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ハイタッチ

「あっ、お姉さまの遠吠えだっ! 魔王、なんて言ってるかわかるか?」

 本陣では幸雄が落ち着かなげにうろうろ歩きまわっていたが、聞き覚えのある狼の遠吠えにはっと顔をあげて魔王に尋ねた。

「うむ、あれは進軍の合図だな」

 どっしりと床几に座ってリラックスしている魔王が頷いて言った。

ディフィルに至っては完全に夢の中だ。

格の違いというか器の違いというか、改めて自分との違いを自覚させられつつも、幸雄は少しへこんだだけで遠くの戦況を分析し始めた。

「突撃してからそこそこ時間が経ってさらに前進ってことは……たぶん陽巫女は既に逃げ出した後だったってところだろうな」

「ほう、そうなのか?」

「ああ、ハーピー部隊を見てみろ。あいつらまだ同じ所でぐるぐるしてるだろ? 俺の指示が的確じゃなかったんだろうな。緋色の霧の中心部を見つけて攻撃しろ。その場所を知らせるためにその上空で待機。後は人狼部隊で速攻かけて詰みだと思ったんだけど、きっと陽巫女は居場所がばれたと思った瞬間、もう逃げてたんだろう。側近にそれなりに戦術のわかるやつがいたか、臆病なだけかは知らないけどな」

「ふむ、ではハーピー部隊に指揮官がいれば、もっと理想的な展開が期待できた、というところか?」

「そうだよ、せっかく飛行部隊があるのになんで飛行系の隊長がいないんだよ?」

 幸雄の険を含んだ物言いに、魔王は腕を組んで溜息をひとつ吐いた。

「先代の隊長たちは少し前に全員戦死した。あの三人は我が軍の次代を担う者たちだ。だからまだ若くて経験も少ない。指揮官としては今回の戦争が実質初陣だ」

「――っ!?」

 あまりの衝撃発言に幸雄は口を開くも、言うべき言葉が中二脳のどこにも見当たらなかった。

開いた口がふさがらないを地でやってしまったことに気付くのに一〇秒を要した。

 先代の隊長たちが何人いたのかは不明だが、それでも全滅というのはとんでもない異常事態だ。

 おそらく武力においても現在の隊長たちより上に違いない。

にもかかわらず、それが――

「全滅ってどういうことだよ? なんか超ハイレベルな勇者様御一行が攻めてきたとか、そういうことなのか?」

「いや、ドラゴンだ」

 冷然とした断言が返ってきた。

その静かな言葉に眠っていたディフィルがピクリと反応したことに幸雄は気付かない。

「――くっ、中二病患者の大好物ドラゴン……だと?」

 幸雄の中二脳がブドウ糖を遥かに超えるエネルギーを摂取して急速に回転数を上げる。

 世の中に『中二病』を知らない者は多いだろうが、『ドラゴン』を知らない者はまずいないだろう。

ゲームやアニメだけでなく児童書や民話にさえ登場するため、世界中で老若男女を問わず誰もが知る巨大で高度な知性を持った有名な種族だ。

幸雄の出身世界においては、洋の東西でその姿、伝承が大きく異なる。

西洋では主に邪悪な存在として人々を襲い、英雄によって打ち倒されることが多く、東洋では神の一種として崇め奉られることが多い。

「やべー、超見てー、でも……」

 自分の出身世界には実在しないため、まともな一生を送るなら決して生で実物を見ることなど不可能だ。

 それだけに幸雄は戦況も忘れてドラゴンのことを考えてしまう。

幸雄が知っているのは、主にゲームで終盤に登場する強敵としてのドラゴンだ。

中ボスとして重要なアイテムを護っていたり、倒すと仲間として共に闘ってくれるようになったり、あるいはラスボスをも超える最強の敵として主人公たちの前に立ち塞がったりする。

 だが圧倒的な力を持ちつつも、結局はレベルを上げた主人公たちには敵わない。

ゲームだから当然といえば当然だが、必ず倒しうる相手なのだ。

ゆえに幸雄にドラゴンへの恐怖心は希薄だ。

無論、彼ら中二病患者だけに限らず、ほぼすべての人々にとっても同様だろう。

 しかし、こちらの世界においてはその認識は完全に誤りなのだ。

幸雄は先代の隊長たちの実力は知らないが、仮にも第三魔王に仕える隊長――つまりは中ボス級の存在のはずだ。

 それが何人かは不明だが全滅させるほどの戦闘力を考えると、さすがに恐怖を覚えざるを得ない。

「どんだけ強いんだよ、本物のドラちゃん」

「その話は後でもいいだろう。ゆっきーよ、そろそろ次の段階に入ったらどうだ?」

「おっと、そうだった。そんじゃあハーピー部隊を下げてオーガ部隊、レッサーデーモン部隊を突撃させるんだ。一気に山を制するぞ!」


 陽巫女の加護を失った西国軍はもろかった。

突然のことに動揺したこともあるだろうし、平地での惨敗の経験も大きいだろう。

オーガの振り下ろす棍棒を打ち返すどころか叩き潰され、レッサーデーモンの爪の刺突を切り払うどころかまともに腹部に突き込まれた。

 前線が崩されると、つい先ほどまであれほど機能していた指揮系統も乱れ、我先にと逃げ出す兵士が続出した。

緋色の加護が消え、さらには人狼部隊に突破を許したことから、陽巫女が殺されたのではないかという憶測が爆発的に広まったのだ。

一種の神権政治といえる体制を取っているこの世界において、陽巫女という神にも等しい絶対的な存在が殺されたとなれば、兵士たちにとって精神的な支柱であり拠り所でもある存在が失われたことになる。

 しかも敵は魔王を名乗る巨人と今まで見たこともなかった異形の怪物どもだ。

少しでも心を折られたら、いつ総崩れになってもおかしくはない。

そんな極限状況下で戦い続けてきたのだ。

「蹴散らせっ!」

 ドワーフ隊長ダラリウスの鬱憤を晴らすような大音声が轟き、オーガ部隊がその巨体とパワーで周囲を蹂躙し、負けじとレッサーデーモン部隊がその合間を縫って突撃をかけてゆく。そんな中で、後方から鐘の音が響いてきた。

「今頃突撃命令か、遅いわっ!」

 そう文句をつけながらも、ダラリウスの顔に浮かぶのは獰猛な笑みだ。

山岳戦に入ってから得意の力押しによる攻撃が悉く受け流され、ずっとストレスの溜まる戦いが続いてきただけに、全力で暴れられるこの戦いに久々の充実感を味わっていた。

 この戦場においてもっとも小柄でもっとも怪力を誇る男が、己の身長を超える巨大ハンマーを振り回して逃げ遅れた敵兵を跳ね飛ばし、みずから最前線を押し上げて行く。

 そのダラリウスたちが切り開いた道を相変わらず不機嫌そうな表情で後に続くのは、悪魔隊長グレスドッドゥスとレッサーデーモン部隊だ。

 一時は積極的に攻撃を仕掛けていたが、残敵の掃討はオーガ部隊に任せたとばかりに、逃げてゆく敵兵には興味も示さずに無言で山道を登って行く。

 その日、山岳戦の決着が着いたのは、本陣でぐっすりと睡眠を取っていたヴァンパイアが起き出し、水分補給のために幸雄に噛みつこうとしてデコピンで返り討ちにあった頃だった。

 伝令兵から山頂付近の砦を占領したという報告を受けた幸雄は、ガッツポーズをした後、傍らのディフィルに両手を上げてハイタッチを求めた。

「よっしゃー! キタコレキタコレ、いえーい!」

「はう? 首はダメなのにおなかならいいのん?」

 妙に自分に都合のいい勘違いをしたヴァンパイアが、ゆっきーはまにあっくだねえと言いながら大きく口を開けて脇腹に犬歯を突き立てようとしてくる。

「だあー、待てこらっ! ハイタッチだよハイタッチ!」

「ハエタッチ?」

「やだよそんなの、さわりたくねーよ。そうじゃなくてハイタッチだ」

 幸雄はディフィルにハイタッチの仕方を教え、嬉しい時や喜びを分かちあいたい際にするものだと説明した。

「ふうーん、そっか、ゆっきー嬉しいんだね、それじゃあ――」

「いえーい!」

 声を重ねて二人の両手が打ちあわされた。

「では我も」

「って、こえーよ!」

 いつの間にか近づいていた巨人が万歳して幸雄にボディプレスでもかけそうな体勢になっていた。

まるでただでさえ大きい図体をより大きく見せるために両手を掲げて威嚇してくる熊のようだ。

 しかもその巨体は、熊の中でも最大種とされるヒグマやホッキョクグマすらぬいぐるみ程度に思えるほど遥かに凌駕している。

 こちらの手の位置に合わせようと振り下ろされてくる両手が巨大なハエ叩きのように感じ、幸雄は狙われたハエの気持ちがこれかと必死の形相で飛び退いた。

「ふむ? つれないな、ゆっきー。我とは喜びを分かちあわないのか?」

「お前はでかすぎるんだよ! その手とぶつかったら俺の骨が折れちまうだろうが!」

 それどころか腕ごともぎ取られそうじゃないかと文句を叩きつける。

「ふむ、ゆっきーはもう少し体を鍛えた方がいいな」

「俺が悪いのかよ!? むしろお前が力の加減を覚えろ!」

「すまんな、ちょっと前に少々全力を出して以来、力の制御がうまくいかなくてな……。加減をミスるとこの世界ごと壊してしまいそうだから、今回の征服戦争では我自身は参戦しないことにしている体たらくでな」

「おいおい、そんなんで大丈夫かよ? っていうか、そんな状態で俺にハイタッチに見せかけたハンマー振り下ろすな! まじでやべーじゃねえか」

 どうやら逃げたのは正解だったらしい。

平和ボケした己の出身世界ではついぞ感じることなどなかった命の危機を何度か経験して、危機感知能力が相当レベルアップしているようだ。

「でも、それで俺を召喚したってことか……」

 幸雄はようやく自分がこの世界に召喚された理由を理解できたと思った。

 現在の魔王軍は弱い。

本来なら魔王本人が参戦すれば済む話だが、下手をすればこの世界ごと破壊してしまうという。

そうなれば、敵だけでなく味方まで全滅しかねない。

ならば、それなりの実力者を助っ人として呼び出して戦わせればよい。

 もしそいつが言うことを聞かないなら、その時は敵もろともぶち殺すくらいのことを考えていたかもしれない。

仮にも異界のラスボスをパシリにしようというのだ。

それだけで、この巨人がどれほどの実力を誇っているのか知れるだろう。

幸雄は初めてこの第三魔王を名乗る巨人に恐怖を覚えつつも、今、自分はその軍師として参戦しているのだということに改めて中二脳がアドレナリンを撒き散らすのを感じた。

「ふんっ、まあいいか、それよりどうする? 戻るか、砦に乗り込むか」

「一度戻ろう。かなり大きな砦らしいし、明日、陣を引き払って、全軍で向かうことにする」

「そっか、じゃあさっさと戻ろうぜ、早く師匠にも知らせたいしな」

 むしろそのために戻りたい。

 自分の活躍を知らせたら何かご褒美をくれないかなあと邪念さえ抱いた。

「ゆっきー、いえーい」

「ん?」

 見ると、ディフィルが万歳してこちらに物問いたげな視線を送ってきている。

「ゆっきー、嬉しそうだよん?」

「えーっと……」

 ――要するにハイタッチをしようということか。

 ちょっと説明をはしょりすぎたかと思ったが、まあ説明し直すのも面倒だしいいかと幸雄はディフィルに手を合わせた。

「いえーい」

「では我も」

「お前はいいんだよ!」

 背後から迫る圧迫感に気付き、幸雄は必死に身を逸らして魔王から距離を取った。

 だが、これなら逃げ足だけは鍛えられそうだと思わず苦笑していた。

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