4-11. 上士階級への参入
夜になった。
彼らがこの町に辿り着いてから、初めての夜を迎える。
町に着いてからは何かとドタバタすることもあったが、基地司令に話をつけて、
友人であるグラハムと再会してからは、借りた家でその時が来るまで落ち着いて生活をしていた。
旅の疲れが無いとは言えないために、グラハムが家を去った後、アトリは仮眠を取ることにした。
フォルテはフォルテで別の部屋で休んでいると言ったが、
アトリが寝ている間に一人で町内の店に行き、買い物をしていた。
「アトリは夜も長い。今は休息を取って正解です」と、彼女は彼に言った。
一人で買い物に付き合わせるのも申し訳ないと思っていたのだが、そこは彼女なりの配慮だった。
彼女も疲れているだろうに。
夜ご飯は二人で調理台を使い作り、そして二人で食べた。
家の中で生活をするということもあって、新鮮な雰囲気があった。
家はそれほど大きくないが、二人が生活するには十分すぎる大きさがある。
ここにいると、今までの野宿生活が遠いことのように思えてしまう。
ということは、ここでの仮宿を心の中では快く思っていることなのだろう。
夕食後は、居間で他愛のない話をしながら、そのときを待つ。
約束された時間は21時、場所もバーグマンとグラハムから聞いている。
グラハムが上士の参加する会合に出席するという事実が驚きではあったが、
彼はアルゴスの側近のような立場にいるという。
アルゴスにとって傍に置いておきたい人物の一人なのだろう。
理由は色々と考えられるが、彼と彼女の頭の中に思い浮かべる最も大きな理由は、
やはり魔力を有する人間というものである。
グラハムが既に魔術師の領域に達しているかは分からないが、少なくとも魔術を行使できる身体は出来上がっていると見て良いだろう。
今ウェールズに魔術師は殆どいない。
そう言う意味でも、その力を手に入れてしまった者を出来るだけ傍に置き、見て使いたいという考えはあるだろう。
グラハムは戦前国内の各地を転々とする生活もしていたし、戦闘経験がそう多くないとはいえ、兵士たちの中では強い部類に入る。
それが魔力を手に入れたのだから、他の兵士たちを引っ張るほどの力量を得ていると考えて良い。
そういった人物は戦いの中心となる。
これからのアトリがそうなるように。
「………よし、行こう」
「はい」
そうして、その時間がやって来る。
夜の20時半前。
二人は家の灯りを消し、戸締りをして家を離れる。
カークス町の郊外の中でも一番外側の区画に位置するこの家は、
町の中心部まで行くには少々時間が掛かる。
早めに出て会合場所へ向かうとした。
昼間は戦時下であってもそれなりの人の往来があったのだが、今は郊外にひと気は無い。
漆黒の闇が辺りを覆うようになってから、目立つ光というものは街道や通路脇に等間隔で置いてある松明くらいなものだ。
時折家の中にある明かりが見えることもあるが、皆恐らく夜間は静かに時を過ごしているのだろう。
夜の町が物騒だ、という経験は何度もある。
それは死地においても変わらぬ状況だ。
彼らが戦の中にある時、平穏で豊かな日常を送ることが出来ない間は、町の中もいつも以上に閑散とする傾向にある。
時にそれがゴーストタウンと化したかのように思ってしまうこともあった。
だが、家の中に入り静かに夜明けを待つ、という選択肢が間違っている訳では無い。
寧ろそうした方が良いというのもある。
危険に巻き込まれる可能性もあるし、いつ敵軍兵士が来るかも分からない。
いつでも逃げられる準備はしつつ、身体の休息を取る必要がある。
そんな緊迫した状況が続けば、兵士でなくとも民たちの心労が身も心も蝕んでいくことだろう。
尚更、早く解放しなければならない。
そのためには、まず会合に出て戦の行軍予定を見なければ。
家の前に辿り着く。
今日の目的は既に決まっている。
この扉より向こうの世界には、自分が見たことの無い人もいれば、懐かしむ者もいることだろう。
とにかくも「アトリ」という男がここに帰ってきたのだと、知らせるための儀式のようなもの。
必要とされているという実感はあまり分からないが、それが事実であることに変わりはないらしい。
求められるのならば行くし戦いもする。
それは今までも彼の行動すべてで物語っていたことだ。
だから、今回もそう特別なことではない。
そう思いながら、彼は会合場所となっている一軒家の扉を開ける。
「………」
厳粛とした空気。
肌にチリチリと突き刺さる針のよう。
それでいて、今までの自分が当たり前のように感じていた空気なのだと、実感するこの瞬間。
ああ、やはり自分にはこういうところが居場所となるのだと、どうしようもない世界の中で戦う手段の一つとして感じる。
元より人を救うために、人を活かすための剣となるとこの身に刻んだのだから。
中で待っていたのは7人の人間。
彼が家の中に入った時、何か話をしている姿が見られたので、もしかするとこの時間よりも前に来てあらかじめ何らかの話をしていたのかもしれない。
6名の男性、うち一人が子供。
もう一名は、よく知った顔の女性だった。
アトリの後ろにしっかりとした足取りで、フォルテがついていく。
扉を開けて短い廊下を過ぎれば、すぐに居間が見えてくる。
まるで円卓のように並ぶ上士たち。
いや、その一部は上士ではないかもしれないが、この際気にしない。
「ただいま戻りました」
第一声をあげたのは、アトリだった。
アトリとフォルテが家に入ってきたのを確認した上士たちは、会話を中断させた。
そして、全員からの視線を浴びる形となった。
向こうからの問いかけを待つ必要は無い。こちらにある目的を果たすために、先手を打つだけ。
アトリとフォルテが横並びになり、そしてアトリがそのように報告をした後すぐに――――――――――。
「アトリと行動を共にしてきた、フォルテと言います。今後も彼と共に生き、皆様のお力添えをしたく思うところであります。よろしくお願い致します」
――――――――――――と言った。
アトリの中ではあまり不安は無かったが、多少心配することはあった。
彼女は今まで外部で交友を作ったことが無かっただろうから、こうした厳格な雰囲気での会話や主張などに慣れていないのではないか、と。
慣れていないのは事実だったが、その言葉はアトリのみならず他の者たちを色々な意味で驚かせるものであった。
アトリから見れば、渾身の直球を相手に端的にぶつけたように見えた。
他の人たちから見れば、何よりまず「彼と共に生き」という強い信頼溢れる言葉に、どれほどの経緯がそのようなものとなったのだろうか、と思った。
フォルテの瞳が強く、逞しく、そして美しく存在する。
その姿、その眼を見て、多くの上士たちが頷いた。
彼女とはここで初めて会う人が大半だ。
アトリが女性を連れてここへ戻ってきたという話は、恐らく昼間のバーグマンの件で知れていただろう。
この場にバーグマンもいるのだから、そう見て良い。
恐らくアトリという少年を支える女性というのは、どういう人なのだろうかと思ったことだろう。
彼女は、その気持ちを読み取り返礼するかのように、自らを示した。
「………うん、アトリくんは、おかえりなさい、だな。そして、フォルテさんは初めまして。色々と聞きたいことはあるけども、取り敢えずは私たちも名乗ろう。その姿勢に対し相応の礼を以って貴方の来訪を受ける。私は………」
フォルテが言葉を言い終えた後、10秒ほどの空白の後、一人の男がそのように言葉を話し始めた。
アトリは知らない人だったが、彼はルイスという。
彼が北西部で戦闘をしている間、ルイスは北部方面部隊の指揮を務めていた。
似たような場所であらゆる境地を経験し、ここまで戻ってきた人だ。
ルイスを先頭に、他の人たちも自らの名前を明かす。
アルゴス、グラハム、バーグマン、オリバー、フェデラー、そしてクロエ。
一人は衛兵だが、この面々が今の王国正規軍を統率する役割にある者たちだ。
アルゴスとフェデラー、そしてバーグマンは他の者たちより歳を取った中年というくらい。
グラハムがこの中で最も若く、その次にオリバー、クロエ、ルイスと続く年齢だ。
「久しいなアトリ。もう会えないな、と思ったが」
そして、アトリを知る者の殆どは、そのように口にする。
彼が国内で死亡報告と同義の行方不明者扱いをされていた、ということは事実だ。
彼の存在を知り、彼の能力を知っていた者としては、人により絶望さえも感じるほど。
だが、そのように口にしたこの場のただ一人の女性、クロエは、
純粋に自らの弟子、師弟関係にあった頃の彼を思い出しながら、少しだけ嬉しそうに言葉を交わす。
師弟関係であるという二人の間柄は、衛兵以外全員が知っていることだ。
何しろ彼女は、アトリという存在を見抜き、見出し、そして導いてしまった一人なのだから。
各々が名乗った後、上士らによる彼女への質問が始まった。
アトリとフォルテは立ったまま、まるで何かの裁判でも受けているような気もするが、とにかくも質問を受ける。
バーグマンから、既にアトリがフォルテを傍に置きたい、という希望を皆は聞いている。
何故彼がフォルテを必要とするのか。その経緯からある程度の事を聞き出される。
まず、彼が助けられたこと。
瀕死であった彼を介抱し、何とか生き永らえさせることが出来たこと。
そして一ヶ月もの間、彼の身体が以前のそれに戻すために、力を貸したこと。
その結果、アトリがフォルテの存在を必要とし、彼女もまた彼の支えになりたいと信じた。
詳しく話すと本当に長くなるし、この場で話すことも出来ないものもある。
出来るだけ内容を理解しやすいように、彼女はこれまでの経緯を脚本して各々に伝えた。
何も自慢する訳でも無い。
ただ、彼女という存在がいなければ、間違いなくアトリは死んでいた。
その事実が彼にはあり、そして本当にあった出来事として運命を変える一人になろうとしている、ということを各々が理解する。
確かにそうだ。結果はどうあれ、彼はまだ生きている。
まだ戦い続けるための資本を失ってはいない。
アトリがそのような人間であるからこそ、フォルテという存在が隣り合わせで彼を成り立たせる。
歯の浮くような話にも聞こえるが、これはすべて事実だった。
「ほう。貴殿はアトリと肩を並べるほどの力がある、と」
だが、アトリという剣を成り立たせ、支えるというものは並大抵のことではない。
たとえ彼女がそれほどの覚悟があったとしても、気持ちだけでそれを成し得ることは不可能だろう。
アトリとは、死地において人々を窮地から救う絶対的な剣。
己を剣に賭して戦い、人命を救い続けてきた救世主のような存在だ。
少なからず、幾つもの死地でそのような評価を受けてきたことだろう。
だが、彼のそうした理想や行動は、すべて自らの理想に反する者を必要としてきたからこそ、成り立っていたものだ。
彼が正義を語るというのなら、正義を成り立たせるための悪が必要となる。
悪を排除するために正義を必要とする。
それが彼が今まで行ってきたこと。
曲がりなりにも人を救ってきた代償を、相手の命を奪うことで成立させてきたその道。
つまり、彼女がそれを支えるということは、必然的に彼女も戦場にいくということ。
バーグマンから兵士待遇としての扱いを提案された時から、もうそれは確定事項なのだ。
アルゴスが聞く。アトリの復帰の為に、自らも剣術修行を行った。
その腕は確かなものだと、アトリも言う。
「アトリに勝るとは思いませんが、劣るとも思いません」
アルゴスの問いには、そう答えた。
事実、彼女はアトリとの訓練で常に上を行っていた。
剣術の歴史は人それぞれだが、アトリとは経験の差が歴然だ。
彼は己が理想を叶えるために、人々の為と剣を取り続けてきた。
だが、彼女はそのような理想の為に剣を習ったのでも、身に着けたのでもない。
気まぐれと言えるものだったかもしれないし、単なる時間潰しということでもあった、かもしれない。
それでも、あの暗い子供時代に弓やら剣やらを触る時間が多かったのは、確かなことだ。
「………なるほど。お前が認める腕だというのだから、相当なのだろう」
「………」
今度、アルゴスはアトリの方を向いて俺に確認を問うように言葉を放つ。
それに対し彼は無言で頷き、それは確かなものだと伝える。
アトリは嘘をつくような人間ではないし、元々の父親からそのような人間性を教え込まれた訳でも無い。
こういうことは正直に、素直に答える節がある。
自分よりも強い存在がいれば、その存在を更に凌駕する力を身に着けたい。
彼女の剣戟はアトリのそれを上回るほどだと、彼は思っていた。
しかし、彼女から見れば一つ、たとえ剣術で肩を並べられたとしても、ある一つのものに関しては、自分よりも遥かに上を征くだろう、というものがあった。
この場で話すことが出来ない、ある一つの内なる要素については。
「要望は確かに受け取った。だが判断には少々時間を要する。それでも構わないな、フォルテ殿」
「はい。充分にご検討して頂ければと思います」
「分かった。これより先の話は、軍の上層部直属の者のみ交わされるものだ。まだ貴殿にはお話できない。今日のところは、ご退出願おう」
必要な情報を本人から入手することも出来た。
そしてアトリの傍で彼を支えたいと思う彼女の姿を見ることも出来た。
今宵はそれだけでも、目的の殆どを話せたといっても良いだろう。
話の締めはクロエが毅然とした態度で行い、フォルテに退出を求めた。
彼女が今後どのような立場になるのかは、上士たちで協議してから決定されることになる。
それまでは、まだクロエは兵士ではないし、兵士になったとしても上士と同じように肩を並べることは出来ないだろう。
アトリは会合に出席するよう言われているので残ることになるが、
フォルテにはこれ以上ここにいる理由が無い。
彼女は皆に深々と一礼して、玄関へと向かう。
「先に休んでいて構わない。ありがとう」
「いいえ。………それと、お帰りをお待ちしております」
と、彼女は少しの笑みを見せて、家から去っていく。
いつもの会合とは違った雰囲気がそれまでにはあったが、ようやくその時間が訪れる。
彼にとってはこれまでも、そしてこれからも本番といった意向だ。
しかし一方で、円卓に座る上士や衛兵は、ふーっと一息ついて背筋を伸ばす。
「事情は分かったよ、アトリ。しかしまぁ、あれだね………本当に大丈夫なのかい。あんな美人さんが剣を握るというのが、どうも私にぁ想像できなかったが」
「………っ」
先程までは、この場の空気も異なるものだった。
何しろ上士でもない、兵士でも無い彼女が自らを名乗って目的を話していたのだ。
上士と兵士でも無い人が面会をする、という機会も少ないというのに、態々このためだけに時間を作ってもらっていた。
招かれざる客という訳でも無かったが、重々しく張り詰めた空気は確かに感じられただろう。
だが、アトリが残された今その場の空気は、少し軽くなったようだ。
各々が背筋を伸ばしたり、一呼吸置いたり、と落ち着いて時間を過ごす。
一方で、アトリもようやく一息ついて、クロエの方を見る。
改めて会うのが久しく感じる。
その場の空気が変わり、彼も思わずホッと一息つく。
遠征のことも含めれば、一ヶ月という期間を超えての再会だ。
美人なのは否定しないが、彼女が剣を握り戦ったというのは事実だ。
口実だけなので真実と捉えられるかどうかは別だが、マホトラスに襲撃された際にも彼女は率先して戦った。
幾多の困難を乗り越えられるほどの力量もあるし、その覚悟もある。
それを評価してもらい、自らの傍に支えとして置けるのであれば、彼としても申し分ない。
これより先のことを充分に進められる。
「まぁ何にせよ少し時間はもらうからね。それくらいは我慢しな」
「ああ。分かっている」
アトリはクロエに指示され、指先で示された円卓の中に空いた椅子、そこに座る。
パトリックの家を出る時にはあまり考えていなかったことだ。
一兵士として再び戦場に戻り、マホトラスと戦いながら死地となった国内の国民を救えれば良いと思っていた。
国民が安心で安全な時間を過ごすためには、その時間を否定し脅かす者たちを排除しなければならない。
つまり、この戦争で巻き返し、あったはずのものを取り戻さなければならない。
しかし今、彼が座ったところは、間違いなく兵士たちを統率するために集められた者たちの席だ。
本来自分が座るはずのなかったところに、一人こうして追加する形で座っている。
複雑な心境ではあるが、それが求められていることなのだと理解すれば、それに応えようと思う気持ちは強い。
「さて、ではもう一つの本題に入ろう。まさかお前がここに現れるとは思っていなかったから、今日はクロエの報告を中心に部隊の編成を行おうと思っていたが………」
少しの休憩を挟んで、彼らは再び会合の議題を進める。
マホトラスが占領している王城を取り戻すための作戦。
今も多くの民たちが城下町で彼らに使役されていることだろう。
出来る限り早く解放しなければならない。
が、焦ればそれが失敗に繋がり取り返しのつかないことにもなり得る。
アルゴスの隣に座っていたフェデラーが、作戦案を記した用紙を彼に手渡し、
口頭で説明をしていく。
最終的な目的は、無論ウェールズ王城の奪還だ。
そのためには幾つもの障害を排除しなければならない。
まずは第一に戦闘が発生するであろうマホトラスとの境界線付近。
この町より北西側の天然の自然領域以外、敵は広範囲に監視の目を働かせているだろう。
ウェールズ王国軍が境界線を越えることになれば、必ず敵の伝令がそれを本隊に伝える。
だが、それはあくまで行くべき道を避けた場合のものだ。
このカークスという町から伸びる幾つかの街道のうち、王城への進路を征く大きな街道があり、境界線を越えた先の町に最も早く辿り着くものがある。
調査により判明したマホトラスの境界線警備隊と、その町との距離はごく僅か。
町の規模はそう大きいものではないが、マホトラスの兵士たちが駐留するには充分な大きさだろう。
今も町には民がいるのかもしれないが、部隊を駐留するためにどこへでも連行すれば空の町が出来上がるのだから。
ウェールズ王城に至るまでの考え方は、相手の戦力を削いでいずれ本隊と激突する形が基本であった。
まずは境界線付近、それもすぐ近くの町に駐留しているであろう部隊を強襲し、その町を橋頭保とする。
侵攻の知らせがマホトラスの中枢に行き、その先で戦闘が発生する。
基本的に全軍で行く手を阻む者たちを倒し、押し進めるというものだった。
「………」
全軍で押し進めることの利点は幾つかある。
フェデラーは境界線付近にある最も近い町には、それなりの兵員を揃えた部隊が駐留していることを、兵士たちの偵察で報告を受けたと説明する。
マホトラス側の防衛力は、その基本を主要街道を防衛するものだろう。
町の規模は小さく敵軍の本隊が駐留しているものとは考えにくい。
もしそれらを相手に初めから全軍で反撃するとすれば、はじめの町ではほぼ有利に戦闘を押し進めることが出来るだろう。
マホトラス軍は相手が攻めてきたと分かれば、それに応じて本隊を動かすはず。
この戦いにおける主導権は、既にウェールズ王国軍にあるとアトリは見ていた。
今までとは状況が逆転しており、立場も異なる。
これまでは広大な大地を防衛する必要があったが、今は違う。
マホトラスは領地を維持するために広大な占領地を防衛しなければならないが、
ウェールズはマホトラスの本隊さえ打ち崩すことが出来れば、一気に王城奪還まで駒を進められる。
問題はその点だった。
「恐らく、初戦はほぼ間違いなく勝つでしょう。最前線に本隊が駐留しているのなら話は別ですが、今までそのような報告を受けていないのであれば、恐らくは問題ないと思います」
「ほう………」
バーグマンやルイスらが、彼の言葉を聞いて少しばかり安心感を持った表情を浮かべる。
作戦立案に関わったのは、恐らくオリバーという衛兵を除くすべての人だとは思うが、アトリの言葉には何か確信めいたものがあるのか、それを聞いて落ち着きを得るようにも見えた。
彼に何かの確信がある訳では無いが、考えられる懸念は充分に言っておかなければならない。
「基本姿勢は分かりました。全軍で主要の街道を攻め、街道から城に至る町や村を解放する。ただ、懸念すべきは本隊の所在と、その中でも優れた技量を持つ敵兵士でしょう」
「………?」
アトリの放ったその言葉。
その真実を知るのは、今のところこの場には一人しかいない。
優れた兵士。
マホトラスも軍としての機能を充分に持ち、自治領地の自警団などとは比べ物にならないほど強力な兵士たちを用意している。
だが、そんなものでは到底届くことの無い者たちが、幾人かいる。
ウェールズをここまで敗北させ後退させ続けてきた、元凶とも言うべき存在。
それを直接的に言及することはしなかったが、間違いなくその幾人かが原因である、と彼は遠回しにそう告げたのだ。
戦争というものは、基本的に物資を供給できる状態とそれを充分に運用させられる指揮、そして兵員の数で大まかに構成され、それが基本となる。
戦いに必要となる武器や食糧が滞りなく営まれ、ようやく状態の基礎が揃う。
だが、アトリの危惧するその存在は、たとえそういった基本的なものが揃っていたとしても、平気で打ち破ることが出来るだろう。
そこまで彼が言及することは無かったが、真実あのような存在が外部に知れていたとすれば、もう勝ち目などどこにもなかっただろう。
それこそ、同じ存在には同じような存在でしか、干渉することさえ許されないのだから。
では、そうした相手を前にどのように立ち回るべきなのか。
恐らくそうした手合いの者たちは、多くは本隊に紛れ込んでいるだろう。
今のウェールズが一直線に城を目指せば、幾つかの戦いで勝利を収めることは出来るだろうが、本隊とぶつかれば勝ち目は一気に遠のいて行く。
そんな気がしてならない。
ただ単純にウェールズが防衛戦が苦手だ、という理由で負け続けていた訳では無い。
欠点を抱え、それに決して人の努力では届き得ない力が目の前に立ちはだかったからこそ、このような状況に追い込まれてしまったのだろう。
「考えはあります。しかし今はまだまとまっていない。明日までにお話できるようにしますから、少しだけ待って頂けないでしょうか」
アトリは、上士に対しそのようにお願いをした。
礼節を持って深々と頭を下げる。
本当はこのようなお願いごと、復帰したばかりの自分がするべきことではない。
だが、このままではいけない気がするのだ。
漠然とした不安は感じているし、それは誰にも共通して言えることだろう。
しかし、アトリが今感じているそれは、他の者たちの尺度とは異なるものだった。
それが自分の中でもある程度想像できるものであったからこそ、待ったをかけたのだ。
暗殺者ゼナ。
槍兵オーディル。
黒剣士ブレイズ。
恐らく、他にも。
こうした者たちが、必ずウェールズの行く手を阻むだろう。
最も単純かつ効果的な方法、直線的に攻め続け数と力で押す作戦。
だが、この作戦には彼らのような、常軌を逸した者たちのことが一切考慮されていない。
グラハムの話では、グラハムとアルゴスが人ならざる力を持った者だという。
マホトラスにそうした者たちがいるという話があるからこそ、本当であれば作戦もその者たちに沿って、対策として考えられるべきだ。
しかし、この世界でこの力を持つことは、強力な掟を抱えることを認めなければならない。
あのような力が平然と存在すると言えば、世が、兵士が、どのような混乱に陥るか分からない。
だが何一つ彼らに対しての策を打たない訳にもいかない。
そのためにアトリは、一日時間を貰って、必要なことを告げようと考えていたのだ。
結局会合は確認だけに終わり、
だがアトリという存在がこの町に戻ってきて、早速この会合に出席して中心たる人物になろうとしていることを、アルゴスとクロエを除く他の者たちが歓迎していた。
その二人に関しては、彼の生存と帰還に安心するという気持ちが強かっただろう。
無論、グラハムもそうなのだが。
「午後からなら、今日と同じように空けられると思う。その時に聞くよ。アトリの思惑とやらは」
「そんな大したものではないが………明日、よろしく頼む」
明日に引き延ばしたからには、
ある程度のことを詰めていかなければならないだろう。
それにどれほどの期待が乗せられているか、というのは今は置いておく。
必要とされているというのは理解できる。
が、今必要なことは、その選択が自分たちにとって良き未来の一つを描くかどうかなのだ。
このままではいけないという確信めいた漠然とした不安、この矛盾が解消されることは無いのかもしれない。
それでも、ただ万全の体制で挑むのではなく、それ以上のものを持って挑む必要がある。
その覚悟を持たなければならない。
とにかくも、まずは家に戻って彼らを納得させられるものを考え、伝えられるようにしよう。
グラハムと別れ、
少し夜の道を借りた家の方へ歩いていた、その時だった。
「おい。アトリ――――――――――」
っ………!
背後からの覚えのある声。
先程のそれとは少し声色が異なる、女性のもの。
呼び掛けられ、歩いていた彼は足を止め、半身で顔だけをその主に、正面を向ける。
自分に声をかけたその女性は、左手を自身の腰に、右手を身体の前で少しだけ広げ、
「少し、付き合わないか?」
と、かつての師がそう、呼び止めたのだ。
4-11. 上士階級への参入




