第3話 恋人たちの手紙
軍隊にとって人気のない場所といえば、図書室であった。
明るい照明が灯り、何の装飾もない大きな机が並び、壁際には長椅子と飲料の自動販売機があった。食べることが仕事のひとつでもある兵隊達のために、部屋には、ファーストフードの自販機も置かれていた。
本を読む習慣のない男と女に向けてだろうか、販売機の横からは長いテーブルが伸び、椅子がいくつか並べられ、テーブルの前の壁には様々な掲示物が乱雑に貼られていた。
『アルファー小隊・鉄の絆』、『ブラヴォーの守護者たれ!』といったギザ基地に住まう二つの小隊の機関誌にはじまり、『テラ・NOW』、『ウィークリー・マーズ』といった地球や火星の情報を伝える週刊誌まで、ありとあらゆるものが氾濫していた。
兵たちは、こうした胡散臭い雑誌の頁を捲っては退屈しのぎのネタを探し、自慢話に花を咲かせていたのだ。
ミマースはその一角から少し離れたもう一つの長テーブルの椅子に陣取っていた。
テーブルには、等間隔にデジタルパッドが備え付けられていた。その一角には、信頼の置ける大手新聞社や地球軍本部の知らせる公式情報が収まったデータスティックの棚があった。
そこは兵士達にとっては退屈極まりない場所であり、図書室にあっては一番人気の無い場所であった。
班員たちのいる寝床を離れて図書室にいたミマースは、胸ポケットに入れてきた封筒を取り出して便箋を引き出すと、ゆっくりと読みはじめた。それは地球に残してきた恋人、ルテラーナからの手紙だった。
全てがデジタル化の波に飲まれてしまった軍隊という組織にあって、何故かこうした習慣が廃れることはなかった。
人間の人間たる所以であろうか? いつの時代も恋人たちの間に横たわる川があるからだろうか? それは誰にもわからないことだった。
わたしの愛するミーへ
あなたが地球を去って、もう一ヵ月になります。
初めの一週間は泣いてばかりいました。
あなたとわたしが並んで立つ写真を眺めては泣き暮らしていました。
でも、もうそれは止めたのです。
どんなに泣いたからといって、あなたがわたしの眼の前に現れるわけではない。
ふと、そう気づいたからです。
その日からわたしは祈ることにしたのです。
あなたが無事に任期を終えて帰ることを。
わたしはミーが誰かを傷つけたり、その反対にミーが傷つくことを望んでいません。
一体誰がそんなことを望むでしょうか?
そんな人は、地球には誰一人いないのです。
きっと、火星にもそんな人はいないはずです。
話したいこと、伝えたいことは、山ほどあるはずなのに、上手く言葉に出来ません。
どうしてしまったのでしょうか? わたしは……。
それでも、わたしの心は変わりません。
ええ、そうです。ルテはミーを愛しているんです。
今わたしの眼の前にあなたが居たなら、わたしは何と声をかけるのでしょうか?
何といって抱きしめるのでしょうか?
ごめんなさい……。どうしても想像がつかないのです。
たった一ヵ月のことなのに、あなたがとても遠い所にいってしまった気がするのです。
あなたの幸せを、あなたとまた逢う日が来ることを、わたしは祈ります。
だって……あたしに出来ることはそれだけなんだもの。
またお便りします。
あなたに愛されているルテラーナより
追伸。神学校にはちゃんと通っていますよ。
わたしもあなたと同じように、夢を諦められませんからね。
その部分に関して心配はいりません。
ルテラーナからの手紙を読み終えたミマースは、思っていた以上に彼女が淋しがっていることに気づいた。
そして、その気持ちを表現出来ずに苦悩していることも同時に感じ取っていた。誰にも解ってもらえない寂寥感。それはミマースの心にも居座りはじめていた。
僅かばかりの光を反射する塩のように白い氷の大地。その上に転がる赤銅色の岩、石塊、巨岩。鉄分を含んだ赤い台地が起伏を作り、盛り上がっては沈み込む。光をはね返す氷ひとつさえない無機質な演習場の荒れた景色。何日も何日も侘しい世界に身を置いて油汗を流し、死にもの狂いで照準器を覗いては引き金を引く。
胸が痛むほどの疾走を繰り返しては、灰色の人影を追い続ける。伏せては走り伏せては走る。繰り返される演習は兵隊としての自信を育てはしたが、ミマースの心に冷たい影を落としていたことも確かだった。
――俺は……飲み込まれたりはしない。俺の求めているものは、そういう自分の弱さに打ち勝つことだ……。俺はそのためにここに来た。ルテラーナを守れる強さを得るためにここに来たんだ……。
ミマースは胸中での戦いを終えると、おもむろにペンを取った。
俺の愛するルテラーナへ
なあに、心配はいらないさ。何もかもが順調だ。
俺のいる班は今じゃ頂点に登りつつある。
君が心配している、傷つけあうことも起こりえない。
ここ、火星も実に平和だからだ。
演習自体は過酷な肉体労働だ。
だけど、所詮それは戦争ごっこであり、遊びみたいなものなんだ。
だから、君が心配するようなことは、何一つ起こらない。
そういうことなんだ。
チームの連中も良い奴らばかりだ。
少しばかり、余計なことに首を突っ込みたがるんだけどね。
でもまあ、人間臭くて楽しめているよ。
仲間は俺と同じようにデカイんだ。
俺はそれだけでも居心地の良さを感じている。
どこに居ても目立って嫌な思いをしてきたこの巨体が、今じゃ役に立っている。
ルテナーラ、君は何も心配しないでいてくれ。
どうってことはない。一年なんてあっというまさ。
その時が来たなら、以前より数倍美しくなった君の笑顔を見れる。
俺はそう信じているよ。
その日まで笑って暮らして欲しい。それが俺の願いかな。
そういう俺自身も笑顔を欠かさずに暮らすようにするさ。
また手紙を書くよ。
それではまた。
お前に愛されているミマースより
追伸。少し気障すぎた気がする。
でも、俺は何も変わっちゃいないよ。
ペンを置いたミマースは、俺は自分を信じる――という息を吹き込んでから封を閉じた。
手紙はその日のうちに宇宙港に停泊していた船に積まれ、地球に送られていったのだった。