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にわか軍師、修行する

 あれから二週間ほどが過ぎた。

 あの日、陽巫女が囚われ、魔王軍の侵攻を食い止める最大の要衝も失った西国は、万策尽きて白旗を上げた。

 そうして世界は魔王の手に落ちたわけだが、暫定統治者として立てるはずだったルティアネスが意識不明であり、魔王自身も魔無月のために数日中に大魔王直轄地へと赴かねばならず、政権が代わる大転換期に肝心の統治者がいないという馬鹿げた事態に陥った。

「なにこの魔王軍、いきあたりばったり感が半端ないんですけど……」

 『ルティアネス・ショック』から立ち直りつつあった幸雄が、その状況を知って思わず漏らしたのはそんな感想だった。

 仕方なく悪魔隊長グレスドッドゥスの提案で、世界を四分割してそれを各隊長に治めさせるという暫定措置が取られることになり、この世界で生きる覚悟を魔王に伝えた幸雄は、ディフィルと共に旧西国を人狼隊長ラッテと分割統治することになった。

 そのラッテが「なにか大きな檻の中みたい」と言って城暮らしをやんわりと拒否したため、幸雄が旧西国の都とその周辺を統治し、ラッテは森林の多い中央山脈側の地域を根城にすることにした。

 こうして世界は陽巫女による神権政治から魔王による恐怖政治へと移行した――というのが、幸雄のとりあえずの認識だ。

 世界は魔王の手に落ち、絶望の闇に閉ざされた――と少し前までの幸雄なら思ったことだろう。

 だが、実際はそう単純なものではなかった。

 この世界に手を伸ばしたのは、前世紀の二次元における絶対悪然とした『魔王』という存在ではなかった。

 その魔王はこの世界に来て、ある少女にこう言ったという。


『我はこの国の、いや、この世界の人々のあり方を変えたいと思っている』


 こうして現実を目の当たりにしてしまうと、そもそも絶対悪としての『魔王』が三次元に存在するかどうかも怪しく思える。

 その魔王が言うには、自分の他に六人の魔王とひとりの大魔王が存在するということだが、幸雄としてはやはりそんなテンプレ魔王の存在などあまり期待はできそうにないと思っている。

 さらに、この世界で恐怖政治とは言っても、それは人々にとって魔王軍という強大な異形の軍団があるがゆえに恐怖が蔓延しているということであって、本来の意味での恐怖政治とは大きく異なっている。

 自分にとって敵対する者や都合の悪い者らを徹底的に殺害していくようなことを、魔王は行っていない。

 今回の戦争を煽動した西国の神官らを処刑したが陽巫女は助命されている。

 彼女もまたルティアネスと同じように利用されていただけだったのだ。

 それは陽巫女を見捨てて逃げ出していたスクディートという神官を捕縛し、吐き出させた情報から判明したことだった。

 陽巫女の言葉はその神官を経た段階で完全にすり替えられてしまっていたのだ。

 それはこの世界の神権政治という政治形態が、既に末期を迎えていた証左とも言えるだろう。

 つまり変革は魔王の手がなくても遅かれ早かれ起きていた可能性が高い。

 そして、西国の陽巫女がその後どうなったかというと――

「なあ? 昨日も、聞いた、ような、気がすんだ、けど……」

「なんでしょう?」

「なんで、あんたが、俺に、修行を、つけてんだ?」

 苦しげに腕立て伏せを行う幸雄の背中に、清潔そうな白の胴衣に緋袴を身に付けた少女が立っていた。

 座っているのではなく、両目を閉じ、絶妙なバランス感覚で両腕を軽く広げた状態で、ぶるぶる震える足元――幸雄の背中――をものともせずに立っているのだ。

「昨日も答えたような気がしますが、きっと気のせいね……暇つぶしよ?」

 さも愉快そうにころころ笑う声が城内の一室に涼やかに響き渡る。

 ルティアネスよりも年はいくつか上ということだが、背はルティアネスよりやや低くて顔立ちはまだあどけなさを残し、その言動はむしろ子供っぽくどこか仔猫のような印象を受ける。

「うそうそ、あのおっきな魔王さんに頼まれたからよ?」

 おそらくそれは本当のことなのだろう。

 たしかに魔王は大魔王直轄地へと向かう前に、幸雄にいくつか残していったものがある。

 ひとつは部屋の隅に立てかけてある大剣だ。

 魔王が幸雄に合わせてあつらえたというだけあって程よい重さで扱いやすい。

 今は黒地に銀細工を随所に施した華麗な鞘に収まり、いつか赤い血をたっぷり吸い尽くすことを夢見て眠っているかのようだ。

 そしてもうひとつは急遽大魔王直轄地から取り寄せた生命維持装置だ。

 ファンタジー世界を冒涜する異物とすら言える科学技術の産物だが、魔王の背丈に匹敵するこの巨大な卵型の機械が魔王城に届いた時には、幸雄は涙を流して感謝を魔王に告げてルティアネスの身をその中に横たえた。

 上部開口部を閉じると半透明な液体が内部に満ちていき、彼女の裸身を包み込んでいった。

 現在は幸雄の西国王都着任に合わせて西国の城に移送され、幸雄は毎日朝晩の挨拶を眠り続けるルティアネスに対して行っている。

 生命維持装置の頭部の窓から覗き込むと、黒髪が緩やかに踊り、月を隠す雲のように表情を失った顔を時折隠してはまた現すということを繰り返しているのが見える。

 謎の液体に全身を包まれ、ルティアネスはその身の傷の修復と生命の維持を目醒めのその時まで行うことになっている。

 いつその時が来るかはわからない。

 本当に来るかどうかもわからない。

 だが、幸雄はその時を待ちながらも、またその時をみずからの手で手繰り寄せようと情報収集を行い、いつか自分の力でルティアネスを護れるように毎日の厳しい修行に取り組んでいた。

 これまでの運動不足がたたって全身の筋肉痛に苛まれながらも筋トレや持久走、乗馬訓練までこなし、かつては途中で投げ出した精神修行も陽巫女の指導の下で続けている。

 中途半端な戦術知識だけでは護れない。むしろ最悪と言っても過言ではない失敗を犯してしまった。

 もう二度とそんな過ちは許さない。そのためには自分が強くならなくてはと幸雄は思っていた。

 しかし、急に強力な魔法も覚えられないし、戦闘技術も同様だ。

 一歩一歩の積み重ねしか己の至るべき姿へと、かつて憧れた勇者のごとき存在へと登りつめる道は見当たらなかった。

「にじゅうくぅ……ひゃ~きゅ?」

「さんじゅうだー!」

 妙なイントネーションのカウントが一〇〇――幸雄のツッコミ通り本当は三〇だ――を告げると同時に、幸雄は両腕の力を抜いて地面にばったりと倒れ伏した。

「ゆっきー、お疲れさん?」

 腕立て伏せの回数を数えていたふたりの鬼教官の内のひとり――ヴァンパイアが鋭い牙をちらりと覗かせて笑みを作り、幸雄の顔を流れ落ちる汗をタオルで拭ってくれた。

「うふふ、次にいってみましょう、ユキオさん? さあ、立ち上がってくださいまし」

 まだ幸雄の背中に突き刺さった杭のように突っ立っていた陽巫女が、休憩も取らせずに笑いながら次のメニューへと促してくる。

「ま、待ってくれ、ちょっと休憩、な? せめて俺から降りてくれ」

「あら、これは失礼。ほど良い足場でしたのですっかり忘れていましたわ」

 無邪気そうに笑って、陽巫女がたいした反動もつけずに幸雄の背中から飛び降りた。

 楚々とした雰囲気を持ちながらも、なかなかにおてんばな姫さんだと幸雄は思う。

 元女王様ともいうべき美少女に踏みつけにされるという、ドMな変態紳士たちから嫉妬と羨望の眼差しを一身に受けそうな苦行だったが、残念ながら幸雄にそっちの趣味はなかった。

 いや、相手がルティアネスならおかわり上等だったかもしれないが、己のちっぽけな名誉のためにもとても口には出せない。

 幸雄はまだ早いと断るディフィルに無理に頼んで剣術の稽古をつけてくれるように言っていた。

 ヴァンパイアが剣術を習得しているというのもちょっと妙な気がしたが、魔王の下にいるくらいだ。

 たとえロリでも戦闘技術を磨くことは己の身を護ることにも通じるし、あるいは必要に迫られて覚えたものかもしれない。

 さらに言えば、その腕もまた確かなものだった。

「ぐっ、手が――っ!」

 三〇分間の休憩の後、ディフィルと木刀での稽古に入ったが、わずか三合打ち合っただけで指先から肩まで突き抜けるような痺れを感じて幸雄は木刀が石床で跳ねる甲高い音を聞いた。

 スクワット、腹筋、背筋、腕立て伏せをそれぞれ三〇回五セット行った後だ。

 若いとはいえ疲労が両腕だけでなく全身を蝕んでいる。素振りならともかく組打ちをするには厳しい状況だろう。

「ゆっきー、やっぱりまだ無理だよん?」

「くそっ、早く戦えるようにならなきゃなんねーのに……」

 幸雄は痺れる両手を睨みつけて握ったり開いたりを繰り返すが、なかなか感覚が元に戻らない。

 剣術は単に腕力に任せて剣を振り回す技術ではない。

 ディフィルでさえ単にヴァンパイアの馬鹿力を剣に乗せているだけではないことは、対戦してみてよくわかった。

 無論、腕力があるにこしたことはないが、それですべてが決まるわけではない。

 体重を乗せて踏み込む両脚、身体のバランスを調整し遠心力も伝える腰、力の強弱や狙いをつける上半身に、それらすべての連動を統率する頭脳と、鍛え、経験を積むべきものはまさに全身に及ぶ。

 剣術に限らず、そのバランス感覚を養わなければならない事柄は多いだろう。

「まったく、難儀な性格ですね。あの剣があればこんな修行など必要ないでしょうに」

 陽巫女がちらりと魔王の剣に視線を送った。

 彼女の言う通りだった。

 あの剣には魔王の力が込められている。

 剣術の素人たる幸雄でも、あの剣を装備しさえすれば、人類最強ともいえる巨人の魔王の剣術を模倣することができるのだ。

 さらには、魔法発動の補助までしてくれるという、テレビの通販番組も真っ青のお徳感満載の一品だった。

 それこそ、かつての幸雄が求めていたような、世界を超えて召喚された主人公が何らかの理由で得られるというご都合主義の産物そのものだ。

「たしかにな。でも、そいつをいつも持ち歩いてるとは限らねーだろ。その時何かあったら、俺はまた何もできずに今度こそすべてを失ってしまうかもしれない。だからそいつがなくても、ある程度戦えるだけの力が必要なんだ。それに、俺自身が強くなれば、そいつの力をより引き出すことができると思うんだ」

 ルティアネスを失いかけたことを、彼女に憑いていたサッキュバスを失ったことを、幸雄は決して忘れることができないし、今やその後悔と無念とを逆に生きる糧として考えるようになっていた。

 それは心に大きな闇を抱え込んでしまったことにもなるだろうが、強くなるためには絶好の燃料となって自分を突き動かしてくれるのもまた事実だ。

 ただ、その猪突猛進的な修行が決して彼のためにならないと考える者も存在していた。

「ユキオさん、ルティアネスさんが心配?」

「ん? 決まってるだろ」

「なら、今はまだ無理をするべき時じゃないわ。身体は休めなさい。でも、精神は鍛えなさい」

「う、うぅ、うん?」

 いまひとつ理解しきれなかった幸雄は、戸惑いがそのまま口を衝いて出てしまった。

 ちょっと恥ずかしげに頬を染めた幸雄に、陽巫女は優しげな笑みを浮かべて言った。

「あなたの身体はまだ本格的な戦闘訓練に耐えられる状態じゃないの。西国の戦士たちは何年もかけて戦うための身体を鍛え上げるわ。でもあなたはまだたったの二週間。その意味がわからない……なんてことはないわよね?」

 顔は優しげだけど言ってる内容は結構厳しいなと幸雄はやや気圧されてしまう。

 常に楽しげにころころ笑っている普段の陽巫女とはちょっと印象が違っていた。

「もちろんだ。でも焦りが――」

「それは心が弱いからよ」

 きっぱりとした断言の前に幸雄は二の句が継げずに押し黙ってしまった。

「ユキオさん、あなたはまず何事にも動じないだけの精神力を身につけるべきです。それは身体を鍛えながらでもできることですから、決して寄り道にはならない。いえ、むしろ近道だと言えるでしょう」

 幸雄はその話に興味を示し、続きを促した。

「あなたは相当な魔力をお持ちだと魔王さまがおっしゃっていました。ですが、魔法の行使には強靭な精神力が必要です。いざという時、あなたは確実に魔法を使えますか?」

「ぐっ……」

 陽巫女の言葉に、骨の髄まで鈍器で叩き割られたような痛みを覚えた。

 それはほんの二週間ほど前に、まさに絶望という形で味わわされた致命的な欠陥だ。

 ルティアネスに剣を突き刺そうとする敵に対して攻撃魔法は発動しなかった。

 ディフィルがいなければ、確実にルティアネスは命を落としていただろう。

 それに修行していた治癒魔法すら発動にどれだけの時間を要したことか。

 もっと早く、もっと強力な治癒魔法が使えたなら、あるいは、ルティアネスはその場で目を覚ましてくれたかもしれない。

 そんな後悔があれから何度となく幸雄を苛んでいる。

「……ああ、わかってる。たぶん俺は逃げてたんだ」

 必要以上に自分の体を痛めつけていたのは、焦りよりもむしろ贖罪の意識からだったと幸雄は思う。

 だがそれは、少しでも自分に罰を与えることで気を楽にする逃げの行動とも言えるだろう。

 本当に未来を見据えて行動するのなら、陽巫女の言うように単に身体に苦痛を強いるのではなく、今やるべきことをしっかりこなすことこそが重要なはずだ。

「わりぃ、俺に合った修行ってのを教えてくれないか?」

 幸雄は素直に謝って二人に助言を求めた。

「お任せくださいな」

「ゆっきー、大風呂に乗ったつもりで――」

「風呂には乗らねーよ、せめて泥舟にしてくれ――って、なんかまちがえたっ!」

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