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にわか軍師出陣

 朝日を背に受けてドワーフ隊長の歩兵オーガ部隊が出陣してゆく。

 幸雄はディフィルが手綱を取る馬に便乗して眺めていたが、小柄なドワーフ隊長に従うオーガ達が巨体のために、ドワーフ隊長の勇姿がまったく見えなかった。

「なんか壮観なんだけど、これはこれでちょっとせつないものがあるなあ。やっぱ隊長はでかくてごつくて背中で語れるくらいが格好いいよな……」

 非常に個人的な嗜好まみれの評価が幸雄の口から洩れた。

ドワーフ隊長からすれば、幼い少女が駆る馬に同乗させてもらっている男にこんな評価をされるのは甚だ不本意であろう。

「さて、そろそろ我々も出ようか」

 横につけている馬車の窓から魔王の声が聞こえてきた。

 約二〇〇人の人狼たちが軽快な足取りで左右に分隊して出て行くのを見送り、後詰めの魔王直属部隊一〇〇騎と悪魔隊長のレッサーデーモン部隊が動き出す。

さらには、その上空にハーピー部隊が舞い上がり、差し込む朝日を遮る無数の黒点を大地に描き出した。

「やべー、なんか急に緊張してきた。なにしろ、これから世界が魔王の手で闇に閉ざされるんだもんな」

 魔王による支配というものが、自分が以前、元の世界でやっていたゲームのように単純なものではないと現在では理解している。

だが、そう考えた方が妙に興奮するのもなぜか否めなかった。

もしかしたら、怪しげな背徳感が中二脳を余計に刺激するのかもしれない。

しかも、今や自分がその一翼を担っているのだ。

 もはやただの客人ではない。

 自分の立てた作戦で二〇〇〇もの魔物の軍勢が、この世界で最大の難所とも言える中央山脈の城砦を打ち破らんと進軍してゆくのだ。

幸雄は湧きあがってくる興奮に身を震わせた。

「ほよっ?」

 幸雄に抱きつかれていたディフィルが、背中を通して伝わってくる微かな振動に妙な声をあげた。

「おっと悪い、こいつは武者震いだぜ」

「武者狂いってなあに?」

「狂ってねーし、そんな妙なフェチでもねえ。震えたんだよ、武者震い! なんかでかいヤマに臨む時とかにちょっと緊張してブルッてきちゃうあれだよ、あれ。お前もそういうのあ……なさそうだな」

「ないよん?」

「なんかこのロリに言われると妙に腹が立つな」

「じゃあ横になるのん?」

「ならねーよ、意味不明だよ。ただでさえ揺れるんだからちゃんと座らせとけよ、お願いしますよ」

 微妙に話が噛み合っていないような気がするが、まあ相手が相手だけに仕方がないだろうと幸雄は早々に諦めた。

もっとも、ルティアネスとの会話は文句なく楽しいが、このヴァンパイアとの会話もたまにイラッとくるが、充分に楽しいと感じている。

 あれっ、女なら誰でもいいのか? と一瞬思ったが、すぐに首を横に振って否定した。

 たった二人しか対象になっていない。

 統計学的にそんなのありえない。

 アホなことを考えてしまったなと思ったが、そのおかげか尖り固まっていた緊張感はきれいさっぱり消え失せていた。

どうやらこのロリにはリラックス効果があるらしい。

一家にひとり欲しいところだが、ひとりしかいないから誰にもあげるつもりはない。

 レンタルなら金額によっては……などと人権を無視した横暴なことを考えていると――

「ゆっきー、くすぐったいよん?」

 耳元から甘ったるい声が聞こえてきた。

「おっと、悪い悪い」

 どうやら馬の揺れに合わせて両手がディフィルの横腹を撫でまくっていたらしい。

 幸雄は改めてディフィルの無駄な肉のない体を抱え込むようにがっちりとホールドした。

 しかしディフィルが幼児体型で本当に良かったと幸雄は思った。

これで細身とはいえルティアネスくらいのスタイルだったら、腕が胸に当たったりして正気を保っているのが困難だったに違いない。

もっとも、現状でも元の世界だったら別の意味で完全に通報されているレベルだな、と幸雄は内心で冷や汗をかいた。

 やがて全軍が森に覆われた中央山脈の麓で配置に着くと、魔王の号令の元に作戦開始の鐘が打ち鳴らされた。

これまでの戦闘経験上、敵は中腹辺りまでこちらを誘い込んで迎撃してくるため、この辺りでの交戦はない。

 ゆえに、ドワーフ隊長のオーガ部隊が山道の周囲に生い茂る木々を伐採してゆくのに邪魔は入らない。

 ゲームや漫画に出てくるような悪逆非道な魔王なら、邪魔な森林があれば焼き払っているだろうが、世界の滅亡ではなく支配を目的とするなら、環境破壊は自然界に対しても人間社会に対してもマイナス面が大きく下策でしかない。

だから魔王もそんなことはせずにこうして苦戦してきたのであり、幸雄もその意見に異論はない。

もちろん、ルティアネスが望むはずがないことを進んでするつもりもない。

だからこそ、少々面倒でも最小限の破壊で済ませるために、幸雄が考えた策は山道周辺の木々のみ伐採、もしくは上空を覆う枝葉のみを斬り払うことだった。

「いいぞ、その調子だ」

 幸雄は魔王の本陣で床几に座り、少しずつ空の色を増やしていく前方を眺めて笑みを作った。

「そろそろハーピー部隊を出してくれ、予定通りに、な」

 特定の隊長を持たないハーピー部隊を今回は幸雄が指揮することになっていた。

傍らで控えていた伝令兵が走り去り、すぐに合図の鐘が鳴った。

 ばさり、という重量感を持った羽ばたきの音がいくつも重なり、数十メートルの助走を経て人面の巨大鳥型モンスターが奇声を発して次々と空へと飛び立ってゆく。

普段であれば御免こうむりたいけたたましい騒音も、この時ばかりはむしろ誇らしく感じるから不思議なものだ。

 だいぶ森が拓け、敵からの攻撃が始まる前に部隊の役割が変わってゆく。

伐採を担当していたオーガ部隊が大盾を構えて前方からの攻撃に備え、レッサーデーモン部隊が周囲の枝葉を次々に落としにかかる。

 その後方では人狼部隊が突撃の命令を今や遅しと待ちかまえている。

 その状態を維持しつつ、ゆっくりと前進を再開したのだ。

 その光景を後方から視界に収める幸雄は、今までにない充実感と興奮とに中二脳が沸騰しそうだった。

「うおー、すげえな、軍師まじやべー。これ全部俺が操ってるようなもんだろ」

「ゆっきー、まだ戦ってないよん?」

「いいんだよ、二〇〇〇もの闇の軍勢を指揮するなんて、それだけでもう全俺が泣くレベルなんだよ」

「ゆっきー、泣いてないよん?」

「そういうネタなんだよ、いちいち水差すなよ……まあいい、俺は今非常に機嫌がいいからな」

 幸雄はエロ動画でも眺めるようにニヤニヤしながら、傍らのディフィルを適当にあしらいつつ、自分の作戦に従って動くモンスター軍団の行動を目で追っていた。

 すると、どこからともなく緋色の霧が周囲を包み始めた。

本当にうっすらと、始めはそれと気付かないレベルで浸透した霧が、次々と足元から這い上がって濃度を増し、いつしか赤いレンズでも通して見ているかのような状況に陥っていた。

「へえ、こいつが噂の緋色の霧か……結構地味だな」

「ゆっきー、お顔が真っ赤だよん、なんで照れてるのん?」

「お前も全身真っ赤だよ、怒りまくってるのか?」

「うん? ほんとだ、あたしも真っ赤だよん。熱が出てき――」

「出たのは霧だ、ちなみに火も点いてないから安心しろ」

 ヴァンパイアの残念なボケ――本人にそのつもりはないようだが――に、より残念なボケ封じで返した幸雄の耳に、遠くから鋭い金属音がいくつも連続して響いてきた。

ついに敵の反撃が始まったらしい。

緋色の霧で若干視界が狭くなっているため、最前線までは見通せなかったが、おそらく予想通りオーガ部隊に対して身体強化された敵兵が襲いかかってきたのだろう。

 幸雄は上空を見上げた。

さすがに高い空までは霧の効果は及んでいない。

背の高い木々のやや上辺りまでで薄い緋色が途切れ、二層構造のようにそれより上は先程までと同様、青空が広がっている。

その空の中、切り拓かれた森の隙間から見える先、そこには小さいがいくつもの黒い染みが散見される。

ハーピー部隊が山頂へ向けて移動しているのだ。

「さあ、もっとも霧の濃い場所を探し出せ。そこに敵の術者がいるはずだ」

 ほどなくしてハーピー部隊が急降下を開始したのが遠目に確認できた。

撃たれて墜ちたのではない。

 獲物を見つけた猛禽類のように、生物の死角のひとつである上空から敵へと襲いかかったのだ。

拓けた場所なら上空からの投石攻撃、枝葉などで対象をはっきりと確認できなければ樹上あたりまで近づいての投石攻撃を指示してある。

これまでのことを考えるなら、おそらく敵は上空に姿を晒してはいないだろう。

平地での戦闘では、ハーピー部隊の空からの攻撃になす術なく散々痛い目を見てきたのだ。

 だからこそ、敵軍は飛行戦力を封じる意味も込めて山での戦闘に持ち込み、魔王軍に対して互角以上の戦いを成し得たのだ。

「まあ、それも今日で終わりだ。この俺が出てきたからにはその程度の作戦が通用すると思うなよ、ふはーはっはっはっは」

「ゆっきー、その笑い方似合わないよん?」

 ふんぞり返って豪快に笑う幸雄を、小首を傾げながらディフィルが評した。

「いいんだよ、一度やってみたかっただけなんだから」

 まったく中二思考のわからん奴だ、後で中二教育してやろうかと幸雄が邪悪な構想を練っていると、ふいに周囲の霧が薄れたような気がした。

「よしっ! 予定通りだ」

 次第に赤い色調が薄らぎ、世界に本来の色が戻ってくる。

「作戦第二段階だっ! 人狼部隊出撃!」

 合図の鐘が鳴り、既に狼へと変身を遂げていたラッテが緋色の霧の残滓を吹き飛ばすかのように、山の隅々まで響き渡るような、どこか人間の本能に恐怖をもたらす遠吠えを放った。


 これまでずっと控えに甘んじていた狼たちが、その憂さを晴らすかのように一斉に走り出した。

山道だけでなく、人が通るには難しい倒された木々や切り落とされた枝葉が敷き詰められた森の中も、何の障害も感じさせない鮮やかな身のこなしで駆け抜けてゆく。

「あそこに敵の術者がいるのか」

 ラッテは頭上に拓けた森の隙間から、場所を示すように一点を旋回飛行するハーピー部隊を目視して山中における場所に当たりをつけていた。

投石用の石がなくなれば、ハーピー部隊は攻撃を中止して上空で待機するよう指示が出されている。

 スピードに乗った人狼部隊は、オーガ部隊と交戦していた敵勢力を道端の小石同然にあっさりと置き去りにし、ラッテを先頭にして傾斜の緩い森の中を一気に駆け上がって行く。

 課された任務は敵術者の捕縛だ。

多少の怪我はやむを得ないが、殺してはだめだと厳命されている。

それは、相手が西国の陽巫女であるからだ。

 捕らえれば交渉で片がつく。

うまくいけば一気に戦争が終わる可能性すらある。

しかし、殺してしまっては敵国の意思決定の最高責任者が不在になるため、最悪の場合、泥沼の消耗戦へともつれこんでしまうかもしれない。

それはルティアネスがもっとも忌避するところらしい。

それに、普段なら軍の方針に口を出さないルティアネスが、西国の陽巫女をたすけてほしいと魔王に直談判したという話も聞いている。

 それもあってか、にわか軍師となった異界のラスボスから「ダメ、絶対!」と念を押されているのだ。

ハーピー部隊も同様だ。

おそらく西国の陽巫女は彼らの攻撃で負傷したか、少なくとも術の続行が不可能な状態に陥っていることは確実だ。

後は身柄の確保だけだが――

「そうは問屋が卸さないってことだね」

 風を切る音に紛れて、上空からハーピーたちのけたたましい悲鳴と羽音が大きくなってくる。

 鬱蒼とした木々に遮られてその姿はよく見えないが、戦闘が展開されていることは確かだろう。

陽巫女の護衛部隊か、山道の先、やや拓けた場所に金属の鈍い光沢がひしめいているのが見えた。

 こちらに気付いた数人が槍を構えて防御態勢を固めてくる。

重くて硬い全身鎧を装備した重装歩兵は足場の悪い山岳戦には不向きだが、何かを護ることに関しては他の追随を許さない。

ハーピー部隊も奇襲は成功したものの、その後は上空待機の命令を受け、反撃を受けてただ騒ぎ立てているといったところだろうか。

こういう時に隊長がいれば、その場で状況に応じた指示を出せるのだが、それができない以上、彼らはにわか軍師の最初の指示に従い続けることしかできない。

「無理に相手をする必要はない。散会して回り込め! 敵術者を確保し次第離脱する」

 ラッテの指示に狼たちが瞬時に反応する。

左右に分かれて山道の両脇の森の中へ姿を隠し、重装歩兵がこちらを見失っているうちに裏手に回って山頂方面から襲いかかった。

 重装歩兵への対処はよく心得ている。

 彼らの防御力は高いがその重さゆえに動きが鈍い。

 こちらの爪や牙は弾かれてしまうが無理に殺す必要はない。

 とにかく相手の体勢を崩して倒してしまえばいいのだ。

 自重で起き上がることさえ困難なため、それだけで戦闘不能状態に持ち込むことができるのだ。

人狼たちは側面からのタックルや頭部への飛び付きを繰り返し、一匹でダメなら数匹がかりで次々に敵兵を地面に這いつくばらせてゆく。

しかし――

「おかしい」

 ラッテは違和感を覚えた。

敵の重装歩兵にあまり歯応えがないこともそうだが、こちらを切り崩して離脱しようという意思に欠けているように思えてならない。

普通なら、その場での戦死覚悟の『壁役』が突破口を開いて文字通りの人の壁を築き、護るべき者だけでも逃がそうといった行動を取るのに、さきほどからそういった動きがまるで見られない。

かといって諦めて降伏するような気配もない。

これは内側に護るべき者を抱えて敵に包囲されている戦士たちの戦い方ではない。

 ――では、何か?

 最前線から後退し、ラッテは周囲を窺った。

 一〇メートル四方くらいに拓けたその場所は、樹齢数百年かそれ以上と思われる大樹に周囲を囲まれて頭上をその巨大な枝葉で覆われている。

そのため、上空からは見えにくく、かつ、それなりの広さを確保できている空間だ。

その一角に木板を敷き詰めて五メートル四方くらいの平らな床を作り、四隅に篝火を焚くための燭台が配置されている。

 ルティアネスからの情報で、陽巫女は舞を捧げることで個人の実力以上の大きな力を現出させることができると知っている。

あれほどの広域巫術はさすがに舞なしで織り上げることは不可能だろう。

ゆえに、ここがそのための舞台のひとつであったことは想像に難くない。

 その舞台を中心に重装歩兵が何重もの壁を作っている。

自分たちはそれを包囲し、かつ、退路を断つように山頂側からの攻撃を厚くしている。

この状況下で動きを見せないという選択肢を自分なら持ち得ない。

だが、もし伏兵を潜ませているなら――

「いや、それもおかしいか」

 敵はこの山岳戦に至ってからは、絶対の防御をほこってここまでの侵入を許してこなかった。

 である以上、主である陽巫女を護る部隊がいるのは当然としても、そこにわざわざ伏兵を配置する理由など見当たらない。

 自分はそれほど頭の切れる方ではないとラッテは自覚している。

異界のラスボスもどきがこの辺りの地形と敵味方の戦力を知っただけで立案したような作戦さえ思いつかなかったのだ。

それよりも自分の野生の勘で危険を察知し、勝機を知覚して戦ってきた。

 その勘が今の状況をおかしいと囁いているだけで、それ以上のことはわからない。いや――

「待て、もし既に陽巫女が脱出した後だったらどうなる?」

 まさに勘だったが、ラッテにはそれがとても的を射ているような気がした。

 陽巫女がここにいないなら、彼らが動かないのも納得がいく。

彼らの目的がここに自分たちをひきつけ、陽巫女ができるだけ遠くに逃げる時間稼ぎをしているのだ。

「なら、こんなところで時間を食っている暇はない」

 ラッテは素早く決断を下した。

「隊を二手に分ける! 二番隊、三番隊は引き続き攻撃を行い、一番隊、四番隊は拙者に続けっ!」

 進軍を続ける遠吠えを空に向かって放つと、ラッテは約一〇〇匹の狼たちを連れて山道を駆け上がっていった。

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