第12話 浅い眠り、灰色の夢――死を渇望する男
火星と木星の間に浮遊する岩々。かつて惑星があったかもしれない宙域に小惑星帯はあった。
木星軌道上にあるギリシャ、トロヤといった、二つのアステロイドベルトとはまた違う存在ではあるが、様々な個性をもった形状をした岩塊がそこにはあった。決まりごとひとつない千差万別な形状をした小惑星が、あちらこちらに見える宇宙に、それとは不似合な幾何学的な人工物が漂泊していた。ミマースの乗った球形の救助ポッドだった。
定員四名の銀色の救助ポッドには四肢を失った巨漢の男が一人乗せられていただけだった。低温睡眠のサーモスタットが働き、彼は数十時間に一度薄く儚い意識を取り戻していた。目覚めの原因は、ほとんどの場合、体に痛みを感じることにあった。生きているのか死んでいるのか、それすら彼には判断がつかなかった。
シートに押し付けられた背中が痛み、必死に寝返りをうとうとする。それだけが生の証だった。しかし、四肢をなくしたミマースにとっては寝返りさえ難事だったのだ。
楽になりたい――その一心で長い時間をかけて体制を変えて眠りに落ちる。だが、しばらくするとまたシートに触れている部分に痛みを感じて眼を覚ます。ミマースはそうしたことを繰り返しては、ひとり呟いていた。
「頼む、誰か俺を殺してくれ……自分では死ぬ事さえできないんだ……」――と。
ポッドには大量の生体維持液がタンクを満たし、そこから伸びたチューブが巨漢の男の胸部に繋がれていた。
「殺せ! 誰か俺を殺してくれー!」
ミマースは聞き入れられない願いを虚しく叫ぶこともあった。
眠りにさえ落ちれば幸福に浸れる、とも言えなかった。眠るたびに何の脈絡もない夢を見ては悪夢にうなされて叫び、呻き、この世の言葉とは思えない呪詛を口ずさみ、自分の声に恐怖し、びっしょりと汗をかいて、眼をさまし、混沌とした世界の住人だけがもつ無表情な瞳を大きく見開いては、漆黒の天井に映った僅かな星の煌めきを見つめたのだった。
忌まわしき演習の風景、赤く荒れ果てた大地。
氷の霧と靄。滑り止めのついた鉄の床。そこに倒れた戦闘服の男と女。じゅくじゅくと蠢く戦闘服にできた傷口。
ルテラーナの怪訝で歪んだ顔。いつでも無償の愛を注いでくれていたはずの母親が突き刺す、冷めて呆れた瞳。アグリオスの狂気がこもった眼光と支離滅裂な言葉の羅列。耳について離れない軽薄なサンダルの立てる音。怒りに満ちて勝ち誇った顔をして、いつまでもいつまでも追いかけてくるギュゲス。
何もかもが暗く異様で心を締め付ける夢ばかりだった。それでも時折り、奇跡のように彼の胸奥を温める映像を見ることもあった。ありもしない出来事。それはまるで白昼夢のようであった。
傍らで愛を囁くルテラーナ。透けるような淡い桜色の肌。新雪をたたえた山々が青い湖水を抱き込み、足元ではカスミソウが咲き誇り、微風が花卉を揺らしては鼻をくすぐっていた。
空の雲は薄く長くたなびき、ゆっくりと流れ、鳥が瞬刻はばたいては滑空し、上え下へと緩やかなそよ風を送っていた。鳥たちの中空になった骨が立てる音は、美しい笛のような旋律を奏で、近づいては遠ざかっていった。梢にとまった鳥たちは、楽しげに愛を囀っては体を触れさせたり離したりしながらダンスを踊っていた。
ミマースは丈が低く萌えだした草の上に寝転び、ルテラーナの美しく朱に染まった横顔をただ眺めていた。芝生の香りと温もりを感じながら真上に視線をあげると、今にも落ちてきそうな青空と太陽が見えた。ふと視線を戻すと、そこにいたはずのルテラーナが忽然として消えていた。
慌てて起き上った瞬間、懐かしい声が耳に届いて後ろから肩を抱かれた。体温の温もりを感じて抱きとめられた感覚に痺れ。手指が胸をやさしく撫でる感触に心地よさが湧きあがった。頬に優しく柔らかな吐息を感じた。ありふれたしゃぼんの香りが鼻腔をつんつんと、こそぐった。
「馬鹿だねー……何も気にすることじゃないさ。あんたはあんたらしくしてればいいのさ」
トアスが無造作に押し付けている体を受け止めると、得もいわれない感情が迸りでた。
草原には、幾重にもかさなって波打った、赤い花びらのふちを金色に染めた大きなマリーゴールドが、そこかしこで花開いて微笑んでいた。凪いだ湖の渚には、澄んだ浅黄色の睡蓮にも似た福寿草の花が、一輪だけ精一杯背伸びをするかのように花開き、静かにたゆたっていた。
トアスはミマースの頬に無邪気に唇を弄らせると、さらさらという音を辺りに響かせて、オーロラのような光を連れながら湖に向かって走っていった。それから、渚に浮かんだ福寿草の花を手にとって微笑みかけると、霧のように消え去ってしまった。
そこには、虚空からゆるやかに落下する福寿草の花だけが残っていた。巨漢の男はそうした白昼夢を見ては、枯れ果てたはずの涙をほろほろと流した。
だが、暗黒で深淵な宇宙は残酷だった。彷徨うポッドを情け容赦なく揺すぶったのだ。宇宙線と太陽風がせめぎあい、眼に見えないほど小さな宇宙塵が外壁を叩き、時には拳大の隕石が音も火花も散らさずにポッドに衝突しては、すこしずつ機器の機能を奪い、ポッドを破滅へと追いやっていったのだ。
衝突の影響を受けた機器は、すべき働きを放棄して故障していった。満足ゆく手当がなされていなかった傷口は凍りはじめ、眠りにつこうとする神経に激痛を呼びおこしては悶絶させた。生体維持液は必要なだけ送られなくなり、巨漢の男の体を干からびさせては萎れさせ、しだいしだいに縮ませていった。
ある日、ミマースの琥珀色の瞳は、窓の外に奇妙な光を見つけた。それは星とは違う不規則な明滅を繰り返し、なんらかの電波を放っているようだった。
意思をもたないインジケータの点滅がそれを教えていた。そろそろと近づいてくるその光は、時々青白く瞬いてみせた。すでに時間の感覚さえ失っていたミマースにとっては、それはひとつの慰めのように思えた。ピカリ、ピカリと光りを放つ星はやがて姿を露わにした。
冷たい直線を組み合わされて作られたそれは、人工の無人星間探査機だった。それは、青光りする太陽電池の腕を四角い箱状の筐体から突き出したまま、ポッドの側を通り過ぎていった。
「救いなどないんだよ……俺は何を求めていたんだ……馬鹿らしい。……救いや愛情を求めれば求めるほど裏切られる……。こんなはずじゃなかった……世界は狂ってしまったんだ……。眠ろう……眠ってしまおう……」
ミマースは物言わぬ人の作りし物とすれ違い、人のもつ残酷さを嫌というほど味わったのだ。
――人は知識を求め、宇宙へとフロンティアを押し進めた。そのあげく作られたものが、人の意思とは無関係に作動し、彷徨い続ける健気な無人探査機となった。そこにある意味はなんだ? 金属で形作られた人工物が、生への希望や死への憧れを満たすというのか?
人は宇宙の何が知りたいというんだ……。だがそれでも知りたいという欲求は満たされないまま、やがて人は死んでゆく。探査機を作った人々は忘れ去られ、億劫の過去に葬り去られる。ただデータという名の価値さえわかりもしないものを送り続ける。それも何百年もかけてだ……。
そんなことに何の意味があるというのだろう……人はそれほど長くは生きられない……。人はいったい何を求めているんだ? 俺はいったい何を求めているんだ? ……そもそも、こんな思考自体に意味がない…………全てが虚しいんだ……虚無よ来い! そして俺を呑みこめ! 呑みこんでしまえ……。
「殺せー! 俺を殺してくれ……もう楽にさせてくれー!!」
ミマースの絶叫はしだいに、その間隔を広げ、生と死の狭間で眠る時間が増えていった。
痛みすらもう彼を目覚めさせておく存在たりえなかった。男は暗黒の海を漂い、漆黒の深淵を堕ち続け、暗闇の壁に遮られて光を見ることもなかった。ミマースの意思とは関係なく心臓だけが強く脈動を繰り返しては、時間と空間の中に自らがあることを、今ここにあることを誇示し続けていた。
一年が過ぎ、二年が過ぎ、三年が過ぎ、五年が過ぎ去ろうとしていた。だが、巨漢の男の永遠とも思える放浪と、灰色の夢を見続ける意識が途切れることはなかった。そして、その夢の終焉を知らせる兆候は、まだどこにも見いだせなかった。
生体維持液がボコリという音を立て、またひとつ気泡作っては立ちのぼらせていたのだった。




