1.
いつだったか、友人に話していた“最近書いてる意味の分からない話”です。
読んでみると、内容がなんとなく分かると思います。
忘却のその先へ
名も知らぬ鳥が森のどこかで鳴いているのが聞こえる。昨日までの雨で、森には静けさが残っていた。地面は大分乾いているから、日課である薪拾いも滞りなく終えられそうだ。
車輪と持ち手が着いた木箱を押して、少女は淡々と木の枝を投げ入れる。
押しては屈んで、拾っては投げ入れ…。危険な動物の住処からは離れているため、周りのことは気にせず単純作業の繰り返しをしていた時だった。
「あら…何かしら?」
少女はふと薪を拾う手を止め、様子を伺う。見れば、人が倒れているではないか。
「大変っ‼︎こんなところで倒れていたら誰にも見つからずに死んでしまうわ」
少女は木箱をひっくり返し、空にするとその倒れていた人を押し込んだ。半分程はみ出しているが運ぶには問題なさそうである。薪拾いの作業が遅れてしまうのは致し方ない。
家に着くまでに壊れなければ良いのだが、そんなことは気にしていられなかった。
安静にするため、布団に寝かす。
フードを被っていて気が付かなかったのだが、どうやら男の人のようだ。それに、凄まじい戦闘でもしてきたかのように全身傷だらけだった。
(それにしても、この人はどこから来たのかしら…)
少女はやれるだけの傷の手当てをしながら、考えていた。
ここは人里離れた森のど真ん中である。少女自身が人里に下るのは年に数回、それも片道3日程掛けて行くのだ。
迷い込んでしまったというには限度がある気もするが、理由は分からない。この人はどこかで落として来たのか、荷物を持っていない。初めから何も持っていなかったのだろうか。だとしたら、どこからか逃げてきたのか?
少女の頭の中をぐるぐると様々な考えが浮かぶ。
そんな時、男の指がピクリと動いた。薄っすらとだが、瞼も開いている。
「大丈夫?」
少女が顔を覗き込むと、男はハッとしたように起きあがった。
「ここは…」
力なく呟かれた声。
(しゃ、喋った…‼︎‼︎)
少女の目がキラリと輝く。
「ここは私の家よ。あなたは誰?どうして倒れていたの?どこから来たの?何してたの?それから……」
矢継ぎ早に少女から浴びせられる質問に、男は呆然としたように見つめ返す。
「ごめんなさい。人と話すのは久振りだから、つい嬉しくて…。私はリラ、あなたは?」
それに気付いて、少女は自分に呆れたようにアハハと笑う。
男が朧気な視線を向けた先はリラの髪だった。
「…なるほど、ライラックに似つかわしい綺麗な色だ」
言葉が話せるようで、安心する。
リラとは、ライラックの花の別名だ。濃いわけでも、淡いわけでもない特有の紫色の香りの良い花を木々に咲かせる。
「褒めてくれてありがとう、自分の名前は分
かる?」
怪我をしていたから、一時はどうなるかと思ったけれど結構意識ははっきりしているみたいだった。
一度に聞きすぎるのは、やはり良くなかったかもしれないと、リラはもう一度名前を問いかける。
暫しの沈黙の後、男は口を開いた。
「俺は…“カンナギ”と呼ばれてた……」
「呼ばれていた?今は違うの?」
「…分からない。何も憶えてないんだ、気がつけば追われてた…」
「記憶を失い…でも、何故か追われているということ?」
「そういうことになるのかな…」
「なら、私が匿ってあげるわ。事が済むまでうちに居ればいいのよ!」
「⁉︎」
かくして、奇妙な共同生活が始まりを迎えたのだった。
台所の後ろでガラガラと戸を開く音がすれば、昨日とは違う新しい一日がやって来る。
「おはよう、カンナギ」
笑顔で振り向くと、カンナギはこちらへ視線を向けていて、
「おはよ、リラ。今日も元気だね」
と、少し笑った。笑うのに慣れていないのか、はたまた下手なのか、カンナギの笑みは顔に貼り付いたような笑みに見える。
まるで、どこか別の場所に感情があるような気がしてならない。
カンナギには記憶がないらしい。けれど、誰かに追われているようでリラはそんな彼を匿うことにしたのだ。
光が照らすと赤らんで見える色素の薄い綺麗な髪…。町とかに出た時も見たことがない、澄んだ瞳。本当にどこから来たのか、不思議でもある。たぶん、表情が色々とぎこちないのは過去の記憶をなくしているせいなのだろうと思う。
聞けば、歳は『おそらく、17か18』とのことなので、リラより一つか二つ年上のようだ。
両親を亡くしてから、その両親が遺してくれたこの家を守るために一人で暮らしていたから、同世代の人とこんな風に話が出来ることにリラは嬉しさを覚えていた。
食事をしながら会話を交わす。誰かと一緒に食卓を囲むなんて何年振りだろうか。
「リラはここに住んでいるんだよね、その…両親とかは…?」
聞きづらいことではあるが、気になるのも当然のことだろう。
「父様も母様もいないわ。私が十歳の時に山で事故にあったの」
普通は言うのも躊躇われることに、明るい笑顔が飾る。
「そうなんだ…聞いてちゃってごめん」
「別にいいわよ。寂しいなんて思ったら、きっと二人とも心配するから思わないことにしたの。母様が元々病弱で家のことも一通り出来なければならなかったし、私が二人の分まで前を向いて歩かなければいけないのよ」
自家製だと言うパンにかぶりつきながら、笑顔を見せる少女は天然なのか、鋼の心を持っているのか区別がつかなかった。
「…強いんだね」
カンナギが、自分で呟いた言葉に何かふつふつと込み上げるものがあるのを感じた。
(ただの気のせいだろうか…)
「今、何か言った?」
「いや、なんでもないよ。それにしても、リラは料理が上手なんだね」
小声で呟いたからか、リラの耳には届いていなかったようでカンナギは安堵しつつ、話を切り替えた。
「口に合って良かったわ。野菜は朝採れた新鮮なものを使っているから美味しいのよ」
「畑があるの?」
「ええ、田んぼもあって去年はお米が不作だったのだけれど、小麦とかも作ってるのよ」
「へえー、すごいんだね」
窮地に立たされ、意思を固めた女性ほど逞しいものはないと感じた瞬間だった。
※追記
リラというのはライラックの別名ですが、花の色は様々です。ただ、ライラック色というのが紫のようなピンク色なので、そんなイメージから来ていたりします。
髪の色を白だと連想した方もいるのではないかと思い、説明を追加させて頂きました。
ご覧頂いた方々、お読みいただきありがとうございます。