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優しい魔女と、迷える小狼  作者: 美悠嶺二
第二章「魔女の世界」
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第二章「魔女の世界」第九話

第二章「魔女の世界」

 第九話



 突然、沙耶香さんが視界から『消えた』。

 いや、実際には消えたように見えただけだった。俺たち「人間」の日常動作や常識的に、その方向はあまりにも非常識で、その身のこなしもやはり非常識だったからだ。現に慌ててその姿を探すと、彼女は頭上にいた。

 そう、彼女は『上方向に跳んだ』のだ。

 そして上も下も星空の世界の中、ミーナさんと沙耶香さんは真正面から向き合っていた。

「制約上絶対に勝てないっていうのは分かっちゃいるんだけどねぇ」

 ミーナさんは笑いながら首や指の関節をゴキゴキと鳴らす。

「ならばせめて『引き分け』位には、したいよなー」

 沙耶香さんは静かに立つ……いや、浮くだけ。何もしない。佇む、という表現のほうが適切だろうか。腕は下げたまま、ただミーナさんを見つめるだけ。


 先に動いたのは当然、ミーナさんのほうだった。

 まさに神速。人間離れしているとしか思えない、とんでもない速度で沙耶香さんに突っ込み、左拳を顔面に向かって放った。

 それに対する沙耶香さんは、身体を捻り、ひらりと攻撃を回避する。

 ……と見たままを述べると単純に見えるが、そうではない。この空間は、現実の空間とはかなり違うようなのだ。

 まず攻撃側。風や重力の影響が出ないようだ。加速すればその分の速度が乗った状態で行動できる。そして地面という概念が無いので、蹴るのは『どこでもいい』。いま俺が立っている場所は俺が『ここに地面がある』と自分で認識しているから立てるのであって、変えようと思えば向きは幾らでも変更できるのだろう。実際、ミーナさんの片足は明らかに『立っている場所と違う場所』を蹴った。それはまるで、自分の後ろにある壁を蹴ったように見えた。

 次に防御側。減速せずに突っ込んでくるミーナさんに対して、沙耶香さんは回避行動をとった。地球上で顔面への拳の攻撃を回避するには身体を捻るなり、かがめば良い。しかしここは地球の制約を受けないのだ。

 沙耶香さんは右足の爪先を、まるで『新品の靴の履き心地を確かめるように』左足の後ろで立てる。すぐさま左足を上げると、身体が右へ90度傾いた。まるで倒れるように。

 ……だが、彼女は倒れていない。自身の「足場」を変えただけだ。倒れたように見えたのは『その動作が効果的』だからなのだろう。爪先立ちした右足の足の裏を新しい『仮の地面』にして、『通常世界では出来ない』というか通常世界とは真逆の『倒れるように身体を起こした』のだ。

 どこにも接地していない浮いている左足のかかとが即座に、ミーナさんのひかがみ――膝の後ろ側――に放たれる。自分の踵より下という、本来ならば当たらない場所(というか接地面より下)を沙耶香さんが狙うことができたのは、右膝を曲げて左膝を伸ばし、自分の立ち位置より低い場所へ攻撃するという、こちらもやはり地球上では普通は実現不可能な戦い方をとったからだろう。

 膕への一撃を受けたミーナさんは、「壁に手をつくように」両手で空間を叩いた。両腕で自身の勢いをすべて受け止め、腕を曲げ、腰を曲げ、脚を曲げて、そして曲げた部分をすべて伸ばして沙耶香さんへの「蹴り」へ繋げる。

「じゃあ、私も応援しないとね」

 ふと、聞こえた声。隣にいたユウを見ると、その手にはクロスボウ……のようなものが握られていた。現代風のものではなく、テレビのドキュメンタリー番組とかで放映されるような古風なもの。ボウガン……だっけ? おおゆみだっけ? そんな感じのもの。

「近距離戦に人間の私が突っ込んでいっても意味ないからねぇ」

 相変わらずのんびり喋っているが、クロスボウの先端をつま先で押さえ、ロープをフックのようなものに掛けて、そしてハンドルのようなものをぐりぐりと回している。まるでそうするのが日常業務のように、慣れた手つきで。

 呆然とその光景を見ている俺。そんなものどこから、と口をつきそうになったが、模擬戦前に言われたばかりだ。

 ――物質創造能力。

 妹は「応援」と言ったが、ふれーふれーがんばれー、の応援ではない。

「んー、ああそっか、お兄ちゃん魔女戦は初めてなんだよね。それじゃあ手本を見せるから、お兄ちゃんなりに何かしてみたらどうかな?」

 ……これは応援ではなく「加勢」だ。

 妹は指輪からさらに矢筒と矢を創り出し、空間をぴょんぴょんと自由気ままに飛び回りはじめた。上下左右も重力も気にしないその姿に、自由という言葉が真っ先に浮かんだ。

「おいユウ、ちょっと待てよ。俺はまだ動き回るのも満足に出来ないんだって」

 その間にもミーナさんと沙耶香さんの戦いは継続していて、相変わらず近距離戦、相変わらずの一方的な戦いだった。いや、一方的、という表現は少し違うかもしれない。ミーナさんは一方的に攻撃、沙耶香さんが回避しつつ時折反撃、といった具合だ。

 援護をするにしても、とにかく動きが素早い。その上、女同士とはいえ魔女同士。ここまでの状況を見る限り、無理に割って入ったら骨が砕ける程度では済まないかもしれない。ユウの持つ遠距離武器の意味が、なんとなく分かってきた。

 ここで動きがあった。沙耶香さんが回避・防御から攻撃に転じたのだ。ミーナさんの蹴りを先ほどと同じように九十度回転してかわすまでは同じ、そこからが違った。ミーナさんの軸足を抱え込み、ジャイアントスイングよろしく振り回し始めた。その振り回し方は半端ではない。自身の踵を軸にして「水平方向」に振り回すのではなく、自身の踵を「中心点」にして垂直方向の捻りまで加えたのだ。

 遠くから沙耶香さんに狙いを定めようとしていたユウも、この挙動には対応できないようだ。無理に踵を狙うこともできるのだろうが、タイミングが悪ければ矢はミーナさんに刺さる。射線上にミーナさんを飛ばされることも考慮しなければならない事だろう。

 ミーナさんがもう片足で沙耶香さんを蹴りつけるものの、沙耶香さんは動じず振り回し続けている。ヒールで顔面を蹴ったり肩を蹴ったりと遠慮がない。そして予想通り、沙耶香さんはユウのほうに向かってミーナさんを放り投げた。ユウは待っていたと言わんばかりに一歩横へずれて、矢を放った。

 重力が希薄なせいなのか矢は放物線を描かず、凄い速度で一直線に沙耶香さんの心臓の下、腹部へ深く突き刺さる。


 ……突き刺さった?


「ターイム! ちょっとまった!」

 その光景を目にして、さすがに止めに入った。ユウがやったのと同じように、空間をジャンプする要領で沙耶香さんに近寄る。無意識的にはできない、ちゃんと意識をもって、意思を持って、ここを足場にする、次はこっちが足場、というようにしないと、何もない空間で足を踏み外してしまう。もっとも、踏み外したところで、落下したり、何かにぶつかったりという事にはならないのだが。

 やっとの思いで彼女のいる場所まで辿り着いた。その腹部に……しっかりと刺さっている矢、ゆっくり滴る……いや、滴っていない、伝って宙に浮いている赤い血液。

 ええっと、こういう時はどうすればいいのだろうか。抜くべき……いや、抜いたら出血が酷くなるのか? だとするならどうやって止血すれば……。

「……え? 何?」

 矢を受けた沙耶香さんは、平然とした口調で尋ねてくる。

 いやだって矢が刺さってるんだぞ! 深々と!

 それに、ひどく出血してるんだぞ、これで痛くないのか?

「……まぁ、それなりに痛みはあるけれど、これくらい平気よ?」

 そう言って、深々と刺さっている矢を抜こうと引っ張り始めた。

 そんなばかな。

「おにーちゃーん!」

 遠くからの妹の声。

「魔女はねー、それくらいの怪我なら、すぐ治るよー!」

 マジで?

「そういえば沙耶香さん、さっきヒールで顔面をひどく蹴られていたけど……」

 当人の顔には靴跡(というかヒール跡)が薄黒くついていて、ところどころに血の滲んだ跡があるものの、傷口は見当たらない。軽く指で撫でてみたが、傷跡すらない。

「そんなのとっくに治っているわ。それよりこの矢、面倒なやじりがついていて抜けないのよ。妹さん、なかなか手慣れているわね。たぶん狩猟用の鏃をもとに、抜け防止かダメージ乗せるために何か仕掛けが付いてるんじゃないのかしら……むぅ、この、このっ!」

 刺さった矢をぐいぐいと引っ張る沙耶香さん。矢を動かす度に傷口から血と肉と矢が摺れるグチグチとした音が聞こえる。

「…………」

 絶句するしかなかった。

 それ絶対痛いだろ!

 というか見てるほうが痛い!

 やーめーろーマジやめろー!

「ああもう面倒だわ。覚さん、押し込むから背中から抜いてくれるかしら?」

「え?」

 沙耶香さんは躊躇せず、左拳で力任せに矢筈(やはず、和弓なら弦につがえる場所)を殴りつけた。矢はさらに深く突き刺さり、当然、貫通した鏃が背中から出てくる。

 なんて絵面だよ、グロテスク過ぎる。見てるだけで背筋が寒くなってきた。

「抜いて……大丈夫なの?」

「ええ、一気にえい、っとお願い」

 沙耶香さんの背中に左手を添えて、右手で矢を掴み、出来るだけまっすぐに一気に引き抜いた。矢が血で真っ赤になっている。慣れない血の匂いのせいか、くらくらする。

 マンガとかアニメだと、こういうのを迂闊に抜いた瞬間に血飛沫がシュパーっと出るような演出があるが、そんなことは起こらない。動脈を回避しているから、なのか?

「……傷、応急処置……しなくていいの?」

「うん、大丈夫。ほら……」

 沙耶香さんはスーツのボタンを外し、血に染まったシャツを見せる。

「触ってみて」

 左手でそっと、穴の開いたシャツを撫でる。

 傷は、既に無かった。

 ほっとした。

「そんなに心配しなくても、魔女はそう簡単には死なないわ。唐突に頭を潰されたり粉砕されたりしな……覚さん?」

 話を聞きながら、右手に握り締めていた矢を見ようと、右手を開けた瞬間。

 どす黒い血の色、血の匂い。手にべったりついた血液。

 何かの限界を超えた。

 突然、冷たい汗が背中に流れ、視界にちらちらとノイズが入って、次の瞬間、たぶん目の前が真っ白になった。




 気がつくと、いつもの自室に戻っていた。見慣れた天井、照明。

 ぼぅっとする頭で考える。一体何が起きた?

 えっと、そう、矢を抜いて、傷口を確認して、右手を開いて……。

 そう、矢と血。それだ。我に返って飛び起きた。

 右手には矢も無いし、血もついていない。

 ……代わりに、目の前には顔面が崩壊して横たわっているミーナさんと、布団とロープで簀巻き状態にされた妹が転がっていた。そして正座する沙耶香さん。

「お兄ちゃん、ごめん……血が苦手って知らなかった……」

「ごめんなさい、覚さん……もうちょっと丁寧に説明しておくべきでした……」

「どうひて……あたひがここまで……ボコボコに、されにゃ……ならんのだ……」

 ふと時計を見れば、九月九日、日曜日。日付が変わってすぐの頃。

 謝罪から始まる一日というのは何とも気分が悪いので、救急箱を持ってきて出来る限りミーナさんの手当てをした。消毒薬にコットンボール、ガーゼに絆創膏、湿布に包帯。但し自分以外の人を手当てしたことはほぼ無い。

 ただの偶然だと思うが、今日は救急の日。

「手当てはとても嬉しいが、もうちょっと、ちょっとだけ優しく……頼むよ……。文字通り力尽きる寸前まで……殴られてたんでな……痛っててて……」

 妹と沙耶香さんは、手当てが済むまで放置することにした。

 そして思う。

 今回のこの状況でさえ、彼女たちの流儀の入り口でしかないとするならば……俺は、魔女の世界に適応できないかもしれない、と。


 何よりもショックだったのは、布団の下に入れてあった旅雑誌が、机の上に乱雑に置かれていた事だったことなのだが……これについて、俺は考えるのを止めた。

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