修行中も危険
戦線は膠着状態が続いていた。
陽巫女による巫術で強化された西国軍は、魔王軍の力押しを完璧なまでに押し返し続けたが、逆に平地へ侵攻すると空からの攻撃の前に有効な対策が取れずに山間部への後退を余儀なくされてしまう。
そんな押しつ押されつの状況がもう一週間近く続いていた。
「まだルティアネスさんを保護できないのですか?」
西国の砦内の一室で、疲れの色を隠しきれない陽巫女が武装神官のスクディートに問い質した。
「申し訳ありません。異形の軍団の反撃が思いのほか強く、なかなか敵の陣地まで攻め寄せることができません」
スクディートのその言いように、言外にお前の巫術がもっと強ければなんとかなったんだ、という非難めいた色が含まれていることに、さすがの陽巫女も気付くことはできなかった。
「まさかあのような者たちがこの世界に存在していたなど……本当に、ルティアネスさんが無事でいてくれることを祈るしかありません」
一度は保護したという知らせを受けて喜んだのも束の間、異形の軍団にさらわれてしまったと聞いた時は、本当に血の気が失せたものだ。
以来、前線のスクディートからの要請を受けて都から出てきたものの、怖ろしいモンスター軍団の姿を見て、彼らにさらわれたというルティアネスのことが心配でたまらなかった。
毎日のように何時間も舞を奉納し、自軍の兵士たちをサポートし続けているが、一向にルティアネスを保護したという報告は入らない。
焦りや苛立ちよりも疲労のほうが目立ち始め、陽巫女も非戦闘時はベッドで横になっている時間が増えてきていた。
早くなんとかしないと、と苦悩する陽巫女を、スクディートはどこか冷めた目で見つめていた。
西国の陽巫女が怖れる魔王軍の陣地で、幸雄はここに着いてから魔王の天幕で寝泊まりし、昼はルティアネスの元で治癒魔法の修行に明け暮れていた。
「イメージ……イメージ……」
今日も午後一の日課となっているイメージトレーニングで、幸雄はなぜか野戦病院のベッドの上で座禅を組んでぶつぶつと呟いている。
姿勢はお任せしますというルティアネスの言葉に素直に従った結果、瞑想イコール座禅という等式が成立したらしい。
お約束を重視するその中二脳内では、傷を負った魔王を自分が魔法で治療してやっている映像が繰り返し上映されている。
他の誰でもなく魔王を負傷させているあたり『俺、超つえー』発言をした魔王をやっかんでいるのだろう。
「……いめーい……いぇーい」
その隣では小さなヴァンパイアが同じように座禅を組み、体操選手のような柔軟さで前のめりに頭と胸をベッドにくっつけて、呼吸するように怪しげな寝言を唱えていた。
こちらも幸雄が遊んでくれないので、暇を持て余して一緒に修行を行っているのだ。
もっとも、夜行性がたたってか、もっぱら修行という名の昼寝の時間と化していたが。
幸雄は少々焦っていた。
修行を始めて数日経つが、まったく魔法が発動する兆しが見えないのだ。
ルティアネスは焦らないでじっくり取り組んでください、と言っていたが、幸雄としては期限がある以上、少しでも早く身につけなければ何の役にも立てず――それどころか、むしろ余計な仕事を増やしただけでさよならということになりかねないだけに、余計に焦りを感じていた。
ゆえに、いくら愛しの師匠の言葉とはいえ唯々諾々とは従えない。
だが、焦れば焦るほどイメージにノイズが混じり、怪我の度合いも治癒の過程もテレビアニメのお風呂シーンのように湯気が湧きたって鮮明にイメージできなくなる。
「ダメだダメだダメだ、ブルーレイブルーレイ……」
脳内で結構な金額を払って鮮明な画質を取り戻そうとする幸雄だが、その邪念が逆に集中を欠く要因となってさらにイメージが崩れていく。
もはや湯気どころかデジタル映像からアナログ映像へと退行してしまっていた。
「くっそう! 妄想なら偏差値八〇クラスのはずなのに、なんでうまくいかないんだ?」
模擬試験で全国トップクラスを誇る化学や数学より妄想の方が得意な幸雄だったが、それでも魔法の発動どころかイメージトレーニングさえ満足にこなせない。
魔力というものの扱いも幼少期から当たり前のように慣れ親しんできた陽巫女とは異なり、幸雄はその存在さえ把握できず、扱う以前のところで立ち往生している状態だ。
そんな先の見えない迷路からルティアネスが幸雄を導き出そうとしてくれているが、天性の才を持つルティアネスにとって、他人が自分と同じようにはできないことを改めて実感して、こちらも指導法を暗中模索する日々を送っていた。
とはいえ、ルティアネスもいつかは後進の指導に携わることになるはずなので、こういった経験は決して無駄にはならないと思っている。生真面目な性格ゆえにルティアネスも親身になって幸雄の指導を続けていた。
「ルティア殿はいらっしゃるか?」
傷病兵にとって傍迷惑な三人がうんうん唸っている中、入口の幕が押し開けられた。
しなやかな肢体を天幕の中へと滑り込ませてきたのは、短めにカットされた銀髪から獣耳がピンと突き出した人物だ。
相変わらず短衣に短パンというラフな格好をしている。
「あらっ、ラッテさん、お怪我ですか?」
「ああ、ルティア殿、すまない、ちょっとしくじった」
「おっ? お姉さまの声だ」
聞き覚えのある声に幸雄がうっすらと目を開けると、数日前に魔王から紹介を受けた白銀色の髪を持つ女性が視界を横切っていくところだった。
よく見ると、右の上腕から彫刻品のような美しい肌を汚すように赤黒い筋が歪に刻まれている。矢傷を負って血が流れた跡らしい。
「むむっ!? ゆ、ゆっきー殿もいらしたか。怪我でもされたのか?」
幸雄の声に耳をさっと閃かせたラッテは、苦手意識でも持ってしまったのか、しっぽを逆立ててびくりと立ち止まり、しまったという表情を浮かべてから気まずげに取り繕った。
「いやいや、俺は師匠に弟子入りして治癒魔法の修行中なんだ。近いうちに師匠の右腕として大活躍するから、それまで元気に怪我しててくれ」
「コバヤシユキオさん、意味がよくわかりませんが、きっと失礼です」
幸雄の根拠のない暴言を即座にルティアネスがたしなめる。
「はい、師匠! ごめんなさい、お姉さま!」
「い、いや、いいんだ、気にしないでくれ」
座禅を組んだまま、聖母像に祈るように両手を組んで目をウルウルさせて見つめてくる幸雄にドン引きしながら、ラッテは生徒指導室から抜け出す生徒のようにそそくさと幸雄のかたわらを通り過ぎてルティアネスの前の椅子に腰を下ろした。
傷口を見るなりルティアネスはやや険しい顔つきになる。
患部に両手をかざし、呪文を唱えると淡い光がその手に宿り、患部を包み込むくらいの大きさに膨れ上がる。
「……明らかに矢傷です。ご自分で抜かれましたね?」
「ああ、あんな物ぶらぶらぶら下げて歩くのも鬱陶しいし――」
「ダメですよ、魔法で治せるとはいえ筋組織を不必要に痛めますし、出血も多くなりかねません。浅かったからいいようなものですが、次から必ず私に抜かせてくださいね」
「わかった、すまないな、ルティア殿」
後方で二人のやり取りを聞きながら、幸雄はなんとなく落ち着かない気分になってくる。
――なんだろう。普通に医者と患者の会話なのに、妙にいかがわしい会話に聞こえてくるんだが、これも最近目覚めた中二脳ならぬ中坊脳のしわざか?
「しかし、皆がルティア殿の治癒魔法を受けられれば楽なのに、人間と我ら亜人種しか効き目がないというのも難儀なものだな」
「ええ、私もびっくりしました。魔王さまのお話ですと、私たちとモンスターの皆さんとでは、体組織の構造がかなり異なっているらしくて、治癒魔法の効果に大きな差が出てしまうそうです。なかにはかえってダメージを受けてしまう方もいらっしゃるらしく……」
ルティアネスの声を聞いて、悔しいのかもしれないな、と幸雄は思った。
ルティアネスが癒しを司る陽巫女であることを、幸雄もつい先日、魔王から聞いて理解していた。
すべての人々を治癒する偉大な力をその身に宿しながら、しかし、この魔王軍の中では隊長格の三人の内二人と、獣人を除くほとんどのモンスターの治療ができない。
そのため、現在この野戦病院では旧東国から彼女を慕ってついてきた兵士たちや戦場で負傷して捕虜となった西国兵士――ルティアネスは不要と言ったが、東国兵たちの強い要望で身体を縄で拘束している――しか治療を行っていない。
ゆえに、力を持ちながらも使いようがない。余力がありながらも全力を出し切れない。しかも、敵軍の陽巫女のせいで戦線は長らく膠着しているという。
ルティアネスの生真面目な性格からして、忸怩たる思いを抱えているに違いなかった。
そこがまた惹かれるところでもあるのだが、そういった苦悩を少しでも和らげてあげるのが自分の役目だろうと思い、幸雄は沈みつつある雰囲気を変えてみることにした。
「そういえば、お姉さまって人狼だよね?」
既に魔王から聞き及んではいたが、幸雄は改めて尋ねてみた。
「うむ、たしかに私は人狼だが?」
「やっぱり、俺の目に狂いはなかったな。いやあ、俺の出身世界にも人々から『神』と呼ばれる狼の化身がいて――」
「なんと、我が同族にそれほどの者がおられるのか!?」
数日前、幸雄から飛び離れたのとまったく逆に、突然目の前に出現したラッテに幸雄は思わずのけぞって、ベッドから落ちる寸前でそのラッテに両肩を掴まれて事なきを得た。
と思ったら、今度はぐいっと力任せに手前にひっぱられて危うく頭からラッテの豊満な胸に突っ込みそうになった。
しかし、力強い腕力でベッドの中央辺りで固定されてしまう。
「くっ、ラッキースケベが、って、ちょっ――」
だが災難は終わらなかった。
今度はその豪快な腕力で前後にシェイクされ始めたのだ。
「ゆっきー殿、その我が同族の話、じっくり聞かせてはくれぬか?」
――よ、喜んでる! なんか激しく喜んでる! でも、これはちょっと無理! 死ぬ!
「ちょ、く、苦し、ちょっと、師匠、たすけ――」
「――っ!?」
幸雄がたすけを呼ぼうとした瞬間、突如室内に爆発的に炸裂した凄まじい殺気にラッテは時間を逆回ししたかのように後方に飛び退った。
そのまましっぽと耳を逆立てて幸雄に、いや、その隣で赤い瞳を光らせるヴァンパイアに視線を移して、ごくりと息を呑み込んだ。
ゆらりと幼い体を起こしたヴァンパイアが周囲を睥睨する姿は、むしろこの場の支配者であるかのようだ。
殺気などという言葉でしか知らなかった気配を本能的に感じとって、幸雄でさえ身を竦めてその発生源であるすぐ横を向くことさえ震えてできない。
誰も一言も発せない。
あまりの異変に飛び起きた傷病兵たちもそのまま凍りつく。
――これがヴァンパイア……だと? 嘘だろ、レベル違いすぎ、これはまじで死ぬ。視線だけで殺せるって本当のことだったんだ――。
幸雄が恐怖に耐えきれずにそう思った瞬間、嘘のように殺気が霧散し、小さな体が幸雄の膝の上にころんと転がってきた。
「はひゅう……いぇーぃ」
まさに何事もなかったかのように、ディフィルが寝言を漏らして幸雄の膝を独占した。
「な、ななな、なんだ、今の……?」
「ディ、ディフィル殿……なのか? 全盛期の親父殿並か、いやそれ以上の――」
「びっくりしました。まだ膝が震えています」
三者三様に恐怖を張り付けたままの表情で幼いヴァンパイアに視線を送る。
幸雄は膝の震えがディフィルに届かないようにと思ったが、無理だった。
初めてこの幼いヴァンパイアを本気で怖いと思った。
見た目に騙されがちだが、やはりとてつもない力を持った化物なのだ。
だが、その寝顔を見ていると不思議と急速に恐怖心が和らいでいった。
怖い想いはしたが、おそらくディフィルは自分をたすけようとしただけなのだ。
やりかたが常軌を逸していたが、それがヴァンパイアのやりかただ、と言われれば否定しようもない。
幸雄はまだ恐るおそるではあったが、自分の膝の上で幸せそうに眠るディフィルの頭を撫でてみた。
「……いぇーい」
「ぷっ」
幸雄は思わず噴き出した。
大丈夫だった。
震えも止まった。
もう怖いとも思わなかった。
「びっくりさせんなよ、まったく」
幸雄は柔らかい頬をぷにぷにと突いてみたが、ディフィルはむずがゆそうにするだけだ。
「もう大丈夫なのですか、コバヤシユキオさん?」
「ええ、大丈夫ですよ、師匠。こいつ、俺が本当に殺されるとでも思ったんじゃないかな?」
「むむむっ? それではもしや拙者が原因ということか?」
「なにがむむむだ、って、いや、それは置いといて、その通りです、お姉さま。見ての通り、アタシはこんなにも繊細なんですから、これからは赤ちゃんに触れるように優しく扱ってくださいね?」
幸雄は調子に乗って頬に手を当ててウィンクまで送ってみせた。
「ぐっ……、す、すまない、ルティア殿、なんだか急に気分が悪くなってきた」
「あれっ?」
「そ、そうですか、ではこちらのベッドに横になってください」
「おーい、ちょっとそこのお二人さん、かわいいお弟子さんを放置プレイですかー?」
ルティアネスの両手に光が宿る。
幸雄の声などまったく聞こえていないかのように、二人は医師と患者になっていた。
幸雄の出身世界では、この程度のお姉系キャラのフリは、現代ではそれほど珍しくもないが、こちらの世界では思わず存在を抹消してしまいたくなるほど気色悪いことだったらしい。
ひとつ勉強になったな、と幸雄は苦笑を浮かべながら無駄な知識を身につけた。




