4-3. 必要なモノ
「………お前は………!!」
「………お久しぶりです。お噂はかねがね聞いております」
――――――――――――!!
彼女には分かる。
この相手がどのような人間なのか、一目で見てとれる。
だって、そうだろう。
今この身体は背筋が凍るような感覚を持っている。
まるで氷の山を服の中に入れられたような、悪寒がする。
だが、それを前にアトリは堂々たる姿勢を維持し続けている。
彼女の本能が告げていた。
この人間は、危ないと。
「まさか生きているとは思いませんでしたが、どういうカラクリでしょうか」
「まさか死んだと思われていた訳では無いだろうな?それとも、俺が生きていることは何か不都合かな」
にも関わらず。
この人はこんなにも強気でいる。
ただのうわごとでもなければ、恐怖を封じるために強がっている訳でも無い。
純粋に、この陰のような暗殺者に堂々と向き合っているのだ。
この時点で、既に彼女にも知れている。
今自分たちが相手にしているこの相手、暗殺者ゼナは“魔術師”だ。
魔力を持ち魔術を行使することのできる兵士。
そして何より自分たちと対峙することの意味は、彼女がマホトラスの人間であると分かる。
どうやらアトリはこの人と前に戦ったことがあるらしい、と彼女は瞬時に理解できた。
相手は魔術師。
それに対し、彼は堂々とその矢のような視線を下げない。
「ええ。お国によって貴方の存在は酷く邪魔のようです………と、聞きました」
「………ほう。何か含むところがあるように見えるが、ゼナ」
「あら、私の名前を知っていたのですか。これは嬉しいですね。では私も貴方をアトリと呼ぶことにしましょう」
名前が知られていることなど、百も承知だ。
ウェストノーズ辺りでは、既に自分を標的に攻撃してきた者もいる。
特定の誰かを殺すことで戦力を削ぐ。
そのような手段は奴らの常套手段だろう。
アトリがそう考えるように、
既にアトリという少年の名前は多くの兵士が知っている。
その細部まで知れている訳では無いが、ともかくウェールズにそういう兵士がいる、脅威であるから殺さなければならない、ということが伝わっているのだ。
現にこうして、彼女は暗がりから来襲し、暗殺を仕掛けた。
だが彼はその魔術師の攻撃もすぐに退けてしまった。
ゼナの二丁短剣は、確実に相手の急所を狙い殺すためのもの。
彼や彼女が持ち得る剣のように、剣戟を行うものではない。
「私に含むところと言いましたが、私自身はそれほど考えてはいません。今はただ、貴方の血を頂きたいだけですから」
「まるで吸血鬼のような言い草だな。お前は俺を殺したいし、それが国の為にもなる。一石二鳥をここで成し得るということか」
「物分かりが良いですね。それにしても………そちらの方は、どなたでしょう?」
―――――――――――――ただならぬ魔力量をお持ちのようですが。
そう一言付け加えて、彼女の存在を問うた。
アトリは前から思っていたことではあるが、フォルテはこの時に確信した。
このゼナという暗殺者は、恐らく魔術師と接敵するだけでその者の程度が分かる。
判別させられてしまうのだ。
故にゼナは彼女に、魔力量のことを言った。
彼女が内包する魔力量が尋常でないというのは、アトリにも分かることだ。
それを姿かたちが見られただけで正確に察するのだから、相手もそれなりの術者とみて良いだろう。
「何者かは知らないが、我らが路を塞ぐというのなら相応の覚悟をしてもらおう」
と、彼女も彼女で気迫の籠ったハッキリとした殺意をゼナに向けていた。
それを見聞きしたゼナは、思わずにやりと口を歪ませる。
何がおかしいのか、と彼女が聞き返すとよりいっそうゼナの口が歪んだ。
人の笑みとは思えないほど、狂気なものに満ちているように。
いや、狂気でありながら、まるで目の前の女の強き姿を見て悦ぶかのように。
「なるほど。こんなところにもいたのですね。魔術師被りの剣士とやらが」
「な――――――――に?」
「間違ったことは何も言っていません。くだらない力を手に入れて良い気になる。自分の器がそれほど広きものでないと薄ら思いながら、己の為に剣を取る。魔術師などという法外な存在がいるから、自らを驕るのです。私と同じようにね?」
魔術師などという法外な存在となるから、自らを驕るようになる。
魔力などというくだらない力を手に入れるから、途方もない戦いに身を投じることになる。
そのようなものを知らなければ、何も苦労することは無かっただろう。
確かに彼女の言い分はよく伝わる。
だがそのように言われたところで、もうこの道を無かったことにする、やり直すなど出来やしない。
それに、これは彼女の挑発、煽りであることは明白だ。
相手がどれほどフォルテの力量を推察しているかは分からないが、フォルテからすればそれほどまでに剣を取って欲しいのであれば、容赦なく斬り棄てるまでだった。
ゼナの口が歪み、フォルテの足が一歩前へ行く。
剣を持ちながら、柄を握るその拳が力強くなるのを自分でも感じて、目の前の陰のような暗殺者に言う。
「ほう。陰でコソコソと狙うしか能のない暗殺者風情に言われたか。なら受けてみるか―――――――――」
刹那。
それは、まさに風のように訪れた。
「いい、フォルテ。それ以上奴に関われば乗せられるだけだ」
「っ………」
気付けば、暗殺者は飛び退いて太い木の幹に上っていた。
瞬間的にその時は訪れたのだ。
彼女と彼女、フォルテとゼナが言い合いをしているその最中、フォルテの言葉を遮るように、アトリは身を奔らせたのだ。
飛び出すと同時に振るわれたその剣戟は、剣の有効射程を見間違うほどの広いものに見えた。
ただ見えただけで実際は剣は伸びていない。
一連の動作はあまりにも素早く、その刹那ゼナの顔が真顔になるほどの驚愕の速度であった。
フォルテは自らに喝を入れる。
このような意味のない戯言に付き合わされた、己の未熟さに腹が立つ。
冷静で居続けるアトリに比べ、自分は相手に乗せられようとしていた。
それをアトリが無理やり引き離したのだ。
彼女は冷静さを取り戻すと同時に、頭に上りかけた熱を意図的に鎮める。
「中々強引ですね。せっかく女性同士のお話だったのに、その必要も無いということですか」
「返そうか。それこそ“くだらない”話だ」
その瞬間。
その場の空気が凍り付くほどに縛れたものであると、誰もが感じ取った。
陰を纏うかのような暗殺者は、その光さえも嫌い木の幹に上がったかのよう。
周りの空気はここが光が照らされるべきでないと、光に訴えるようだった。
ともかくこの空気の中では、光というものが邪魔に思えた。
そう思えたのは、恐らく暗殺者ただ独りだろう。
もはや語るべきことなどない――――――――――――――。
アトリは二度目の対峙となるゼナに対し、そう言い下したのだ。
お前は俺たちの敵、お前にとって俺たちは敵。
敵であるのなら、語るべき何ものもない。
もとより兵士が敵と対峙する時は、そんなことしか出来ないのだから。
「………」
その時は訪れた。
敵であるのなら戦うしかないし、戦いでしか証明できないというのは散々感じてきたことだ。
今回とて例外ではない。
それがたとえ、魔術師を相手にしたとしても――――――――――――。
「………!!」
気配なく、再び陰を纏う女性が彼の懐を狙い攻撃してきた。
それはこの空間に来たはじめの焼き直しのようにも思われた。
その時と全く同じような攻撃。
最早見極めるまでも無い、とアトリが剣を出してその暗殺剣に対処する。
一の振り下ろされる斬撃は、一の剣で捉える迎撃によって弾かれる。
だが、焼き直しかと思われたその攻撃は、異なる展開を見せた。
二本の短剣がお互いに弧を描きながらアトリの身体を引き裂こうとした。
一本だけならただの線にしか見えないが、それが二本重なったところで剣と同じような間合いを持つ。
そんな風にも思われたその剣を、彼は何のためらいもなく受け流す。
しかし。
「んっ………!」
アトリの反撃となるはずの剣戟は、大振りで躱された。
陰が身を纏って、まるで陰そのものが短剣の刃であると言わんばかりの攻撃を仕掛けてきた。
それを躱して相手が二撃目を放つ前に、それを討つ。
彼はそのつもりで自らの剣を振るったのだが、剣は空を斬っていた。
―――――――――――既に、標的は目の前から消えている。
その瞬間アトリは表情を歪ませながら、地面を蹴り出した。
彼にはその一瞬が見えていなかったが、少しばかり離れた彼女にはその様子が見えた。
「なんだと………」
「木々を高速で飛び回って攪乱しているのか………アトリ!」
フォルテも動き始める。
当然彼女もこの動きの標的となるだろう。
陰は薄暗い中で、木々を飛び回るようにして立ち回っている。
しかも高速で。
その一部はしっかり見ていないと位置を見失うほどのものだった。
「暗殺者が、奇襲しか出来ないとお思いですか?」
「………!」
物体は高速で移動を続けながら、冷静かつ冷酷に言葉をかけてくる。
何故だろうその声が耳奥まで響き渡るような違和感を叩き付けられている。
アトリは位置を変えながら、何とかその陰を追い続けようとした。
右に飛ぶ、左に返る。上にあがったかと思えば、下からまた右に飛んでいる。
まるで残像を追っているようだった。
正確に相手に一撃を食らわせたいところなのだが、相手が動き回るものだから照準が定まらない。
それどころか、相手がいつ攻撃に転ずるかも分からない。
彼はその時気付いた。
この場の空気が淀んでいて、重々しく感じる理由。
自分たちがこの木々を避けずに、明確ではない何かの脅威を感じた事実。
「もしそうお思いでしたら、今すぐに訂正して下さい」
――――――――――――――それが貴方たちの認識の甘さです。
暗殺者とは、気配を隠して相手に奇襲をかけるもの。
故に、暗殺とは一撃必殺で、なおかつ離脱を含むものでなくてはならない。
だが彼は気付いたのだ。
ゼナという暗殺者は、はじめから暗殺を目的としてはいなかった。
木々に張り巡らされるように感じられた淀んだ空気、重々しい実態のないそれは、
彼女から発せられた魔力の残滓によるものだった。
魔術師は魔術師を感知できるというが、アトリの感じられたそれはもはや脅威が潜んでいるとしか思えないものであった。
残滓というレベルのもので、もしかしたらフォルテには薄ら感じられなかったものかもしれない。
だが、アトリはこの木々の間に明確な何かを感じ取った為に、この間合いに入った。
“暗殺者は奇襲しか出来ない―――――――――――。”
そんなものは、この場において等しく感じていた、ただの暗殺者に対する考え方だ。
気付いた時には、既に手遅れ。
彼女は、暗殺者でもあり魔術師でもある。
この空間は、彼女の縄張りのようで、どこへ行っても彼女の間合いの中だったのだ。
「っ………!」
短剣が飛んでくる。
相手の懐を、頭を、首を一撃で取るであろう本来の剣が投げ捨てられる。
だがそれは確実に目的あってのことで、無駄に使われた短剣ではない。
アトリとフォルテは、移動しながら短剣を投擲してくるそれを回避することに専念した。
とても今の状態で自らの剣が当たるとは思えない。
まして、この広い空間は既にゼナの間合いの中なのだ。
間合いを外れるには、この木々から脱出しなければならない。
だがこの間合いから離れるためには、あと数分は走らなければならない。
それこそ無駄な行動と言えるだろう。
逃げるために走れば、木々を飛び回る猿じみたこの女性は、走る自分たちに攻撃を浴びせてくるはずだ。
アトリは、飛んでくる剣を転びながらよける。
自分が転びながら避けた地面に短剣が幾つも突き刺さり、鈍い音を鳴らす。
ブスッブスッと。
地面を抉るだけの小さな音が、何重にも聞こえた。
このままでは埒が明かない――――――――――――。
そんな時。
彼は剣が投擲され地面に接触する直後に、木々を見上げる。
「………!!」
近かった。
分かる、間違いなく分かる。
ある程度の距離を離してしまえば、投擲による攻撃からは避けられるだろう。
何故なら、木々の上を移動し続けるゼナにとって、自分たちはもう袋の鼠だ。
しかし、だからといってこの間合いがすべて開けている訳では無い。
木々が沢山あるということは、地上で動き回っている自分たちとの間には、少なからず障害物があるのだ。
彼にはそれが見えていた。
故に、投擲する瞬間彼女は必ず自分たちの近くにいる。
「――――――――――――――――」
短剣が投擲される。
剣が幾つあるかなど、今は気にする必要は無い。
その剣を躱すことだけが今の目的だ。
アトリは横に転倒し転がりながら、その剣を躱す。
体勢は崩れた。
投擲したのなら、相手はすぐ近くにいるはずだ。
―――――――――――次が投擲か、あるいはもう一方か。
それを見極めるのは、ほんの一瞬。
投擲直後の相手の陰が、自分とどの位置にいるかを、把握できれば良い。
もとよりこの空間は魔力の残滓が漂っている。
陰で気配を消しているとはいえ、その不気味なまでの様子は痛いほど伝わって来る。
ならば、取るべき行動は自ずと見えてくるし、直感も働く。
次を見極める。
最早それは、直感というレベルを超えた分析、未来予知に近いものだった。
「なっ………!!」
「っ………!?」
「………」
フォルテは思わずその場で声を上げる。
もう一人の女性は、陰と共に声そのものを失くしたようだ。
そして、残された男一人は、既にその動作を終えていた。
「………がっ……、んんっ………!!」
あれほどうるさく飛び回っていた者の音が、消えて無くなっている。
心の中を突き刺し続けていた不気味な感覚も、明らかに弱くなっている。
空気の淀みが解消され、自然なままの姿が周りに映し出されるようだった。
勝負は一瞬で決着がついた。
陰は陰のように消えたのではなく、陰はその姿を地面の上に晒したのだ。
「あっ………ん、こ………こん、なっ………」
「………終わった」
そして一言、彼は呟いた。
芝生ではなく道の上に倒れ込んだ、陰ならざる実体を前にして。
「な、ぜ………っ、何故私、を………」
「実に単純なことだ。あれだけ動き回っていながら、剣の投擲時には接近するしかなかった。短剣には限りがある。幾らでも持ち合わせている訳では無い。だからお前は、確実に命中させるように見せかけ、接近してから短剣を投擲する。だがそれはあくまで建前。本当の狙いは、短剣の投擲を避けたところへ突進して、その懐を貫くことだ。これだけ広い間合いを持っていながら、お前は結局短剣が有効となる射程圏内でしか戦えなかった。動きを見破れば、こちらの剣の間合いの方が速度も広さも上回る。それがお前の敗因だ」
「………!!」
その解説とも呼べる彼の言葉の数々を、最も驚いたのはゼナではなく、フォルテだった。
彼女はこの戦いにおいて、この間合いがすべてゼナという女性が持ち得るものであることを理解した。
そのうえで、自分たちの攻撃が通用しないのであれば、とにかくも防戦に徹して相手の投擲が無くなる瞬間を待つつもりでいた。
反撃は、それからでいい、と。
だがアトリの考えはフォルテのそれとは違った。
彼は戦いながらすぐに状況を組み立てて、もっとも最善とも取れる方法を実行したのだ。
アトリには、木々の上で飛び回る陰の姿が見えずとも、接近されて投擲する陰の姿、そして懐に飛び込んでくる彼女の実体が鮮明に見えていた。
普通、短剣を躱した瞬間は体勢が崩れやすいか、崩れているものだ。
アトリはそこを狙ってくるだろうことを予想し、あえてその状況に乗っていたのだ。
躱す反応、立ち上がる姿勢、投擲を迎え入れる構え。
すべての構図を推測で汲み取り、相手の行動を読み取ってしまった。
その結果、フォルテは“未来予知でもしたのだろうか”と疑問に思うくらい早く、彼は対応出来たのだ。
いかが気配を消しているとはいえ、魔力の残滓が残るこの空間で実体が動き続ければ、その動きが分からない訳では無い。
まして、ゼナはアトリを討つために接近せざるを得ない。
それは、自らの敷いた魔力の残滓を荒らし、その方向をアトリにみすみす知らせていたようなものだったのだ。
「さて、もう語ることは何もない。勝負は決まったんだ」
「………は、はは………ハハハハッ………!!」
口から血を吐き出し、地面から起き上がれないゼナ。
女性という身体では致命的な傷を負ってしまったのだろう。
陰の飛び込み、暗殺剣に対して、彼は彼女の前身を斜めに斬り上げるように、剣戟を入れた。
その結果、彼女は左の腰付近から胸を通して、左肩近くまでサクッと斬られてしまったのだ。
出血多量、吐血。
著しく拡散する魔力は、この空間を正常に浄化させる一方で、主の命を確実に削っていく。
もはや誰がどう見てもどうしようもない身体を見るアトリの目は変わらない。
それはそうだろう。
これがアトリのすべきことだし、攻撃された故の対処だったのだから。
だがそれでも、ゼナは地を震わせる不気味な笑みを浮かべながら、片膝のみ立ち上がる。
「素晴らしい、です、ね………貴方のその才は、もう人間のそれを逸している………!貴方ほどの、腕をお持ちなら、何も得る必要は、ないでしょう………ね!」
「それは違う。何も得られなかったからこそ、得るために必要な力を手に入れた。まだ何も得てはいないし、これから先は長い」
「………!!」
その時、不気味な笑いは引きつりもせず、ただ恐怖のそれと変わっていく。
暗殺者に似合わない表情と言えばそうなるのだろう。
何故なら初めから会話する意味を持たないこの二人にとって、勝敗が決まった後の清算をしなくてはならなかったからだ。
はじめての対峙。
ウェールズの兵士に紛れて寝込みを襲おうとしたこの女性の判断は、正しい。
そして今回も自分の有利な空間を作り出して襲撃したのも、正しい。
だがそれが一歩、この女性には及ばなかっただけのこと。
相手は魔術師であり、マホトラスの人間。
彼から見れば、この戦争を終わらせるためにマホトラスの兵士を倒すのは、常套手段だった。
寧ろそのために剣を取っているとも言える。
今まで多くの人間に存在していたはずの時間を奪った、張本人。
その彼らを、アトリが赦すはずがない――――――――――――――。
「っ………!!」
「………」
アトリが、倒れて動かない女性の首を狙って、その剣を振ろうとする。
既に勝敗は喫している。
放っておいても死ぬかもしれないこの女性の身体だが、アトリは念入りにトドメを刺すことにした。
その方が後々の為になるだろう。
マホトラスに魔術師が何人いるかは分からないが、
そのうちの一人でも自らの手で葬っておけば、後々苦しまずに済むことだろう。
「………」
「アトリ!!」
だが、それは防がれた。
そう簡単に死ぬことは許されないという、女性の気迫だったのか。
確実に意識が遠のいているだろう中、彼女は恐らくは忍ばせていたであろう煙玉を炸裂させ、
辺り一面を煙で覆った。
煙が視界を奪った瞬間に、彼は即座に剣を振り下ろしたが、もうその姿はどこにも無かった。
暗殺者ゼナは、敗れた。
その事実に変わりはない。
戦いに勝利したアトリではあったが、その身を討つことが出来なかった。
仕留めそこなうというのが、勝敗という結末を除いて後味の悪い結果であった。
それは、アトリに限らずフォルテにも感じられた。
出来ることなら仕留めておいた方が良い相手だった。
あれほどの重傷を負いながら、煙の中で逃げ切れるほどの足を持っている。
気配も遮断されてしまっては、もう後を追うことは出来ないだろう。
「………はぁ。ありがとう、フォルテ。君の剣のおかげだ」
そう言うと、アトリは肩の荷を下ろしたかのように、気を緩くした。
張り詰めていた空気が去っていく。
決して広くはないこの木々は、既に自然のありのままの姿を取り戻していた。
アトリは彼女に使った剣を渡すと、彼女はそれを受け取って魔力を拡散させ消滅させた。
元々彼女が現実世界に具現化させる物々は、耐久度はあっても長時間使えるものではない。
彼女自身が持っていた剣も消滅させ、彼女も一呼吸する。
「すみません。何もできず」
「いや。背後に頼れる人がいるから、後ろを心配せず戦える。それだけでもありがたい」
「………は、はい。ありがとう、ございます」
そう言われてしまうと、それ以上に返す言葉が無くなってしまう。
彼は振り返らなかったが、フォルテは少しばかり赤面しながらそう言った。
アトリがこの時に思っていることは紛れもなく事実だった。
彼は既にフォルテの力量を知っている。
力も身体も、その在り方も分かっている。
ただ彼女はまだ場数を踏んでいないために、戸惑うこともあるだろう。
それに対しての不安はあるが、こと力量やら技量やらについては、特に気にすることもない。
今まで多くの場所で一人で戦い続けてきたそれに比べれば、今の環境は彼にとって、遥かに好ましい。
「行こう。まだ先は長い」
「はい」
二人は、再びカークスへの道を進める。
幾多の困難が立ちはだかったが、その日の晩にはマホトラスの支配領域を抜けるのだ。
………。
2017/1/01
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
さて、この小説も新年までに新章(第四章)に入ることが出来ました。
(第三章の執筆期間が長すぎましたね………)
これからは、出来るだけ更新のペースを早くしていこうと考えています。
ダラダラ長引くよりパッと進んだ方が良いってこともありますし!………なんて保障のない話ばかりですが、
今後ともぜひこの小説をよろしくお願いします。
作者より




