第一章 「運命の駒はカードと絡む」
「……おい、お前さん、あんた、起きろ。こんなところで行き倒れている気かい? 熊の餌になるぞ。もう少し寝るにしても安全なところにしろよ」
肩をゆすられ、秦太郎は起こされた。思考が再起動すると、目の前には妙に高価そうなサングラスをかけた、そしてバイカースタイルの服装をした少女がいた。
「ーーっ。 うぅ、む」
ーーあの穴が開いてからどれだけの時間が経ったのかは分からない。だが、少なくとも我に返るのには今の太陽の位置から判断して相当な時間を必要としたのは分かる。秦太郎はぐったりとして、場所も知れないところに倒れていたようだった。
「ーー」
視覚情報から、得られそうな有益そうな事態はない。雀のような鳥が遠くの地面で跳ねているだけだ。
色々考えてただ一言を言うならば、周囲は田舎であると言ったところか。7月並に暖かさを感じる。幸いなことに持ち物だけは、何一つとして失っていなかった。
ーー一体、何の茶番だ。地震による破壊の後さえも見えない。
少し冷静になって考えると自分の身体の間接が硬くなっている。骨は折れたりしてないようだが、喉の渇きも考えると相当な間無理な体勢でいたようだ。なんとか起き上がって左右を見れど、この場所に心当たりはなかった。全く見慣れない景色だ。流されたとは考え辛い。
建物どころか新宿の都庁すら見えない時点で、おかしい。世界的に有名なゲーム会社とか入ってる目立つはずのキャロ……にんじんタワーも見えない。それどころか地形すら違う。世界が滅びたとでもいうのか。住宅の気配すらない。
訝しく思いながら、思考を整理する。
「……すまんが此処は何処だ……? 俺は世田谷代田にいたはずだ。房総半島の中だってこんな田舎はないはずなのに……助けてくれて礼は言いたいが、此処は少なくとも世田谷じゃないだろ?」
目の前の女に聞くと、女はグラサンをそっと外した。
「……亜、利果?」
思わず言葉が口に出る。ふと見れば女のその顔は亜利果にとても似ていた。というか、瓜二つである。歳も同じくらいだ。100mほど離れたら、本人と全く区別が付かないだろう。
「アリカ? 私はライナ・フレーンだ。人違いだよ」
だが、女はそう声のトーンを変えずに答えてきた。……正直信じられない。こちらをからかっているのか? 少し騙された振りをしてみるか。
「純粋な日本人に見えるが……ハーフなのか?」
「日本? 知らんな。私はメルフリント人だ」
ライナと名乗った女はそう言い放つ。それも真面目なように。
ーーあぁ、いや、こいつはやっぱり実は亜利果だろう。俺をからかってるのか。メイクなんてしちゃって。女は化けるっていうしな。賢い振りをしているだけかもしれん。それに転生がどうとか言ってたし。そもそも、普段のあいつはとんでもなく馬鹿だ。日本語が通じるのにメルフリントだとかいって馬鹿にして。そんな国、調べてもないはずだ。第一、国連加盟国の193か国+数国を暗記できる俺の記憶には、そんな国はない。それに、だとしたらこうも日本語が通じるのはおかしいだろ。常識で考えよう。
……いわゆる目星ロールって奴だ。少し、試してみよう。
何か引っかかる物はあるものか。……あった。
「そういえばお前、特撮物の自然を愛する幼女系が作品の作り手が透けて見えるようで嫌いとか言ってたな」
秦太郎はおちゃらけて軽口のようにそう言ってみる。
「ーーはい?」
だが、ライナは反応はしないようだった。何の事を言っているのか分からないといった様子だ。
「ーーだから私は、その亜利果ではないって」
困った表情をする、女。反応はあまり好ましくないようだ。困惑の表情が見て取れる。
どうやら単に変な印象を与えただけに過ぎなかった。
「……っ、そうか、変な事を言って悪かったな」
その目を見た瞬間、察した。 先ほどの感覚は気のせいか。 よく考えれば確かにこんな真面目な人間が亜利果である訳が無い。付き合いの長い自分だからこそ分かるはずなのに、アイツならすぐに訳の分からんことをお返しとばかりに言ってくるはずだ。だが、だとしたらこいつは誰なんだ? そして、此処は……何処だ……? 一体、何処なんだ……?
頭が冷静になってくるにつれ足元が土でぬめり、物理エンジンで変なものを作って泥沼へ肩まで沈むような汚い感覚を得る。
れ、冷静になるんだ。今の自分を客観的に判断すれば落ち込んで心が浮いた、とでも言った感じだろう。口が渇く。
どうすれば……いい? 判断に困りかねて慌てて携帯を取り出すが、表示が圏外であり絶望にさらに追い討ちが掛かった。
電波0 圏外
「ーーそんな、圏外だって? 一体何処の山奥だよ? ……畜生」
無線ルータを常に持ち歩いている自分にとって、世田谷では電波が多少一部繋がりにくいところがあるとは経験上分かってるが、相当深い地下でもないのに圏外だなんて都内じゃまずありえないはずだ。GPSさえも起動できないとは。まさか極楽浄土とでもいうのか。代替として通話アプリを起動してどうにか連絡を取ろうとするが、こちらもなしの礫だった。
平常心を保とうとするが、現在地さえもさっぱり分からない時点で混乱せざるを得ない。何なんだこれは? 落ち着け、よく考えろ。 水に濡らした覚えも無いぞ……? あの後に死んでしまったとでもいうのか。
そう動揺をしていると、女がまじまじとこちらを見てきた。
「変わった反応をする人間だな。とりあえず、気は済んだのか? お前は一体、なんなんだ? それにその機械は一体?」
ライナという女に、ふぅと溜息をつかれながらもそう尋ねられる。その目を観察するところではこちらに対しての敵意は無いようだ。油断をするつもりはないが、知りたいことは多々ある。
「ーーわ、悪い。何なんだと聞かれてもうまくは説明できなくてな。それより俺の近くに、女が倒れていなかったか?」
ーーひとまず残念だがスマホでの連絡は諦めよう。イレギュラーな事態だが、とりあえずアイツと連絡を取らないことにはこのままじゃどうにもならない。焦りを隠せず尋ねる。
「いや、私は何も見てないな」
だが、すぐにそう答えられた。あまりの即答にたじろぐが、嘘はついてない様子だ。
「……そうか。あー、すまん、俺は少し取り乱していると自覚しているので信じてはくれるかは分からんが、一つ話を聞いてくれ。これがどういう事なのかは分からないが、一言だけは言えると思う。……俺は時雨秦太郎。どうやら俺は、何らかの原因でこの土地に飛ばされて来たらしい。狂人扱いは、しないでくれよ?」
だから秦太郎は、そう真面目な顔をして説明した。
ーー格好悪い、馬鹿げていると、返事をされることを覚悟に。
「……あぁ成程、第二種人か。よくあることさ。この世界ではありふれている事だよ」
だがライナは、驚くと思いきやそう返してきた。
「第二……種人?」
秦太郎は聞きなれない言葉に聞き返した。
子供にとっての、算数が分からない、と一緒だ。小学生にとっての因数分解のように、単語そのものの意味が分からない。行列とかプール関数とかそんな言葉を初めて聞いた時のような意味不明さ加減だ。
「時々さ、あちこちから飛ばされてくる人が居るんだよ」
ライナがごく自然そうな顔で、そう続けてくる。
「……飛ばされてくるって?」
「何といったらいいのだろうな。突然、【現れる】んだよ」
「……へぇ」
よく分からんが、神隠しで連れ去られてきたって奴に近いものなのだろうか。
相槌を打つと、唐突にこう質問を加えてきた。
「私の方からも聞こう。秦太郎、でよかったか? どうせ訊いたところで大した事は言えないだろうが、質問がある。アンタの世界にショーギ、ってのはあったかい?」
「……し、将棋ィ? なんでそんなものを?」
ライナの突飛な言葉に、思わず唖然とする。
身の上をてっきり訊かれると思っていただけに、拍子抜けだ。それに、将棋の話なんて帰り道でしたばかりだったのに。
「私達のこの世界では、それを発展させたものをメジャーな娯楽としてやってるんだ。観客もチップを賭けたりしている。あんたの世界の人が創始者だと思う。その言葉を聞いた反応からすると、知ってるみたいだね」
「……成程ね」
いつの間にか返答が顔に出ていたようで、勝手に話を進まされた。
この女も、押しが強いのだろうか。相槌を打っているうちにそんな考えがふと、頭の隅をよぎった。
「恐らくあんたの探してるアリカって人も、名声をあげれば見付かるんじゃないかな。……そうだ、これをやってみる気、ある?」
提案してくるところを見ると、人手に困っているのか。だが、安易に誘いに乗るのは好ましくないと見える。古来映画ではこの手で騙す人間が幾らでもいるし、騙されて此処でシベリア抑留の如くじゃ話にならんしな。世の中は最近物騒になってきている。それだけに冷静な判断をするべきであろう。しかし……聞けるべき情報は聞いてはおくべきだろうな。
「将棋自体は経験としてはあるが……それは、どんなものだ? それに、そんなものが普及している理由というのがちょっと分からない。色々説明してくれないか?」
「……ま、その辺についてはちょっともう少ししたら説明するよ。うちの経営するチームって奴が、ここから10数キロ先にある。いずれにしろ提案に乗るかなって事だけは、後で聞かせてもらうよ? デッキの初期投資は肩代わりするよ。見たところ、変な奴じゃなさそうだ」
ライナはそう、言ってきた。
「デッキ? 俺の知っている将棋にはそんなものはないぞ。ルールが違うのか?」
「……そうかもしれないね。まぁ、見に行けば分かるさ」
ライナは軽く笑うと、茶を濁すような感じの態度をとった。
「ふむ」
「なぁに、こっちとしても棚ぼたなんでね。住むところはないんだろう?」
「……こちらを、金の成る木だと判断したのか?」
何が起きたのかは、知らない。しかし、こちらに声をかけるのは、向こうにもリスクはあるはずだ。勇者様だとかそう持ち上げられる心当たりすらもないからな。少なくとも相手の立場として見知らぬ倒れている男に声を掛けるだなんて、自分だったら思いもしない。鉄砲玉を探しているオルグだとかテロ団体や、見世物目当てでもなければ。
とりあえず乗りかかった船だ。銃を突きつけられて死ねばそれはそれでいいと、割り切るしかないだろう。現実を楽観視するよりは余程いい。
「まぁね。ただの行き倒れじゃ声はかけないよ。君の着ている服が目立つ、それで只者じゃないと思ったのさ」
そんなこちらの憶測は他所に、ライナは近くに止めていたバイクを指差した。
記憶になく知らないメーカーだが、サイズから400cc前後の規格であるとだけは推察できる。
「後ろに乗りな。すぐに連れてくよ」
「あ。あぁ……
秦太郎は言われるままに予備らしいヘルメットを受け取ると、さっさと飛び乗ったライナの腰に掴まる。腰元を持つと、着膨れしていたのか体格がかなり細いのが分かった。
……すごく、細いな。日本人より栄養状態が悪いのだろうか。それともこの女はモデルとかなのだろうか?
疑問が出るが、それを口に出す前にエンジンが掛かる。
マフラーは割と見た感じでは普通なので、それほど五月蝿い訳ではない。
「道が悪いから、振り落とされないでくれよっと!」
大気を僅かに揺らしながらも、バイクは走り出した……。
風を切ると木々が流れていくが、稀に杉の木のようなものも見える。まぁ、メタセコイアかもしれないが。
しかし……完全に日本とは別の土地という訳でも、無いのだろうかとも感じる。
頭の中で考えると多数の推測出来る事象はあるものの、今のところは手探りにならざるを得ないという歯痒さが心の中に残った。
出来る限り周囲を観察はしていたが、正直現在地について予想をつけられることは無かった。
それから少なくとも20分は走ったと思う。道の悪さと振動に顔をしかめつつも暫くして到着すると小さな町に入り、少し進むと商店街の一角にちょっとしたコンビ二ほどの面積の二階建ての建物があった。
「……目的地は此処か?」
バイクの後ろに乗った経験はあるので乗り心地は最悪とは言わないが、正直道の劣悪さからするとこのバイクの乗り心地はお世辞にもいいとは言えない。ケツの痛さに不快感を覚えながらもシートから降りる。
「そうだよ。此処が私の仕事場さ。ついてきて」
そんな事をつゆ知らずバイクを止めるとライナはそう言いながらこちらを手招きし、建物の中に通してきた。
「ただいまー」
ライナは部屋の中に向かい、そう声を掛けた。どうやら、誰かが中にいるようだ。僅かに人の気配がした。
返答はすぐに帰ってくる。
「……おかえり。ライナ、協会の挨拶周りご苦労だった。 おや、そこの方はどなたかね?」
鈴の付いた扉を開けて建物の中に入ると、そこはオフィスのような部屋だった。すぐに茶髪のハロウィン衣装のようなごてごてした格好をした男が出てくるのが見える。なんというか……原宿に居そうだ。歳は20代の後半といったところか。室内なのに帽子を被っているとは……頭髪に不安があるのか? そんな疑問も他所に、話は進む。
「オーナー、朗報です。第二種人……異界の人間を見つけました。彼は少なくともうちの戦力になりそうですよ」
ライナが秦太郎を指差しそのハロウィン衣装のような男に対してそう紹介しつつ言うと、オーナーと呼ばれた男は少し値踏みするかのように顔を顰めた後に、急ににこやかな表情になった。
「そうですか。 でかしましたよライナ。少し面接をして、結果がよければあなたの給料をあげてやりましょう」
そしてそのままオーナーはこちらを向いて帽子を脱いでくる。別にオーナーと呼ばれた男は、ハゲでも何でもないようだった。珍妙な格好は、ただのこちらのファッションのようだ。異文化という物はどうにも理解しがたいが、ライナも時と場合によってはあんな格好をするのだろうか。
彼は礼儀正しくお辞儀をすると、ライナにお茶を入れてくれと託けした。
「さ、そこのテーブルでお話をしましょう。お兄さん」
「はぁ……」
言われたとおりに通され、近くにあった白いテーブルに付く。どうやら察するところによると文明レベルはそこそこのようだ。
「私めはここのオーナーでありまして、夕月というものです。ライナから何処まで聞いたかは知りませんが、我々は異世界の人間を渇望していました。それもこれも、この世界では金持ちの上流娯楽として将棋が流行っているのです。一戦において勝てば、金が入る。早い話がそんなものです」
まずは夕月が説明をしてくる。
成程。……早い話が、ギャンブルのダシか。
秦太郎は頷く。だが、そこへ疑問を持ち口を挟んだ。
「言いたい事は分かりました。ですがしかし、そういったものはここの世界の人間でやればいいのではないのかと思いますが? ……正直、この自分に声を掛けたという理由を知りたいです。今のままでは疑念というものを持たざるを得ません。それに、どういった経緯でこの将棋というものが流行り始めたのか。それを教えてください。色々と情報が不足しているので、こちらには軽率に判断が出来ません。まずは何故、将棋というものがギャンブルになっているのか。それが知りたいです」
当然とも思える言葉だからこそ、ぶつける。
すると向こうはその質問がくるのを待っていたとばかりに、すぐに答えてきた。
「ギャンブルというよりは一つのビジネスになっていますけどね。後、異世界の人間が必要なのは……それには相応の理由があるのです」
夕月という男はそう告げると、ふぅと溜息をついて一枚の名刺のようなものを出す。
そこにはミミズがのたくったような記号が書かれていて、とてもじゃないが解読は出来なかった。
「……すみません、読めません」
「……成程。では、こちらは?」
夕月は、また別のカードのようなものを出す。
そこには、回収装置というタイトルで、フィールド上の自駒1つを持ち駒として戻すとテキストが書かれていた。
「そちらは読めますね」
そう返事をすると、
「……素晴らしい!」
と夕月が声をあげた。何が素晴らしいのかは分からないが。
「素晴らしい? 一体どういう事です?」
少し怪しく思ってそう尋ねると、お茶を持ってきたライナが口にした。
「こちらの世界では、所謂君たち第二種人のいうところによる、変体仮名というものが共通文字なんだ。そして逆に、秦太郎が今読めたカードは、私も夕月オーナーも読むことが出来ないという事さ。文字の修得難度が高すぎるんだ」
「……変体仮名? 聴いたような覚えが」
ライナの言葉が少し授業でやったような気がし、レモンティーを口にしていたが記憶の隅にびびっときて鞄から電子辞書を取り出す。科学の英知というものは、素晴らしいものだ。……流石日本製、ダメージを受けたようにも見えず、問題なく動作する。
「……ちょっと失礼」
そして少し調べるとディスプレイに表示がされ、理由が分かった。辞書の電池は数日前に変えたばかりなのが幸いし、容量充分であった。
「……分からなきゃ調べるってのが筋だ。えぇと、変体仮名。成程、源氏物語とかあの辺……なんとかあっても明治時代の文字か。文部省は今教えてない、ときますね。あー、蕎麦屋や鰻屋の看板にある奴ですか。道理で俺が読めない訳だ。しかし、そういう事ならばここは日本と関係があるという事なのですか?」
日本、という単語を出した瞬間、夕月がふむ、と唸った。
「今の私には君の世界の情報は分かりません。ですが、上流世界には君と同じような異界の人間は幾らかいるようですよ。位置はともかく、第二種世界人がおられるようです」
そしてそう、告げてくる。
「……そうなのか?」
事情を確認するためにライナの方を見るが、夕月が話を続ける。
「えぇ。ですから君にはうちのところに所属して、当分の生活費と名声をあげませんか、と言いたいのです。お世話する事は出来ますよ」
「ふむ」
「……それに秦太郎は人探しをしているときたもんだ。だから、有名になればその人も自然と見付かると思うよ」
ライナが口ぞえをしてくる。だが、そこで秦太郎はふと冷静になり、抵抗を試みた。
「あー、ちょっとまってくれ、ライナ。夕月さん」
「え?」
……秦太郎は顔をしかめた。この彼らが自分を引き込もうとするのは生活が掛かっているからではあろうが、どうにも話が出来すぎている気もするのだ。……そもそもあの地震は地震ではなく、何だったのか? ーーその正体という奴が、全くといっていいほどに掴めていないのだ。 映画で見たことのある、アブダクションのようなものなのか。或いはホラー映画のような何かの自縛霊のような思念が絡んだものなのか。自分は事故でここについたのか、……それとも何者かに導かれたというのか? 仮説すら作れないので、とりあえず、場を濁すことにする。こんな場当たり的な事で状況に対して対応していいのかというのもあるし、もしもこれが何かの筋書きであった場合、恐ろしい結末という物があるかもしれない。ある程度、全ての物事に対して疑って掛からねばならないだろう。
「色々……聞きたい事ってのがある」
「何でしょう?」
「他にここに来た人間は、どんな感じで流れ着いたのか知らないか? それに、そもそも将棋自体の歴史が分からない。……俺の世界では古代のインドという国が発祥だとされているが、こっちの歴史を知りたい」
オーソドックスながら、当然の考えだ。
「……一つ目の質問については、残念ながらそれについては私の方では答えは持ち合わせていません。なーんせ、そういう方は体力と実力のある事務所にスカウトされてしまうので、お給金を払えないんですよ。……二つ目についてはライナ、説明を」
夕月が手招きをした。
「はい、オーナー」
言葉を受けて、ライナが分厚く重そうな本を持ってきて、開く。
「我々の将棋は遠い異国から来たとされる学者である吉備 真備吉により1300年前にこの国、メルフリントに伝えられた、とされています。元々この国の中では小さな規模の娯楽ではあったのですが、100年前から起きていた世界大戦が20年前に収束した後に、この娯楽を推し進めよう、と文化復興の為に全国に散らばっていた元々の古の将棋が事業として持ち上げられました」
「マビヨシ?」
「えぇ」
……吉備真備なら歴史上の人物で知っているが、違いそうだな。……もしかすると、ここはパラレルワールドなのか?
少し映画などと類似した条件を頭の中で検索してみるが、思い当たる要素がありすぎて疑心暗鬼になるのを自分でも感じつつも思いを押し殺す。
このケースは既存のどのシナリオに似ている? ……推測しろ、推測。自問自答をしようとするが、中々頭が働かない。
「うぅん……そうか。あ、それなら他に聞くことがある。ここの将棋のルールは、俺の知っている将棋じゃないらしいんだ。細かいルールってのを……教えてくれないか?」
そう告げたところで、ふと、後ろから人の気配を感じた。
「へぇ、それなら私の出番って奴だね?」
「……ん?」
「話は聞かせてもらったよ。夕月オーナー」
声と共に何だか甘い、香水のような匂いがする。
振り返って見れば、若いというよりは幼いに近い容貌の、背の低い少女が立っていた。
上は長袖のシャツ。下はデニムのホットパンツにレギンスを履いている。手にはバスボムかとも思えるようなドきつい色の棒付き飴を持っていた。香水のようと感じたのは、恐らくはこれの匂いだったのだろう。
目はやや釣り際で紫色の髪をしていて、材質としては自分の知識では中々思い浮かばないが、石の一種、スギライトらしいものがついたペンダントをしている。
「むきゅーちゃん?」
ライナが声をあげると同時に、
「無休君。地下でのデッキの調整は終わったのかい?」
夕月が視線を送った。
言葉から察するに、この子もここのスタッフなのだろう。
「上が騒がしいから戻ってきただけだよ。そしてデッキはまだまださ。今の私には足りないものが多過ぎるからねぇ」
無休と呼ばれた彼女はそう言ってきた。
「彼女は?」
「あぁ、彼女は無休 雫。13歳だ。生まれがこちらの人間なのにも関わらずカードテキストを読むことが出来る天才だよ」
すぐに夕月が紹介してくれる。13、というと俺達の世界で言う小学生か。それにしては態度が大人びて見えるが。
「そ、一応この事務所で唯一戦える人間、って事かな。飴食べる?」
無休はホットパンツのポケットから同じメーカーの物らしい小さな袋の飴を出すと、幾つか差し出してきた。
「あぁ、ありがたく貰っておくよ」
秦太郎は手渡しで丁寧に受け取ると一つだけ口に入れた。……なんだろう、奇妙な味だ。フルーツではないようだが和菓子より甘い。一瞬顔に出そうになるが押し込めて、平静を装って話題を逸らすことにする。
「……しかし13歳でも戦いに借り出されるのか」
「私の自頭は並だからランクと勝率はそれほどでもないけどね」
「ランクまで整備されているのか。となるとマイナースポーツよりは少なくとも活気がありそうだな」
「それで、早速だけどさ。君は強いのかい?」
無休は今度は逆質問のつもりなのか、そう言ってきた。
「ーー単純な将棋は分かるが、ここの将棋はデッキだのなんだのと言っていて訳が分からないな。ルールにも違いがあるだろうし、やってみなければ分からん」
そう答えると、
「成程。駒の動きは分かるという事かい。ここの将棋はカードを駆使して戦う将棋なんだよ。君のところではカードを使わないのかい?」
「カードを? あぁ、日本では使わないが」
「そうなのかい。こっちのルールとしてはお互い40枚から45枚のデッキを用意し、最初に3枚の手札を互いに手に入れるってのがあるんだ。そして手番ごとに1枚ずつドローをし、効果などを使用していく。カードの中にはデッキコストを要するもの、駒の減少を要するものなどがあり、使いどころを考えながら相手の王を破壊したりデッキアウト、つまりデッキ切れを狙ったりするんだよ。敗北条件は基本的に王の撃破もしくは、指揮者の持つヴィスポイント、つまり体力。これは同じく昔からあったカードゲームであるブラックジャックってが元で21あるんだけどそれが0になるかデッキ枚数が0になり、引けなくなったタイミングであるって事……これでいいかな?」
随分と分かりやすい説明だ。
「成程。分かった。敗北条件が3つもあるのか。そしてそのデッキ自体がこの世界では読める人間が希少だという事か……」
「あぁ。やれるのかい? なんなら教えてあげてもいいけど?」
「……任せてくれていい、地上のTCGは10種類以上は網羅しているこの俺に勝てる訳がない」
秦太郎は胸に自信を持って、そう答える。が、
「盛り上がるところ悪いが、秦太郎。君達の世界においてのショーギでの実力は強いのか?」
ライナの声だ。痛いところを突くな。
「……すまんが、そっちは生憎素人だ。自分が天才であったりすれば良かったのだがな」
事実、駒の一通りの動き方と簡単な戦法くらいしか知らない。プロから見ればミスプレイ連発で、とてもじゃないが見れたものじゃないだろう。
「んーそれだと心配だな……」
と急激に曇るライナの顔。
「……それならばまぁ……。僕と、一戦するといいよ。オーナー、予備のデッキは無い? ライナの心配を晴らすことは出来そうだけど」
そこで無休がこちらに告げて、地下室へ来な、と手招きをしてくる。
「夕月オーナー。今秦太郎をむきゅーちゃんと戦わせていいんですか?」
「構いませんよ。お手並み拝見としましょう。金が掛かるわけでも無いし、実力を見るにはいいチャンスです。そういえば昨年購入した未開封のスターターがあったでしょう、ライナ、それをとりあえず秦太郎君に使わせてあげなさい。とりあえず玄関を閉めて試合の観戦といきましょうか」
夕月オーナーはライナの質問に、そう返事をした。
夕月のジムの下り階段は、なんだかライブハウスのようにベタベタと歌手らしき人物のポスターが貼ってあった。
「凄い数だな」
「格好いいでしょう? 最近流行の歌手グループ、ドーソン・ワトソン・ポゼッションです。3人組かつツインボーカルで楽器としてはノコギリを使った素晴らしいグループなのですよ」
前を歩く夕月が自慢をしてくる。なんというか、説明からは色物臭がした。
「ほどほどの数でやめろって言ってるんだけどね、オーナーの趣味で隙間が無いくらいにドーソンのポスターを収集してきちゃ貼るんだよ。他の部屋にも伝染しつつあるのが厄介だ。ギリギリオフィスまではやらせないようにしてるんだけどね。まるでどっかの選挙状態だよ」
最前列を歩いていた無休は呆れた声でそう言いながら、鉄のドアを開けた。
……するとそこには、床に大きな黒塗りで赤く枠線の引かれた20m四方の将棋板と、それを挟んで人の立つ台のような物があった。普通の将棋版と違うところがあるかといえば、本来の日本の将棋板で存在するクチナシをあしらった飾りがないといったところだろうか。
「これが将棋板なのか?」
秦太郎は確認の意味も込めて首をかしげる。こんなでかい板、見たこと無い。ネットの動画で見たリアル将棋か何かかよ。
「うん、僕はNPC戦ぐらいしか普段はここでしないんだけどね。お陰で上達はしないよ。コンピューターはAIが弱くてカードを中々使わないからね」
無休がゆっくり言いながら、左右非対称のごつい肘までくるような手袋のような物を渡してくる。
「これは?」
手にとってみると、見た目ほどには重くはないようだ。
「んー、それはね、手の両方に嵌めるんだよ。名前は ストラテジィ・グローブ。手の甲にデッキをセットするところがあるでしょ? デッキセット部分にオートシャッフル機能と、指先に駒を遠隔タッチする機能があるんだ」
「成程。こんなにフィールドがデカい板だと迫力はあるけど、一々手で駒が動かせないからな。そう言うことか」
AR技術に近いものかと頷きつつも秦太郎は受け取ったグローブを嵌めると、ライナからデッキを受け取る。
「……セット前に、この内容を確認していいか?」
「構わないよ。僕も時間あるし、5分くらい時間をあげるよ」
無休が言ったので、秦太郎はざっとデッキの中身を見た。