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ギガンテスの記憶【外伝(1)】  作者: イプシロン
第2章 戦友たち――別れ道
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第6話 人のもつ二面性――太陽

 火星にあるギザ基地は極寒の中にあった。赤い惑星には春夏秋冬もあったが、それは氷点下八十度から百二十度という気温差をもたらしながら移り変わる四季だった。

 雪が大地を白く染め、霰が基地の壁を殴り、ゴトゴトという音を立てた。氷の霧が立ち込めて、数メートル先にいる仲間が見えなくなる日もあった。昼間でも空は薄暗く、風が灰色の雲を棚引いては引きちぎっていった。

 ミマース達はそうした陰鬱で生命を寄せ付けない世界でもう半年以上の日々を過ごしていたのだった。

 その頃、スー族はついにブラヴォー小隊の頂点に立ち、ようやく余裕のある軍隊生活を手に入れていた。演習の激しさは相変わらずだったが回数自体は減り、その代わりにカフラーピラミッド前面を守る高い城壁の上に立って歩哨と警戒任務につくことが増えていたのだった。

 こうした待機に似た時間は自然と思考や思索を湧きあがらせ、もの思いに耽らせ、ありもしない妄想を抱かせ、時には他の班員の任務態度に不満を感じて疑心暗鬼さえ起こさせた。

 悪感情が積もり、心に膿が溜まった自分に気づき、感情に押しつぶされそうになる度に、ミマースは変わり者の友人、アグリオスの元を訪ねたのだった。

「おお君か、ミマース、まあ入ってくれ」

 アグリオスはいつも変わらず巨漢の男を受け入れてくれた。

「今日もまた、退屈していたんだよ。君のほうはどうだい?」

 研究室は青白い光に満たされ、清潔で活気もあり、薄汚れて荒れた兵舎とはまったく違った印象を呼び起こした。

 時折、報告や指示を求めて、白衣を着た研究員がアグリオスとミマースの会話に割り込んだが、アグリオスはそれをもカンフル剤として、ミマースとの会話に夢中になった。

「なーに、いつまでも火星にいるわけじゃなかろう。小さなことで悩むなよ。もちろん私にだって悩みはあるさ。だがね、考えてもごらんよ。悩みなんてものは、一刻一刻変わっていくものなんだよ。人間てのは愚かでね、ひとつのものに憑りつかれると、それが不動ではないかと思い込んでしまうものなのだよ」

「そうかもしれないね……」

 ミマースはアグリオスに会うごとに、物事の見方を学んでいる気がしていた。

「それより君、今日は面白いものを見せてあげるよ。まあこれが私の一番の悩みでもあるのだが、それをも私は楽しんでいる。そういう姿を見ておくといいよ」

「…………」

 アグリオスはサンダルを履いた足で小気味よい音をさせながら先に立って歩きはじめた。

 研究室がある施設は、ミマースが警戒任務につく城壁に守られた、カフラー王のピラミッドそのものだった。ギザ基地にある軍の管轄外の建築物はカフラーだけだった。

 ピラミッドの所有者はDOXA(ドクサ)(Deep Outerspace Exploration Agency)深外宇宙研究開発機構という科学調査団だった。軍とDOXAは直接的には太いパイプを持たなかったが、多かれ少なかれ軍はDOXAの研究から恩恵を受けていた。そうした理由から、軍が予算の一部を負担して、ギザ基地の中央部にカフラーが建設されたのだ。

 軍が求めているものとDOXAの求めているものは、完全に一致しているわけではなかったが、似通ってはいた。いわゆる、超光速航行の技術、反重力装置の開発がそれだった。

 しかし、緊密な関係は世間の耳目を集め、スクープになりかねない。純粋な研究機関として設立されたDOXAは表面上は軍との関連が薄いという姿勢を貫いていたのだ。それゆえ、軍はメンカウラーとクフを建設し、ご丁寧にもスフィンクス像まで建てて、DOXAの研究施設をカモフラージュしていたのだ。

 DOXAの職員であり、カフラーの主任研究員という立場にあるアグリオスは、通いなれた通路を延々と辿ってから、エレベーターの前で足を止めた。

「ねえ君、君は人間の二面性をどう見るかね?」

「二面性?」

「ああそうさ。つまり、こういうことともいえるね」

 そういいながら、アグリオスはエレベーターから少し離れた扉のロックを解除した。

「こっちだ……たまには運動もしないとね……」

 白衣の男の背中を追って、ミマースは扉をくぐった。

 そこには、目もくらむばかりの深い穴があった。

 エレベーターの長い長いシャフトを守るようにとぐろを巻いた螺旋階段が視界の果てまで続いていたのだ。

 シャフトと階段を囲む壁は円形になっており、その間には無窮の空間があった。壁面では電子機器のインジケーターが瞬いては、様々な色の光を明滅させていた。数階ごとにエレベーターに乗り込める踊り場が設けられ、そこからは外壁まで、手摺の付いたひ弱でか細い足場が伸びていた。

「これが二面性だね。エレベーターさえあればいい。なのに人間てのはご丁寧にも非常時とかを考えて、こういう面倒な階段を作るんだね」

「…………」

 アグリオスとミマースは薄い金属をなぶる、サンダルと軍靴が作る二重奏を深い穴に響かせながら、螺旋階段を降りていった。

「だがね、これではキリがないんだ……。こんなことをしていたら、いつまで経っても階下には着かない。実に愚かだよ人間というものは……。私はね、こうした愚かさを好かんのだよ。エレベーターさえあれば済むものなら……、止まらないもの、壊れないもの、そういうものを作ればいいんだよ……。それが科学ってもんだ」

「…………」

 しばらく歩いても、穴の底は一向に見えてこなかった。振り仰げば随分と降りてきたことがわかったが、ミマースは無駄なことをしている虚無感に襲われていた。

 どこまでも続く捩じれた階段、その先に何があるのかさえわからない不安。下りても下りても変わり映えしない光景。

「こいつはまるで……人生だ……」

「ん? 何か言ったかね?」

「いや、なんでもない……」

 不規則な間欠をもって吹き上げてくる風に煽られて、アグリオスの白衣が、時々ばたばたとはためいた。

 男はそれを押さえ込んで、踊り場に降りるとドアのある方へ体を向けて、エレベーターを呼ぶためのボタンに触れた。

「いっそのこと飛び降りてしまった方が早い……。そうも思うが、生憎パラシュートってものがなくてね……」

 アグリオスはそういってエレベーターがくるまで深淵な空間に笑い声を響かせていた。

 やがて眼の前で止まったエレーベーターに乗りんだ二人は、強い気圧の変化を感じて、唾を飲んだり、口を動かして無言の時間を過ごした。数分で最下層に到着したエレベーターは軽く慣性を残しながら停止してドアを開いた。

「できれば人生は登り階段にしたいもんだね、ミマース」

「聞こえていたのか……」

「私は勘もいいほうだが、耳もいいのだよ。だだ、君の言ったことを誰彼構わず言いふらすような男じゃーないよ」

 アグリオスはそう言って笑顔を見せてから歩き出した。

 そこからは細く長く天井の高い通路が一直線に伸びていた。常夜灯に照らされてはいたが、インジケーターの瞬きが全くない薄暗い空間だった。

 その先には巨大なドーム状の部屋があった。部屋の壁には全周に渡って制御盤コンソールが張り巡らされていた。

 ドームの天井部分には照明らしきものは一切見当たらず、コンソールの上にある等間隔に並んだLEDチューブが天井を下から不気味に照らして、それが円弧状であることをかろうじて知らしめていた。

 アグリオスは戸惑うことなく、部屋の一角へと足を進めて、メインコンソールと思しき場所で足を止めた。

「ここが私の本拠地だ。いつも君が訪ねてくる研究室は、……そうだねー、会議室みたいなものかな。他の研究員との情報交換の場所とでもいえばいいかな」

「ここは?……」

 ミマースは圧倒されていた。ギザ基地にこんな場所があろうとは夢にだも想像したことさえなかったのだ。

「カフラーの底だよ。物事の二面性そのものさ。火星の地表に立って見れば、カフラーってのは、ただのピラミッドだと見えるだろう。だがね、真実はそうではない。カフラーは地表に突き出した部分と同じだけ地下に深くその身を沈めているのさ……」

 天井は継ぎ目さえ見つけ出すことができないほど滑らかだった。

 ミマースは飽きもせず上を見上げたまま口を開いた。

「一体なんの目的で?……」

「君は正直な男だね。一応ここはDOXAにおいても機密に値する部分だよ」

「…………」

 ミマースは視線を下ろしてアグリオスの顔色をじっと伺った。

「いや、まあいいんだがね……。ここはね、ある種のモニターの研究設備なんだ」

 そういって白衣の男は慣れた手つきでコンソールを操作しはじめた。

 とたんに、ドームに宇宙が現れた。プラネタリウムが描き出したよりもまだ美しい荘厳な宇宙がそこにあった。

「これは地球のDOXA本部からの眺めだ。……まあ、こういうこともできる……」

 アグリオスが手を動かした刹那、火星そのものが眼前に浮かび上がった。

「見えるかな、あそこがギザだ。よく見ると、ピラミッドもスフィンクスも見えるはずだよ」

「これが俺のいる場所……火星なのか……」

「そんなに驚くことなのかい? 君は実に面白い男だね。少年のような心の持ち主なんじゃないのかい。……このドームは球の内側ではあるが、立体ビジョンを駆使して映像を作り出すんだ。ほらよく見てごらんよ、火星の輪郭がぼやけているだろう」

「…………」

 ミマースは不思議な感覚に襲われた。火星の地の底に立って火星を眺めている自分という存在が不思議でならなかったのだ。

 アグリオアスはまるで彼の心を察したかのように呟いた。

「これもまた人間の持つ二面性ともいえるかもね。自分のいる場所を自分の眼で外から見れる。自分の体が本物なのか、はたまた地面に映った影が本物か。時々わからなくなる。そんな感覚とでも言えばいいかな……」

「…………」

「だが真実はひとつだ。私の考えじゃね、光と闇ってのは一体だということだ。それを分けて考えてしまうのは、そうだね……人間の持つ性だろうね……。私の夢はね、光と闇が一体になった瞬間をこの眼でしかと見届けて証明すること。それこそが科学の持つ最終目的だ。私はそう思っているんだ……」

 ミマースは思った――いつかアグリオスは夢を実現するだろう。だが俺はどうなんだ? 俺は自分に勝つためにここに来た。だというのに……何を血迷っているんだ……。ルテがどう思おうと俺は俺であるべきなんだ……だがしかし、今は俺には自分自身の姿が見えてないんだ……そうとしか思えない……。

 巨漢の男は、次々に映し出される水星や金星や木星を眺めながらアグリオスの言葉を耳にしていた。だがミマースは何一つ聞いてなどいなかったのだ。彼は深くほの暗い穴を底へ底へと向かって落ちて行きながら必死にもがく自分を見つめていたのだった。

 ――地の底には何があるんだ? 奈落を知らずして、捕らわれずして知りえないなら、落ちて繋がれてみせようじゃないか。それさえわかれば、もう何も恐れるものなどないだろう……。

 そのとき、ドームの天井一杯にゆっくりと自転する地球がぽっかりと浮かびあがった。

 ――さようなら、ルテナーラ。今の俺には君を引きとめておける力がないんだ……。自分自身さえ引き止めることが出来ない……。多分、俺はアグリオスのいう闇に引かれているんだろう……。ルテラーナ、そう君もね……。君が光であったなら……俺が君の光になれたなら……。俺は愚かだったのかもしれない。君の光になろうとして、かえって君を闇に引き込んだ。俺は君が求めた通り、君に向かって微笑み、君に優しくして、君の希望にそうべきだった。だけど……それは兵士である俺にとって、闇に向かう道だったんだ……。これが二面性か……アグリオスのいう二面性なのか……。

「しかしだね、ここまでは余興さ。いいかい君、よく見ておくんだよ、ここからが本番だ」

 突如、ミマースはアグリオスの声が耳朶を強く打ったことを感じとった。

 瞬間、部屋の中央部の床に小さな光が灯ったかとおもうと、その光は爆裂してドーム全体を包み込んだ。

 あまりの眩しさにミマースは腕で光を遮って眼を閉じた。

「もう大丈夫だよ。眼をあけてごらん」

 ミマースが恐る恐る瞼を上げると、部屋の中央部からドームに向かって力強く伸びる一筋の光条が見えた。

 ドームの天井には、金色に輝く太陽の表面が見えた。天井の周囲にはコロナが見え、紅炎が焔の触手をもたげては沈んでいった。表面は煮えくり返り、怒涛のような奔流が渦を巻いていた。時折、その表面に白い斑点と黒点が現れては揺らめいているのが見えた。

「スクリーンに映ったものはね、見世物なんだ。この研究の目的は中央にある光そのものだ。ようやくここまで漕ぎ着けたんだよ。光それ自体の性質は、この私が解き明かしてみせるよ……」

「…………」

 ミマースは、さっきまで自分がしていた空想が馬鹿らしくなった。あまりにも荘厳な光景。温もりと安堵感。天極な心地よい世界。

 いったいこれは何だ!――ミマースは我が心に問うた。

 しかし、胸中からは何の反応も返ってこなかった。

「しかし君、皮肉なものだよ。こんな寒い火星の地の底でしか光というものの本質を解き明かす研究が出来ないのだからね。実に皮肉だ。地球にいれば当たり前の存在だよ、太陽はね。気にして見上げることさえない。だが、地球人はその本質をまだ何ひとつ掴んでなどいやしない。だから私はこうして地の底に潜ってでも知ろうとしたのさ。しかしね、そう考えると、妙に地球人が愚かに見えてきてしまうんだよ……。そんな気持ちを抱くのは、いささか不本意なのだがね……。でもどうしてもそういう気持ちが抑えられなくなる……。そういう意味では危険なんだ、ここはね……」

 アグリオスはそういったあと装置のスイッチを切った。一瞬にして光の筋も煮えたぎる太陽も消えてしまった。

「ミマース、ここの温度がどれくらいかわかるかね?」

「いいや……」

 白衣が揺れ動いてミマースの眼前に一つの計器が現れた。それは外気温度計だった。

 デジタル表示された温度計は、氷点下百八十度を示していた。

「なんとも言い難い温度だね……」

「ああ、そうだな……。全てがひっくり返ってる……そんな風に思うね……」

 その日、ミマースは一夜にして天国と地獄を見た気がした。それは鮮烈な記憶となり、何年経っても瞼から引き剥がすことさえ出来ないものとなった。

 俺が向かっているのはどっちだ! 天国なのか? 地獄なのか?――巨漢の男は、その夜ひとり寝床の中で背中を丸めながら自らに問い続け、ルテラーナに問い続けたのだった。

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