第十九話 迷宮を守護する者
「いたた……、もう、はしゃぎ過ぎですよ、お姉さま」
「ごめんなさい……」
「いいです。許してあげます」
「あう……」
アリスとの甘いひと時を過ごした私は、少し落ち着きを取り戻していた。
でも、相変わらずアリスを愛しいと思う気持ちは治まらない。気を抜くとまたこの場で始めてしまいそうになる。
だけど、こんな場所で色々した所為で傷だらけになってしまった、アリスの体を見てしまうと申し訳なく思ってしまって、そんな気分にはなれない。
「あっ、アリス。少し試したい事があるから手を出して」
「はい、お姉さま」
私は、アリスの傷を回復の魔法薬で治そうかとも思ったけど、その前に一度、新しい魔法を試してみる事にした。
アリスはその事を察しているのか、特に疑いもせず手を差し出してきた。なので、私はその手を握って、魔法を発動する。
「自己修復魔法・付与」
「へえ……」
アリスに使用したのは『自己修復魔法』のアレンジ版、『自己修復魔法・付与』だ。この魔法は自分以外の人間を回復出来ないかなと思って創造した魔法だ。人に使う魔法なのに自己修復とはこれいかにとは思うけど、気にしない事にしよう。
なかなか機会が無くて試せなかったけど、魔法の方は問題なく発動して、アリスの傷が治っていく。
ただ、その効果は予想以上に低い。
自分の傷を治す時は、手足が千切れていようと数秒で完治するのに、アリスのかすり傷は修復まで十秒以上かかった。これじゃあ、千切れた手足を再生させるほどの効果は期待できないだろう。
まあ、今後魔力が増加すればもっと効果が高くなるかもしれないし、今はこれで満足しておこう。
「本当に回復魔法使えたんですね。流石はお姉さまです」
「ありがと。でも、これでも効果はいまいちなんだよね。自分に使った時は千切れた手足も一瞬で治るんだよ」
「はははっ、異世界人って奴は本当に化け物ですね」
私を罵る様なアリスの辛辣な言葉も、今は何故か愛おしい。そう思っていると、それを見透かした様に、アリスが妖艶な微笑を浮かべる。
「それで、お姉さま。今更ですけど、異世界人である事を認めた上で、私を満足させてくれると約束して貰えますか?」
「うん……、こんな事もしちゃったし責任は取る。私は異世界人としてアリスを満足させられるように、今まで以上に頑張る」
「それでこそお姉さまです」
ああ、アリスの喜んでいる姿はなんて可愛いんだろう。この姿をこれからも見る事が出来るのなら、多少の代償なんて惜しくは無い。私は心からそう思った。
「さて、お姉さま。この後はどうしますか? 私はこのまま進んでも問題ありませんけど」
「そうだね……」
アリスが言うには、迷宮の未踏破エリアには稀に、遺産とは別の貴重な宝が落ちている事があるという話だ。そして、はっきりとは言わないけど、アリスはそれを狙っているようだ。
この扉の向こうは間違いなく未踏破エリアになるのだし、この機会に様子だけでも見ておいて損は無い。アリスが満足する物が無くても、強い魔物を倒せば魔結晶は手に入るのだし、進んでも良いだろう。
「進もうか。無理だと思ったら一旦引き返せばいいだけだし」
「分かりました。お姉さま」
満足した表情のアリスと共に、私は第十七階層の扉の前に立つ。この扉を開ける為のヒントは数多の魔結晶を捧げよという一文だけ。なら、やる事は簡単だ。
「それじゃあ、魔結晶を捧げようか」
私は、異空間収納から私の魔結晶を取り出して、扉に近づける。すると、魔結晶が粒子になって扉に吸収されていった。
なるほど、これは充電式の魔道具と同じ物なんだ。
「開きませんね」
「まあ、一個じゃ足りないよね」
魔力の量が多い私の魔結晶なら一個でもいけるかなと思ったけど、それほど甘くは無いようだ。
私はそのまま、次々と異空間収納から魔結晶を取り出して扉に近づける。
「もう……八十個は捧げたんだけど……」
「これは、魔結晶を捧げる事に気が付いたとしても、普通の冒険者では開けられませんね」
私の魔結晶一個の価値は、金貨五十枚――元の世界のお金に換算すると五千万円――分とかそれくらいのはずだ。その魔結晶をこれだけ消費するとなると、どこぞの大金持ちでも開けられないだろう。
もしかすると、今までたまたまこの仕組みに気が付いた人はいたのかもしれないけど、いつまでも当たらないスロットで有り金をすったみたいな顔で帰って行ったのかもしれない。
そう考えると、この扉は私みたいな人間にしか開けられない物にも思えてくる。
「あれ、吸い込まなくなった」
「開いたみたいですねお姉さま」
結局、私の魔結晶百個を吸収して、扉の鍵は開いた。後はこの中にその損失に見合った物がある事を祈るだけだ。
「じゃあ、進もうかアリス」
「はい」
私とアリスはそのまま扉を開き、中に入る。しかし、そこにあったのは出口すら無く、ただただ広くて何も無い空間だった。
「あれ? 何も無い?」
「出口も何も無い広い空間……、まさか!」
アリスがそう叫んだ瞬間、扉の閉まる音と共に頭の中に誰かの声が聞こえてくる。
『迷宮に挑みし者達よ。汝らに試練を与える。かの者は死者の軍勢を従えし王。その息は生きとし生けるものを腐らし、死へと誘う。我が迷宮を守護せし、かの者の名は――』
その声を聞いた途端、アリスが私の手を取った。
「これは迷宮の守護者出現時に聞こえてくるという迷宮の宣告です! いくらなんでも何の準備も無しに迷宮の守護者は倒せません! 撤退しますよ!」
「それが……、この扉、こっちからは守護者を倒さなければ開かないって書いてある……」
「クソッタレ!」
アリスが汚い言葉を吐き散らしながら広い空間の中心を睨みつける。すると、そこに魔法陣が現れ、吐き気を催す匂いと共に何かが生れ落ちた。
『――腐敗竜ドラウグルドラゴン』
その姿は紛れも無く竜。一戸建て住宅並みに巨大なトカゲの体に大きな翼、その鋭い牙に大きい爪は間違いなくドラゴンだ。でも、その体は腐り、悪臭を放ち、生きているようには見えない。
「ギガアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
しかし、ソレは間違い無く生きている。腐った体を引きずって、悪臭をばら撒きながら、大気を振るわせる咆哮を放つ。
「これは……!」
「はっはっはっ……、流石にここまでは予想外ですよ……」
アリスの弱気な台詞を聞きながら周囲を見回した私は、大量のゾンビらしき魔物が現れている事に気が付く。なるほど、さっきの迷宮の宣告の通り、アレは死者の軍勢を従えているという事なのだろう。
だとしたら不味い。
「アリス! 動かないで!」
「お姉さま!?」
焦る私の目に、ドラウグルドラゴンが息を吸い込んでいるのが見える。不味い不味い不味い。アリスだけは何としても守らないと!
私は、突き動かされる様に、一つの魔法を創造した。
「魔力具現化・殻!」
「えっ!」
私が発動した『魔力具現化・殻』は、魔力の殻で対象の全てを包み込む魔法だ。
中から外は見えないし、空気は循環されないから長時間中にいたら酸欠になる欠陥魔法だけど、全方向からの脅威を防ぐ事が出来る。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアア!」
私が魔法を完成させると同時に、ドラウグルドラゴンが吸い込んだ息を吐き出した。その途端、広い空間の中が薄紫色のガスで満たされていく。
「くっ! があっ!」
そのガスが私の体に触れると、私の体は変色して、徐々に腐った肉に変わっていく。やはりそうだ。あの迷宮の宣告通り、あいつは生きとし生けるものを腐らせる息を吐いてくるのだ。
幸い『魔力具現化・殻』はガスの影響を受けていないので、アリスは無事のはずだ。
「お姉さま! 何があったんですか!」
「自己修復魔法! あの守護者が生物を腐らせる息を吐いてきて、外は地獄みたいになってる! アリスは無事!」
「何も見えませんけど、なんともありません! お姉さまは大丈夫なんですか!」
「私には回復魔法があるから大丈夫! アリスは終わるまでそこでジッとしていて!」
「分かりました! 信じます!」
きっとアリスは不安だろう。自分は真っ暗で狭い空間で動く事が出来ずに、私がどうなっているかも確認出来ない。しかも、次の瞬間には『魔力具現化・殻』が消えて自分が死ぬかもしれない恐怖を味わっているのだ。
そんなアリスを一刻も早く安心させる方法は、あいつを倒すしかない。
幸い、高速回復魔法を持っている私は、魔力さえ尽きなければこのガスの中でも戦える。
自分の体が生きたまま腐っていく感覚を延々と味わう事になるけど、その程度、私にとっては快楽にしかならない。
「さあ、始めましょうか死者の王。墓穴があなたの帰りを待ってるよ」
「グラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
そして、私と迷宮アハトの守護者、腐敗竜ドラウグルドラゴンの戦いが始まった。




