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お宝の持ち腐れ?

 翌日、最小限の守備兵だけを残して、魔王軍はほぼ全軍で出陣した。

 相変わらず幸雄はディフィルにくっついて馬に乗っている。

「ああ、俺もせめてひとりで馬に乗れるようになっておきたいな」

「じゃあ、あたしが教えてあげるよん?」

「そうか? じゃあこの城を陥としたら頼む」

「うん、じゃあお礼は『ゆっきーのおいしい血』で――」

「却下! なんだそのどこかのミネラルウォーターみたいなネーミングは。そもそも俺の血は飲み物じゃねー」

「ええーっ、血くれないのん? ゆっきー、お宝の持ち腐れだよん?」

「待て待て、なんで俺が物の価値のわからないおバカさん扱いされてんだ? それに『お宝』じゃなくて『宝』だ。なんか変な意味に聞こえるだろ。あと、俺の血は俺の体内を巡って酸素たんやその他諸々たんたちを運搬するのが最大のお仕事だ。お前に吸われることはむしろ公務執行妨害で逮捕ものだぞ」

「……しゅん」

 いや、俺悪くないよな、と思いながらも、声に出してまでしゅんとしたヴァンパイアに幸雄はなんとなく罪悪感を覚える。

「ああ、ええと、吸血行為以外のお礼でなんとか手を打っていただけないでしょうか?」

「血、ダメ?」

「ダメ、絶対」

「……どうしても?」

「どうしてもダメ、絶対」

「……まったくわがままだなあ、ゆっきーは」

「待てこらっ、人が下手に出てればつけあがりやがって」

「ゆっきー、怒ったのん? ごめんね?」

「うっ、あっ、いや、別に怒ってはいないぞ。ただちょっとイラッときただけで――」

「やっぱり怒ってりゅ」

「噛んでるぞ」

「噛ん……いただきまーしゅ」

「うおっ! あぶねー、油断も隙もあったもんじゃねえな、このロリヴァンめ」

 幸雄が腕を緩めて体を離した隙に、噛みつこうと口を開いたヴァンパイアの顎の下に手を押し付けて幸雄は抵抗した。

「避けちゃダメ、絶対」

「噛んじゃダメ、絶対」

「無理だよ、ゆっきーのいじわるぅ」

「いや、そっちの噛むじゃなくて、俺に噛みつくなって意味だ」

「なんでそんなに嫌がるのん?」

「当たり前だろっ! ヴァンパイアに噛まれたら俺までヴァンパイアになっちまうだろうが。しかも、純粋なヴァンパイアと違って理性もなくしてただ人を襲うだけのモンスターみたいなのによ」

「……ばんぱいにゃに噛まれたら、ばんぱいにゃになっちゃうのん?」

「そうだよ、常識だろ。あと噛みすぎだ。っていうか、ヴァンパイアって発音できないのか?」

「ゆっきーおもしろーい。そんなごちゅごう主義あるわけないじゃん」

「ご、ご都合主義……だと? な、何言ってんだ、お前、ヴァンパイアのアイデンティティをご都合主義とか――」

 あまりの衝撃に幸雄は言葉が続かない。

『ご都合主義』の意味が拡大解釈されたか、それとも自分の知らない意味があったのだろうかと中二脳が空回りする。

「ゆっきーおかしいよん? 噛んだだけでばんぱいにゃになっちゃうなら、今頃世の中ばんぱいにゃだらけになってるよん? それとも、ゆっきーの出身世界はばんぱいにゃがそんなに繁栄しちゃってるのん?」

「あっ、えーと、いや、俺の出身世界のヴァンパイアは日光に当たると消滅しちゃったり、銀で傷つけられると再生できなくなったり、十字架やニンニクが苦手だったりと、致命的な弱点が結構あるせいで最初はいいところまでいくんだけど、結局繁栄するには至らないんだ」

 まあ、二次元の話だけどな、と小声でセルフツッコミを入れるものの、幸雄はご都合主義のショックから回復しきれないままだ。

「……そうなのん?」

 どこか淋しそうに言うディフィル。

 幸雄の知っているヴァンパイア像は、所詮二次元における空想の産物だ。

スペック的に人間を圧倒し、血を吸うことで命を奪うのではなく、人格や人としての意思や身体そのものを変質させてしまうヴァンパイアは、恐怖を演出するには格好の存在と言えるだろう。

 ただ暴力を振りまくだけのモンスターと異なり、殺されるかもしれないという恐怖以外に、血を吸われて自分までヴァンパイアの下僕にされるかもしれない。そんな自分が大切な人を毒牙にかけるかもしれない、といった副次的な恐怖をももたらすのだ。

その、他のモンスターにない特異な能力ゆえに、人間側に視点をおいても、ヴァンパイア側に視点をおいてもドラマティックな展開が可能であり、多くの創作がなされてきた要因とも言える。

 だが、それはどこまでいっても物語における設定なのだ。

今、目の前にいる三次元のヴァンパイアは、その二次元の特殊能力をあろうことかご都合主義と断じてしまった。

 幸雄としては、それが本当ならちょっと献血するくらいのつもりで吸わせてもいいような気もするが、やはりこれまで刷り込まれてきた二次元の『常識』が思いとどまらせてしまう。

 なんとも居心地の悪い沈黙が馬上で揺られるふたりを取り巻き、ディフィルの小さな体に抱きついている格好の幸雄としては心苦しくて手を離してしまいたいが、確実に落馬するのがオチなのでそうもいかない。

 人狼隊長ラッテは同族ともいえるキャラが神扱いされていることに喜んでいたが、ディフィルを喜ばせてやれるような例を幸雄は知らない。

ギャグやコメディではなく、明るいハッピーエンドなヴァンパイアものを知っていれば、少しはフォローができたのに、と幸雄は唇を噛みしめたが、残念ながらヴァンパイアを扱った作品の多くは恐怖や悲劇を描いている。

 漫画みたいにナイフや手刀で手首を斬って、さあ俺の血を飲め、とでも言えたら少しは格好いいのかもしれないが、血管だけでなく神経まで斬ってしまいそうで怖いし、そもそも手刀で何かを斬れるような二次元的な能力を持っていない。

せめて注射器があればな、と溜息を吐きそうになった幸雄にディフィルが話しかけてきた。

「あんまり気にしないでいいよん。『ゆっきーのおいしい血』はまた今度で、ね?」

「あ、ああ、なんて言うか、悪かったな。でも、直接俺に噛みついて吸わなければ大丈夫なはずだ。砦に戻ったら師匠に何か手はないか聞いてみよう。別に何が何でも噛みついて血管から直接吸わないとダメってことじゃないんだろ?」

「えっ、い、いいのん?」

 どこか震えているような声が幸雄の鼓膜を叩いた。

 うれしいのか、本当に期待していいのか不安といったところかもしれない。

 ならば、幸雄がすべきことはただひとつ、安心させてやることだ。

「ああ、俺はわがままじゃないからな。たっぷり……とはいかないかもしれんが、まあ普通の献血分くらいは大丈夫だろう」

「うんっ、ゆっきー、ありがとう」

 その声が聞けただけで、幸雄は何となく救われた気がした。


 中央山脈の西側麓付近に位置する城は、決して大きなものではない。

床面積でも魔王城の十分の一以下――巨人の城と比べること自体がまちがいかもしれないが――といったところだろう。

しかし、巨石を積んで造られた城壁は見るからに武骨で堅固そうだ。

 その城壁の東西の中央では両開きの鉄扉が魔王軍の侵入を敢然と拒むように堅く閉ざされ、さらに南北は山から続く森林が城壁から五メートル付近の辺りまで囲んでいるため、この城を迂回して大軍が東西に移動することはまず不可能だろう。

 つまり、大軍で四方を包囲しての総力戦は不可能であり、城の東西どちらから攻めるにしても、攻め手は一度に攻撃に加われる数が非常に制限されるため、攻めにくく守りやすい城だと言えるだろう。

「まあ、普通に攻めたらね。しかもあちらには陽巫女までいるんだ。まさか城壁の防御力まで跳ねあげたりはしないだろうけど、守備兵は至近距離であの赤い霧を受けて相当パワーアップするはずだ。まともにやりあったら犠牲がとんでもない数に上っちまう。師匠の気苦労を増やすだけだ。そんなのは下策中の下策」

 幸雄はちょっと得意げに傍らの魔王とディフィルに語っている。

 城の東側は大軍が展開できるような平地がなく、攻め手としてはどうしても縦長に布陣しなくてはならない。

 そのため、幸雄たち三人は城から四〇〇メートルほどの最前線に出てきて敵の様子を窺っていた。

 幸雄としては森に囲まれた狭い道での伏兵を警戒して人狼部隊を森の中から進軍させたのだが、敵兵の姿はまったくなく、やや拍子抜けしながらも最低限の見張りを山上の砦に残してほぼ全軍が無傷でここまで移動できていた。

「俺が向こうの指揮官なら確実にこの森に伏兵を潜ませて奇襲かけるか、森に火を放って全軍丸焼きにしてるところなんだけどなあ」

 幸雄はどこかで聞いたような戦術をひけらかした。

前回の作戦がうまくいったことで自信を持ったのか、完全に調子に乗っていた。

 それを腕を組んだまま城を見つめている魔王がふむふむと相槌を打ちながら聞き、昼を過ぎて少し眠そうなディフィルが幸雄に寄り添ってうとうとしている。

「まあそれだと後が大変だからな。完全に山火事になるし、二酸化炭素出しまくりだし、動物たちの棲家も焼けちゃうし、ああ、そう考えると丸焼き作戦はなしだな、なし。あっちの陽巫女たんもその辺のこと考えてんのかな。だったらそんなに悪い子じゃないのかもしれないな。一度くらい話をしてみたいなあ。きっと美少女だと思うんだぎょっ!?」

 次第に話が明後日の方向へと迷走し始めた幸雄の鳩尾に、ふらふらしていたディフィルの頭が奇妙な軌跡を描いて叩き込まれた。

「ぎゅおおおうぅ……」

「……はぅ? ゆっきー、おなか痛いのん?」

 お前のせいだろ、というツッコミの一言さえ出せず、幸雄は膝をついて両手で腹を押さえ、不思議そうな顔をして覗いてくるヴァンパイアに涙を浮かべた抗議の視線を突き刺してやったが、特に効果はなさそうだ。

「ふははは、ふたりともずいぶんと仲良くなったようだな、安心したぞ」

 降り注いでくる無遠慮な重低音にも、幸雄は口を開きかけたがまだまともに言葉を発することができなかった。


「くそっ、なんだか色々と不本意な感じだが、そろそろ始めた方がよさそうだな」

 ようやくダメージから回復した幸雄は、予想通り敵から仕掛けてこないことを確信すると、魔王に作戦開始を進言した。

「よし、では作戦開始だ。各隊長に伝令!」

 魔王の声が響いた瞬間、すっと何かが動いたような気がした。が、辺りを良く見回してみても特に何も変ったところはない。またディフィルがうとうとしているだけだ。

 幸雄は首を傾げて、もしかして忍者でもいたのか? と呟く。

「ほう、さすがゆっきー、気づいたか? 今のは影属性モンスターだ」

「影属性?」

「そうだ。文字通り影に生き、影に潜むモンスターで、我々と異なり実体を持っていないから物理攻撃も魔法攻撃も基本的に効かない」

「なにそのチートキャラ、ずるくない?」

「その代わり、影のある場所にしか存在できないから移動制限があるし、自分の潜んでいる影が消えたら自分も消滅する」

「儚い系かよ。残念な奴らだな」

「だが、彼らは自分自身に音声や映像を記録、再生することに特化しているから、こういう情報伝達や諜報活動にはとても優れているのだ」

 前回の戦闘では影が多い山の中での命令伝達の為に出払っていたそうだが、今回は戦場が戦場だけに、この場で使用することにしたらしい。

「へえー、それはまた……いいな、うん、すごくいいぞ!」

 幸雄はスパイ活動に勤しむ影を想像して素直に感心したが、次第に思考が邪な影を帯び始め、女性の入浴シーンを盗撮させるという妄想を思い浮かべてにやついた笑みを浮かべた辺りで、どういうわけかディフィルの頭が魚雷のように幸雄の腹にめり込んだ。

「ごふぅっ……!」

「はふゅぅ? ゆっきー、またおなか痛い痛いのん?」

「……だから、お前の……ぐっ、くっ……、ふぅ」

 最後まで言いきることができずに空気が無駄に喉を抜けてゆく。

 このロリヴァン、俺の心を読んでわざとやってるんじゃないのか、という疑念を抱きつつも、まったく邪気のない愛らしい顔を向けられると、どうしても怒るに怒れない。

あまり望ましくない関係が築かれつつあるような気がして、幸雄は溜息を吐こうとしたがそれすら腹の痛みの前に断念した。

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