第二章「魔女の世界」第八話
第二章「魔女の世界」
第八話
あぁ、そうか。顔見知りって、そういう意味だったのか。
「知っているなら話は早い。あたしは、ミーナ・“ジェミニ” フラウ。双子座の魔女だ。あんたの妹さんと契約している。よろしくな!」
ミーナと名乗る魔女は、まるで体育会系といわんばかりの挨拶を送ってきた。見た目との差が激しい。大人しくしていれば結構上品そうに見えるが、中身はまるでフランクな「お兄さん」だ。
「あ、あぁ、俺は間宮覚。えーと」
「説明不要だよ。実は既に何度もこの部屋に来たことがある。料理の味付けも知っているし、布団の下も知ってる。そしてあんたの味覚は好きだよ。ユウが作るのは味が濃すぎてね、時々あんたの料理をつまみ食いさせて貰ってるんだ、悪いね。」
え、うそ、なんで旅雑誌のことをッ?
彼女はまるで悪びれる様子もなく、というよりも何ということだ。この魔女……ミーナさんは、沙耶香さんより俺のことを知っているのか……?
「ちょっと双子座、この位にしておきなさい。彼とは昨日、契約したばかりなんだから。まだ基本ルールを説明しただけなのよ」
ミーナさんは、妹を手荒く起こして、沙耶香さんのほうを見た。
「ん。んー? 昨日契約したばかり? ああ、なるほど。なるほど。そうか。それで、か」
何かを納得したかのように頷き、ミーナさんは俺を見つめる。その意図は全く読めない。だがしかし少なくとも、敵対心を持っているとか、他者を見下す態度ではない。
「ミーナが見えるということは、もしかして、あなたも魔女?」
ユウが沙耶香さんに向けて放ったその一言で、魔女勢二名は大笑いした。あれで気付かなかったのかよ! とかミーナさんが言い出して、なにやら女の子トークのようになってきた。
窓を閉めた。
この隙に、少し距離を置いてこちらも思考の時間。情報が断片的過ぎて、まるで話に追いつけない。世界が自分を置き去りにしたまま好き勝手に動き回っているかのような、ちょっとした違和感か、あるいは不安感。そこで断片的ではあるが、現在まで得られた情報を可能な限り統合してみる。
ひとつ。双子座と名乗るミーナさんは、沙耶香さんの後輩である。少なくともお互いそれを否定しなかった。それが事実ならば、もうちょっと厳密に、先ほどの話を混ぜ込む。ミーナさんは沙耶香さんの推薦を受けて魔女になった人である。えーと、何だっけ。沙耶香さんよりなんとかならない魔女、だったかな。
ふたつ。天秤の魔女、沙耶香さんと、この双子座の魔女であるミーナさんは敵対的関係ではない。敵対的関係ならば、部屋に入れる必要は無い。こんなに親しげに会話する必要も無い。もし、仮に、俺が初心者だからということを考慮していたとしても、兄妹だからということを考慮していたとしても、さすがにここまであからさまに場を繕う必要は無いんじゃないかな。
みっつ。双子座の魔女は、妹と契約して【少なくとも数ヶ月以上】経過している。これは思っているより重大な問題だ。妹がこの部屋に尋ねてくるのは、そう多くない。その中で、食事を作って出した記憶はあまりない。自宅に戻ればお袋が食事を用意しているから。様子を見に来るのも、親父かお袋の指示で出てくるってところか、もしくは用事があって近くを通りかかったから、という程度。最低でも……半年か、あるいはそれ以上と見てもいいかもしれない。
よっつ。これが最大の問題点。ミーナさんは、何故ユウに「あんたが今、話をしている相手は魔女だ」と言わなかったのか。この問題点は、先ほどユウが「あなたも魔女?」と発言したところから始まる。特にこれといった意味は無いのかもしれないし、とても大きな問題点を孕んでいる可能性も有り得る。しかし、これは現状、考えても答えの出ない問題だろう。情報なし。推測だけで考えても何も見つからない。
……壁を背に、彼女達の様子を見る。留学生一名、姉妹一組が、仲良くガールズトークとかいうものをやっている……ようにしか見えないな、これは。先ほどの酒がまだ抜けきらないのか、僅かな眠気と眩暈に襲われる。思考を一時停止。
そっと、右手を持ち上げて、見た。まるで鏡のように磨かれた、銀指輪。今のところ、何をしても抜けそうに無い。今のところ抜く理由も無いが。
この四人の面子に共通していること、それは「指輪」だ。全員が例外なく、右手の薬指に指輪をしている。そして、年齢とは不相応な関係だ。昨日の会話を、契約書を、現状を混ぜながら改めて少しずつ咀嚼する。
まずは「魔女使い」について。俺がその文言通りの状態、あるいは存在だとするなら彼女たちはどちらかといえば眷属とか、従者という言い方に近い。フリーランスのメイドさん、というのが現状もっとも近いものか。契約書の内容や会話を覚えている限りでは、彼女達への支払いはいわゆる「賃金」ではない。そして彼女達、ここで言うなら沙耶香さんとミーナさんは雇われる側、俺とユウは雇う側、という図式。
“本来、魔女と人との関係というものは深く密接なもので……”
あの、夕食の時の言葉が出てきた。同時に、半ば無理やり思考を止めた。
今は、これ以上深く考えるのを止めよう。そんなことよりまず、自分の置かれた立場や状況を理解しなくては。そうでなければ、これは「組みあがる筈のないパズル」だ。ピースが全然足りていない。
「ミーナったら可笑しいの。私の蒐集品の中から、これは良い素材だ、これは面白いサンプルだ、ってぶつぶつ言いながらじっくり観察するの!」
「ユウは自分が思っている以上の目利きだ。ありゃあ一見スクラップ置き場のような部屋だが、しかし実体は真逆だよ。何気なく調べてみると結構面白いものに出逢うんだ。まったく不思議な話だ!」
妹の部屋がスクラップ置き場とはひどい話だ。しかし反論もできない。妹はどういうわけか、骨董品や文化品というものを集めるのが趣味だ。一見乱雑に部屋に放り投げられているように見えるそれらは、実際に手に触れてみると、意匠や重厚感といったものが自然と見えてくる。そういったものは学術的に大きな価値を持たないものかもしれないが、しかし、語りかけてくる何かがある。歴史とは何か、人が創り出した文化とは何か、これらは何を明示あるいは暗示しているのか。ユウはきっと、そういうことを考えるのが好きなのだと思う。
「ぃよっし! お近付きのシルシに、この部屋堂々と荒らしてエロ本でも見つけてやろうぜ!」
ぶ。
突然の妙なキーワードに思考が停止した。
この面子の中で、そんな発言をするのは一名しかいない。経験則ではなく消去法で、ミーナさんだ。
「おい止めろ! っていうか話の流れからして、そんなもの無いのはお前が一番知っているはずだ!」
脊髄反射レベルで言い返す。
布団の下に入れていた旅雑誌までバレているのだ、間違いなくこの女は知っている。
ユウは、にやにやしながらこちらを見ている。
沙耶香さんは、どういう表情をすればいいのか分からないようだ。
「おーおー。よく分かっているじゃあないか覚さんよー」
「あれー。お兄ちゃん、おんなのひとにキョウミナイノ?」
妹の棒読みっぷりがひどい。こいつ、魔女とつるんでいるとこんな感じになるのか。魔女に影響与えているんじゃあなくて魔女から悪影響貰ってるんじゃないのか?
「どうとでも言え。探してもお目当てのモノは出てこないぜ」
自信たっぷりに言い放つ。沙耶香さんが「ぉー」と感心しているが、その理解は多分、事実とはまるっきり逆である。そんな下らないものなんか無くても生きて行ける! ではない。コンビニや書店でそういう猥本を買うような、そんな勇気は俺に搭載されていないのだ。チキンハートなのだ。スーパーに行けば「特価 百グラム七十八円(税込)」とPOPを立てられて販売されるようなそんなレベルのチキンっぷりなのだ。雑誌や本をレジに出す時、色々な本をまとめて出して恥ずかしさを和らげるようなレベルですらない。そもそもそういう類のものを買う勇気すらないのだ。
だから後ろめたいところなんて何も無いし、荒らされたら荒らされたで、何も問題は生じない。せいぜい布団の下の旅雑誌についてあれこれと言われてしまうあたりが、この話のオチってところになる位だ。
……自分で語っていて悲しくなってきた。つーか、この部屋に女性が三名も出入りするようじゃあ、チキンハートから色々搾り出して頑張っても、そんなものを購入して部屋に隠し持っておくことなんか、最早できない。
そんなことをしようとは思わないけど。
「んじゃあエロ本探しはナシか。つまんねーな」
つまんないとか言うんじゃない。
つまんないとか言うんじゃない。
本当に、つまんねーとか言うな。心が骨折する。
「じゃあ久しぶりに模擬戦でもやるかー!」
模擬戦とか……え?
「え?」
「えっ?」
俺と沙耶香さんが驚くと同時に、一瞬目の前が真っ暗になり、そしてすぐにあの『魔女の空間』が再び現れた。現れた、というより『放り込まれた』という表現のほうが正しいか。
俺と、妹と、沙耶香さんにミーナさん。四人まとめて訳のわからないあの空間に突然放り込まれたのだ。
「お、おい! 双子座!」
「名前でいいよ」
「じゃあ……ミーナさん、これは一体何のつもりだよ?」
無重力のような空間をふわふわと漂いながら尋ねるしかない。
沙耶香さん、ミーナさん、ユウは既に空間に身体を固定している。くるくると回りながら浮遊しているのは俺だけだ。
「ミーナでいいよ。で、何って……模擬戦するつもりだけど」
「いやそうじゃなくて」
そんなことを言っている間にユウが近付いてきて、俺の手を掴んだ。
「ミーナ、ちょっと待って。お兄ちゃん契約したばかりだから知らないんだよ、きっと」
ここに床があって少し重力があるように『思う』んだよ、と、ユウは左手で自身の足元を指差した。
そうだ、昨夜も同じようなことをしていたんだった。
……そこに床があって、少しの重力があって、俺はゆっくりと……着地する。
つま先から、ゆっくりと何もないはずの空間に着地した。ユウが手を離しても、もう大丈夫だ。
「覚さん」
沙耶香さんの声が響く。彼女はスカートのポケットからヘアゴムを取り出して、弱い重力で広がる髪の毛を縛った。ポニーテイルとかいう髪型だ。
「昨夜署名して頂いた『能力行使契約書』の第八項、覚えていますか?」
「第八項? ……えーっと、なんだっけ?」
思い出せない。
アルコールの所為なのか、それとも記憶力が低いのか。
八つ目の項目って何だっけ?
「第八項は『乙が他の魔女と戦闘状態に陥った場合、甲は乙を援護することが出来る』ですよ。つまり、魔女同士の戦闘行為はあるんです。協会に呼ばれる話は……しましたよね。今回は模擬戦だから良いですけど、模擬戦ではない、つまり『実戦』、真剣勝負もあるんです。そして、戦いにおいて覚さんは『援護』をすることができます。」
ゆっくりと近付いてきて、右手をとった。
「指輪の新しい機能説明。簡単に説明するから、よく聞いて」
頷いた。
「右手の指輪を、左手の親指と薬指ではさむと『物質具現化』という力が使えるようになります。あなたが想像するものを造り出すことができる機能です。一度に作れる量は個人差がある。でも、創って、使い終わったら戻すことで、様々なものを『ある程度の体積の範囲で、ほぼ無制限に創る』ことができます。創ったものを『切り離す』ことや『消費』することも出来ますが、切り離したり消費したりする毎に創れるものが制限されていってしまうので、気をつけてください。例えばこんな感じです」
沙耶香さんは自身の右手をこちらに向けて、風船、と呟いた。
指輪が光って、そこから粘土細工のように「それ」が膨らみ、紐のついた青い風船が出来上がった。
「これは……凄いな……」
左手で風船に触れてみるが、感触は確かに風船そのものだった。触ると、あの独特なキュッという音がする。
風船に繋がる紐は指輪から“生えている”。
「言葉に出さなくても形に出来ます。創る時、切り離しをしたい時や戻したい時は、そう念じれば大丈夫です。どこまで精密な物が創れるかは想像力に依存。機能停止は同じく左手の親指と薬指で挟んでください」
触れていた風船が、しゅるしゅると、まるで吸い込まれるかのように指輪に格納される。
「この空間だけでなく現実の空間でも多少創ることは出来ますが、目立つので現実世界では極力使わないように。『魔女使い』はこれで自分側の魔女を『援護』するのが、戦闘中の仕事です。使いすぎると『電池切れ』状態になるから気をつけて……」
そう言って、沙耶香さんはミーナさんのほうを向いて。
「では、始めましょうか」
静かに、そう言った。