第7話 宇宙に降る雪――粉雪
「ラティさん……宇宙に降る雪を見たことがありますか?」
「いいえ……」
ガラティアは合わせた膝の上に組んだ手を置いて、もう長いことミマースの話に耳を傾けていた。
巨漢の男は怪我の痛みのせいなのか、追憶からくる失意からなのか、時折り感情を昂じさせて、大粒の涙を眼の端に膨らませていた。
ガラティアはその度に組んだ手を解いては、透明な滴が流れ落ちるまえにそっとハンカチに吸い取らせていた。涙を拭われる度に、ミマースは少しずつ少しずつ表情を取り戻していった。
「自分は何度も見ました……美しかった……。今でも雪が降ると思い出すんだ。あの日のことを……」
「…………」
「あの雪を降らせたのは……あいつの純粋さだった……きっとそうなんですよ……」
ミマースはふと言葉を止めて、数回瞬きをしてから、ガラティアと眼を合わせてから語り出したのだった。
その日、スー族の面々はいつものように城壁の上で配置についていた。地平線に向かって太陽が沈んでいくのが遠くに見えていた。夕暮れが近づくにつれて気温は下がり、風が強まっていた。
「この様子じゃー、夜は荒れるな。竜巻が来るかもしれん……」
ギュゲスは滑り止めの刻まれた鉄板が敷き詰められた床に立って、双眼鏡で赤い大地と空を眺めやっていた。
「こんな日に夜勤だなんて、ついてねーなー」
分厚い城壁の縁に寄りかかって座っていたオトスが酋長の言葉に悪態で応えた。
「ちょいとあんた……。ぶつぶつ言ってないで、テントを張るのを手伝いなよ」
二人の近くで背の低い仮眠用の粗末な宿を組み立てていたトアスが堪らなくなって叫んだ。
「来ますね、竜巻。一つ、二つ、三つ……見えますか?」
ミマースは城壁にある銃眼に銃身を通した軽機関銃のスコープを覗いて、渦を巻きはじめた竜巻の源を透かし見ていた。
「早めにテントをやっちまいますか……」
「そいつは助かるね、ミー、感謝するよ」
ミマースは銃座を離れて、トアスの作業を手伝いはじめた。
「仕方ねーな。じゃー俺もやるかな……」
無線機を背負っていたオトスがライフルを支えに立ち上がってそれに続いた。
テントは城壁の縁と同じ高さまで天井を持ち上げると細長い箱形になった。
それからトアスは、テントの入口にある環境制御器にあるヒーターのツマミをめいっぱい捻って、テントを温めはじめた。
その時、ギュゲスの緊張した声がミマース達の耳朶を打った。
「おい、何か動いてる。人間だと思うんだが……」
三人はすぐに城壁の縁にはりついて、腰にあった双眼鏡を手に取って辺りを見回した。
「今夜は演習はないはずだ……。でもー、あれは確かに人だな……」
「デジタル迷彩かい? あの戦闘服は……。一体どこの部隊だ……」
オトスとトアスが立て続けに呟いた。
「本部、本部。こちらスー族。聞こえるか?」
――こいつは異常事態だ!
と判断したのか、ギュゲスが戦闘服の胸元にある分隊無線機のボタンを押しながら、本部と連絡を取ろうとした。だが、応答はなかった。
ザラついたノイズだけが聞こえていた。
「オトス、こっちに来てくれ、無線を使う」
「アイサー!」
無線機を背負っていた大男が、アンテナを揺らして酋長のもとへと駆け寄った。
ギュゲスは無線機の送信装置を掴むと、それを戦闘服の胸に嵌め込んで叫んだ。
「本部、本部、聞こえるか? こちらスー族。聞こえたら応答を頼む」
「…………」
またしても、ノイズだけがギュゲスの耳を打った。ノイズはさっきより強まっているようだった。
「おい、どうなってるんだ? 状況が掴めなきゃ何も出来やしないぜ……」
オトスが張りつめた声で誰に言うとでもなく噛みついた。
「どんどん近づいて来ますよ……武器も持ってるようだし、ありゃーどうみたって戦闘部隊さ……。あたしの見た所じゃー、あっちはやる気満々だね……」
双眼鏡を覗き続けていたトアスは冷静に状況を観察してそういった。
デジタル迷彩の戦闘服を着た一団は互いに援護できる距離を取って警戒しながら、遮蔽物を利用して城壁へと近づいていた。一小隊程度の小規模な部隊ではあったが、隊形や装備からして戦い慣れた部隊であるようだった。
「こんな時に竜巻かい……」
トアスの声を聞いた瞬間、ミマースは嫌な予感に打たれて、双眼鏡で竜巻を見た。
「いいや……、あいつは竜巻なんかじゃない。装甲車か何かだ……。酋長、こいつはヤバイですよ。あっちは多分本気です……」
「一両は通信車だね……。恐らく本部と連絡がつかないのは、あいつの仕業さ……。で……あとの二両は……ヤバイね……どうやら迫撃砲を積んでるみたいだねー……。やる気だよ。あいつらは……」
「ナバホはどうした? 俺達だけじゃどうにもならんぞ。おい、ナバホ! 応答しろ! ナバホ!」
「…………ザ…………ザザ…………ザー…………」
「ちくしょう、駄目か……奴ら……気づいてればいいんだがな……」
ギュゲスは逡巡していた。心を決めかねていたのだ。撃つべきか、撃たないべきか――。
その時、デジタル迷彩の一団にいた一人の男が手を上げてから、振り下ろすのが見えた。
とたんに、男達は一斉に走りだしてビームを放ってきた。
「おい! 今の見たか!!」
オトスが驚愕の声をあげた。
「ああ、しっかり見たよ! 青かったさ! ……つまり、実弾てことだ!!」
トアスが吐き捨てるように言った。
「トアス、倉庫にいってエネルギーパックを取って来てくれ! このままじゃすぐに弾切れだ! それと迫撃砲も頼む!」
「アイサー!」
「全員配置につけ! 反撃するぞ! モードはレッドだ! レッドだぞ! いいな!!」
「アイサー! モードはレッド! 確認!」
戦闘服を着た男と女が敏捷に動いて、それぞれの仕事に取り掛かった。
「ちきしょー! 無線が外れねー!」
トアスが難渋していることに気づいたミマースは、無線機を下ろすのを手伝ってから、軽機の置かれた銃座へと走った。
音もなく青いビームが城壁の上を飛び越えては蒸発し、城壁に当っては焦げ跡を作りはじめた。
「撃てー! 撃て! 撃てー! 寄せ付けるな!」
ギュゲスとオトスがライフルから赤いビームを放った。
ミマースも赤いビームを銃口から迸らせた。
――これが実戦か……。
デジタル迷彩の戦闘服を着た一団は四つの班が見事なまでの連携を見せて、誰一人撃ち倒されることなく岩陰に身を隠した。かとおもうと、何かを空に向かって打ち上げた。とたんに謎の一団と城壁の間に白い煙が立ち込めた。
「発煙筒を使いやがった! 突っ込んでくるぞ! 無駄弾を撃つな! 狙っていけー!」
ノイズに混じってギュゲスの怒号が聞こえた。だが、その発煙筒はただの発煙筒ではなかった。地表に落ちた瞬間、辺りに熱をばら撒いて氷を溶かし、霧を作り上げたのだ。
そのとき、トアスが両手で大きな箱を引き摺りながら戻ってきた。
「待たせたね、酋長。これで無駄弾も撃てるよ。……あたしはなんだか我慢ならないんだ。思いっきりやらせてもらうよ!」
トアスは手にしていたライフルのモードをレッドに入れると、城壁の縁に張り付いて猛烈にビームを放ちはじめた。そのトアスが一人を撃ち倒した。
「ざまあみやがれ!」
「やるじゃねーか! トアス!」
オトスは叫びながら冷静さを取り戻して、正確な照準で赤いビームを放ちはじめた。刹那、遥か彼方で閃光が瞬いた。
「まずい! 迫撃砲が来るぞ! 全員注意!」
数秒後、スー族のメンバー達は、すさまじい爆風と振動に襲われた。
「何も見えねーじゃねーか!」
「あっちの作戦だよ! グチグチ言うんじゃないよ、オトス! 黙って撃ちな!」
二人が会話を交わしている間に、ギュゲスが一人を撃ち倒した。だが銃火はまったく衰えなかった。
「あいつら、仲間がやられても平気なのか! 助けにも行かねーじゃねーか……。狂っていやがる!」
「これは実戦だぞ! 死んだ奴には用はない! くだらん考えは捨てろ!」
ギュゲスがそういった瞬間、レシーバーからオトスの悲鳴と甲高い擦過音が聞こえた。
「おい、オトス! 大丈夫か!?」
「ああ、掠っただけだ。けど、眼の前がチラチラしてやがる……」
戦闘服のヘルメットには細長い焦げ跡が刻まれ、そこから湯気が立ち昇っていた。
「オトス、ミマースの補助に付け! チラチラが直るまでそうしてろ!」
「アイサー!」
男はヘルメットの中で頭を激しく振ったあと、銃座目指して走り出した。
もう少しだ!――オトスがそう思った瞬間、またギュゲスの怒号が響いた。
「迫撃砲!!」
「冗談じゃないぜ!!」
猛烈な爆風と振動、そして誰かの長い悲鳴が聞こえた。スー族の男と女は薄らいでいく白煙の中で、声の主を探した。そこには、全身に破片を浴びて湯気をあげているオトスがいた。
「オトーース!」
「よせ! トアス! よすんだ! 君までやられる!」
「けど……けど……」
「無理だ……あれじゃ助からんよ……」
オトスは床に寝そべったまま声をあげることもなく、ピクリとも動かなかった。
ギュゲスは左手で十字を切ってから、雄叫びをあげて激しくライフルを撃ちはじめた。
「ちくしょー! ちくしょー! あたしはあんたらを許さないよー!」
トアスも発狂したように激しく赤いビームの光条を放った。
「酋長、奴らもうすぐ城壁に辿り着きます。侵入されたら終わりです。退却も考えたほうが……」
ミマースは必死に喋りながら、軽機を撃ち続けた。
落ち着き払ったミマースの声を聞いてギュゲスとトアスが冷静さを取り戻した。
「そうだな……。よし、退路を確保する。昇降口E4とする。敵が壁にはりついたら脱出だ。とりあえずE4付近まで移動するぞ」
「アイサー! ムーブ、確認!」
ミマースは叫びながら、軽機を銃眼から引き抜いて構え直した。
トアスも叫びながら、ライフルのエネルギーパックを新品に交換した。
「あっちの迫撃砲は自動装填だろう。間隔が規則的だ。その隙をついて動くぞ。野郎ども着いてこい! ムーブ!」
そういった瞬間、ギュゲスは身を起してライフルを撃ちながら、E4目指してひた走った。トアスが続き、ミマースは連射モードをフルにして、撃って撃って撃ちまくって、二人を援護した。
――まずい……エネルギーが……。そうだった……レッドモードはショックより消費が激しいんだったな……。
「酋長。自分はパックを持てるだけ持ってからそっちに行きます。次のムーブで走ります」
「了解! じゃーいくぜ……。ムーブ!」
ミマースはギュゲスたちと反対方向に走ってパックの詰められた箱の横に滑り込んだ。
「ミマース、離れ過ぎだ……。次のムーブで、俺達が援護するから距離を詰めろ!」
「アイサー!」
息が切れて胸が痛かった。やたらに軽機が重たく感じられた。
「ムーブ!」
「待て、待ってくれ! 迫撃砲ーーー!!」
閃光、振動、爆風、白煙、そしてまた悲鳴が聞こえた。
「酋長ー!」
「…………」
寸秒後、男が咳き込む声がミマースとトアスの耳朶を打った。
「無事ですか? 酋長!?」
「……あ……ああ……なんとかな……。けど、生命維持装置をやられた。……寒い……」
「ミマース、酋長をテントに運ぶよ。あそこにはヒーターがある。援護して! いくよー! ムーブ!」
城壁の上からはたった二丁の銃が火を吐いただけだった。
トアスはギュゲスに肩を貸しながら、撃って走って伏せた。
三度移動を繰り返して、三人はテントのところで合流して、ギュゲスをテントの中に寝かせた。
「酋長、しばらくここで我慢してください……。なんとかケリをつけますからね……」
「ああ、すまんな……手間をかけさせて……。だがいざとなったら、君たちは脱出しろ……ゴホッ……ゴホッ……俺のことは気にするな……」
トアスとミマースは、かろうじて表情が伺えるヘルメットのバイザーごしに見つめ合って頷きあった。
――卑怯な真似はしない。俺達は逃げない――と。
二人が決意を固めたころ、敵は城壁のすぐ近くに達して、真上からの射撃を防ぐために防御シールドを展開させはじめていた。
トアスは迫撃砲のところまで突っ走ると、制御盤を操作して自動装填モードにすると、ずっと後方にいる援護部隊に照準をつけた。
それから手近に見える固まった敵めがけて、ありったけの手榴弾を投げつけ、合間を縫っては、ミマースのエネルギーパックを補充した。それはまさに八面六腑の活躍だった。
ミマースもそれに応えようと、彼女を狙ってきそうな敵を優先的に選んで撃ちまくった。正確に照準された連射は、その度ごとに、一人、あるいは二人、あるいは数人を纏めて薙ぎ倒すこともあった。
いたる所に戦闘服を着た兵士や銃や装備が転がり、霧が漂う赤い大地は蒸気と煙をあげていた。
敵はミマースたちが逃げ出したものと油断していたのか、酷く隊形を乱して狼狽していることを示した。
「あたしらは誇り高きスー族なんだよ! 死んだって逃げだしゃーしないんだよー! くらえー!」
トアスは手にしていた最後の手榴弾を投げると床に伏せて、背負っていたライフルを手に取った。
「ミマース、もうそろそろ迫撃砲も弾切れさー。あとはやれるだけやるっきゃないよ!」
トアスは膝立ちになって持っていたライフルを叩いて見せた。
「ああ、わかった! だがトアス、死に急ぐなよ!」
「ふん、なに恰好つけてんのさ! 似合わないんだよ!」
そういってトアスはライフルを撃ちながらミマースのいる場所へと走った。
ミマースは彼女が走り出したのを眼にした瞬間、引き金を引いて城壁の下にいる敵にビームの束を撃ち込んだ。
そのとき、ミマースは遠くで光が瞬いて、青く丸い光が瞬時に大きくなっていくのを見た。
「危ない!!」
ミマースは体に何かがぶつかるのを感じて、横倒しになった。青い光は楕円になり、やがて一条のビームになって蒸発した。
――スナイパー! スナイパーがいるぞ!!
したたかにヘルメットを床にぶつけたミマースは、音もなくライフルが床を滑っていくのを眺めながらそう叫んだ。
叫んだはずだった。そのはずだったのだ。しかし、それは声になっていなかったのだ。
「間一髪じゃないかい! 馬鹿だね! どこに眼をつけてんだい!」
トアスはそういってから、手元を離れたライフルを拾おうとして中腰の姿勢を取ろうとした、刹那――
ミマースは彼女の体を青いビームが貫くのを見た。
「トアーーース!」
女はそのままの姿勢で全身を何度か痙攣させた。
「ミー、来るな……あんたまで……」
トアスはそこまで声にしてから床に崩れた。
「トアーーース!」
ミマースは彼女の制止など気にもとめず、トアスのもとに駆け寄って、彼女を抱き起した。
「トアス……平気か?……」
「…………」
「トアス! トアース!」
「……ミー……雪だ……雪が降ってるよ……」
トアスのヘルメットに雪の結晶が落ちては静かに溶けて消えていった。
彼女のブルーバイオレットの瞳は揺れながら落ちてくる雪をじっと見つめていた。
「儚いね……でも……綺麗だ……」
「喋るな! 死ぬぞ!……」
腹部に開いた焼け焦げた穴が戦闘服の自動修復機能で塞がっていくのが見えた。
「あたしは……恋のひとつも出来やしなかった……」
「トアス、何を言ってるんだ! しっかりしろ!」
「けどさ……あたしは幸せさ……。こんなに綺麗な粉雪の降るなかでさ……」
「…………」
トアスの潤んで震える瞳はミマースを捉えていた。
「好きな男に……抱かれて……死んでいける……」
「なにを……なにをいっ……」
「ミマース……ミマース……あたしは馬鹿だ……今頃気づいたよ……」
トアスは涙を流しながら、腕を力なくミマースの方に伸ばした。
青いビームが数条、二人を掠めて飛んでいった。
「さようなら……ありがとう……ミマース…………」
トアスの腕ががくりと落ちた。
「トアーーーーース!」
ミマースは絶叫した――
瞬間、腕に強烈な衝撃を感じた。
それまで側にいたトアスが胸元から滑り落ちてゆくのが見えた。
と同時に何かが宙を飛んでいくのが見えた。グレーの戦闘服に包まれた腕だった。
ミマースは自分の右腕に視線を走らせた。そこには、あるはずのものが無かった。
戦闘服の自動修復機能が働いて、じゅくじゅくと綻んだ傷口を塞いでいるのが見えた。
とたんに吐き気に襲われて俯せに倒れ込んだ。
「ここで……死んでたまるか……俺には……まだやらなきゃならないことが……」
巨漢の男は片腕だけで這いながら、トアスのところまでいくと、彼女の上に体を被せた。
――トアスは……これまで一度だって、自分の持ち場を離れるようなことは無かった。いらぬ気遣いだってしたこともなかった……その彼女が……自分の身より、俺の身を気づかって……。
脳裏にトアスの屈託のない笑顔が浮かんだ。
だらしのない恰好でコンテナに座って悪たれをついている姿が見えた。
やたらに派手なジェスチャーをしながら真顔で話すトアスが見えた。
ミマースが思い出せたのはそこまでだった。すぐに気を失ってしまったのだ。
彼女を守ろうとしたのか、その場で一緒に死にたかったのか。
それはミマース自身にさえわからなかったのだ。
城壁のメインゲートに取り付いたデジタル迷彩の戦闘服を着た一団は、そこで一人の男からスーツケースを受け取ると、さっさと退却をはじめて、雪が降る霧の中に消え去ってしまった。死体ひとつ、装備ひとつ残さずに。
スーツケースを渡した男は満足そうな表情で、やかましい足音を立てて、そこから歩み去っていったのだった。