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第十八話 これがアリスという少女

 迷宮アハト第十七階層。そこは今までとは違う雰囲気の場所だった。

 第十七階層にやって来て、最初に目に入るのは文字が書き込まれた大きな扉、というよりもここには小さい空間に扉しかなかった。


「そう言えばお姉さまは、一般常識はあまり知らないのに文字は普通に読めてますよね。この文字とかも読めるんですか?」

「この文字? えっと、――この扉を開きたければ、数多の魔結晶を捧げよ。って書いてあるね」


 突然そんな質問をしてきたアリスは、私の答えを聞いて満面の笑みになる。今の受け答えのどこに笑顔になる理由があったのか分からずに、ただただその笑顔を見つめていた私に、アリスが語りかけてくる。


「お姉さまに一つ教えて差し上げます。迷宮には謎を解くと開く扉などもあるんですが、ここの扉はそのヒントである文章が未知の言語になっていて、人類の英知を結集しても解読出来ず、開く事が出来ないそうです。そういった理由があって、迷宮アハトは第十六階層までしか攻略されていないんです」

「へ……え……」


 アリスの言葉を聞いて、私は自分がした事を理解した。

 私にはご都合主義の舞台装置(デウスエクスマキナ)の自動翻訳能力があるため、この世界の誰にも解読できない文字も普通に読めてしまう。その為、本来は読めてはいけないはずの文字が読めてしまったのだ。


「ああ、そうそう話は変わりますが、お姉さまは異世界人というのをご存知ですか?」

「いっ、異世界人……!」


 アリスの口から飛び出したその単語に、私の心臓は跳ね上がる。アリスはそんな私を、全てを見透かしたような瞳で見つめてくる。


「ええ、異世界人です。異世界人とはこの世界では無い別の世界から来た人間の事で、その存在は歴史上、五回確認されています」


 どうやらこの世界にやって来た異世界人というのは私だけではないらしい。よくよく思い返してみればこの世界には、私のいた世界にあった物に似た物が存在していた。それはきっと、その異世界人が教えた物なのだろう。そう思いながらも心臓は激しく動く。


「異世界人共通の特徴は、運命の女神に与えられし特別な力を行使し、その強さが尋常ではない速度で成長する事。そして、あらゆる言語を使いこなすが常識は欠如していおり、精神が安定しない様子が多く見られるという事です」


 アリスの口ぶりからすると、私の行動は異世界人の平均的な特徴と一致していたようだ。でも、精神が安定しないというのはどうだろう。自分では特にそういった風には感じないけど、やはり異世界での生活は私の精神に不安定さを与えていたんだろうか?

 私は色々と考え込んで無言になる。それに対しアリスは話を続ける。


「しかし、異世界人の一番の特徴はその人生です」

「人生?」

「はい、異世界人というのは一人の例外も無く、運命に導かれるように様々な出来事に巻き込まれ、その中でどうやっても使いきれない様な巨万の富を手にし、普通では考えられないような体験をして、満ち足りた人生を送るのです」


 そう話すアリスの表情は、まるで恋する乙女のように愛らしかった。だけど、私は何故か寒気を覚えた。


「しかし、異世界人というのはこの世界に慣れるまで時間がかかるものです。もし、まだ慣れていないうちに異世界人だという事が発覚したら、どこぞの国の実験材料として囚われてしまうかもしれませんね。現に隣国では、異世界人を発見し捕らえた者には金貨千枚を支払うという任務が、常時冒険者組合に出されているらしいですから」

「あ……う……」


 喉が渇いて声がうまく出せない。

 アリスはどう考えても私が異世界人だという事に気が付いている。

 そして、その事を理由に何かをしようとしている。

 その内容によっては、私は、アリスと戦う必要さえあるかもしれない。

 私の心臓は、痛いくらいに動き続けていた。


「でも、私だったら金貨千枚で異世界人を売ったりしませんね。だって、あまり表立って異世界人である事を話せないその人の手助けをしてあげた方が、もっと沢山のお金が手に入りそうですし、楽しい経験もいっぱい出来そうですからね」

「そう……だね……」


 私はアリスの言動に圧倒されながらも、アリスの目的が分かってきた。

 つまりアリスは、異世界人である事を黙っている代わりに、金貨千枚以上に価値のあるものを寄越せと言っているのだ。

 まあ、良く考えれば、一緒に冒険しているのだから、報酬は山分けするべきだし、実際アリスは私の役に立っているので、お金を渡す事自体は問題ない。

 ただ、こんな脅しに近い方法でその事を要求してくる人間は、信用できないという気持ちは大きかった。


「アリスは……もし私が異世界人だったらどうするの?」

「それはもちろん、今まで以上に誠心誠意お手伝いしますよ。こちらのお願いも聞いてくれればですけどね」


 私の質問に対して、アリスは満面の笑みで答えてくる。

 その笑顔は本当に可愛くて、私は頬が赤くなるのを感じた。

 私って奴は、本当に単純だ。


「そう……でももし、誰かを人質に取られて脅されたら、そんな要求なんて言ってられないんじゃない?」


 今のところ、そんな事をするつもりは無いけど、私には教会の人々を利用してアリスを脅して従える方法もある。現に私は、アリスの方から声をかけてこなければ、そうやってアリスを連れて行くつもりだったのだから。

 しかし、その質問に対するアリスの答えは、私の想像を超えるものだった。


「ああ、あの教会のクソ共なら、好きに殺してもいいですよ。私にとってアレは、もう用済みのゴミですから」

「え……?」


 絶句した。

 私はアリスの事を勘違いしていたのだ。

 アリスは、少なくともあの教会の人間に親しみを持っていると思っていたし、こんな言葉を使うなんて想像もしていなかった。

 でも、一つ思い当たる事もあった。

 教会で初めてアリスと出会った時、アリスは、私を助けてと要求してきていたのだ。そう、私達を助けてではなく、私を助けて。

 アリスはその時から、教会の他の人間の事なんて、どうでも良かったのだ。


「もしかしてー、お姉さまはそう言えば私を従わせられると思っていたんですか? びっくりですね。私は私以外の人間が死のうが苦しもうがまったく気にしませんよ。あっと、修正しますね。私にとって利益になる人には生きていて欲しいですね。利益になる間だけ」

「あ……う……」


 アリスは笑っている。その笑顔はいつものものと変わらない愛らしいものだ。それなのに、私がその笑顔から受ける印象はいつもとは真逆な物だった。


「そんな……そんなこと言って、私がアリスを信用しなくなるとは思わないの……!?」

「ああ、思いますよ。でも、それを加味してもお姉さまにとって、私ほど都合の良い女はいない。そうでしょう?」


 確かにそうだ。

 この世界に限らず、容姿と強さと頭脳を兼ね備えた人間というのは貴重だ。例え、性格に難があっても、金さえ払えばしっかりと働いてくれるというのなら良い人材だろう。

 しかも、アリスは私が異世界人だという事も理解して受け入れてくれるのだから、これほどやり易い相手はいないようにも思える。

 でも、本当にこんな事を言う人間を信じて良いのだろうか……。


「お姉さま、世の中には何で味方してくれているのか分からないような人間がいますが、そういった人間は何が切っ掛けで裏切るかわかったものではありません。それに比べてお金で縛った人間は、分かりやすくありませんか?」

「うん……」


 なんとなく分かる。

 例えば憧れで人を好きになったような人は、勝手に好きになったくせに、その人が想像していた人物と違うなんていう理由で命を奪うまでする事がある。しかも、その理由が本人は特に隠していないどうでもいい内容だったりするから、何が切っ掛けなのか予測も出来ない。

 それに対して、金で雇った人間は分かりやすい。金さえ用意できれば問題ないからだ。

 アリスが求めているお金がどれくらいのものかは分からないけど、アリスは私がいつか莫大な富を手に入れると信じているのだから、今すぐに無理して大金を払えとは言ってこないだろう。


「もちろん、私は今すぐに大金を払えとは言いません。私はあくまでも、お姉さまが手に入れた物の中から一定数貰えれば十分なんですから。気長に付き合いますよ」

「でも、私が必ず莫大な富を手に入れるとは限らないよ」

「何を言っているんですかお姉さま。あなたは現状でも、一般的には考えられない速度でお金を稼いでいるじゃありませんか。例え今までの異世界人の様な事にならなくても、この調子なら十分私が満足できる人生になりますよ」

「そう……」


 こうして話していると、アリスが良い意味でも、悪い意味でも頭が働く子だという事が分かる。

 私が悩んでいると、その内容を的確に指摘してきて、私の思考はどんどんアリスに都合のいいよう誘導されていく。


「どうしたんですかお姉さま? 口数が少ないですね。教会で司祭様に怒鳴りつけていた時くらいヒートアップしないんですか?」

「え……あ……、知っ……てたの……?」

「はい。あの時私は、お姉さまと司祭様のお話を聞いていて、これは自分から行った方が心象が良くなるなと思って、一緒に連れて行ってとおねだりしたんですよ。可愛かったですか? 私の演技?」


 その言葉の衝撃は、オークに頭を殴られた時よりも強く私の頭に響いた。

 もう私には、今まで可愛いと思っていたアリスの沢山の仕草が、全て私に媚を売る為の演技にしか思えなくなっていた。


「なんで……そんな事まで喋るの……? 普通はそこまで言わないでしょ……?」

「だって、どうせ受け入れてもらえるなら素の私の状態で生活したいじゃないですかー。あのクソみたいな教会で六年間も良い子のアリスちゃん演じたんだから、一人相手に演技するのなんて楽勝でしたけど、それでも結構疲れるんですよねー」


 アリスの言葉にはどんどん雑さが含まれていく。きっとこれが素のアリスなのだろう。

 私は、短時間でここまで人の印象というのは変わるのかと驚き、人間そのものが信じられなくなっていく。


「ふふふ、お姉さまは顔に出やすいですよね。今、お前なんて信用できないって顔してますよ」

「わかって……るなら……!」

「でも、人間には信用できない相手でも手放さずにはいられなくなる時があるんですよ」

「えっ?」


 何を言われているのか理解できていない私に向かって、アリスが首元を緩めながらゆっくりと近づいて来る。そして、アリスは私の胸に飛び込んできた。


「はむ……」

「んぐっ……!」


 私の体に抱きついてきたアリスは、私の唇に自分の唇を重ねる。

 私は一瞬何が起こっているか理解できなくて戸惑い、少ししてからこれがファーストキスだと気が付き、いつの間にか、アリスの体を優しく抱きしめていた。


「ぷはっ……」

「あ……」


 離れてしまった唇の感触に、私は寂しさを覚えて声を漏らす。

 無意識に声を出してしまった事に気が付いて、私の顔は熱くなった。


「ふふふ……」


 その声を聞いたアリスは、頬を赤らめながら、濡れたように魅力的な瞳で私を見つめてくる。

 その姿はまるでサキュバスとかそういう生物みたいで、その容姿からは想像できないような妖艶さが漂っていた。


「お金を要求するのと、素の私を曝け出す代わりに、こういう事はお姉さまが望むままにしてあげますと言ったらどうしますか? この状況が急に魅力的に思えてきませんか?」

「あ……ぁ……」


 アリスの言葉に反応して、私の体の芯が熱くなる。

 私は今まで、心の中ではそんな事をしたいと思っていても、実際にはいやらしい目線を送るくらいしかしてこなかった。

 でも……、それだけでも私は十分に満足していたつもりだった。


「私、未経験ですけど、知識の方は女の騎士様から色々教わってますから、それなりに満足させられると思いますよ。まあ、女同士というのは予想外でしたけど、こういう知識も役に立ちましたね」


 だけど、実際にアリスの行為を受けると、今までの妄想が馬鹿らしくなるくらい気持ちが良くて、こんな経験忘れる事なんて出来ないと思うほどだった。

 ああ、柔らかい唇の感触が恋しい……。

 アリスから伝わってくる体温が心地いい……。

 アリスからほんのりと漂ってくる甘い香りが、私の中に満たされてくらくらする……。

 ああ、何故だろう。今まで以上にアリスが愛おしい。

 この愛おしい存在が手に入るのなら、どんな対価だって支払える気がする。

 そうだ、例えアリスがお金の為だけに私に近づいてきた屑だろうと、この体を私にくれるのなら、それで十分じゃないか。アリスはお金と素の自分を曝け出す自由を得て、私はアリスの体を得る。お互いに幸せになれる。それは素晴らしい事だ。


「お姉さまが約束を守ってくださるなら、これ以上の事だって好きにしていいんですよ? それはとっても素敵な事だと思いませんか?」

「本当に……していいの……?」


 私がアリスの両肩を掴んで尋ねると、アリスは妖艶な笑みを浮かべて、答えの代わりとばかりにもう一度唇を重ねてきた。

 私の頭はもう、色々な事があり過ぎてオーバーヒート状態で、まともに動いていない。

 そんな所に、アリスの更なるテクニックが加えられ、私の心は簡単に堕ちた。

 ああ、もうどうなってもいい……。

 アリス、アリス、アリスが欲しい。アリスの、アリスが、アリスを……。


「ぷはっ……わかった……。これからはアリスに出来る限りお金を渡すし、して欲しい事があれば何でも叶えるように努力するから……だから……だからっ!」

「ふふふ……いいですよ。お姉さまが約束を守ってくださる限り、この体はお姉さまのものです」


 そう言われた私は、そのままアリスの体を壁に押し付け、その薄く滑らかでいい香りのする胸に顔を埋めて抱きしめる。

 ああ、アリスの体は細くて、柔らかくて、温かくて気持ちが良い。こんなもの手放すなんて考えられない。

 私は、何かに突き動かされる様に、アリスを求めた。

 ここは危険な迷宮の中だけど、この階層は扉を開けない限り魔物は出ないし、迷宮の魔物は階層を移動できないから安全だ。だから、アリスを……。

 いや、本当はそんな事情は関係ない。私はここが魔物がひしめく危険な場所だったとしても、とにかく今すぐアリスが欲しかった。


「アリスっ……アリス……!」

「あはは、お姉さま、大好きですよー」


 私は飢えた獣のようにアリスを愛し、歪であっても幸せなひと時を過ごした。


「……女騎士に押し付けられたこの嗅ぐだけで効果のある媚薬って、予想以上の効力ですね。こんな狭い場所で使ったから、私までクラクラしちゃいましたよ」


 あまりにも幸せだった私は、アリスが言っている言葉の内容を理解する事も出来なかった。そんな馬鹿な私を、アリスは優しく抱きしめてくれた。


「ははは、汚い男を相手にするより気楽だし、この程度で大儲け出来るなんて最高ですね。本当に人生何があるかわからないものです。ねっ、愛しのお姉さま」


 ああ、私は今、人生で一番幸せかもしれない……。心からそう思った。


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