第8話 抑圧と監禁の中で――地獄への階段
謎の一団との戦闘自体は非常に小規模なものだった。
ギザ基地の本部も地球軍の本部も、その戦闘は無かったこととして葬り去る方針とした。戦闘に参加したのは、スーとナバホの二班で、損害は負傷四名、死亡四名だった。それゆえ軍からすれば、演習中の事故として簡単にかたづけられるものだったのである。それを証明するかのように、死亡した兵士達は三日後に誰にも知られずに宇宙葬に付された。
しかし、生き残ったスーとナバホのメンバー達にとっては、苦難の旅路はもうその頃はじまっていたのだ。
一夜の戦闘で気が置けない仲間を失い、残った者達も負傷したのだから当然のことといえた。だが、スーとナバホのメンバーで班が再編成されたり、他の班に編入されることはなかった。それ以前に彼らには、死んでいった仲間達がどうなったのかさえ、しばらくは知らされなかったのだ。
ギュゲスは一番軽傷ではあったが、それでも全治一ヵ月の火傷を胸部に負い、手と足の指を凍傷で失った。彼の体には演習で受ける火傷とは比べ物にならない傷跡が残っていた。ギュゲスは実戦がいかなるものかを身をもって知ったのだ。
ミマースは右腕の上腕から先を失い、全治三ヵ月と診断された。
しかしこうした怪我を全治させること自体が不可能であることを考えると、奇妙な診断といえた。傷口は火星の極寒さゆえ、千切れた瞬間から血液を凍らせはじめたことで出血を止め、戦闘服の自己修復機能により、細菌の侵入を防いだため、命に関わることはなかった。だが、ミマースが受けた精神的なショックは計り知れなかった。
あろうことか、軍はそうした苦痛を和らげる処置に関しては犯罪的なほど無頓着だったのだ。
二人はひとつおきにパネルの照明が消された、ほの暗い個室に寝かされ、面会も謝絶されて孤独な日々を送っていた。
日に数度、決まった時間に軍医と看護師が様子を見に現れては、おざなりな診察と処置を繰り返す。誰かと当たり前の会話を交わす時間さえ持てなかったのだ。気力と体力が戻るまではそれでも良かった。しかし、しだいに肉体的な自分を取り戻していけばいくほど、心に出来た傷は膿み、血を流してはギシギシと音をたて、かえって傷口を広げさせていったのだった。
ミマースが横たわったベッドのサイドテーブルには二通の手紙が置かれていた。
封が開けられ空調が作り出した空気の流れに時折ベロを揺らす封筒に収められた手紙は、ルテラーナからのものだった。だが、ミマースは彼女の手書きの文字を見ても、そこに書かれた彼女の日常を想像しようとしても、感情らしい感情が何ひとつ湧きあがってこなかったのだ。男と女。恋と愛。そうしたことを考えようとするたびに、ミマースの脳裏には、粉雪に濡れた茶色い半透明のバイザー越しに見た、トアスがほんの数秒間だけ見せた、満たされたような嫋やかで安堵した面影が蘇り、それを消そうとしては、体を折って獣のような咆哮をあげたのだった。それは、ミマースにとっては叶わぬ愛を見せつけられるような苦悶を呼びおこしたのだ。時にはベッドに起きあがって、頭を両腕で抱えたり膝を両腕で抱えて、得体の知れない恐怖や混沌から逃れようともした。しかし、その度にそうしたことさえ許されない自分に気づいて、打ちのめされ、絶望感を募らせていったのだった。右手を失ったミマースは手紙ひとつ書くことすら出来ずに、ただただ背中の痛みを消し去ろうと、寝返りをうってはベッドに横たわる時間に身をまかせていたのだ。
ミマースにとって唯一の救いは、変わり者の友人アグリオスだった。
白衣の男は、彼が腕を失ったことを聞きつけて、すぐに病室に姿を見せた。ミマースは部屋に運ばれたばかりの頃、朦朧とする意識の中で、サンダルが立てるやかましい音を聞いたことを、微かに覚えていた。アグリオスは週に一度は病室にやってきては、話したいことを話しては去っていった。ミマースにすれば、興味の無い内容であったり、他愛のないものではあったが、彼はそれに救われたのだ。
「悩むことはない。あまり考えるな。なーに大丈夫さ。君はまたトップに立てる。それだけのことさ。君にはそうした力がある。それだけのことだよ」
アグリオスは口癖のようにそういっては、ミマースの心にできた傷にも光があることを知らせようとしたのだ。
しかし、白衣の男が現れない時間が続くと、ミマースは深い孤独感に襲われて、辺りにある物を投げ散らし、暴れ、不自由になった腕に対して怒りを爆発させた。壊れた医療器具が床に散乱し、紙屑になった手紙が転がり、暴虐の対象となったベッドは歪んでいた。
「またかい……もういい加減にしたまえ……」
「……ミマースさん。……もう過去のことでしょう……忘れましょう……」
「絶望か?……絶望したつもりかね……何でも否定していたら変れるものも変れないよ……」
「こんな事をして何になるんですか……困った人ですね……」
荒れて果てた光景を見た医師や看護師は怪訝な顔をしては、部屋を片付けて去っていった。
その度に彼は心に黒い泥を、怒りを積み上げていったのだった。
――お前らになにが解るんだ!……。何一つ解ろうともせずに……何も知りもしないくせに……。
全治という名の監禁にもにた時間は三ヵ月で終わりを告げた。
ミマースは兵舎に個室を与えられ、義手の準備や失った体力を取り戻すためのリハビリがはじめられた。しかしまた、それも孤独な時間であった。自室に引きこもりがちになった彼の琥珀色の瞳には憤怒と狂気が宿り、見るもの全てに怒りをぶつけたのだった。
――誰も何も解っちゃーいない。俺に偉そうなことを言うな!
部屋はまた荒廃し、汚れて散かった。
しかし、そうであってもミマースにはどこかに光はあるという感覚も残ってはいたのだ――戦友。俺を育ててきたもの。あの懐かしき日々。
いきなり心の核の部分を閃光に貫ぬかれたミマースは、その日、ギュゲスの部屋を訪ねたのだった。
「おお、ミマース。元気そうじゃないか」
「いえ、そうでもないですよ……ボチボチやってます……」
「で、どうした? 俺も自分のことで精一杯でな。お前のことはいつも気にはしているんだが……」
「酋長、酋長はこの先どうするつもりなんですか?」
ギュゲスは緊張を解きほぐそうとするかのように、煙草に火を点けた。
「俺は何も変わっちゃいないよ、ミマース」
「……じゃ、酋長はこのまま軍に残るんですかい?」
「そのつもりだ。第一、俺にそれ以外の場所があるとは思えないしな……。おれの志は変わらんよ。トップを目指すだけさ」
「それに意味はあるんでしょうか……。自分にはそれがわからないのです……」
「あるだろう。あるさ。その為に死ぬような思いをしてここまで来たんだ」
「死んでいった連中はどうなるんです?……」
ギュゲスは触れられたくない部分に触れられたかのように声を荒げた。
「いいか、ミマース。俺達は兵士だ。例え死ぬとわかっていても戦う。そういうことじゃないのか? そんな事はお前もよくわかってる筈じゃないか……一体どうした?」
「それが……わからなくなってしまったんですよ……」
「お前……自信を無くしたな……自分を失っているんじゃないか?……」
辛辣な言葉だった。だがギュゲスの声には慰めるかのような柔らかさがあった。
「かもしれませんね……きっとそうでしょう。もう何がなんだかわからないんですよ……」
ミマースはそういって片腕で頭を抱え、腕のない袖を揺らした。
「ショック状態。俺も一時期そうだった。何もかもが虚しかったんだ……。けどな、前に進むしかないだろう……」
「ええ、それはわかってるんです。たとえ眼の前に闇があとうと、その先に深い穴があろうと……。ですが、そうやって進もうとすればするほど、底なしの泥沼の中で足掻いてどんどん沈んでいく感じがするんです……。いっそのこと、足掻くのをやめたほうがいいのかもしれない……。そうすれば、足元に地面があるんじゃないか……。そんな風に感じるんです……。それに……オトスとトアスの顔が浮かんできて消せないんですよ……」
「…………」
巨漢の男は、唇を噛んで、俯いて左手の拳を震わせていた。
「ミー、死んだ人間は返ってこないんだ……。残念だが、忘れることだよ……」
「そんなことが、そんなことが出来ますか! それにあいつらはここで生きている。俺の心の中で今でも生きてるんですよ!」
ミマースは声を張り上げて自分の胸を叩いた。
「……俺は、俺はな、昔の君に戻って欲しいだけなんだよ……。その為になら協力するぞ。俺と木星に行かんか? なあ、ミマース……」
「…………無理です。無理なんです。今の俺は役立たずなんです。すみませんでした。失礼します……」
ミマースはそういって席を立った。
――酋長なら、酋長なら俺の気持ちが解ってくれるんじゃないか……そう思ったのに……。
巨漢の男は、自室に戻ると、照明さえつけずに暗い部屋で、一人眼の前にある道をじっと見つめていたのだった。
しかし、見ようとすればするほど、何も見えなくなっていく恐怖を感じて、ベッドに横たわり、言葉とはいえない声を上げて呻き続けたのだった。
それから一ヵ月後、ギュゲスは木星の衛星にある基地へと旅立っていった。