魔王城にて
中二病患者にとって非常に残念なことだが、夢ばかり見ていても何も始まらないし、妄想ばかり語っていても何も進展しないのが現実だ。
幸雄はとりあえず魔王に連れられて施術室をあとにした。
その日は、幸いにも召喚前に身に着けていたTシャツにジーンズというラフな格好のままで、暑くもなく寒くもなくという絶好の召喚日和だったようだ。
もしも召喚の影響で気を失い、意識を取り戻す前に元の世界との寒暖の差で熱射病や凍傷にでもなったらたまったものではない。
そもそも異世界の人間が普通に生きていける環境――気温や湿度だけでなく、空気の組成や重力、放射線など元の世界との致命的な隔たりがあれば、まず人間だけでなく大抵の生物が生きていけないどころか即死しかねない。
ごく一部の原始生物やウイルスなどは宇宙空間でも生き延びられるらしいが、少なくとも幸雄はそんなに非常識な身体ではないと自覚している。
多くの人が天変地異のような大惨事が起こっても自分だけは大丈夫、あるいは自分はそんな危険な目には遭わないだろうと思いがちであり、幸雄も常々そんなふうに思っていたが、なぜか世界そのものに関する差異には敏感だった。
やはり多くの異世界を二次元で見てきただけに、その辺りのご都合主義的設定や、それに対する疑問・解答が灰色の中二脳とやらに焼き付いているのだろう。
元の世界とそれらの環境が似ていて良かったと思いながら、幸雄は魔王の案内を聞きつつ中庭を囲むように配置された通路を歩いていた。
白亜の城砦とも言えそうなこの巨大な建築物は、その主が巨人であるためか、扉ひとつとっても見上げるほどに巨大だ。
ただ、利用者すべてが巨人ではないらしく、ドアノブが幸雄の遥か頭上から腰の辺りまで、大きさも大中小と、ほぼ等間隔に三つほど連なっている。
自分の背の高さに合わせて、使いやすいノブを使えばいいとのことだ。
まったく魔王の城のくせにご苦労な親切設計だなと幸雄は思ってしまう。
しかし、権力者の住居としては珍しく、壁にも柱にも過度に美麗な装飾がまったく施されていない。
実にシンプルで幸雄としてはわりと好みのデザインではあるが、魔王の城なのだから、おどろおどろしい奇怪な生物や紋章の彫刻、あるいはガーゴイルやケルベロスのような、門番っぽい石像のひとつやふたつあってしかるべきじゃないのか、とあちこち眺めながら勝手な中二病的ダメ出しをしてしまう。
――もっとも、こう明るく清潔感のある白を基調としてる時点で、既に魔王の居城っぽくないよな。むしろ、どこぞの王様とか貴族様あたりが住んでいると言われた方がまだ納得できるぜ。
そんなことを考えていた幸雄にさらに魔王の案内が続く。
「この城は、この世界征服のために第三世界から送り込んだもの、つまり、世界間移動城塞と言われるものだ」
「おお、なんか急に中二っぽい設定出てきたじゃん。そういうのを待ってたんだよ」
「設定? ふむ、ゆっきーの価値基準がさっぱりわからんが、まあいい。さっきも少し言ったが、世界間移動には莫大な魔力が必要でな。この城は安定して魔力を供給できる装置を搭載していて、現地調達が可能になるまでの物資や兵を安全に輸送する役目も担っている。だから、この世界での拠点としてだけでなく、いざというとき尻尾を巻いて逃げ帰る手段としても機能するようになっている」
たしかに負けて逃走する際には、自分の魔力などほとんど残っていないだろう。
自力で世界間移動をする場合、そんな状態ではせっかく城に逃げ込んでも、絶対的な安全圏である自分の世界に戻れず、絶望的な防衛戦を強いられるだけだ。
魔王の話は理にかなっていると言えば聞こえはいいが、幸雄としては偏見だと自覚はしているものの、正直なところ、魔王たる者、逃げの手段など考えずに猪突猛進してほしいと思ってしまう。
「それにな、ゆっきー。この城はモンスターの製造プラントも配備してあるのだ。ほら、すぐそこの部屋がそうだ」
転校生に学校案内する委員長のように、どことなく得意げな声音が降り注いでくる。
「うげっ、ま、まさか、培養液で満たしたばかでかい試験管か何かで禁断の生命創造とかやらかしてたりするのか? やべえよ、危ねえ……いや、それでこそ魔王か? そうか、そうだよ。さすが魔王、やっとそれっぽくなってきたじゃん」
「そうか? 気に入ってもらえて何よりだ。ではじっくりと見てやってくれ。やがて我が軍の一翼を担うであろう戦士たちの姿を」
一瞬、顔をしかめた幸雄だったが、なにか重要なことでも思い出したかのようにいい笑顔になって魔王を見上げた。
しかし、どことなく嬉しそうな魔王が開いた扉の向こうを見てあっという間に後悔した。
「グロ画像キター! しかも3D!! 早すぎたんだ。早すぎたんだよ、うぐぇっ!」
絶叫する幸雄の視界には、白い壁面が見えなくなるほどに林立する巨大試験管の大群が鎮座していた。
無論、その内部には両脚を抱え込み、翼で身体を丸く覆った天使が眠っていたりはしない。
培養されている未来の戦士たちは、決して腐っているわけではなかったが、まだ皮膚が透けるように薄い状態で、漠然と赤黒い内臓のような何か、人ではありえない青緑色の色彩を体中に張り巡らせる血管らしきものといった、通常はまず見ることのない体内の各器官を生々しく、あるいは毒々しく露にして試験管内に佇んでいた。
幸雄は思わず込み上げる胃の内容物を塞ぐように、口許を両手で覆って逃げ出した。
後ろから確かに外に出すには早すぎるな、という冷静な声が聞こえてきたが、そんなことは今の幸雄にはどうでもよかった。
まともな状態なら「そこはツッコメよ、明らかなボケだろっ!」とでも言っておきたいところだったが、猛烈な勢いで食道を焼きながら上ってくる酸を抑えるのに必死な状態では呻き声すら出しにくい。
涙目になり、駆けながらトイレか洗面所がないか見渡したが、どの部屋も同じような扉に閉ざされていて瞬時にはわからない。結局、どうにも我慢できずに、小さな草花の咲き誇る中庭の一角にリバースしてしまった。
今さらグロ画像のひとつやふたつでどうこうなるとは思っていなかった幸雄だが、さすがに生で大量3Dグロの洪水は破壊力がまるで違った。
ぜえぜえ言いながら、こんなの夢で出てきたらマジ泣きしそうだと思いながら、ようやく落ち着いてきたのでふと顔を上げると、ほんの五メートルほど先からこちらを窺う視線と鉢合わせした。
お互い無言の時が流れる。
幸雄は誰も見てないだろうと思ってリバースを敢行したのだが、どうやらばっちり見られていたようで、一瞬何も考えられなかったが、すぐに目の前の少女に目を奪われて硬直してしまった。
一言で言えば美少女だった。
紅玉をはめ込んだかのような大きな両目に好奇心の光を湛えて幸雄を眺める少女は、さらさらと流れる音でもしそうな黒髪を肩の辺りで切り揃え、どことなく嬉しそうに口角を上げている。
日本人形か座敷童子かといった整った容姿で、思わず触れてみたくなるほど若々しい肌にも張りがあり、少々幼すぎるように見えるが、そんなことは些細なことだと思えてくる。
むしろそんな幼さすら妖しい魅力となって少女から滲み出しているように感じるほどだ。
こんな状況――不幸中の幸いかほとんど胃液しかなかったらしく、独特の臭気はあるものの見た目としては足元の草にちょっとぬめった液体がかかっているだけに見える――であるにもかかわらず、幸雄はふらりと立ち上がってその少女の元へと踏み出した。
ほとんど何も考えられないような状態で幸雄は両手を伸ばして、同じく立ち上がって幸雄を見上げてくる赤い瞳に魅入られるように小さな身体を抱きしめようとしたところで、不意に我に返ってまた硬直した。
――なんだ? 俺、今何しようとした?
まったく無意識の行動だった。
いくら待ちに待った美少女登場とはいえ、幸雄としては無意識のうちに抱きしめようとするほど異性に飢えているとは思っていない。
元の世界でも高校時代までは、というよりはつい三ヶ月ほど前、大学受験に失敗して浪人決定するまではそれなりにリア充でもあったのだ。
それによく見ると、今はちょっと驚いたような表情で幸雄を見つめる少女は、先ほどまでのどこか妖艶とすら言えそうな雰囲気はまったくなく、明らかに幼い。
よくて中学生、へたすれば小学生くらいにしか見えない。
ふと幸雄は少女と見つめあってからの記憶がひどく曖昧なことに気付いた。
伸ばしていた腕を油の切れた機械のようなぎこちなさで自分の元へ戻して、両の手のひらを眺める。
「どうなってんだ、俺? って言うか、あぶねえ、こんなロリに手を出したらロリコン禁止法違反で逮捕されて一生を棒に振るところ……って、あっ、この世界にそんな法律はないのか? ……って、それでも駄目だろ。俺、おっぱい星人のはずなのに、なんで……どうしてこうなった?」
明らかに余計な個人的嗜好まで口走りながら、恐るおそるといったふうに再び少女に目を向けた幸雄は、軽く開かれたあどけない口から人にしては長くて鋭い二本の牙がさりげなく自己主張しているのに気付いた。
灰色の中二脳はたったそれだけの特徴で、該当する種族を一瞬ではじき出していた。
元の世界ではありえない。
二次元世界にしか実在しない種族。
しかし、魔王と名乗る身長三メートルを超える巨人や試験管内のモンスターをその目で見てしまった今、その種族が現実にいてもおかしくないという結論に辿り着く。
「お前、ヴァンパイア……そうか、『魅了』か! あぶねえ、あやうく噛みつかれて下僕にされるところだったぞ、このやろう」
ヴァンパイア――それは幸雄の出身世界では、二次元の世界にのみ存在する偉大な闇の種族だ。
実在の人物をモデルに創られたとされているが、世紀を超えて世界中で無数のクリエイターによって描かれてきた現在となっては、原型にはない様々な特徴や設定が付加され、もはやただ恐怖の象徴というだけではなく、物語をドラマティックに演出する重要な役を与えられていることが多い。
おそらく宇宙的恐怖を振りまく邪神たちと並び、世界中のクリエイターの想像力を刺激し、生活の糧を提供し続けている貴重な存在と言えるだろう。
また、あたりまえのように幸雄が思い至った『魅了』というのも、ヴァンパイアにはおなじみの特殊能力のひとつで、みずからをとても魅力的な存在として相手に思い込ませる一種の催眠、もしくは洗脳スキルだ。
酷い場合は完全に自我を喪失し、ヴァンパイアの意のままに操られてしまうことになる。
そうなれば幸雄は自ら進んで首筋を晒して血液を提供するだけの生きた人形になってしまったかもしれない。
それだけに、創作に縁のない幸雄は本能的な恐怖に抗えなかったのか、自分より小さな少女にやや怒ったように言いつつも一歩後退って半身の体勢で身構えた。
傍から見ると、幼女を相手に少々腰の引けた構えをとって威嚇するかなり残念な少年でしかないが、本人はこの世界に来てはじめての命の危機にかなり本気で緊張していた。
それだけヴァンパイアの戦闘力は絶大だ。
たとえ子供に見えても、その身体能力は超一流のスポーツ選手でさえ足元にも及ばず、一度捕まればその豪腕を振りほどくことなど不可能であり、首筋に噛みつかれたら最後、ヒトという種から逸脱したヴァンパイアの下僕と化してしまう――というのが幸雄の認識なのだから、仕方ないとも言えるだろう。
そんな幸雄の様子がおかしかったのか、幼女は鋭すぎる犬歯をちらりと見せるようなかわいらしい笑みを浮かべて小首を傾げた。
『魅了』など使わなくても、それだけでその手の人たちが思わずお持ち帰りしてしまうに違いないほど愛らしい仕草で、自称中二系おっぱい星人の幸雄でさえ脱力して見入ってしまった。
「ほう、ずいぶん嬉しそうだな、ディフィル」
突然、ほぼ真上から放たれた重低音に、幸雄はびくりと身体を震わせた。
それは、巨大な質量と存在感とを併せ持つ魔王が背後に迫っていたことに気がつかなかった驚きからだけでなく、ディフィルと呼ばれた幼女に釘付けになっていたところを見られたことへの気まずさや罪悪感がもたらしたものだった。
「うん、すごいの、この人、自力で破っちゃったの」
予想に違わぬ愛らしい声でやや舌足らずなしゃべりかたを披露したヴァンパイアは、魔王の言葉通り幸雄と魔王に交互に笑みを向けてくる。
「そうか、さすがだな、ゆっきー。ヴァンパイアの『魅了』にレジストするとは相当な魔法防御力を持っているということだぞ」
「――っ!? 魔法防御力……だと?」
気まずげに俯いていた幸雄の灰色の中二脳に、再び妙な方向に活性化させる燃料が注入されてしまった。
それはRPGなど、キャラクターの能力を数値化して戦闘や各種イベントの成否を演算処理するゲームではおなじみの単語のひとつだ。
魔法防御力なら敵の魔法の威力を低減したり無効化してしまう力のことだ。
幸雄は今、ヴァンパイアという人間を遥かに凌ぐ存在の魔法攻撃に完全には屈せず、結果としてノーダメージとなった。
これがゲームなら、ディフィルの魔法攻撃力を幸雄の魔法防御力が上回り、幸雄が敵の攻撃に無傷で耐えきった、ということになるだろう。
種族としての強弱を考えれば、幸雄のレベルがよほど高いのか、ディフィルのレベルがとても残念なものなのか、あるいはその両方か。
幸雄としては前者であって欲しいと激しく思うし、実際、魔王の発言からそうであると言えるだろう。
しかし、幸雄の出身世界では、魔法は二次元世界の専売特許であり、誰もが現実において魔法を使ったこともなければ、くらったこともない。
中二病患者を自称しながらも、幸雄はそんなところは妙に現実主義的で、いざご都合主義が目の前にあると、それを受け入れることに若干の抵抗を感じるのだ。
それでも、顔がにやけるのが止められない。
中二病患者としては、あったらいいな――の代表格でもある『魔法』が目前にあり、しかも自分に結構な魔法防御力があるというのだ。
だからこそ幸雄は思ってしまう。
それは逆に魔法攻撃力もある。
つまり自分はこの世界において魔法を使える、という可能性をも示唆しているのではないか、と。
「な、なあ、もしかして、俺、魔法……使えちゃったり、する?」
「――――?」
ぎこちない笑み、もしくは不気味な笑みを浮かべながら言った幸雄に、魔王とディフィルは顔を見合わせて揃って首を傾げた。
「あれっ?」
幸雄としてはすぐに肯定、もしくはあまり本位ではないが否定の言葉が返ってくるものと思っていただけに、その沈黙は予想外だった。
ある意味、否定されるよりも怖い。
ディフィルをちらっと見て、すぐに魔王へと視線を向ける。が、見えたのは黒衣に包まれた巨木の幹のような二本の脚部だ。
おおう、と思わずうめいて見上げると、ずいぶん遠くから白い仮面がこちらを見下ろしていた。でかすぎ、というか脚長すぎだろ、などと、どうでもいいことを一瞬思ったのは現実逃避の一種かもしれない。
「……ふむ、妙な違和感があると思っていたが、そういうことか」
「な、なんだよ、勝手に納得するなよ。妙な違和感ってなんだってんだよ?」
特に何かを言い当てられて立場が悪くなるようなこともないのに、ただでさえ重い声が重力操作でもされたかのように、より一層重苦しく感じて幸雄は若干声が震えてしまった。
「ゆっきーよ、ひとつ確認しておきたい。断言するが、お主は我から見ても相当な魔力を保有している。にもかかわらず、お主は魔法を使えないと思っているし、お主の世界の誰もが魔法を使えていない。そういうことだな?」
「あ、ああ、そうだよ。俺の出身世界では二次元にしか魔法は存在しない。中二病患者の俺が言うんだから、ある意味まちがいない」
幸雄は自分で言っておいて妙な断言だと思ったが、そういうものすべてを非科学的だと真っ向から否定する人たちが言うより、自分のように、あれば嬉しいし肯定もしたいけど、実際にはないだろうな、と冷めた見かたもできるタイプが言った方が説得力があるんじゃないかと考えている。
そういった意味では、幸雄は対外的には中二病のフリをして非現実を楽しみつつ、現実主義的な内面を覆い隠しているとも言えるかもしれない。
「そうか、『チュウニビョウ』というのが何かよくわからんが、ゆっきーの出身世界はかなり歪んでいるようだ。実を言うと、本来なら魔法による文明が栄えていてもいいくらいに魔力の充実した世界だという観測結果が出ている」
「はっ? 魔法文明? なにその素敵ワード、あまりにもおいしすぎて冗談にしてもテンション上がっちゃうじゃん」
幸雄はさっきまでの緊張が嘘のように消えて、現実主義を隠蔽する中二脳がふたたび活性化してきた。
魔法文明といえば、二次元よりむしろオカルトに属する超古代文明の範疇であり、それは二次元的キーワードと並ぶ中二病ウイルスの栄養源と言えるだろう。
「いや、冗談ではないぞ、ゆっきー。お主の出身世界は本来、日常的に魔法が存在していたはずだ。それを何者かが何らかの理由で改変した可能性が非常に高い。そうでなければそれだけの魔力を有しながら、魔法を使えないなどという異常事態は生じない」
「……まじかよ? そんなことってあるのか?」
魔王は幸雄の出身世界を異常だと断言したのだ。
それは幸雄が思っていた日常こそが本来は非日常だった、と言っているにも等しい。
正直なところ、幸雄は信じられなかった。
『そうだったらいいな』を初めてまともに肯定されたのに、しかも、実際に魔法が存在する世界の魔王の証言であるのに、活性化されたはずの中二脳がその事実を素直に歓迎してくれない。
結局最後には否定されるラスボス。生徒会選挙も受験戦争もこけてしまった。そんな今までの経験が、自分の寄る辺を守る堅固な防波堤を築き上げてしまっているのかもしれなかった。
「理由はわからんが、お主の世界の神がそう望んだのなら、ありえないことではない」
ついに『神』まで出てきちゃったよ、と魔王の言葉に内心苦笑してしまう。
だが、魔王の話は終わらない。
「そもそも魔法がないのに魔法という概念が根付いていること自体がおかしいのだよ。無から有は滅多に発生しない。人という種族は大抵の場合、経験から物事を推測するものだ。おそらく過去に何らかの事象を『それは魔法だ』と認識、あるいは誤解する出来事があったはずだ。しかしそれは、魔法という何かを感覚的に、もしくはもっと深いところで知っていたからこその発想だ。初めから魔法の存在しない世界なら、その事象に別の理由付けをする。たとえば、神の奇跡、妖精のいたずら、不可視の科学技術、未知の物理法則、などといったものだ」
幸雄は魔王の言葉に絶句してしまった。と同時に、どういうわけか灰色の中二脳がそれを否定しようと動き始める。
たとえば、自分がいた時代の流行である『魔法少女』は、かつて本当にいたから創作されたのか?
いや、違うだろう。『魔法』という大元の存在なり概念なりがあって、それを使う何者かを少女と結びつけることで産まれてきた発想だ。
ならば、携帯電話はあったから作り出せた代物か? やはりそれも違うだろう。科学の発展によって可能となった技術と、こんな物があったら便利だなという願望が融合して造り得たものである。
幸雄も内心では理解できているのだ。
そういう枝葉のような細かいことではない。魔王が言っているのは、もっと根源的な、発想の泉のその源泉を指しているのだ、と。
そういう意味では、なんらかの現象をそれらのせいにする発想があることから、不可視のはずの『魂』や『神』は本当に存在しているのかもしれない。少なくともそれに近似した存在は。
「だが、ゆっきーよ。もしお主が出身世界に戻るつもりなら、このことは忘れることだ。むしろここでの記憶をすべて消去したほうがいい」
「な、なんでだよ?」
「当然だ。お主が今知った事実は、お主の出身世界では知りえないものであり、むしろ世界、あるいは神にとって不都合な事実だからだ。もしそれを吹聴するようなら、最悪の場合、お主はその存在自体を消されかねない」
「なっ!」
そんなに重要な事柄なのか、と幸雄は疑った。
幸雄の出身世界では神の存在さえ疑う者が多いのに、だからといって天罰の下ったためしがない。
誰かが天罰だと言っても、それは自然現象であったり、人が神の名を騙って為した行いであったりと、実際に神が自らの手を下したと証明されるようなことはなかった。
だからこそ、この妄言としか思えない理由で殺されるとはとても思えなかった。
しかし、相手はなんといっても異世界の魔王だ。
言動はそれっぽくないが、『召喚』などという二次元の専売特許を侵害し、生命の――たとえモンスターであっても――創造という神の御業すら為しうる存在なのだ。
中二病患者の妄想よりよほど説得力があるに違いない。
「まあ、そのことは一月後にまた相談しよう。ゆっきーが帰りたいのであれば、記憶の消去を含めて我が責任をもって元の世界に送り届けよう。それより今は、それまでどうするかだ」
幸雄の困惑をよそに魔王は話を切り替えてしまった。
「我は前線に戻らねばならない。本来なら異界のラスボスという、最強の援軍をつれて行くはずだったんだが、これは我のミスだから仕方がない。そちらはなんとかするとして、ゆっきーは……ここならまず安全だから、ディフィルと共にここで世界征服が済むまで、もしくは一ヶ月ほど暮らしていてくれないだろうか?」
世話係もつけるし、城内なら自由にしてくれてかまわない、という魔王の言葉に、だが幸雄は激しく首を横に振った。
「おいおいおいおい、それはないだろ! こんな激レアイベント、どうせ二度とないんだから一緒に連れてけよ!」
幸雄からすれば当然のことだった。
ここは異世界なのだ。
中二病患者でなくとも、もしも来られたら旅してみたいと思わずにはいられないだろう。
それを、安全とはいえ魔王の別荘でロリなヴァンパイアと二人で過ごすなど――それはそれで激レアイベントだが――人生で二度とないチャンスを次元の狭間に放り捨てるようなものだ。
しかも甘いものを目前にした女子のようにこちらを見ているヴァンパイアを視界の端に捉え、幸雄は微妙に命の危険を感じなくもなかった。
「ふむ、まあ連れて行くのはかまわないが、戦場などあまり見ていて気持ちの良いものではないぞ。それに、身の安全も保証できない」
「いいよ、そんなの。あんたの陰に隠れて見てれば流れ弾にも当たんないだろうしな」
「そうか、ならばいいだろう。ディフィルはどうする?」
またしても失礼な物言いに怒ることもなく、魔王はあっさりと幸雄の同行を認めた。
「ゆっきーが行くならあたしも行くよん?」
「って、お前もその名で俺を呼ぶのか?」
「うん?」
速攻でツッコんだ幸雄だったが、意味がわからないというふうに小首を傾げる愛らしい仕草のヴァンパイアを見て、まあいいかと思ってしまう。
きっとこれも『魅了』の影響に違いないと言い訳しながら。
「――と、さっきからあまりにも普通にしゃべってたんでついつい聞き忘れてたんだが、なんで俺はこの言語でしゃべってるんだ?」
ひと段落着いたところで、ようやく幸雄は疑問に思っていたことを訊けた。
自分が先ほどから当たり前のように話している言語は、幸雄の出身世界のいずれの言語とも異なるものだった。
幸雄は母国語の他に、中学以降必修科目となっている外国語をある程度話せるが、異世界の言語など学んだ覚えもないのに母国語並に流暢に話しているのだ。
「それなら有機リンク式記憶法で、ゆっきーが眠っている間に直接脳に記憶させたのだ。目覚めたときに頭にいくつか電極が繋がっていただろう?」
魔王が言うには、大魔王が治める複合世界全体で『共通語』と呼ぶ言語を使用しているということだった。
もちろん全住人が、ということではなく、魔王と直接関わる立場の存在の間でということだ。
基本的に、どこかの世界を攻める際、その世界の言語をあらかじめ知っておくと情報収集に大いに役立つ。
そのため、まず現地の知的生命体を捕獲して眠らせ、データベース化した『共通語』を電気信号としてある一定の周波数で脳に送り込む。すると、大抵の生物の脳は個体差はあるものの、現地の言語と共通語とを約一日ほどで結びつけて記憶してしまう。そうして有機的に完成した『辞典』を吸い出してデータベース化し、希望すれば誰でもその言語を有機リンク式記憶法で記憶することができるのだ。
今回、幸雄が召喚で気を失っている最中に、この装置を使って共通語を幸雄に覚えさせたらしい。
「その装置お持ち帰りできないのか?」
説明を受けて幸雄が真っ先に発した言葉がそれだった。
ただでさえ外国語の習得は大変だが、その装置さえあれば、寝てる間に勝手に脳が覚えてくれるのだ。
究極の睡眠学習法であり、売ればとんでもない財産を入手できるだろう。
しかし、当然許可は下りず、まあ普通そうだよな、と幸雄も気にしなかった。




