第14話 再誕生――生きることはみっともないこと
発着艦デッキで緊急救命措置を受け、検疫と消毒室を通ったミマースはカートに乗せられ、医療ロボの介護を受けながら、医務室へと運ばれた。
「それにしても、なんと痛ましいのでしょうか……」
マザーが巨漢の男を見て口にした第一声だった。
「こうなった原因は事故ですか? 戦闘ですか?」
「それがね……ポッドに残されていたデータによると、どうやら捨てられたようなんだよ……」
ハウは憐みのこもった声で静かにマザーの問いかけに答えた。
「この傷口は人為的なものですね……だとしたら……拷問にあって生きながら捨てられた……」
「だとしたら酷過ぎるね……人間の出来ることじゃない……」
ハウは眼を閉じて首を振り、溜息をついた。
そこに、デッキでの後処理を済ませたエリスが姿を見せた。
「エリス、君は見ない方がいいかもしれない……。あまりにも酷い状態だからね……」
「でも……手足がない以外は普通の人なんでしょ? なら平気よ」
と、いいながらもエリスはミマースの寝かされた手術台に近づこうとはしなかった。
「どちらにしろ、これから少し出来ることをしますので、二人は外に出てください」
「わかったよ、マザー」
エリスは名残惜しそうに巨漢の男を見て、何かをぼそぼそと呟いていた。
「ごめんなさいね。あたし、宇宙生まれだからあんまり生々しいものを見たことがなくってね……。こういう時は地球生まれの人が羨ましくなるわ……。でも元気になったなら、お話しましょうね……まだ名前もわからない大男さん……早く元気になってね……」
「さ、エリスいくよ。いつまでもいると、マザーの邪魔になる」
「ええ、そうね」
それから二人はデッキに戻って、ファザーと共にポッドの調査に取りかかった。
メモリーバンクには殆どデータが残されていなかった。自動消去機能が作動していたためだった。
「これじゃーなんにもわからないわね……」
「いや、そうでもないだろう。推測はできるからね……」
ハウは腕組みしながら、傷だらけのポッドを眺めていた。
「そもそも、このポッドだよ、エリス」
「え? どういうこと?」
「うん、つまりだね、このN―1B型ってのはちょっと特殊でね、あまり使用した船はないんだよ。だから、よく調べればこのポッドがどの船から射出されたのかはわかるってことさ。エリス、そこにある製造番号の書かれたプラカードになんてあるかね?」
「あ、少しまって」
エリスは汚れているプラカードの部分をウエスに付けた万能洗浄液で拭き取ると、しゃがみ込んでそれを調べはじめた。
「……DOXA001―ET―N―1Bね……」
「一番艦、ということは<ケイローン>号だね。ということはこのポッドは七年近く漂流していたってことになるかな……」
「七年も……」
そういってエリスは手術台に横たわった男の顔を思い浮かべた。
「ねえ待って、<ケイローン>ってPETUに奪われた船じゃなくって?」
「ああ、そうだね。それがどうかしたかい?」
「じゃああの人は……」
「うん、間違いないよ。彼の着ていた服が明確にそれを証明していた。だからって、理由も聞かずにDOXAや軍に渡すわけにはいかんだろう……」
「まあそれはそうね……」
「とにかく、情報は少ない。彼の回復を待つしかあるまい。でないと、名前ひとつわからん。それが今の状況だね」
「…………」
ミマースが意識を取り戻したのは、それから二週間ほどが過ぎたころだった。とはいっても、それは意識と呼ぶにはあまりにも頼りないものだった。マザーは四肢の傷口や、漂流中に負った傷や内臓不全の痛みを和らげるために、低温処置と麻酔を駆使していたため、ハウ達とまともな会話ができるようになるまでは、それからさらに二ヵ月を要したのだった。
――ここはどこだ? 俺は死んだのか? それとも……。
ミマースは見慣れぬ清潔で明るい光を放つ天井を見上げていた。
――どこかで見た気はするが、何かが少し違うな……だが、この天井は<ケイローン>号に似ている。だとしたら? まあいい、痛みがないだけ楽というものだ……。
そのとき、ミマースの思考を破るかのように誰かの声がした。
「こんにちわ。お話できますか?」
覗き込んできたのは、赤い髪をした淡褐色の瞳をした若い女だった。
「誰だ? あんたは誰だ?」
「あたしはエリス。エリス・メアよ。あなたは? あなたの名前は?」
「ここはどこだ?」
「ねえ、いっぺんに色々は教えられないわ、ゆっくり順番にいきましょう……。まず、あなたの名前を教えてください」
エリスは幼少時代にマザーが自分にしてくれたように、優しく巨漢の男に話しかけた。
「俺か……俺の名は……ミマース……」
男は、か細い声で自分の名を口にした瞬間、眼に涙を溢れさせた。
「名前……名前なんてすっかり忘れていた……。長いこと誰かに名前を呼ばれたことさえなかった」
「無理もないわ。あなた、そう、ミマースさんは七年以上眠っていたようなものだったんだもん……」
「七年か……もうそんなに経っていたのか……」
そういってエリスはミマースの薄くなった黒い髪を優しく撫でた。
ミマースとエリスとの邂逅、そしてハウとの出会いはさしたる問題を起さなかった。だが、ミマースの意識がはっきりしてくればしてくるほど、巨漢の男は二人に反発し、これでもかと噛みついた。顔を歪めて満たされぬ怒りをぶつけ、怒声をあげて動けない体で暴れようとした。
しかし、ハウもエリスも根気強くミマースと向き合った。巨漢の男は極限まで高められた人間不審と恐怖に喘いでいた。とくに同性である男性に対する不信感は強かった。ハウはすぐにそれに気づいて、エリスのアドバイザーとなり、エリスを陰から支え続けた。彼女はマザーとファザー、そしてハウから注がれてきた愛情をそのままミマースに注ぎ続けた。
ようやくミマースが二人と両親に心を開きはじめたころ、<アキレウス>号はフロリダにあるDOXA宇宙港に着陸した。問題は山積みだった。元<ケイローン>号船長、ミマース。その名前はDOXAのセントラルデータバンクにもしっかりと記録されていたからだ。ハウとエリスは何日にも渡って、その問題を話し合った。
「彼に必要なのは過去ではない。彼に必要なのは今だし、これからという未来だ」
結果的にハウのこの一言がエリスを納得させた。話しがついたあとのエリスの行動は早かった。ミマースのために、ようやく地球最高の医療技術を持つに至った、DOXAの技術を駆使したサイボーグハンドとサイボーグレッグの開発をすぐに技術局に依頼したのだった。
ミマースの過去に関しては、ハウが情報局の知り合いを通して、DOXAや地球軍に残る経歴一切のデータを消去することを依頼したのだった。
かくして、ミマースは過去を清算して今の自分を受け入れたのだった。
「さあ、ミマース今日はあなたの体のサイズを測らせてもらうわよ。淋しいけど、これが済んだらしばらくお別れよ」
「これからどこにいくんだ? 俺はどうなるんだ?」
「落ちついて。あなたにはもう汚れた過去はないのよ。その話はしたわよね。それに、この計測はサイボーグハンドのために必要なの。さ、おとなしくしていてね……とはいっても、あなたは大人しくしているしかないけどね……」
といって、エリスはミマースの脇をくすぐった。
「あ、ちょっと! やめてくれ! おとなしくしてるから!」
「ふふ。素直でいいわ」
「くっそー、義手ができたらやり返してやるからな!」
「その意気よ、ミー。……でもね、しばらく会えないわ。明後日にはもう地球を立つのよ、あたしたち……」
ミマースは淋しげな眼をして、動きまわっているエリスの手元を見ていた。
「小惑星探査かい? また三年もかけて……なぜそうも頑張れるんだ、君たちは?」
「夢ね……夢があるからじゃないかな……それに、あなたが嫌いになった宇宙をあたしたちは愛してるのよ。だから何も不安なんてないの」
「夢か……俺にはまだ思い描けないな。だが、見つけ出してみたいものだね。もう悪夢は沢山だ。見飽きるほど見てきたからね……。俺はやるよ、エリス。あんたたちには恩義を感じているんだ。軍に入ってろくでもないことをして、挙句のはて俺はPETUで人殺しをしてきた。
――考えてみれば、俺が奪った命を考えたら、手足を失うなんて安いものだったんだ。でも、そんなことさえ気づかなかった。DOXAを恨んできた。だけど、皮肉なことにそのDOXAの技術で俺は救われようとしている。まっとうに生きる道を必ず見つけ出すよ。なあ、エリス。三年経ったらまた俺と会ってくれるよな? ハウも会ってくれるよな?」
「ええ、もちろんよ……」
エリスは込み上げる嬉しさを抑えられずに眼に涙をためてミマースの肩に手を置いてた。
「あたしね、嬉しいの。あたし自身が出来の悪い子だったのよ。きかん気が強くてね、両親もハウのことも散々困らせてきたの。そんなあたしが、誰かのために何かが出来た。それが嬉しいの……。強情だった頃のあなたは、まるで自分の過去を見ている気がしたわ……。だめよ! そんなに頑なになったら……いつもそう思ってあなたを見てたわ……」
「エリス……ありがとう。本当にありがとう……」
「駄目よ。お礼はハンドとレッグに慣れて、当たり前の日常を取り戻してからしか聞かないわ」
「…………」
エリスの瞳から落ちた涙がミマースの肩を濡らしていた。
「なぜだかわかる?」
「いや……よくわからないけど……」
「寝言よ……。あなたがいっていた寝言。トアス、トアスって……。その人を抱きしめられるようになってからってこと」
ミマースは声をあげて泣いた。だが、トアスのことはエリスにもハウにも何一つ語らなかった。
――充分だ。これで充分なんだ。俺はもう振り返らない。トアスのことを忘れることはないだろう。だが、今の俺には聞こえるんだ、あいつの声がね……。
「馬鹿な男。どうしてそうやって強がるのかしらね。等身大で充分じゃない。男に生まれた以上男らしくすることなんてないのよ。あたしを見てごらんよ。こんながさつな女だけど、それでも女さ。そんなことしてたら、いつかあんたは一人になっちまうよ。意外に思うかもしれないけどね、人間なんてそんなものさ。変に強がらないことだよ」
トアスは微笑んで、二本指で敬礼していた。やっとわかってくれたんだね――あたしを待たせやがって、と。
それから、ミマースは彼女の夢を見ることはなかった。思い出したくなれば、いつでも思い浮かべられるようになった。しかし、そうしてしばしば郷愁に耽ることはあっても、もう悲しい眼をしたトアスの夢を見ることはなかったのだった。
巨漢の男は軍隊時代を思い浮かべては必死にリハビリに励んだ。
その効果は二年後に実った。ミマースは両手両足を取り戻したのだ。以前とは比べ物にならない違和感のない四肢を取り戻したのだった。漂流中に負った後遺症で、左眼は視力を失っていたが、それも人工眼球の移植を受けることが決まっていた。その二年間で、彼は様々なことにも気づいた。
七年にも及ぶ孤独。耐え難かった苦痛と苦悩。死ばかりを追い求めた月々日々。だがそれが、彼の心の底に溜まっていた黒い怒りを自然と癒していたことに気づき、ハウとエリスによって、宇宙が忌むべき存在でないこと、人が厭うべき存在でないことを知ったのだった。そのどれかが欠けたとしても、彼のリバース――再誕生――ともいえる再生はありえなかったのだ。
灰色の夢の中で見た景色。それはスイスにあった。
ミマースは総天然色の光景に心を奪われた。そこには全てがあった。草も木も花も、蝶も鳥も鹿の親子も、川も湖も、大地も空も風も雲も、マリーゴールドも福寿草も、そして太陽と生命も。
男は知ったのだ。これは俺自身だ。宇宙と地球と俺を隔てるものは何もない、と。そして、それを知ることこそが、生きることであると知ったのだった。
――だがまだだ。俺が知ったのはまだわずかだ。何もわかってなんかいやしない。だから俺は生命でそれを知るために宇宙に帰る。そして幸せを掴んでみせる。当たり前の日々をね。ハウ、エリス、待っていてくれ、もう少しだ。たとえこの先、君達に会えなかったとしても、俺は宇宙で生きてみせる。俺の居場所が見つかるまでね。オトス、ギュゲス、アグリオス、ルテラーナ、そしてトアス、みんな、ありがとう。
「ミー……あなたは強くて優しいわ……。あたしね……ずっと石像のように生きてきたんです」
「ラティさん……」
「ええ、そうなんです。石像です。黄金律とかバランスとか完璧さとか、そんなありもしないものになろうとしてたんです。でも、ミーの話を聞いて、自分の愚かさがわかりました……」
「…………」
ガラティアはミマースが動揺するほどしゃくりあげながら、話し続けた。
「セドナと暮らしはじめてから、それとなく気づいていたんです。うんちやおしっこの洗礼を浴びてね……。でも、その正体がわからなくて不安だったんです。でも、今はっきりわかったんです。生きるってみっともないんですね……」
「ラティさん……そいつは名言だ……。ああ、とってもみっともないね……」
ミマースは慰めるつもりで思いもよらないことを言っている自分に気づいた。
「ミーったら……。でも嬉しいわ。あたしは自分のかけた呪文で石像になっていたのよ。そして、それをあなたがといてくれた。そんな風に思うわ……」
木綿のハンカチは二人の涙を吸って、ぐしゃぐしゃになっていた。
ガラティアはそのハンカチを握って微笑んだ。
「じゃあ、みっともないものどうし、今を切り取りましょう、少し待っていて」
「え?……」
そういって部屋をでたガラティアは、すぐに戻ってきた。
「さあ、準備はいいわ」
ベッドから離されたサイドテーブルにはカメラが乗せられていた。
ガラティアがセドナを抱き上げてミマースの横に座ると、部屋にセルフタイマーの音だけが響き渡った。
――ピピピ! カシャリ!
「もう一枚ね」
ミマースの枕元にセドナがおろされ、ガラティアがカメラのもとにいって戻ってきた。
とたんに、赤ん坊は豪快な泣き声をあげて、ぐずりはじめた。
「あー、ラティさん、抱いてあげないと……」
「待って、待って……」
――ピピー! カシャ!
「あー!…………」
二人はセドナをあやしながら、出来上がった写真を眺めた。
「これは酷いね……」
「でも素敵よ……」
「どこがですか? ラティさん……」
「うん。みっともないところがね……」
――完――




