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優しい魔女と、迷える小狼  作者: 美悠嶺二
第一幕:第一章「自由落下の来訪者」
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第一章「自由落下の来訪者」第一話

 この物語はフィクションです。登場する地名・人名・団体などの名称はすべて架空のものです。

 物語上、残酷な描写が「時々」現れます。ご注意下さい。

 料理については自身の経験を基にして物語に組み入れています。……が、同じように作ったところで味の保障はいたしません。

第一章

「自由落下の来訪者」

  第一話


 アパートを借りて、つまり下宿生活を始めて、およそ二年半が経過した。

 安いアパートだけど、結構良いと思っている。友人達の住むアパートは、壁が薄すぎて隣の生活音が普通に聞こえてくるとか、しょっちゅう水まわりの物が壊れるとか、上の階の住人の足音が響いてくるとか、そういった環境の場所が多い。綺麗だが。

 それに対して、俺の住むアパートは昭和時代に建てられたものだから、それなりに古い。しかし、昭和の佇まいという点を除いて特に問題は生じていない。板張りの壁と天井、吊り下げ式の照明器具、照明のスイッチは昨今の白ベースやボタン式などではなく、黒スイッチ。コンセントは埋め込みではなく、――正しい名称を俺は知らないが――配線が壁や柱にそのまま留めてあるタイプだ。ぱっと見のイメージはレトロだが、しかし内装は比較的綺麗なものだ。

 これの理由は大体わかる。所謂「高度経済成長期の産物」というものだろう。造りがしっかりしているので隣の生活音なんて殆ど聞こえてくることは無いし、設備が壊れるといっても大した問題は起こらない。階下の住人から足音に関して文句を言われたこともない。集合住宅で問題になりがちな建物の防音対策などはしっかりやっている、ということだ。

 素晴らしいことではないか。

 もし唯一難点を挙げるとすると、人類の宿敵、魔虫Gの出現程度だろうが、これはどこに行っても似たようなものだろう。そしてこの次期になると掌サイズのアシダカグモとエンゲージすることも珍しくない。だがしかし定期的に防除をしているようで、ネズミの気配は無いのだから、たいしたものである。

 大き目のキッチンルームに十畳ほどの居室、そしてサービスルーム(もしくはクローゼットではない二畳前後の小さな部屋、納戸と呼ぶべきだろうか)があり、バスルームとトイレは分離で、お値段なんと月五万円程度。やや郊外にあるとはいえ破格である。不動産紹介で見るなら、1KN(一部屋+キッチン+納戸)とか1KS(一部屋+サービスルーム+キッチン)という表記が正しいのではないかと思う。


 さて、さしあたって今直面している問題は、テーブルの上にある一枚の紙切れにある。今まで述べてきた建築物や居住環境の話ではない。自称「のんびり」「ズボラ」な俺の、今後を左右する問題だ。

 机の上にある紙には、やや大きめな文字で「進路調査票(最終)」と書かれている。そしてその下には俺の氏名、間宮覚まみやさとし、その横にはヒステリックな進路指導の担当者が、感情に任せて赤ペンで書き殴った文が。


 間宮さんへ

 月曜の朝、始業までに提出すること。

 出来なければ、楽しい四者面談の招持状を強制的に受け取って頂きます。


 ……いやはや、女性とは思えないダイナミックな脅し文句ですねぇ。涙が出る。しかも「招待状」ではなく「招持状」だ。これ、両親のところに持っていったら進路調査のことなんか忘れて大笑いするだろうなぁ。

 今日は週末、金曜日。猶予は明日と明後日……そして月曜日の始業まで。時間って案外短いなぁ。

 それにしても、文字の殴り書き具合から見ても、イライラ加減が見てとれる。ちなみに四者面談というのは、自分と、両親のどちらかと、担任もしくは進路指導担当者、それに加えて教頭か教育主任(または校長)の誰かが加わるお喋り会のことだ。

 とにかく、この紙切れに見合う何かを書かなければならない。だが、適当なことを書いたら、きっと手足を縛られて口一杯にチョークを詰め込まれ、全校集会でタロットカードの「吊られた人」のように逆さ吊りにされて晒し者だ。


「こちらに逆さ吊りにされているのは、夏休みを過ぎて秋の気配が見え始めても進路が確定していない間宮覚さんでーす! 皆さんもこんな風にならないように、進路は早いうちから考えておきましょうー!」

「「「「「はーい」」」」

 体育館に響き渡る全校生徒の声。


 ……それは回避せねば。あの人なら、やりかねない。

 座布団に胡坐をかいて、唸る。のんびりが過ぎてしまった。本来ならば、夏休み前にはとっくに済ませているべき話なのだ。せめて進学か就職のどっちかは決まっているな、という質問に対して「進学」と回答した以上、もう撤回は出来ない。

「……湿っぽいな」

 開け放たれた窓から入る空気が、湿気を帯びている。暑い夏を過ぎて少し涼しくなった秋風は心地よい。が、乾きかけた風ではなかった。

 立ち上がり、窓の傍に立ってみると、やはり涼しい風に紛れて湿った空気を感じた。そういえば、少し前から外で雷が鳴っていたような気がする。窓、閉めておこうかな。

 窓枠に手をかけたところで、外から「ばすん」という妙な音が聞こえた。

 思わず網戸を開け、音の聞こえた方を向いてみる。窓の左正面、下方向。

 部屋から直線距離でおよそ二十メートル少々……の交差点を通過中のトラックが、妙なことになっていた。角を家で囲まれた交差点だったが、通りに面したこの部屋からは交差点内を見ることができる。

 トラック荷台の側面上部……が、大きくへこんでいた。膨らむならまだ分かるが、へこむ、とは、どういうことなのだろう。何かが衝突した……としても、人が走って突っ込んだって、あの高さでそこまでめり込むことは出来ないと思う。車やバイクや自転車も見えない。そういったものが倒れたり、巻き込まれたりする時の摩擦音も無い。

 ぐらり、とバランスの崩れたトラックが奥のほうに向かって傾いた。荷台はどうやら金属製ではなく、ビニール系のトラックシートのようだ。それが勢い良く元に戻る。続けて、金属質のものが擦れるような音。それはトラックのボディが電柱とブロック塀に接触した音だ。


 見えた。

 勢い良く戻る瞬間、黒い何かが自分のいる位置よりも高いところまで跳ね飛ばされた。

 そして気づいた。

その何かは、ゆるやかな放物線を描きながら、自分の部屋のこの窓あたりに飛んでくるのではないかな、と。

 危機を感じた俺の頭が、世界を高速度カメラのようにスローモーションにする。打ち上げられた何かは、緩やかに――ゆっくり回りながら――まっすぐこちらに向かって飛翔、いや、落下してくるようだ。

 視界の片隅で、トラックが大きく傾いて向こう側に倒れた。

 ……近づくにつれてシルエットが少しずつ明らかになるが……しかし黒い塊にしか見えない。時折、白い何かが見えるが、それが何かを断定することはできない。

なかなか良い速度で飛来してくるそれを……あ、ちょっとまった、これは本当に直撃するかもしれない。


 反射的に避けた。

 

 それは、まるで計算したとばかりに開いていた窓を通り抜けた。そして夜風の涼しさを堪能するポジションに陣取っていた、敷きっぱなしになったままの布団の上に落下した。まずはその布団の上でスタンバイ状態のまま充電していたラップトップが、くしゃり、と悲鳴を上げて砕け散る。

 どすん、と、大きな音を立てて。

 布の上を転がる、がさがさごろごろ。

 最後は壁にぶつかって、静止した。


 静寂が訪れた。

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