1-10. 死地への派遣
まだ分からないこともある。
この先どうなるか。何が待ち受けているか。どのように対処すべきか。
だが事前に考えることは出来たし、そのための準備もイメージ出来ている。
今回は少し長い距離になる。
あの丘陵地帯を越えるまでの道は、自治領地はあるが最短ルートからは外れる。
仕方ないが、野宿ということでいこう。
アトリは自室に戻り、暗い部屋に明かりを灯すことなく、そのまま床に入る。
図書館で王女たるエレーナに会ったのは意外だったが、彼女は自由を満喫する、と言いながらさらに奥の部屋に行った。
恐らく読書でもするのだろう。この時間から。
誰の影響を受けたのかは知らないが…まぁよし。
と、心の中で言葉を呟く。
夜が明ければ、再び兵士としての一日が始まる。
最低限の準備はしておいた。
後は武器を新たにもらい、手入れして…早めに出発しよう。
昼過ぎには出ると良いか。
夕刻を待っても良いが、早ければ早いほど相手に対応が出来る。
―――――ちょっと余裕無さそうに見えたから、つい、ね?
余裕、か。
確かにそのようなものは無い。
これから行くのは紛れもなく戦場。
死地と呼ばれることになる、飽くなき戦いの惨状。
その果てに、今度は何を見ることになるのか。
今は、とにかく寝よう。
この身体、もう一日ほどは寝ていないはず。
そうして、彼は目を閉じ決して深くない眠りの中に落ちていく。
明日のことを考えながら、頭の中に残しながら。
―――――君は、何故兵士になろうと思ったのだ。
これは、今ある現実の光景ではない。
現実に存在していた者たちの、昔の姿。
記憶の断片として時間が記憶している。
人だけでなく、時間もまたその時々を覚えている。
それを見ている。
―――――兵士になるとはどういうことか、分かっているのか?
そう。
兵士とは国の為に尽くす「道具」。
国や民、あらゆるものを護るために存在する道具だ。
戦いなんてものが無ければ、このような存在は要らないし、言葉も不必要。
だが、現実に戦いは避けられないし、争いは必ず起こる。
人々が与り知らぬところで、今もなお争いによって人々は苦しめられている。
本来あるべき時間を永遠に失われることだってあるのだ。
それは酷い話だ。
人として存在し続けた価値も、時間も、すべてが否定される。
たった一度。
人を殺すという行為だけで。
だが。
その少年がその道を歩こうとしているのは、その立場につくということ。
それを選べば、もう後戻りは出来ない。
兵士になるという選定をしなければ、平穏な日常を送れたのかもしれない。
少なくとも、そう思う人たちは数多くいたはずだ。
だが、それでも。
その少年は、兵士になる選定を変えなかった。
「この手で、護れるものがあるのなら」
………。
既に朝を迎えていた。
部屋に入るわずかな光の入口の向こう、石壁を越えて向こう側の外の世界から、小鳥の囀りが聞こえてくる。
ゆっくりと目を開け周りの音に反応すると、次に彼は身体を起こして部屋全体を見渡した。
相変わらず殺風景な部屋だが、それでも朝はきちんと来ているようだ。
昔の時間に戻った訳ではない。
恐らく、夢の一部なのだろう。
久しくあの姿を目で見たかもしれない。
記憶の中では今も生き続けている。
だが、現実そのものとしては…。
アトリは立てかけておいた剣を鞘から抜き、それを眺める。
既に刃こぼれが激しく、この様子だとそのまま廃棄となるだろう。
もとより剣とは長持ちしないもの。人を斬ればその脂で切れ味も鈍くなる。
まして、相手が鎧を着ているのであれば、傷つくのも当然だ。
出発する前に、鍛冶職人のところへ寄って新しい剣をもらわなければ。
と、その時だった。
―――――アトリさん、起きていますか?朝食の時間過ぎています。
え?
と、思わず声を出し反応してしまったアトリ。
扉の奥から女性の声が聞こえてきている。
その声はよく聞くと、毎度アトリの部屋を掃除してくれる召使の声だった。
それが分かるまでに十数秒程度必要とした。
掃除をする時部屋にいれば、彼女は確かに自分に声をかけてくる。
だがそうではなく、彼女は朝食の時間、と言った。
…ということは。
「おはようございますっ。珍しいですね、今日は遅くて」
彼は机の上に置いてあった、小さな時計を手にする。
細かい鎖を繋いで持ち運びが出来る優れものだが、後にその時計は懐中時計と呼ばれることになる。王国からの貸出物の一つだ。
時計の針は8と9の間。
長針は8の字を示していた。
「…すまない、少しばかり寝坊したようだ」
流石に身体の疲れがいつも通りの起床を許さなかったのだろうか。
無理もない。一日以上眠っていなかったのだから。
そして夜が明け朝がやって来て、今となる。
これから準備してこの城を出発しなければならない。
昼過ぎには出るつもりであったから、それまでに一通りのことは済ませておかなければ。
そう思い、まだ鈍い頭を回転させようと、頭を一度ぽん、と叩く。
「良かったら、私ご飯お持ちしましょうか?」
「い、いやそれは悪い」
「大丈夫です。私、まだお仕事入ってないので。それに、アトリさんは身支度も色々済ませなきゃいけませんよね?」
確かにそうではあるが。
そこまで召使にしてもらう理由はない。
彼女にはいつも部屋の掃除などで世話になっている。
いや、世話になりっぱなしなのだ。
何一つこちらからしてあげられることがない。
だがそれでも身支度を整えるというのも必要なことであったし、どうやら食事を済ませたであろう目の前の彼女は、善意のもと彼に話しかけている。
そこまでしてもらう理由は無いが、断る理由も無かった。
「分かった。では頼む」
「はい!すぐにお持ちしますね」
だが、恐らく気を利かせたのだろうが、それは俺が兵士だからなのだろう。
アトリは心の中でそう呟きながら、とにかく服装を部屋用のものから、
いつものものに替える。
鎧の下は出来るだけ動きやすい服装を選ぶ。そこにセンスは関係ない。
武装した時に着る鎧は、彼の場合はごく一部のみ。
身体の部位を護るためだけのもので、兵士の中には全身を鎧で防護する者もいるが、アトリの戦い方はそれを好まなかった。
逆に言えば、鎧の無い部分は彼にとっての弱点ともなり、危険度も増す。
着替え終わったタイミングで、再び召使の者が扉をノックしてきて、彼もそれに答えて中へと入れる。
美味しそうな見た目の料理が並んでいる。
朝食にしては多いくらいだ。
「そうだ。また俺はこの部屋を空ける。その間、留守を頼まれたい」
彼は食事をしながら、食事後の食器回収を待つ彼女に向けてそう言った。
彼女は驚いたような表情を見せながら、それが確かなものなのかと確認するように疑問を投げかけた。
流石に彼も昨日の夜に決まったことなので、他の人にその行動を言うような時間は無かったし、エレーナ王女以外会わなかった。
知らせることも無かったのだろうが、いつも世話になっている相手として礼儀は示しておきたかった。
すると、彼女が少し気を落としたのか、俯く。
「かしこまりました…留守はお任せ下さい。今度はどのぐらいかかるのですか」
「…そうだな、恐らく1~2週間といったところだろう。少し長くはなる」
「…そうですか…」
そのくらいの時間かかるとみて良いだろう。
もっとも、その期間にどのようなことになるのか、この身も分かったものではない。いずれにしても、戦いは避けられないとみている。
だとすれば、自分の身を守ることも、相手を護ることもしていく必要がある。
好ましい状況ではない。
ん………?
彼女は純粋に心配していたのだ。
自分の目の前にいる兵士が死地へ出向き戦いをすることを。
つい昨日帰って来て、また少しの間は城やその周辺で仕事をしているだろうと彼女は考えていた。
しかし現実は違った。休息の日など与えられない。
彼は呼ばれれば死地へと出向く。それが彼の任務。
たとえそれが自分の身体が充分に休まらなかったとしても、呼ばれたからには行く。彼はそのような人間だ。
エレーナ王女の言う他人指向が働き、自分の行動を左右させている。
ただの召使とは思っていないにせよ、彼女のその眼は相手がただの兵士だから、というようなものとは到底思えなかった。
「俺が戻って来ても、いつも通りの部屋にしておいて欲しいな」
「え…?」
「いつも通り、貴方に任せる」
あまり気の利いたことは言えなかったが、そのアトリの言葉は確かに彼女の笑顔を生むことが出来た。
アトリは人に優しい。親しみやすい。そういった評価は召使たちの間では知れている。召使たちの詰まる世間話と言えば、自分たちが相手をする兵士たちの人間性やその姿、立ち振る舞いなどを見て、話のネタにすることであった。
それは決して悪い意味ばかりではない。
彼はそのようなことを彼女に言ったが、それは彼の素直な一面であっただろう。
彼女もそう思うことが出来た。
だからこそ、彼に対し「任せて下さい!」と元気よく返事が出来た。
単純にその答えが嬉しかったから。
そして、また戻ってくるだろうと祈りながら。
朝食を手早く済ませ召使に食器を回収してもらった後、アトリは自室の中で武装を施す。
武装、とは言っても剣はこれから城内のあるところへ受け取りに行く。
昨日、上士のアルゴスから正式に許可をもらってのことだ。
城の一階から城下町の反対側、馬小屋のある方に続く道を通った先のフロアに、アトリの求めている場所がある。
二つの空間があり、一つは室内でもう一つは屋外。屋根の無い作業場と城壁に護られた作業場、二種類がある。
そこが兵士たちにとって大切な場所、工房であった。
この工房では、主に武器となるものを毎日作り出している。
兵士たちにとって武器とは必需品。ましてアトリのように死地へと赴く者たちにとっては、頻繁に利用するものだ。
屋内の工房、それも壁際に沿って鞘から抜かれた抜き身の剣が大量に立てかけてある。多くは同じような形で、模様も似たり寄ったり。
恐らく大量生産するための型が既に存在しているのであろう。
一部の剣は形状が異なったり、大きさや長さが異なるものもある。
さらには剣以外のもの、弓や盾なども置いてある。
「おはようございます。レイモンさん」
「…アトリか。何用だ」
今日は外の天気も良い。
日差しも強く地面に照り付けている。
アトリは工房の室内から室外に抜け、朝から武器の手入れをしているレイモンと呼ばれる男のもとに来た。
『レイモン』
この道一筋数十年…というような成り行きの人で、鍛冶や武具の手入れに関してはとても長い経歴を持つ人物。
兵士たちの扱う剣や弓などは、殆どがレイモンの手によって生み出されている。
無論彼だけではないがそう言っても過言ではない。
もっとも、皆が使うのは剣と防具や盾などで、弓やそれ以外の武器などは使われないことがほとんどだが。
武器に限らず、煙幕玉など小物類も作っている。
レイモンの作るものはいずれも戦争において役立つ道具ばかりだ。
それ故にアトリのように、こうして彼のもとを訪れる人も多い。
「新しい剣をもらいに来ました。アルゴス隊長からの許可は得ています」
「…そうか」
レイモンは寡黙な男である。
それはアトリだけが思うことではなく、王国の兵士たちにとって共通の認識であった。コミュニケーションという言葉すら感じさせないほど。
いや、あるいは不必要な会話など要らないと考えているのではないだろうか。
そう思われるほどである。
だがやることに対しては忠実な男であるという評価もある。
話しかけにくいし雰囲気も悪いと言えば悪いのだが、それでも剣を作り続けているし、兵士たちを思って渡し続けている。
彼の剣や防具は、一般向けにも販売されている。この国に訪れる者がこの国の名のもとに統治された場所に住むものばかりではない、という考え方がレイモンにはあり、誰もが等しく武器や防具を手に入れる環境を取り入れることを第一としている。
もちろん、そのことに関しては国からの許可も得ている。
国の基本理念でもある自由と平等を販売と製造にも重んじている。
「その列から好きなのを持っていけ」
…と、言われても。
見たところその列にあるのはすべて同じ剣のように見える。
たとえ長年経験を積んだ兵士であっても、見た目だけはそう判断せざるを得ないだろう。
所謂兵士に支給される剣というもの。
大量生産大量消費が当たり前の剣、という位置づけなので、アトリのように剣を失って新しい剣を求める者も少なくは無い。
だが、別の列を見てみると、確かに模様や刃の形状が異なる剣もある。
いかが自由平等に、とは言っても階級社会が無いという訳ではない。
現に兵士は上士とそれ以下に分かれている。
「鞘は大丈夫だろうな」
「はい。そちらは」
「防具は」
「それも大丈夫です。元々そこまで過武装していませんので」
ならば出て行くが良い。
レイモンは一度もこちらに視線を合わせず、ずっと背中ばかりを見せていたのだが、そのたくましい強固な背中がそのようにこちらに訴えているように聞こえた。
確かに彼の用事としては剣だけである。
鞘は元々支給されたものがまだ使えるし、鞘と剣の規格も変わりはない。
何せ兵士に支給される消耗品なのだから。
いつの日か自分も他の人とは違う剣を持つことはあるだろうか。
などと先行きの見えない将来を考えては、少しばかり気の遠くなる思いをする。
必要なことは今のうちに終わらせておく。
剣を持ち、まだ使える防具を自分の手で手入れし、お金を調達する。
兵士であれば剣や防具が無償でもらえるのと同じように、遠征をする兵士たちにはある程度遠征支度金というものが渡される。
無一文で敵地に乗り込むわけにもいかない。
兵士たちによっては、買い物をするためにわざわざ武装を隠して、素の服装のままで行くのだとか。
流石にアトリはそこまで危険な真似は今までしてこなかったが、経験談としてなら聞くのもありではある。
城内での準備を終え、愛馬を起こし、移動用の荷物と簡易的な野宿セットを馬に背負わせる。
馬からすればかなりの重量を背負わされているだろう。
幾ら少量の荷物とは言え、それにプラスして武装したアトリが乗るのだ。
アトリでさえ武装する姿は重たいと感じる。
出来るだけ身軽にしてはいても、限度というものがある。
―――――いくか。
一通りの準備が終わり、馬に乗り、まずは城下町とは反対方向へと走り出していく。
再び新たな死地へ。
彼の任務の一つであり、避けては通れぬ道。
その背後に王城が小さくなっていく。
彼が思う以上の現実が、その先には待ち構えている。
1-10. 死地への派遣




