番外篇3. 始原の剣
それは、過去の話。
今の時間から何年も遡り、アトリという少年が兵士の道を歩み始める過程を見ている。
まだ少年があのような役割を担う者ではなかった頃のことだ。
兵士の見習いとして、他の大人たちより明らかに突出した能力と才能を持っていたその少年は、
他の人間たちにも注目されるほどの存在となっていた。
一方、とうの本人はそのような声にはあまり気にかけることはなかった。
訓練生を監督し教育する役割を担うクロエという女性兵士も一目置く、その存在。
将来有望な強い兵士として期待してしまうが、同時にそれが子供であるという事実を前に彼女は危惧する。
子供のくせに、子供らしくない。
一切そのような姿を見せることが無い。
ただ、強いて言うのであれば、その少年はまだ社会的な経験が少なく、世間が狭い。
そんな少年にここの環境は狭苦しいものだろう。
少年は普通の人間が数ヶ月程度かけるであろう見習いへの修行を、たったの3週間か4週間程度でその域を越えてしまっている。
だから、成長と適応の凄まじく早い少年は、いち早く将来の為の準備をさせるべきではないだろうか、というような声もあげられた。
そんな中。
この日は国王エルラッハが視察された。
視察とは言っても同じ城内で訓練する人たちを見に来ただけである。
エルラッハはアルゴスと近衛兵数名と共に、試合形式で鍛錬を続ける訓練生たちを見届けていた。
その最中、やはりと言うべきか、エルラッハは少年アトリの動きやその姿に注目した。
だがこの時国王が思っていたことは、クロエやアルゴスが予想していたものとは違った。
「皆よく頑張ったな。今日はここまでだ。暫く国王は観に来ないとは思うが、明日からも引き続き鍛錬に励むように」
その日の鍛錬も無事に終えられた。
国王が来たということで、緊張で思うように動けなかった者、王の前だから張り切って鍛錬に挑む者と、様々現れた。
結局平常心で鍛錬に励んでいたのは、ごく少数の人間だけだっただろう。
果たして王の目に彼らは、その少年はどのように見えたことだろうか。
エルラッハが見学したのは、試合形式で鍛錬を進めている時のみ。
時間にして30分程度しかない。
国政を司る者であるために、いつまでもここで眺めている訳にもいかなかった。
その方が、ずっと見られるよりかは安心して彼らが鍛錬に取り組めるだろうが。
一方。
夕刻を迎えた王城と城下町。
政務を終え一息ついている国王エルラッハのもとに、呼び出されたその男、アルゴスがやってきた。
まずは玉座の間に案内したのだが、その後エルラッハが王城の最上階フロア、王家の者しか入れない階層の展望フロアに案内した。
「昼間は感謝する。時間のないところ態々同行してもらって」
「いいえ。とんでもありません」
国王エルラッハと上士アルゴスは、以前からの付き合いだ。
友達というような間柄ではないが、エルラッハはアルゴスに心を許していたし、
アルゴスも国王に対しては忠誠を誓っていた。
そんな二人の、二人だけの会話がそこにある。
「一つ確認しておきたいことがあって、呼んだのだ」
「なんでしょうか」
「流石に、私も訓練生一人ひとりの姿を覚えることは出来ないし、見る時間も今まで取れなかった。だが、あれは見てすぐに分かった。アルゴス、あの少年は――――――――――」
――――――――――“アーサー”の子だろう?
沈黙とともに訪れた、僅かながらの風の音。
王城の最上階の展望フロアで夕陽が水平線上に沈んでいくのを眺めながら、
その問いに対し、アルゴスは無言の頷きで答えた。
一目見た時から、確信していた。
あの姿、あの顔、そしてあの立ち回り。
少年という歳でありながら、圧倒的なまでのその実力。
似ているどころの話ではない、寧ろ生まれ変わったのかと疑い近づこうとしたくらいだった。
「そうか………やはりアーサーの子だったか。名は何と言う」
「アトリ、です」
「アトリ、か。良い名前だ。あの男が付ける名にしては、少々柔らかい気もするな」
まるでその男のことを懐かしむようにして、言葉を口にする国王。
それを静かに眺め、また受け応える上士のアルゴス。
懐かしむのも無理もない。
アーサーという男にはもう、会うことが出来ないのだから。
エルラッハが少年アトリの姿を見た時は、驚きでしかなかった。
アーサーと呼ばれる男とは歳もかなり離れているが、それでもハッキリとその子供だと分かるくらいだ。
そして、エルラッハの見たものは、まるでアーサーの持つ技量が彼に乗り移ったかのようなもの。
そんなこと決して起こるはずはないのだが、そう思わずにはいられないほどの、圧倒的な力量差だった。
「今すぐにでも兵士にあげても良いくらいだと私には思えたが、お前はどう考える」
「同感です。ただ、あれを監督する女の意見も聞くべきと、考えます」
「確か、クロエという女性だったな。彼女も順調にやっているのか。以前は壮絶な過去の持ち主故、気性に問題が無いか心配だったと聞くが」
「冗談が言えるくらいには。もう心配ないかと」
エルラッハがただ少年の力量を間近で見ただけで、すぐに兵士にしても不足は無いだろうと判断するほどの実力が少年にはあった。
訓練生たちの間でもそのような話が広がっているのだ。
他の者たちが見たとしても、同じような感想を持つ者ばかりだろう。
だがアルゴスは、監督役でもあるクロエの話も聞き入れるべきだと、国王に主張する。
「女は、もっと広いものを見させて、経験させるべきだと言いました」
「広いものを?」
「はい。普通の兵士であれば、見習いとして各地に赴任し、その中で兵士として認められその地で育ち、仕事をこなす。だが、あの女はそんな狭苦しい使い方はもったいないと、言っているのだと思われます」
「………なるほど」
兵員の数を増やしたい。
そうでなければ、いざ戦いが発生した時に、はじめから相手に不利を晒すことになる。
ではなく、数を揃えて相手に立ち向かい、その結果をもたらす。
勝利へ結びつけるためには、戦いは数なのだということを証明しなければならない。
だが、戦いへの参加を強制する訳にもいかない。
何故なら、この国の掲げる理想に反するからだ。
これらの意味を含めたうえで少年を見た時、少年は周りよりも異質な能力を持ちながらも、
“本当は強い兵士が欲しい”という欲さえ満たしてくれる逸材となり得るものだった。
クロエもその辺りは純粋に評価をしていて、彼をただ普通の兵士に育てるのはもったいないと考えたのだ。
思えば、この時のこの決断、この考え方が、彼の人生を大きく左右するキッカケとなるのだが、
これを彼以外の者だけが決めたのではなく、彼自身もこの道を受け入れていたというのが重要な点だ。
王は考える。
果たして、これは少年の為になり得るものだろうか。
既に王の中ではある程度の考えがまとまっている。
王が一人の少年に対し要求し、願望することなどハッキリ言って前例がないことだ。
だが、それだけの価値を見出すことが出来、そして“アーサーの子”という事実がある。
それを前に、躊躇うべきか貫くべきか。
この決断によっては、今後の国に関わる事態に発展する可能性も否めない。
「………そうだ。アトリの情報を見せて欲しい。特に、ここに来るまでと、兵士へのキッカケを」
「かしこまりました。今お持ちします」
「私の執務室まで、一緒に持ってきてくれ」
王も国政で忙しい身、
アーサーの子であるアトリがここの兵士になろうとしているなど、知りもしなかった。
寧ろそれが分かった時点で報告が欲しいくらい、王はアーサーという男の存在に注目していた。
本来、彼がまだ生き続けているのであれば、また色々と頼みたいと思うところでもあった。
だが既にアーサーの行方は途絶えるどころか、死亡報告まで受け取ってしまっている。
すべては、この混迷の時代が幕を開けるその時のことだ。
アルゴスが自室から資料を取って来ると、彼は王の執務室に案内され、それなりに豪勢な部屋の椅子に対面して座る。
一方、その情報を閲覧する王の表情は少しばかり険しい。
先程はアーサーの子供ということで、男を懐かしむような、そんな雰囲気を見せていた。
が、今王が目にしているのは、そんなアーサーが現役でいた頃の、少年の生活の姿。
少年本人から聞いた話と、そして兵士を目指す経緯となったものを取りまとめた情報だ。
「………私たちは、悪いことをしたのだろうな」
「………」
アルゴスは答えない。
その自覚が当然あるからだ。
アーサーの人となりやその経験、技量や器の大きさなどを含めれば、
そのもとで幸せに暮らせるはずだった少年は、もしかしたらこのような場所には来ていなかったかもしれない。
だが、結果としてその命を失わせ、少年はここにやってきた。
何とも悲痛な運命を辿り続けているものだろうか、と王ですら思った。
しかし王は、彼が兵士になりたい、その経緯を知って、心の中での考えを更に加速させる。
まだ子供で周りよりも明らかに歳が離れているというのに、あれほどの技量を持つ少年。
そして、その少年の心の中で今も浮かび続けているであろう、ある信念、理想を目にする。
「だが、あの少年になら勤まることもある。私も、アトリをただの兵士として置いておくべきではない、ということには同感だ。兵士になりたいのなら、兵士としての扱いをさせるべきだろう。だが、周りと時を同じくする必要は無い。少年には、クロエの言うようにもっと様々なことを経験させてみよう。それが勤まらなければ、また考えれば良い」
そして、王の手元にある資料と、王の下に届く書類の数々。
これらを照らし合わせ、あの少年の卓越した力の在り方を見て、その力をどこに、誰に向けたいのか、という理想を目にして、王は決断する。
「アルゴス。まずはクロエをここへ」
王の口から、たった一人の少年のことについて、
態々王の執務室を使って王自らが説明する。
ただ一人の少年に対し、ここまで時間を割いて今後を考えるというのも、
珍しい機会だった。
アルゴスでさえ、一人ひとりに時間をかけているほど余裕がある訳では無い生活をしている。
時には外出もしなければならないし、城にいる間でも執務に追われる。
それでも、王はこの時間で決断し、それを伝えなくてはならないと思っていた。
それが今後の国の為に、いや国以外の人々の為にもなるのなら。
召使が暫くしてクロエを執務室まで呼ぶと、エルラッハは彼女にアルゴスの隣に座るように言い、
彼女はそれに従い腰を下ろす。
流石に予想外の展開だった。
まさか国王にこの時間に呼ばれるものとは思わず、今日のことで何か言いつけがあるのだろうか、と思いながら彼女は冷静に王の方を向く。
時を同じくして、別の召使が温かい紅茶を持ってきて、それを静かに置いて離れて行った。
「こうして話すのは久しいな、クロエ」
「はい。それなりに懐かしく思えるくらいには、久しいと感じます」
王はいきなり本題には入らない。
そしてクロエと全く面識が無い訳でも無く、それどころか以前にこうしてここで話した経験さえある。
彼女からすれば遠い昔のようにも思えるが、言えることといえば助けてもらい、気にかけてもらった過去があるということだ。
それなりに穏やかな性格と知性を持つ王。
この部屋のペースを握っているのはあくまでもエルラッハだ。
たとえ国王と同じような見解を持っているアルゴスとはいえ、王を前にすれば一歩後ろ、数段下の構えを見せて対応しなくてはならない。
だが、他愛のない話ばかり続けて時間をただ浪費するというのももったいない話だ。
彼女の過去に触れるような話を少しだけした後に、王は本題に入る。
机にあった資料を、エルラッハは対面する二人の間に置かれた机に置く。
そしてそれを見るように指示を出す。
「これは………救援要請、ですか」
「………」
「そうだ。国を相手に寄せられた救援要請。何件も届くものだが、ここにあるものはすべて自力解決が不可能と判断されたものだ」
王国に対する救援要請。
文字通り、何らかの事情が発生したうえで、肥大化する王国の力を借りようとする者たち。
そうした要請が、国のもとに幾つも寄せられると言う。
数で言うならば数えるのも面倒だというくらいに。
中には王国の手を借りずとも自分たちで何とか出来るものも存在している。
例えば、とある建物を建てたいから人をよこして欲しい。
だが、そのようなものは自分たちで出来る範囲のものを作ればいいだろうし、人が欲しいというのなら近隣の土地から集めれば済む話だ。
だから、今この場でエルラッハがあげているのは、そうした領地自らでは解決することが困難な問題だ。
その代表的なものが、他の領地からの侵攻や圧政など。
寧ろそれ以上に深刻なものはない。
主に前者が救援要請の対象となり、大体は他の自治領地からの占領に合っているか、あるいは侵攻を受け重大な局面を迎えているか、だ。
王国はこのような事態に直面した自治領地で、とりわけ国から近い位置にある自治領地に対しては、その救援要請を受けたい考えを持っていた。
考え主は、主にエルラッハを含む王国議会。
マホトラスの分裂で名ばかりになりつつあった王国議会の主だった人々が、そうした意見を揃えるのだ。
「他の領地からの侵攻を受け、自警団が全滅。至急応援を頼みたい。成果は領地を防衛することと、敵の殲滅。報酬は問わず、4日前の送付か………それで、王はこれをどうしようとお考えですか」
「マホトラスとの一件がある前も、こうして王国に救援要請が度々来ていた。だが私たちはそれに応えることが出来なかった。きっとそのおかげで失われたものも数多いだろう。そこで私は、この任にアトリをあてようと思っている」
「………!?」
国王の口から放たれた言葉。
それこそが、王の考えついた、少年の今後についてだった。
つまり、救援要請を出した自治領地に少年を派遣して、その領地のために尽力させるというものだ。
クロエの頭の中で振り返っても、そのような任務についた人間は誰一人として思い浮かばない。
兵士の領分を越えた行動でないかと思うくらいだ。
王国とはいえ、言い方次第では大規模な自治領地と言うことも出来る。
国の兵士は直轄地としている各領地や各町の防衛と治安維持を中心とした仕事をこなす。
だが、その町や村というのがそれなりの数あり、マホトラスとの戦闘後では町に駐留する部隊の兵員に余裕が無くなっている。
ある町では駐留部隊がまるごと戦場へ行き、全滅したというところもある。
兵員を増やして戦力を増強しようとしている最中に、とても自治領地に出向いて救援をする余裕などない。
だから、国王がその考えに至ったことが、クロエには驚きでしかなかった。
隣にいるアルゴスは静かに頷いて、自分も意見が同じであることを証明している。
「し、しかし王、今までそのような任務についた人は誰一人としていないはず。まさか彼を例にするというのでは………」
「言い方をきつくすれば、そうとも言う。だがクロエ、これはあの少年が望んだことでもある」
「あの少年が………?」
クロエは、少年の心の内を知らない。
今までは周りよりも明らかに腕の立つ少年とばかり思っていた。
兵士の見習いを目指す卵を監督する者とは言っても、一人ひとりの事情など把握していなかった。
ただ単に、自分は将来的に兵士になるであろう者たちを育て上げ、送り出すことが任務だと思っていた。
事実、そのことに間違いはない。
間違いはないのだが、その卵の中に一つ、別の意味で輝きを放ってしまった者がいる。
国王はアトリの情報が載せられている資料をクロエに渡すと、それを見たクロエがまたも驚愕の表情を浮かべる。
「………アーサーの、息子………!?」
それと同時に、納得がいった。
ああ、だからあの人はこれほどまでに強いのか、と。
クロエも、アーサーという男の存在は知っていた。
そして、その男がもう会うことのできない状態となったことも、聞かされている。
それほどにアーサーとは優秀な男だったのか。
あの国王でさえアーサーの死を酷く悔やんだほどだ。
この国に勤め、更にこの王城に勤める兵士ならば、その存在を知っている。
そして、国王やアルゴスが自治領地の救援要請にアトリを派遣するという考えを持ったのも、
このアーサーという男の存在が必ず絡んでいると確信した。
「私も今日初めてあの少年を見て、すぐに分かった。間違いなく、あの男はアーサーの子だ、と。ここに入る前から報告を受けれいれば、もっと別のやり方もあっただろうに」
「失礼しました」
と、アルゴスが陳謝する。
だがそれは過ぎてしまったこと。
今更何を言っても変わるものではない。
変えるのだとしたら、それはこれからのことだ。
アーサーの息子であるアトリを、自治領地へ派遣し、その都度領地のために尽力させる。
そうすることで、アトリはあらゆる世界をその目で見ることになる。
「そこにも書かれている通り、アトリは“誰かを護るための剣”になりたい、と願っている。確かにその目的だけならば、国内でも出来ることだろう。直轄地の中にも規模が大きくて治安の悪い町は幾らでもある。だが、それだけでは狭いというのが、正直なところの感想だろう?クロエ」
ここにきて、
クロエの少年に対する評価が左右された。
確かに彼女はアトリという少年を見て、あらゆる経験を積ませた方が本人の為だ、と言った。
だが、それはまさか自治領地に派遣を繰り返して救援させるという主旨で放った言葉ではない。
エルラッハとアルゴスが意見を揃えて口にする、自治領地への派遣。
そして、エルラッハが判断する“自力では解決できない救援要請を取り上げる”という事実。
考えてみれば、すぐに分かることだ。
つまり。
アトリは各自治領地の対立、対峙、戦闘行為を未然に防ぐか、鎮圧させるために派遣させられる。
確かに、年間通して各直轄地の兵士たちの行動を見れば、戦闘行為に類するものに発展した事例は幾つもある。
愚かな国境沿いにある自治領地が侵攻してきたか、あるいは町の中で不届き者を成敗する時か。
いずれにせよ、この国の兵士たちは実戦経験というものが殆ど無い。
それは、マホトラスという対抗勢力が出来る前から考えられていたことだ。
王国の領内にいる民たちは、兵士たちによって護られている。
国の理想のもとに、自由で平等、かつ平和で幸せな日常を送られるようにする。
それを護るべきは国に仕える兵士だった。
だから、兵士は必ず各町に駐留し、その町の安全を護るために警護をする。
たとえ小さな町であっても、数名は派遣される。
王国領が肥大化していくうちに、もはやこの体制に歯止めがかからなくなってしまった。
王国領に属すことになれば、王国という大地の掟に従わなければならない一方で、
外敵から自らの土地を護ることが出来る、という大きな利点が生まれる。
国を相手に納税をしなくてはならなくなるが、そんなものは命に代わるものではない。
土地が失われれば、命も、財産も、何もかもを失う。
直轄地としての認定をもらえれば、それもなくなる。
このため、次第に王国領は肥大化した。
特にこの西側大陸の北部、北西部にかけて、王国領が増え続け、城から歩いて十数日も先のところまで領地として認定されることになった。
そうなれば、
各地に派遣される兵士の層が薄くなるのも当然だ。
他の王国領に属していない自治領地からの救援を受けるような状態にないし、
自分たちの町や村を護ることで手一杯となる。
だから、戦闘経験の豊富な兵士がいつまで経っても現れない。
国王やエルラッハとしては、
このような事態に対処したつもりでいた。
確かに、自治領地に派遣される兵士がいれば、必ずそこで戦いの経験を積むことだろう。
それに、少年アトリの実力はこの時点でずば抜けているし、後は本物の剣を持たせ、ある程度のことを教え込めば、自治領地に送り込んで自らも学ぶことになるだろう。
経験を積めば、それ以上に強くなって帰って来ることも考えられる。
強い兵士を求む、かつ兵士としての数を増やす。
一石二鳥という訳だ。
「………否定はしませんが………幾ら優れた才を持つ少年とは言っても、過酷なのではありませんか………」
「もしそうなった場合には、前線から離せば良い。はじめは危険度が薄い場所に送り込んで、結果を見る。それ次第で今後を考えるとしよう。もう一度言っておくが……これは、彼が望んでいることでもある」
………。
これが、アトリがその道に進んだ経緯。
ざっくりで簡単なものだが、思い出せば充分にその道に進む可能性を持っていた。
誰かを護るための剣、だって?
そんなものに人の子がなれるんだったら、今よりもっと苦労は減ってるだろうさ。
兵士一人の荷は下りるし、他の人たちの命も護られる。
だがそれを代償として、ただ一人の男に負担が課せられる。何倍も、何倍も。
戦えば戦うだけ、アトリの荷は重くなっていく。
こんなバカげた話、絶対に上手くいくはずがない。
流石に国王の前でそんなことは言わなかったがね、私はずっとそう思い込んでいたよ。
心の中でね。
………けど、やっちまったんだ、あいつは。
それが後に自分をどのように追い込んでいくかも、知らないでね………。
………。
兵士の見習いのすることではない。
この話を知り、決めるに至った誰もがそう思ったことだろう。
それでも、これが国王とその側近、そして監督者の間で承諾されたことであるのなら、
異を唱えるものは誰も居なかった。
そして、国として必要なことでもあったから、尚更反対を述べる者はいなかったのだ。
否定したかった人間もいるのだが、一人の少年が身を投じることによって得られる利益を、国は重視した。
そして、アトリという少年は教育を始めてから一ヶ月も経たないうちに、
訓練生という称号を脱出し、特務兵士という称号を与えられることとなった。
兵士の見習いを事実上飛んだ形となる。
本人は後年も見習いであったと言う機会も多くあったが、エルラッハやアルゴスからすれば、
そうでないと言う立場の方が支持されている。
そして、少年は。
自らの運命を左右するその道を、選んでしまった。
この身が誰かの為になるのなら。
今まで育てられ、護られ、死ぬ運命からも救ってもらえたこの身。
今度は自分のこの力が、誰かの為になる時が来る。
もし誰かが助けを求めていて、救いを求めていて、自分に応えられるだけの器量と技量があるのなら、
進んでそうしよう。
これがアトリの出した決断だった。
強い兵士が欲しいとか、救援要請によって直轄地に認定する自治領地が増えるだとか、そういったものはこの時点では説明されなかった。
ただ、君の望むものは、すぐ近くにある。そのために努力し続けられるか、という問いに、
少年は素直に頷いた、答えた。
その時点でほぼ決められてしまったようなものだった。
後年、その存在が知れ渡ることになる、
『死地の護り人』としての根源は、この時既に出来上がっていた。
………。
番外篇3. 始原の剣




