手に加えた。
そしてその一撃目は相手の顔面、右頬から左目、左眉毛にかけて命中し、瞬間的に多量の出血を発生させる。
頬、鼻から瞼に至るまでハッキリと残る切り傷が生まれ、そこから溢れんばかりの血が道の上に流れて行く。傷の深さはかなり深く、そして切り傷は当然眼球までも巻き込んだ。
たった一撃で目を殺し、鼻を機能停止させる。
男は顔面への攻撃が相当痛手だったのか、苦しむ声を上げながら、片目だけで乱暴に剣を振り回した。距離感が全く掴めず、痛みも伴い完全に我を失っていた。
顔面を切り裂いた男の血がアトリの顔面にも少量だが掛かる。
姿勢を崩しながら、最早どこに振っているのかも分からない男の攻撃をかわすことなく、アトリは剣を振り下ろし、瞬時に絶命させた。
それからは、依然として数の不利はあったものの、アトリが優勢であった。
目の前で味方が斬殺された光景を見て動揺を隠せなかったのか、先程までの勢いは彼らにはもう無かった。
それをアトリ自身も感じ取り、ねらい目があまりに強烈すぎたと後に思うほど効果的であった。
攻撃は受け流し、隙を見つけて殺す。
アトリのやり方は残酷なものであっただろう。しかし戦う者として覚悟しなければならないことがある。
戦闘になれば、殺し殺されの関係。
生と死を分ける境目は一瞬にして訪れるかもしれない。
最後の一人が息を切らしながら、それでも攻撃を続けてくる。
アトリは一瞬だけ力を込めて相手の剣に当たり、それを弾く。敵兵士の剣は無情にも頭の上に高く飛んでいき、アトリの一撃は容易に相手の懐に入った。
それだけで致命傷である。大量出血を伴いその場に倒れた男のすぐそばに、天から降りてきた剣が虚しく音を立てて静止していく。
勝敗を付けるのであれば、アトリは勝ったと言える。
だがこの戦いにどれほどの意味を見出し得ただろうか。
確かに相手から仕掛けられたこの戦い。避けられなかった行為。
何もそのような経験は今回に限った話ではない。ただこの人たちが今まで見なかった集団、というだけで、戦闘というものはアトリは何度も経験している。
彼らが弱かったということは無く、だからといってアトリが優れていたか、と言うと自己評価はそうではない。
戦闘は終わってしまった。
この場で起きた戦いは、まだ死地にすら辿り着いていない。
奇襲と言う形で攻撃を受け、そしてアトリはそれを退けられた。
この人たちを斃すことで、誰かを救うことが出来たのだろうか。誰かを護ることが出来たのだろうか。
私利私欲で自分に攻撃してきた悪党の集団だったとしたら、今までその悪党が犯してきた悪事に対する報復だ、とすれば助けられた命もあるのだろうか。
このような戦いをこれからもしなければならないのか。
いや、今までもそういうことは少なからずあったはずだ。
その度に。
誰かの為にはなっている。
そう信じたいし、信じていきたい。
アトリは剣についた血液を振り払い、そして鞘に納める。
短い時間の戦いではあった。
彼はこの奇襲と言う戦いにも意味あるものに結び付けようとしていた。
自分の持つ信条にかけて。
1-12. 対峙




