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優しい魔女と、迷える小狼  作者: 美悠嶺二
第二章「魔女の世界」
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第二章「魔女の世界」第五話

第二章「魔女の世界」

 第五話


「今、お話できることは、これ位でしょうか」

 そう言い、彼女は喋ることを止めた。

 話の重さに、まったく言葉が出なかった。

「多分、その反応は正しい……と思います。言葉が出ませんよね、ごめんなさい」

 抑揚の無い声。背中に回された腕が、ゆっくりと締まる。

 考える。彼女は……竹下沙耶香は何を考えて、何を伝えたくて、具体例ではなく昔話を語ってみせたのか。

 考える。出会いと別れ、死別。彼女はそれを経験してきた。それは、楽しくもあり、とても辛いものだったのだろう。

 だがしかし、俺が聞いたことは、他の人がどんな願いを訴えてきたか、だった。だが、沙耶香さんは昔語りをした。そしてそれは適切な回答ではないものの、たぶん不適切な回答でもないのだと思う。

 どういうことだろう。

 三名の登場人物は全員女性。共通の話は……一人目と二人目の受験の話だけ、かな。いや、それだってただの偶然なのかもしれないけれど。俺が受験生だということを考えて意識的に話をするなら、三人ではなく最初の二人の話で済ませれば良いはず。

 皆、ばらばらの願い。これといって統一されていない話……。

「……えーっと、つまり、願いは人によって違うから、自分で考えろということ?」

 やっと搾り出せた回答を、沙耶香さんの胸元で、もごもごと呟いてみる。まるでお胸様に向かって喋っているようで、不自然な気がするが。

「肯定、でもちょっと不足。考えるべきは、何のために願いを叶えるか、です」

 さらに難しい問題が戻ってきた。何のために願いを叶えるか。

 願いなんてものは、ある種の欲望か我侭みたいなものなのだと思っていたけれど、どうも沙耶香さんの示すところはちょっとだけ違う気がする。あるいは言葉の置き換えを示唆しているのだろうか。

 何のために願いを叶えるか。言葉を逆向きにして考える。願いとは何のために行うのか。叶えるのは魔女の仕事だから、それは脇に置いといて。もうちょっと短縮できないか……そう、なぜ願うのか。うん。これなら分かりやすい。願いは実現のための道程。自己の理想を目指すためのもの。

 ……あ、もしかして。

「その答え、誰のために使うかってところに通じてる?」

「ご名答」

 そして抱き枕状態から開放された。しばらく抱きしめられていたせいか、少々酸素不足で息が荒いことを自覚した。空気、空気が欲しい。

「今から話すことはとても重要、よく覚えておいて。一人目の人は、自分と家族のために願いを伝えてきた。二人目は、自分自身のためだけに願いを伝えてきた。三人目は、自分自身の最期のために伝えてきた」

 まっすぐに、こちらを見つめながら。

「いい? 願いっていうのは、おおよそにおいて自分に必ず影響があるから願うの。例えば、世界で最も貧しいと言われている人たちを全員救って、なんて願いをする人はいないし、私もそれを受け入れることはできない。不可能だからではない、相互扶助の精神から外れてしまうから。この例えは極端すぎるけれど、自分以外の他者のために願うことは避けて。殆どの人間は、他者からの恩をすぐに忘れてしまう。あるいは理解できない。魔女が介在すれば、なおのこと。自力で出来た、とか、運が向いた、とか。そういった言葉で片付けてしまうわ。今日のあなたが銀行の人にしていた説明のように。だからたとえ、あなたが介入したことであっても、相手の理解、人間の理解を超えた事象は、ほぼ例外なく奇跡扱いされてしまう」

 一間。

「そうなったら、あなたはどう思う? せっかくあの人のために自らを削ってまで助けたのに、彼らは奇跡を信じてやまない、俺のことはこれっぽっちも考えていない。だけど『自分が介入した証拠がない』から、彼の言うことは覆せない。きっとそう思うでしょう」

 肩を掴む手に、力が入る。

「……だから、願いを私に伝えるときは、よく考えて。他者を大事にすることは大切だけれど、それ以前に、まずは自分のためになるかどうか、ということを」

 諭すように言い、そしてトドメの一言を突き刺してきた。


「今のあなたが願い、叶うと、他者からすれば奇跡が起きたようにしか見えないから」


 なるほど、まさしくその通りなんだろうな、と思った。宝くじの件にしてもそうだ。他者からすれば奇跡発生中、だったんだろうな。

 ここまで話が進むと、質問の回答も自然に出てくる。

 まず、他の人がどういう願いをしてきたのか。回答は、直接的であれ間接的であれ、自分に利益が出る願いだった、ということ。自分が損する願いなんかしない。

 次に、何のために願いを伝えるか、という問題だが、これも変わらない、自分のため。そしてパートナーのため。あるいは、家族のため。

 それから、誰のために願いを伝えるか。これも自分のため。結局人間は、自分自身のためにしか願うことが出来ないのだろう。

 最後に重要な話、他人に恩を売るような願いはやめるべきだ、ということ。

「ここまでの話をまとめると、なんだか内向的というか奥手っぽくて、ジメジメしていて、そして他者のことなんかどうでも良いという人間が出来上がりそうだから困る」

 率直な感想。だが、沙耶香さんはそれに頷く。

「それ位の認識で丁度良いのです。偽善を振りかざしたり、恩を振りまくよりも、よっぽど現実的ですから。ただ、これは生き方への回答ではありません。あくまで、私への願いの使い方への回答です。勘違いしないで下さいね」

 頷いた。

 魔女の世界というのは、本当はとても厳しいのかもしれない。そして、俺が思っているよりも、辛いのかもしれない。大多数の人間からは理解されず、認識されず、存在を肯定することすら困難。まるで空気のようで、まるで水のように、存在があやふやで。

 それにしても、生き方に対する回答ではないというが、しかし、しかし……話の重さが重さだけに、そしてアルコールの回った頭だからなのかもしれないけれど、これ以上の思考は出来なかった。


 あ。と声が出た。

「願いがひとつ見つかった」

 ステーキとワインで重くなった身体を起こすと、沙耶香さんも起き上がった。

 テーブルの上の食器を片付けて、台所のシンクに置き、居室に戻って勉強用の机の上から紙を一枚、拾い上げた。そして、それを沙耶香さんに手渡す。その紙は一番上に大きな文字が書かれている。「進路調査票(最終)」。

 そうだ、これの存在をすっかり忘れていた。

 沙耶香さんは受け取った紙を見て、目を丸くした。

「……一応訊いておきますが、私の知識が間違っていなければ、この時期に書くものではないですよね?」

「イエス」

「そういえば、あなたは高校生だったわね。何年生?」

「三年生」

「本来なら春先か、遅くても夏休みの前あたりには書いておくものですよね?」

「イエス」

「全然決まっていないんですね?」

「イエス!」

 ばしり、と音を立てて額に強烈な一撃が飛んできた。それは渾身のデコピンだった。頭が後ろに「かっくん」する程の威力。彼女は人差し指と中指と薬指の三本指で俺の額を弾いたのだ。

「今のマジで痛いから! とにかく、願いってのはそれのこと。今の俺の学力で行ける学校の判定をして貰いたい」

 じんじんと痛む額を押さえながら、なんとかその内容を伝える。春先から回答を延ばし続けていたこと、この局面になって延ばしがもう利かないこと、そして何処に行くか迷っていること。正直なところ就活すべきなのかまだ迷っていること。

 沙耶香さんは紙をじっと見つつ、こちらの話に時折相槌をうつ。そして大きく溜め息をついて、

「ちょっと記憶があやふやですが、確か私が高校生の頃、こんなのはさっさと決めたものですよ。就職組は特に。……まぁ、そうね。時代が変わりすぎたのかもしれないわね。あなたたちの世代にとってみれば、私が学生をしていた当時は良くも悪くも、とんでもない状況だったでしょうから」

 紙面を机に置いた。

 進路について考えるというのは、やはり難しい問題だ。少なくとも進学を選んだ以上、どこかの学校に進学するのが当然。だが、自分自身の方向性が定まっていないから、どこに行くかということすら考えるのが困難な状況。

「いっそのこと、第一志望に専業主夫とか、米国国家運輸安全委員会とか書いて職員室をパニックに陥れるなんてのはどうだろうか?」

 我ながら名案である。FBIとかSIS(イギリス情報局秘密情報部)なんて書いてみても面白いかもしれない。過去に例のない進路希望を立てて、ふざけてなんていません、本気です! ですから、これらに入るための方法を教えてください。とか言えば間違いなく混乱どころではない事態に陥ると思う。

 あれ? これじゃあ情報テロみたいなものではないか。つか進学じゃねぇ!

「専業主夫は面白いかもしれませんね。ただし、それを理解して働く奥さんがいなければ成り立ちませんよ。最近はそういったことへの理解が深まっていているでしょうけど、婚約者も居ない状態で書き込める話ではないでしょう?」

 あっさりかわされてしまった。

「ちなみに米国の国家運輸安全委員会、通称NTSBは、その筋の専門家でないと参加できませんよ。航空機、鉄道、車両そのほか、せめて運輸全般のベースともいえる製造とか設計に十年単位で関わっていなければ無理でしょうね」

 なんでそんなこと知っているの?

「あ、それに加えて英語の読み書きが必須ですね。専門用語も含み」

 あぁ、無理でした。英語は苦手だ。

「それにしても、この素敵な殴り書き。これは……相当苛立っているわね。楽しい四者面談のしょうたいじょうを強制的に受け取って頂きます、って、これ漢字間違えているわね。招待状じゃなくて、しょうまちじょう……まあいいか」

 沙耶香さんは、うーんと考え込む。

「とりあえず二学期期末テストの解答用紙を全部出してください」

「前後期制だから、中間テストでいい?」

 構いませんよ、と、いたって真面目な顔つきで返事をした。この人……じゃない、この魔女、本気だ。

 机の引き出しから、バインダーを取り出す。テストの解答用紙は紛失しないように、ひとまとめにしている。というのも、期末にノート回収が行われることがあるが、テスト用紙の回収は行われないためだ。

 国語、数学、英語、理科、そして社会(世界史)の五大科目に加え、古典、倫理、保健体育のテストの解答用紙を取り出す。そしてそれを――点数を見せないように伏せながら――沙耶香さんに渡した。どうせ意味の無い行為だとは思うけれど。

 沙耶香さんは、受け取った解答用紙を捲ることなく両手で挟んだ。そしてすぐに離し、テーブルの上に置いた。


 主要五科目に関しては平均程度かちょっと上、傾向としては国語と世界史が高め、英語が低いですね。数学は英語より苦手、逆に理科がかなり高得点です。中身は生物ですね。

 そして古典に関しては興味があるけど覚えるのが苦、といった感じですね。倫理は丸暗記ものだから点数高め、ただし回答が漢字だらけの筆記問題は苦手なようです。保健体育は……うん、まぁ、興味は尽きないでしょうね。

 全体としての評価は悪くないと思いますけど。


 沙耶香さんはそこまで言って、置いてあったワイングラスに残りのワインを注ぎ入れ、ちまちまと飲み始めた。

 それよりも、人のテストの結果、いちいち声に出さないで下さい。

「で、覚さんのご両親は何て言っているの?」

「別に何も。行きたいところに行けばいいんじゃないの、って感じ。それと、これが県内の学校一覧と参考偏差値のリスト」

 担任が渡してきた紙を、そのまま沙耶香さんに渡した。そして、なぜか俺はそのリストの中身をロクに見ていない。

「珍しいタイプの両親ね」

 ワイングラスが静かにテーブルに置かれる。そりゃそうだ、このグラスは俺から見れば異常なほど薄い。ちょっとでも手荒さを見せたら間違いなく割れる。ホームセンターに置いてあるような肉厚のグラスが信じられないほどに薄い。乾杯といってグラス同士を軽く当てただけで割れそうな程だ。

 勿論、乾杯でグラスを当てるなんていうのはジュース用のグラスかビールジョッキ位だと知っているが。

 じゃあ、この案件を願いとして処理していいのね。と尋ねられた。

 頷いた。

 どこかで、かちり、と音がした。昨日から何だ、時折聞こえるこの音は。

 彼女はどこからともなく鉛筆を取り出し、紙に下書き程度の薄い字で、さらさらと字を書き、すぐにこちらへ渡してきた。思わず見とれてしまう綺麗な字で書かれた学校は、県内の大学名。

「この学校なら、あなたの実力ならほぼ間違いなく通ります」

「……いやまぁ、そうかもしれないけどさ。普通科だと、あまり意味ないんじゃないかな。というか、自分自身、どういう職業が適職だとか分からないから困っているんだけど」

 人には向き不向きがある。オールマイティにこなせる人間なんていない。「あなたが自分に向いていると思うことは?」と訊かれて即座に回答できる人は少ないだろう。

 それを補完する目的だと思うが、適職診断なんてものがある。けれど、あれは本当に信用できるものかと訊かれたら、相当に疑問が残る。実際に学校で行われた適職診断の結果が、全く想定外の結果だったから。手先が器用か精密なことが出来そうだから工芸職人や電子機器の研究製造がよろしい、なんて、ちょっと信じられない話だ。

 例えば事務系会計系に進みたいなら商業系の大学・学科をとればいいし、機械関係に強いなら工業系の大学・学科をとればいい。英語が使えるなら国際科のようなものがある大学へ進み、留学するというのも素晴らしいだろう。

 と、ざっくりと伝えてみた。

「ならばあなたの向く分野を分析してみましょう。それが一番早いと思います」

 右手を差し出された。手を重ねろ、ということだろうか。

「私の得意分野は“はかる”ことです。覚さんの能力を測ってみます」

 それって戦闘力とか計測できるのかな。いや、スポーツは苦手だから全然駄目だろう。いや、そうじゃなくてな。

 早く、と急かされたので、テーブル越しに手を重ねてみた。


 刹那、周囲の景色が消失した。漆黒の闇の中に、たくさんの星が瞬く。昨日見た、あの世界だ。そこに俺と沙耶香さんが浮くように座っている。昨日との違いは、足元にある「皿」だ。そう、天秤の皿か、はかりの皿か。

 改めて感じる。改めて見回す。これが、彼女の世界なのか。

 透明な感覚が全身を包む。優しくて、ちょっと不安で、妙に落ち着く感覚だ。相変わらず無重力に近いような状態なのだと思うけれど、純粋な無重力体験なんてしたことがないから、この考えや感覚は、あくまで憶測に過ぎないけれど。

「……人をはかる事は滅多に無いのですが、それを別としても気難しいというか、独特な性格していますねぇ」

 俺の手を掴んだまま、ふわふわと漂う沙耶香さんは呟いた。独特って、何。

 人間の性格なんて、それそのものが矛盾のカタマリみたいなものじゃないか。それに独特とか言われても、これはどうしようもないよ。

「細かい作業に向いているというのは間違いないようです。普通の会社では中間管理職以降に能力を発揮するかもしれないですね。あと……これは蛇足かもしれませんが、あなたは能力全般は人並みかそれより少し高いようですが、壊滅的に運が無いようです。良いのでも悪いのでもなく、ひたすら運が無い……」

 運がない、というのは自覚しているから何となく分かる。運で未来を決めたくないから、今はその話は横に置いておく。で、中間管理職って……何年、いや、何十年待てばいいんだ。まったく、苦笑するしかない。

「そもそも、どうして就職ではなく進学を選んだのですか?」

「いたって簡単な話だよ。このご時世、これといった特徴もなしにホワイトカラーになったところで、営業職か事務職のようなものにしかなれない。というと言い過ぎかもしれないけど。汎用的というか、そういう使われ方は嫌なんだ。ブルーカラーになるとしても、流れ作業要員のようなものは好きじゃあない」

 それだけだ。……あれ、意識していなかったけど、適職結果に結構近い回答だったか?

「自分の進路を決める時に悩んだことはありましたが、他の人の進路を決めるというのは難しいですね。寧ろ、私の言葉を鵜呑みにして進路を決定してしまって良いのですか?」

 冷たい言葉と、視線。

 ああ、そうだよね。普通はそういう反応が返ってきて当たり前だよね。

 本来ならば、進路というか、未来というのは自分で責任を持って決めなければいけないことだ。それを他人というか、魔女に委ねるというのは……そりゃあ、正しいことではないのだろう。

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