第13話 人の命に罪はない――七年後
DOXA所属準光速宇宙船<キンダーハイム・アキレウス>号は宇宙の闇を進んでいた。
銀色に輝く船体は太陽の光を照り返し、キラリ、キラリと自然の法則に従って瞬いていた。船長であるハウ・メアは、第五次小惑星探査任務の旅を終えて、航法や船体を管理する人格コンピューター、ファザーに地球に帰還するとこを命じていた。
人影がまばらな艦橋でハウは船内の環境や技術的な問題を管理運営している、もう“一人”の人格コンピューター、マザーと世間話に花を咲かせていた。
「マザー、今回も収穫はなかったね。残念だよ……」
「もう十五年ですか……。船長、あなたも先のことを考えてください。いつまでもあたくし達の犠牲になるべきではありません……」
小惑星探査に執念を燃やすハウは、一期三年に渡る任期を繰り返し勤め、地球と木星軌道を行き来していた。
そのハウの横には、妻であり技術研究主任であるエリスがいた。
「ママ、だめよ。そんな台詞をお題目のように唱えたって、この人は聞く耳を持たないわ」
「エリス……あなたがそうやってハウをそそのかすから、ハウはこの船を降りないのですよ」
「さあどうかしら……。あたしが見た感じじゃー、ハウは頑固なだけだと思うわ。頭が固いのよ。コッチコチなの……」
「エリス……」
ハウは困惑した表情を見せ、マザーは溜息に似た声を漏らした。
ハウとエリスの求めるもの、それは永遠の生命を手に入れたマザーとファザーのために有限の生命である、生身の肉体を取り戻す技術の開発にあった。ハウが数次に渡って小惑星探査の任務に就いていた理由はそうしたものだったが、それは、エリスの追い求める願いでもあったのだ。
癖の強い赤毛を短く切り揃えているエリスは、マザーとファザーの実の子だった。とはいっても、その誕生から成長までの年月は波乱に満ちていた。無窮の宇宙空間で――<アキレウス>号の無菌室で、人工授精児として生を受けた彼女は、地球とはなにか、両親とは何か、それさえ知らずに、マザーとファザーの声だけを頼りに育ってきた。
そんなエリスがハウと出会ったのは、彼女がまだ七歳の時のことだった。その時エリスは泣いたのだ。ピンクのウサギの縫いぐるみを握りしめて号泣したのだ。母とは何か、父とは何かを知りたがって泣き叫んだのだ。
当時、二十七歳だったハウは、少女の慟哭に戸惑い、尻ごみしつつも、赤毛の少女を――お嫁さんにする――と約束してエリスをなだめたのだった。十二年後、果たしてそれが現実となり、ハウとエリスは結ばれた。エリス十九歳の春のことだった。まるでお伽噺のような物語りを綴ってきたハウとエリスは、二十歳の年齢差をもつ、少し変わったオシドリ夫婦だった。
ハウとエリスはいつからか宇宙を愛しはじめ、そこで生を閉じることさえ厭わなくなっていたのだった。
「あれ? 今何か光ったわ!」
宇宙人種がもつ鋭い感覚に導かれたエリスが船窓の向こうに眼をやって呟いた。
「どこだい? 私には見えなかったなー。……マザー、センサーは働いているかい? 何か捉えられるかい? ……α7β8γ3の方角だね」
「ちょっと待ってくださいね。センサーの出力をあげてみますので……」
エリスの淡褐色の瞳の中でまた何かが煌めいた。
「でも、この宙域には何もないはずよ。無人探査機の航宙コースでもないし……気のせいかしら?……」
エリスは艦橋のメインスクリーンに映し出されていた付近の宇宙図に眼を向けた。
「どうやら人工物のようですね……」
マザーが解析を続けなら経過を知らせてきた。
「しかし、おかしいですね……破損した船の部品などであれば、もっと不規則な形状のはずです。いまスクリーンに出します」
宇宙図の端にマルチ画面が開いて映像が表示された。
それは鈍く光ってはいたが、汚れて破損個所のある銀色の球形をした物体だった。
「救助ポッドだ……」
ハウが確信に満ちた低い声で唸った。
「でもこの宙域にあるのはおかしいわ……。警戒は必要よ。マザー、SOSとか何か信号は発信してないの?」
「それが奇妙なことに何も発信していないんです。データバンクを照合してみたところ、あれは間違いなく救助ポッドのようです。N―1B型ですね……」
「少し古い型ね……ハウ、どうするの?」
「一応回収するべきだろう。中に人がいるいないは別としてね……」
「そうね……」
「マザー、ファザーと連携して速やかに回収だ」
「はい、わかりました」
<アキレウス>号は即座にファザーの操船によって、姿勢制御ノズルを点火して、救助ポッドへと進路を向けた。
一時間後、ポッドは牽引ビームに捉えられて上陸用クルーザーが係留されている発着艦デッキに収容された。
「なんだか緊張するわ……。調査でもこういう状況はこれまで何度もあったのに……」
ハウと並んでエアロック目指して走りながら、エリスは好奇心と恐怖が入り混じった表情を見せていた。
「未知との遭遇……君が期待しているのは、そういうものかな?」
「そんなんじゃないけどー……うまくいえないわ……」
「恐らく、君が思っているようなものを眼にすることはないよ」
「そうかしら? それはわからなくってよ。だってここは宇宙なんだからね。何があってもおかしくないのよ……」
二人は会話を交わしながらも、足を休めずに走っていた。
エアロックにつくと、ハウとエリスは宇宙服に滑り込んで、デッキへと足を進めた。
救助ポッドは青い回転灯が作る怪しげな光に照らされて、その外観を曝けだしていた。
「これは酷いな……いったい何年宇宙を彷徨っていたんだ……」
「開けたらお化け……そんなのは勘弁して欲しいわ……」
二人は目を合わせてから、さび付いて汚れたハッチの解放レバーに手をかけた。
レバーはギイギイと軋み、まるで開けられることを拒否するかのように叫び声をあげた。
「開いたわ……ハウ、ここから先はあなたに頼むわ……変なものを見て失神しても困るしね……」
そういうと、エリスは数歩下がってハウが中に踏み込んでゆくのをじっと見守っていた。
ハウは宇宙服のヘルメットにあるヘッドライトを点灯させると、中に入っていった。
「!!」
ポッドの中で宇宙服と船内の隔壁がぶつかる音がして、その音はエリスの耳にも届いた。
「なに? どうしたの? ハウ、大丈夫?」
「……あ、ああ、平気だ……。ちょっと驚いただけだ。人がいる……。まだ生きてるようだ……けど……」
「けど?……」
「手も足もないんだ……」
「いやあああぁぁぁー! ……ねえ、作り物なんじゃないの? ロボットだってこともあるわ。ハウ、ちゃんと確かめて!」
「すまないエリス、入口にポッドの照明のスイッチがあるはずだ。それを入れてくれんか」
「ええ……」
エリスは狭い円形の入口をかがんでくぐると、恐る恐る這い進み、目的のコンソールを見つけて、スイッチを入れた。
数回、光が明滅してから、ポッドに明りが点った。
ハウの背中越しにエリスは何かを見た。それは確かに人間のようだった。
だが、やせ細って胸板から骨が浮き上がっているその人間には四肢が見当たらなかったのだ。
「生きてる……まだ生きているよ……。しかし相当弱っている。下手に動かすのは危険だな……。エリス、マザーにいって、医療カートとロボを手配してくれ」
「ええ、わかったわ……すぐにそうするわ……」
ハウは宇宙服の靴とポッドの曲面になった床が立てる音が遠ざかっていくのを聞きながら、いたたまれない姿で身を横たえている男を眺めていた。
「この服は……PETUか……。だが、人の命に罪はない……」
ハウはそう呟きながら、カートとロボが来るのを待った。
それは、ミマースが救助ポッドに押し込められて、宇宙に放り出されてから七年後のことだった。




