第三章「昼と夜」第二話
第三章
「昼と夜」
第二話
「これはどういうことですか……?」
妙に慎ましやかな白の寝間着を着た沙耶香さんが乙女部屋から出てきて、説明を求めた。少し落ち着いたらしい。
俺はこのややこしい現状……というか、状況を解説する必要があった。ただ話すだけではダメなのだ。実際に見て、理解してもらわないといけない。古い家に住むためには必須の項目なのだ。
まずは一緒に玄関のほうへ行く。勿論、ブレーカーボックスを見せるためだ。三段の小さな脚立を立てて、ブレーカーボックスの箱を、ぱかりと開ける。そして、ライトで照らして見せた。
「……何これ?」
まぁ、そう言うよね。俺の友人も同じことを言った。
つまり簡単に言い表すならば……現代的なブレーカーシステムなんて、そんなものはこの部屋に通用しない、と俺は言いたかったのだ。
「この大きいのは主幹ナイフスイッチ、で、この黒いのが漏電遮断器、んでこっちの小さいのが分電2Pナイフスイッチ、で、この白いのが安全器、それとは別のこの小さい黒いのがエアコン用のブレーカー」
と指差して説明する。
「……分かる?」
「いまいち」
即答だった。
昭和生まれなら分かるかと期待したのだが、そうでもないのか。
「アンペアブレーカーとか、わかる?」
「それなら分かります。それと、漏電遮断器とエアコンのブレーカーは普通に知っています」
うーん。どういう風に説明すれば分かって貰えるのだろうか。
とりあえず、自分に出来る最善の言葉で説明してみた。
まず、主幹ナイフスイッチ。見た目はアンペアブレーカーのスイッチだけのようなものだ。この部屋に入ってくるすべての電気は必ずここを通る。次が漏電ブレーカー。これも、この部屋に入ってくる電気が必ず通る場所。漏電すると、こいつが働いて電気の流れをストップさせる。分電ナイフスイッチはただのスイッチで、一般的なブレーカーの役割をしているのが安全器である。
「じゃあ、そのナイスフイッチとかいうのを上げれば電気が灯くのですか?」
「残念ながら違う。というか、ナイフスイッチは上がっているだろう」
全然分かってくれなかった。それに何そのナイスフイッチって。ナイス不一致過ぎだろ、冗談にしてはやり過ぎだ。誰がうまいことを言えと。
俺はまず、分電ナイフスイッチを「切」、次に安全のためにエアコン用ブレーカーも「切」、そして漏電遮断ブレーカーも「切」、最後に主幹ナイフスイッチも「切」にした。これで電気は完全にストップ状態になっている。切る順番なんて実際に好きにしていいんだと思うし、そもそも主幹ナイフスイッチさえ切ってしまえばその後ろに電気は来ていないので、一見無駄な作業だと思うかもしれない。しかし相手は電気だ。万が一うっかり感電なんかしようものならば、脚立から転がり落ちて床に頭を打ち付けて昏倒しかねない。安全に作業するならば神経質過ぎるくらいのほうが宜しい。
安全器のリングをつまみ、手前に引っ張る。パコ、という音をたてて、安全器のフタが開いた。
「上から見せて貰いますね」
後ろからの声に振り返ると、沙耶香さんが天井に立っていた。ちょっとしたホラーである。重力が逆方向になっているようで、なんか気持ち悪い。この位置ならよく見える、とか本人は言っているが、知らない人が見たらびっくりだ。
知っている人が見てもびっくりだっての。
まぁ、よく見えるなら、いいだろう。
「この白い箱のフタ、よく見て」
箱は磁器で出来ており、フタ側に金属線が、本体側に電線がついている。もうちょっと正しい表現をするなら、フタ側にヒューズと刃がついていて、本体側に電線と刃受けがついているということになる。ここで述べる電線とは文字通り、電気が通る線である。
「切れてますね」
「その通り。これがヒューズで、現代のブレーカーの代わりをしている」
「へえええ……」
ブレーカーボックスの下の棚から電工ドライバーを取り出して、切れたヒューズのネジを緩め、それを取り出して渡してみせた。
「電気が流れすぎると、こんな感じでヒューズがプツンと切れて、電気の供給が止まるというわけ。これが昔の人の言う、ヒューズが飛ぶ、とか、切れるってやつ。焦げていないから単純に電気の使い過ぎだね」
もっとも、焦げるような状況なら安全器のヒューズが切れる前に漏電遮断器のほうが先に落ちるだろう。
沙耶香さんは持っている切れたヒューズを検分して。
「太い電線とか鉄板を繋いじゃえば良いのに」
と恐ろしいことを言った。
そこについては丁寧に説明した。
定格容量以上のものや鉄板、針金で繋いだ場合、電気を使いすぎる可能性があること。電気を使いすぎると電線やヒューズが発熱して、最悪は火事になる。
絶対にやってはいけないこと、なのだ。
調べて驚いたのだが、過去にそういう事をして火事になった例が『結構』あるらしい。ヒューズの手持ちが無かったとか、よく分からないから適当に何か繋いだとか、もっと酷い話だと『しょっちゅう切れるから大容量のヒューズをつけた』とか。
ここの大家さんも時々思い出したかのように来て、安全器の中身を確認したりする。まあ、最近はちゃんとストックしているのを確認しているので頻度は落ちたが、最初の頃はしょっちゅう確認しに来ていた。それ程にヒューズを別のもので代用するのは危険な行為なのだ。火事でも起こしたら、火災保険が出ない可能性すらある。
棚の箱の中から新しいヒューズを取り出す。一般的な電力用ヒューズは丸い穴の空いている部分をネジで固定して使うものだ。コの字になっているかぎ付きヒューズ、というものもあるが、この安全器の規格とは違うから使わない。車用だとガラスのパイプの中に電線が通っているガラス管ヒューズが……最近の車では多分見ないか?
ともかく、新しいヒューズを取り付けてフタを閉じれば、はい完成。取付のポイントは、ゆるく締めないこと。きっちりと締め付けを行わないと導通不良で発熱して、たいして電気を使っていなくても溶けてしまうことがあるそうだ。
あとはフタを閉じることで安全器の中で回路がつながり、負荷側と供給側を接続することができる。本当にシンプルな構造なので、くどくどと紗耶香さんに説明をしたものの、何も難しい事はない。
ちなみに、安全器の本体側(つまり刃受け同士)の間に直接ヒューズをくっつけてはいけない。活線だった(電気が来ている)場合、当たり前だが触った瞬間に感電する。
「ところで、そのナイスフイッチ」
「ナイフスイッチね、ナイフ・スイッチ。ナイス不一致ではない」
どうやら本当にこの器具を知らないようだ。ちょっと信じられない。
「そう、それ。その持ち手の根元、カバーがついていないけれど大丈夫なの?」
彼女が言う部分は、ナイフスイッチのブレード、つまり名前の通りの「刃」の部分だ。ここは金属面が露出していて、素人目でも危なげに見えるだろう。
……昔、子どもの頃にどこかの工場でこのようなナイフスイッチを見たのだが、それは家庭用のチャチなものとは全く違い、ブレードの幅も長さも信じられないくらいの大きさで、こんな危ないものをよく使えるものだなと恐怖心を抱いた事があった。成長して構造を理解すれば、そこまで怖がらなくても大丈夫なものだとは理解したが、それでも操作をするのに腕を振り上げたり振り下ろしたりする程のサイズは、いま操作しろと言われても流石に恐怖を感じる。
「あー、ここね、大丈夫大丈夫」
実際に主幹スイッチの刃に、ぺたぺたと触ってみせた。普段はそんなことは絶対にしないのだが。
「ちゃんと決まりがあって、こういう入り切りしかしないナイフスイッチは、この刃を受ける部分に電気が流れてる。そっちにカバーがついてるから、裸の部分は触っても大丈夫だよ。あと、地震や振動でブレードが落ちた時に勝手に電気が流れないように、こういう縦置きのものは充電部が必ず上向きになるように設置されている」
先人達の知恵と試行錯誤の結晶である。
「えーっと。そうなると、アンペアブレーカーってあるの?」
良い質問である。
いまの説明では、このブレーカーボックスにはアンペアブレーカーが無いように思える。思ったよりも、話をちゃんと聞いていたようだ。
西日本では、どうやらアンペアブレーカーがない地域が多いらしい。俺は西日本の事情を知らないので、意味が分からない。分電の安全ブレーカーが落ちるまで、目一杯使っても良いのだろうか。
「この主幹ナイフスイッチのカバーを開けると中にヒューズが入っているよ。アンペアブレーカーと等しい。こっちは三十アンペアだから恐らく切れていないと思う。今は開ける必要がないからそのまま。さて、それでは電気を復旧させるわけだが、ヘアーアイロンのスイッチ、ちゃんと切ってある?」
これはよくある事故らしい。設備が古いとか新しいとかに関係なく、ブレーカーが落ちて停電した後、慌てて器具の電源を入れたまま復旧させてしまったため、火災になったり故障したり。工場の機械なんかだと最悪人が巻き込まれることもあるそうだ。沙耶香さんは慌てて部屋に「文字通り」飛んでいって、ご丁寧にコンセントからヘアーアイロンのプラグを取り外し、本体を玄関まで持ってきた。そこまでしなくていいのに。
主幹ナイフスイッチを「入」に、漏電遮断ブレーカーを「入」に。エアコン用ブレーカー(今更だが漏電遮断ブレーカーとエアコンブレーカーは後付けらしく、これらだけ普通のブレーカーである)を「入」に。問題無さそうなので、最後に電灯線のナイフスイッチを「入」にして、見事に電気が復旧した。
このやり方は、現代的なブレーカーシステムであっても共通であり、絶対に覚えておいた方が良い手順。例えば何かの拍子に漏電遮断器がトリップ(動作)した時、ひとつずつ復帰させていくことで、どの場所が悪いのか確認する事が出来る。何も問題がない場合であっても、まとめて一気に電力を復旧させるのは家中の電気製品のスイッチを同時にオンにするのと等しいので、安全上どうなのだろう、といったところ。
どうしてここまで細かく語るのかといえば、それは親父の功績によるものだ。この部屋に住むと決めたとき、親父は「何もこんなボロアパートを……物好きなヤツだな」と俺をからかったものだが、どれくらい電気が使えるのかと部屋のブレーカーボックスを開けて「うわこれ懐かしいなぁまだ現存していたのか」と、昔を思い出したらしく、すっかり虜になってしまったのだ。
何が親父の琴線に触れるものなのか、俺には正直よく分からない。しかしながらここに住むまでは、俺はこんなものを見たこともなく。親父に旧式のブレーカーの取扱いについてしっかりと叩き込まれたというわけだ。お陰でヒューズが飛んでも動じなくなったものの……。
「あー、今のヒューズが最後の一本だったのか」
棚の中にある、ヒューズを入れている箱の中身がカラになっていた。厳密には、切れたヒューズだけになっている。
ここに住むのも、恐らくあと半年ほど。たくさん必要なものではないが、しかし次に切れた時が怖い。
仕方がない、高いものでもないし、起きたら買いに出掛けないと。
「ところで覚さん。どうして私にヒューズの説明をしたんですか?」
……おい。