罠っぽい
「お帰りなさいませ魔王代理、ラッテ隊長の使者のかたがお見えです。至急お会いしたいとのことですが、いかがいたしますか?」
翌日、旧西国王都では警備の兵士を増やし、見回りの間隔を短くするといった対策を行い、幸雄みずから陽巫女を伴って街を巡回して城に戻ったところで衛兵から声をかけられた。
「ん? お姉さまの使者か。わかった、執務室に通してくれ」
「なんでしょうね? あまりよろしくない予感しかしませんが……」
「おいおい、陽巫女が言うとそう確定しちゃってる気がするだろ? せめてもう少し明るい可能性を感じさせてくれよ。ばればれでもいいからさあ」
「あら、そうでしたね、今や私の声が届くのはあなたとディフィルさんくらいですから、すっかり油断していました」
苦笑する幸雄に、陽巫女はいたずらが成功した子供のようにころころ笑う。
もし陽巫女が幸雄の出身世界で生活していたら「てへぺろっ☆」とでも最後に付け足しそうな気安さだ。
そこに自虐めいた陰はなく、幸雄は少しほっとして執務室に向かった。
「それで、どういったご用件かな?」
執務室に通された使者と軽く挨拶を交わすと、幸雄は早速本題に踏み込んだ。
明らかに情勢が怪しいこの時期に至急の用件だ。
陽巫女でなくとも悪い予感しかしないし、世間話などで時間を潰すのは惜しい。
それは使者の方こそより強く思っていただろう。
「はい、率直に申し上げて援軍の要請です」
――うわぁキタコレ、災厄の予感!
「それは人狼部隊がありながら、さらに援軍が必要な情勢になっていると?」
「はい、我ら人狼部隊は絶対数が少ないのが最大の難点です。領内各地で同時多発的に反乱が起こると対処が追いつきません」
「もう武力反乱が起きてるのか?」
「はい、三日前から次々と、それも決まって前回と距離の離れた辺りで。そのため、いくら機動力に優れる我ら人狼部隊でも、さすがに疲労が無視できないものになりつつあります」
「それで援軍ってことか……」
裏で手を引いてるヤツがいるな、と幸雄は思った。
タイミングが良すぎるのだ。
インターネットのような、情報の受発信が容易なインフラが整備されているならともかく、自然発生的に次から次へと鎮圧部隊を遠方へ向かわせねばならない状況を作るには、確実に裏で指揮を執る存在が必要だ。
幸雄は考える。
同じ西国内で人狼隊長の領地で先に発生した武装蜂起。それにより疲弊した人狼部隊への援軍として自分が兵を出せば、当然西国王都の護りが手薄になるだろう。
ただでさえ先の戦で西国軍の兵力は著しく消耗しているのだ。
ルティアネスを護るために行った戦闘行為が今になって自分の首を絞める結果となってしまっているのは、皮肉としか言いようがない。
だが、それだけにこの状況は酷くわかりやすい。
「罠だな」
「罠ですね」
「わわっ……な、はぶったのん?」
「ハモったんだ! お前が噛んだだけだろっ」
噛んでしまって、ひとり出遅れたディフィルが寂しげに小首を傾げた。
だがあまりかまっていられないので、幸雄は軽くツッコんだだけで思考を再開した。
さすがに誰でも思いつく。おそらく何者かが陽巫女を奪還して西国を魔王の魔の手から取り戻そうとしているのだ。
これはむしろ、いわゆる勇者側の行動かもしれない。
どこから情報が漏れたのかわからないが、魔王がいない隙を衝いて反乱を起こし、世界を人々の手に取り戻そうとしている。
そう考えると中二脳が熱く沸騰する。
――やべえ、これはちょっと胸熱だ。でも、俺、魔王側だからなあ。それに……
現状を知らなければ、自分は確実に反乱軍側に肩入れしただろう。
だが、戦前のこの世界の実情を知り、東西の陽巫女の置かれていた立場を知り、今や陽巫女が自らの意思で自分の下にいることを望んでいる以上、自分はこれを正しい行いとは認めない。
たとえ彼らが陽巫女を救おうとしているのだとしても、それを望んだのはいったい誰だ? という話だ。
魔王はこの世界の人々に決して無茶な要求を突き付けたりしなかった。
一般の人々にとっては、むしろ以前より生活が改善されたくらいだ。
まだ魔王軍に対する恐怖が残ってはいるものの、モンスター軍団は魔王城や各拠点に籠らせており、ほとんど人目につくことはない。
そのため、少なくともこの西国の王都では徐々にだが活気が戻りつつある。
彼らが今さら反乱を起こして、ふたたび戦争という暴力と恐怖の嵐の中へと身を投げ出そうとするとは考えがたい。
それに、この世界にはもう王たる者がいない。
ゲームなら王が勇者に魔王討伐を依頼して勇者様御一行による冒険が始まるのだが、そもそもそんな危険な依頼をする者がいないのだ。
ならば、今の体制に不満を抱く者、それも戦前にそれなりの権力を握っていた者でなければ反乱軍を組織することすら不可能だ。
この世界の政治体制はすでに崩壊していて、陽巫女本人よりも彼女を支えるべき一部の者たちが陽巫女を利用して権力を掌握していた。
戦後、大規模な粛清を行ったが、対象は主立った者たちだけだ。
彼らと同様のことを考えながら彼らに及ばず、結果として難を逃れた者たちがいないとは断言できない。
むしろ、このタイミングで戦乱を望む者など他には考えられない。
――なら、どうする?
こちら側の兵力が疲弊しているように、反乱軍も大規模な兵力を擁することはできないはずだ。
にもかかわらず人狼部隊が手を焼くような状態に陥っている。
「――おいおい本当に嫌な予感しかしないぞ」
「私のせいでしょうね、くすくす」
「無理して笑わなくていい。目が笑ってねーぞ」
「――っ!」
よほど意外な言葉だったのか、普段はこちらが何を言っても意にも介さない陽巫女が息を呑んだ。
その黒い瞳に映るのは悲しみの色だ。
やはりな、と幸雄は思った。
初めて見た時からずっとそうだった。
陽巫女は明るく振る舞っていただけだ。
そうでもしなければ心が折れてしまっていたのだろう。
なにしろ信頼していた神官たちには裏切られ、戦争には負け、多くの兵士を失い、だが自分は許されて生き残ってしまったのだ。
たとえ戦争が自分の望みでなかったとしても、起きてしまった戦争の責任は自分にあるとでも考えていたのは明らかだ。
さらにはルティアネスのこともある。
絶望を味わったのは自分だけではない。陽巫女もそうなのだ。
いや、むしろ彼女の絶望こそより強いものだったのかもしれない。
「ここは俺たちだけで大丈夫だ。少し部屋で休んどけ」
「……恨みますよ」
「グーパン三発くらいで勘弁してくれると嬉しい」
「ご遠慮なさらずお喜びくださるならいくらでも……」
軽口を叩きつつも、陽巫女は顔を見せないように席を立って執務室を出ていった。
足音も聞こえなくなり一息入れると、幸雄は改めて使者に向き直った。
「失礼した」
「いえ、よろしいので?」
「まあ聞かれても大丈夫だろうとは思ったんだけど、ちょっと無理してるっぽいしな」
少々困惑気味の使者に、幸雄はなんでもないかのように言った。
「さっきも言ったけど、ぶっちゃけこの状況は王都から軍をおびき出してその隙に王都、いや、陽巫女を奪還するための作戦……こっち側から言えば罠の可能性が濃厚だ」
「むっ……たしかに、そうかもしれないですね」
「ここで問題となるのが、誰がその手引きをしているのか……ということだ」
幸雄は意味ありげに視線を陽巫女の出ていった扉へとやってから使者へと戻す。
「まさかそのような……」
「まあ俺もそれはないとは思ってる。だが可能性はゼロではない。限りなくゼロに近いとは思ってるけどな」
魔王はいない。
魔王軍も各地に散らばっていて連携は取れない。
今なら数で勝る西国軍、否、この世界の全人類が反旗を翻し、在野の不穏分子たちが決起して攻め立ててきたら、さすがの魔王軍でも各個撃破されかねない。
もっとも、陽巫女の様子から彼女が首謀者であるとは思えない。
しかし、何者かが彼女を唆し、魔王軍を駆逐して世界を人々の手に取り戻そうとでも訴えたらどうだろうか?
陽巫女は聡明だが、今の彼女は明らかに人々に負い目を感じている。
彼女が戦を望むとは思えないが、親しかった者たちに必死に頼みこまれたら、はたして冷徹にそれをはねのけられるか、幸雄には自信が持てない。
それに彼女ならこちらの内部情報にも詳しい。魔王がいないことも、戦力が分散されていることも知っている。
内通者でもいなければできそうにない動きを反乱軍がしていることも、幸雄が陽巫女を完全には信用できない棘として喉元に引っかかっているのだ。
だが、ほんの一月弱の期間だが、陽巫女にはルティアネスに続く第二の師匠として鍛えてもらい、ついに魔法を会得するまでに至ったのだ。
自分たちふたりの間にもそれなりの絆ができたと思っているし、充分に信用に足る人物だとも思っている。
それだけに――
「ぶっちゃけ、この意見を陽巫女に聞かせて、俺を殴ってでも明確に否定してもらいたかったくらいなんだが」
そうすれば、納得のいく説明で自分の無実を証明してくれたのではないかと思わなくもない。
だが同時に、彼女を深く傷つけてしまいそうな気もして遠ざけてしまった。
「しかし、そうなりますと援軍は難しいと……」
使者も渋い表情で唸りを上げる。
「……いや、ここはあえて出そう。おそらく引き籠ってたらより戦火が広がるに違いない。それよりは……むしろ一度王都を捨てても構わない。反乱軍も王都を奪還すればそこに集結するはずだ。その時に一気に叩けばいい」
唯一、気がかりな点があるとしたらルティアネスのことだが、陽巫女が彼女に手を出すとは考えにくい。
幸雄にとっても陽巫女にとっても大事な存在である以上、もし何かあっても彼女を人質にはできないだろう。
「なるほど……」
「ゆっきー、さげてるのん」
「『下げてる』じゃねえ、『冴えてる』だ!」
相変わらずなヴァンパイアを一喝し、これは意外といい線いってるんじゃないかと幸雄は自賛しつつ、使者と作戦の詳細を詰めた。




