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優しい魔女と、迷える小狼  作者: 美悠嶺二
第二章「魔女の世界」
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第二章「魔女の世界」第二話

第二章「魔女の世界」

 第二話



「了解した。一気に話を聞いても混乱するから、続きはまたそのうちにしよう。ところで、この指輪がどうのとか言っていなかった?」

  右手の薬指に嵌る指輪を、目の前に掲げる。銀の光沢が、やたらと眩しい。

 一晩。一晩というのは丸一日という意味ではなく、本当に一晩……いや、訂正。半晩というべきか。夜の半分ほど、この指輪を右手に嵌めていたわけだが、右手を動かす度に、指と指輪が触れ合うというか、擦れ合う感触が少しだけ邪魔で仕方が無い。

 アクセサリーというものを、装飾具という類のものを日常的に身に着けていないので、当然といえば当然の反応というか、違和感なのだろう。

「ああ、抜けない話でしたね、えーっと……次のは実際に試してみましょう」

 沙耶香さんは立ち上がって、居室からキッチン・玄関方面へ歩む。

 引き戸もピシャリと閉めてしまった。

「まずは指輪の基本的な使い方です、左手の親指と人差し指で、指輪を挟んでみてください」

 引き戸の向こうから言われた通りにする。右手の指輪を、左手の親指と人差し指で挟む、おっと、なんかブルッと震えたぞ?

 そして、指輪がうっすら青く光っている、これはなんだ?

『これは相互に会話が出来る能力です。どれだけ離れていても、瞬間的に会話が出来ます』

 どこかから声がする。

 神の声ならぬ指輪の声?

「お、おぉ、これは便利な機能だな。でも喋らないと聞こえないんだよね? あと、周囲に声がダダ漏れじゃないか」

 どこかから声がする、でもどこから声が聞こえるのか分からないことに一瞬驚いてしまった。びっくりして左右を確認、後ろを確認、上を確認。勿論そこには誰もいない。

『周囲にこの声……私の声は聞こえませんよ。あなたの声は聞こえてしまいますが。もし、声に出せないときは、さっきと同じ方法で親指側だけを二回、軽く叩いてみてください』

 左手人差し指、親指を使って挟み、親指だけを、トントン、と。

 おや、指輪が今度は白く光ったぞ。

『これは、あなたの声ではなく思ったことがこちらに伝わってきます。声はこちらには伝わってきません』

 へぇ、随分とロマンティック機能だな。どんなテレパシー能力なんだろう。

 ……今日の朝食どうだった?

『おいしかったですよ。でも、魚の小骨が刺さって痛かったです』

 骨が残っていたのか、それは悪いことをした。で、この機能を切るにはどうすればいいんだ?

『左手の人差し指だけで二回、トントンすれば切断できます。これは全ての機能共通です』

 なるほど、では早速試してみよう。

『あ、その前にもうひとつの機能を紹介します。非常事態用です。呼び出し機能ですね。もし、危険を感じたり私の助けが必要になったら、左手の親指と小指で挟むか、右手の親指を使って指輪をくるくる回してみてください』

 制御パターンが幾つかあるようだ。左手の親指と小指もしくは右手の親指で回す、か。

 なんで二つの方法があるの?

『左手が使えない時のためです』

 なるほど。

 右手の指と左手の指、どちらで試すか少し考えて、右手の親指で回すことにした。多分このほうが覚えやすい。

 指先で遊ぶというのは、殆どの人間が持ち合わせている癖だと思う。爪の根元に触れる、パチンと指を鳴らす、指のささくれを(酷くなると分かっていながら)剥がしてしまう、など。だから多分、片手動作のほうが覚えやすいはずだ。

 ちなみに自分は「指パチン」が出来ない。何度かやってみたのだが、どうしても音が鳴らないのだ。あのパチンという音が。指先がゴリゴリと擦れるだけ。これでもか、これでもか、と続けた結果、関節のほうが「ゴキッ」と音をたてて負けてしまった。以来、指を鳴らす練習をしなくなった。

 右手の親指でくるくる、と回す。指輪、堅く嵌っている割には案外あっけなく回るね。

「はい、外す行動ではないですから」

「うわっ!」

 すごくびっくりした。なぜなら、沙耶香さんは隣に居たから。でも居室とキッチンを隔てる引き戸は開けていない。間違いない。歩いて近付いてくれば間違いなく分かる。というよりも、引き戸を開ければわかる。自分の視線の先なのだから。

 これが瞬間転送です、便利でしょ? と胸を張り、ふんと鼻息を鳴らす沙耶香さん。あ、なんかその双丘、愛でる様に撫でたいです。

 途端に脳天チョップが入った。しかも結構力が入っていた。な、なんで?

「まだ指輪の会話が入ったまま」

 あ、そうか。左手の人差し指でトントン、と。指輪の光は消え、普通の銀の指輪に戻った。

 しかし今の「これが瞬間転送です、便利でしょ?」は沙耶香さんが直接言ったものではない。だが俺は理解していた、というか聞こえていた。指輪から彼女の声で。

 相手の気持ちが分かるというのは便利であるけど、リスクも大きいな。

「一応、これが使える範囲は……見通し距離くらい。水平線が見える範囲程度、と覚えておいて。使えない程に距離が離れてしまった場合は、私が位置と距離を追いかけるマーカーのような役割になる。ひとまず日常機能ですぐに使いそうなものはそんなところ。他にもいくつかあるけれど、普段使う方法じゃあないからまた今度ね。さて……次は居室の問題ね」

 うん、そうだよね。いつまでも布団を貸しておくわけにはいかないし、誰かが来た時に困る。

「部屋にパーティションでも導入する?」

 パーティションというのは、よく会社とか学校で、部屋の中をさらに区切ったりするのに使う壁のことだ。ものによるけど、お値段は一枚で普通に五桁円。

「ああ、それに関しては心配しないでください。そこの納戸があればなんとかなります」

 部屋の隅にある納戸を指差して、沙耶香さんは言った。


 納戸、あるいはサービスルーム。居室にするには狭い。せいぜい物置程度にしか使えない部屋だ。この部屋の納戸はキッチン側ではなく、どういうわけか居室側に出入り口がある。入り口は引き戸ではなくドアノブ付のドアそのもの。

 開けてみる。この部屋は角部屋なので小さな窓はあるものの、狭すぎて部屋として使えるシロモノではない。あくまで納戸、あるいは物置。ぶら下がっている裸電球が哀愁を誘う。つーか、吊り下げ裸電球とか体験したことない人のほうが多いんじゃあないだろうか。

 壁は壁紙なんてものは無く、居室側と同じく板張りである。ずっとメンテナンスがされないままなので、茶色というより黒に近い色合いに変色してしまっている。天井板は実は押すと持ち上げることが可能なのだが、一度恐ろしい目に遭ったので……そのうち忘れることにしよう。

 沙耶香さんは中を確認した後に退室、ドアを閉め、その前に立ち、ドアに手をついて。

「おいで、私の部屋」

 呟くと、納戸の中で何やらがらがらと音がする。一体何が起こっているんだろう。沙耶香さんはドアに手をついたまま集中している。

 がたがたがた、ごとごとごと、がらがら。

 そして音が止んだ。

「移転完了」

 沙耶香さんはドアノブをカチャカチャと何度か捻り、扉を開けた。

 中を覗き込んで……呆然とした。そこは女性の部屋というか、なんだかいろんなものが混じったすごい空間。というか部屋の大きさが明らかに納戸の広さを超えている。なんだこれは。

 まず、ドアが裏と表で違う。表は今までどおりの安っぽい合板ベニヤに丸いドアノブのドア。裏は……木材を削り出し、黒く塗り、ドアノブは水平方向にストレートなタイプ。よくマンションの玄関にあるようなものだ。

「……入ってもいいの?」

「ええ、どうぞ」

 ドアから中に入ると、ますます実感する。昨夜の異空間ほどではないが、真っ白の壁紙に各種照明、ほか、様々なアイテムが部屋の中に綺麗に並べられていて「ここは本当に我が家なのか?」という疑問符を浮かべてしまった。だって、後ろを振り向けば畳に板張り柱剥き出しのボロ部屋なのだ。

 落差というか、格差がありすぎる。

 女性の部屋を、きょろきょろまじまじと観察するのは、非常にうしろめたい、というか恥ずべき行為なのは分かっていても、色々と見てみたい好奇心のほうが強い。

 改めてまず、部屋の中央には高そうなガラステーブルに、これまた高そうな椅子が二脚。椅子は艶出し黒塗り仕上げ。触るのを躊躇してしまうほどの高級感だ。座面は革張りだ。

 床もすごい、フローリングの上にカーペットだ。フローリングはブラウン系のシックな色、カーペットは白色で模様の入っていないシンプルなものだが、一歩踏み込むごとの足の裏の感覚は安くて堅いものとは違う。本人が居なければ寝転がってみたくなる。

 続けて黒い書斎机。テーブルのサイズは畳一枚ほど、やたらとでかい。黒くて大きいので、白い部屋の中でこの書斎机が異様に目立つ。作業スペース部分は緩やかな円弧にカットされ、アクセスしやすいようになっている。こちらの椅子も凄いものだ。革張りブラックのリクライニングチェアだ。

 そして不思議なものが……お風呂がある。トイレも。そこだけ床がタイル張りになっていて、スクロールカーテンで隠せるようになっている。排水口完備。このお風呂のデザインも、安物や量産品ばかり見てきた自分にとっては恐ろしくデカい。ジャグジーとかホットタブとか、そういうものなのだろうか。きっと普通の人なら三人は同時に入れる。すげぇ。

 風呂から視線を外すと、部屋の隅に、この場所に似つかわしくないものがあった。屏風だ。触る勇気はないので素材は分からないが、金箔や墨で模様が描かれている。この屏風は、ただの趣味かと思ったが、違う。屏風の裏側を覗くなんて趣味が悪いかもしれないが、何も言われなかったので回り込むと裏には美しい着物が一枚、綺麗に整えられて飾られていた。間違いなく、こちらも安物なんかではない。少々使い古されたような感じだが、しっかり手入れされているのが分かる。これも、触る勇気は無かった。

 あとは妙に凝ったデザインの冷蔵庫、めちゃくちゃ高そうな食器、ティーセット一式。ソファー、そして演劇とかで使われそうな、あるいは外国の高級ホテルにありそうなカーテン付きのセミダブルベッド……どれだけ贅沢なんだよ、ここ!

 ……そして。

「この本棚、どこまで続いているの?」

 部屋の奥は本棚のエリアになっていた。しかも先が見えない。正面から見ると、本棚の3つ先くらいまでは確認できるものの、そこから先は「よくわからない」。いや、本当によく分からないのだ。まるでフェードアウトするかのように先が見えない。ついでに言うなら、本の背に書かれているタイトル、これも読めない。少なくとも英語ではない。

「あ、その本棚の先は入っちゃ駄目ですよ、最悪出られなくなりますから」

 沙耶香さんの主張によると、本棚には今まで収集してきた情報や、独自に練り上げた新しい魔法のようなものをまとめた本(自著)が収められているらしい。もし仮に侵入者がいても、そう易々とそれらを見せる訳にはいかないので、ある種の迷路のようなものになっている、とのこと。セキュリティすげぇ。

「私の作業場も確保できましたし、居住環境に関してはこれで大丈夫、っと」

 作業場というが、常識をすべて捨てたデザインのマンションみたいな、そういう印象があるのだが。

「……思うんだけど、この中に閉じこもっていたほうが安全なんじゃないか?」

 部屋から出ながら尋ねてみる。

 だって、下手にあっちこっち飛びまわるより、セーフハウスがあるのならばそこにいるのが一番いいだろう。と普通は考える。

「固定された居住空間がないと、接続できないんです、ここ。扉ってそういうためのものですから」

 よく分からない返事。まぁ、そのうち改めて訊いてみようか。



「それではお待ちかね、お願い叶えます。のお時間でーす!」

 彼女、竹下沙耶香さんは妙にハイテンションでポーズをとった。俺は、どこかで見た覚えのあるそのポーズを理解できなかった。土曜の昼間から随分テンション右肩上がりだな。いや、昼間というよりまだ午前中なんだが。

「と、その前に、今回のお願いに関しては、前借り状態ですから、コストは掛かりませんよ」

「前借り?」

「ん、前借り」

 彼女は簡潔に説明をする。助けてもらったこと、ご飯をもらったこと、お布団を使わせてもらったこと、以上三つが彼女の「借り」である。しかも最低限ライン。そして、この借りをある程度返さなくては、そこから先のステージである「願いと交渉」が行えない。彼女は、借りを作ったままというのが嫌いな性分なようだ。

 つーか、それ位、借りとか貸しとかとは思っていないんだが。

 そして考える。願いを叶えてくれる、とは本当なのだろうか。だとすれば、どこまでなのか。

「まずは、本当かどうか確かめたい。話は歩きながらするから、とりあえず支度をしてほしい」

 俺はそう言って、立ち上がった。財布と携帯を持ち、身支度を整える。

 彼女はというと、自室(俺は以降、この部屋を「乙女部屋」と呼ぶようになる)に戻って服を着替え(着替えるまでは昨夜貸したスウェットのままだ)、ポーチを持って玄関へ急行した。スーツ姿で出てくるのかと思ったが、ごく普通のラフな服装だった。

 準備が整ったのを確認し、外へ出る。鍵を閉め、アパートの階段を降り、道路へ。右手を見ると、交差点にはタイヤ痕と折れたカーブミラーが残されていた。昨夜、あの後どうなったのか、だいたい見当がついた。

 それでだな、と声を掛けようとして、目の前に靴を見た。

 靴を見る、というのは実に状況を説明できていない。階段の上にいる沙耶香さんに声を掛けようとして振り向いたら視線の先は彼女の靴だった、というわけではない。彼女が逆立ちしているわけでもなく、もちろん俺が地面に寝転んで彼女の靴に話し掛けているわけでもない。おい、それはどんな変質者だ。

 彼女は浮遊していたのだ。雲のように、風船のように、音も無く。なんかもう、さっきからひたすらびっくりするしかない。その浮遊というのも微妙に的を外した表現かもしれない。昔のアニメのように上下にふわふわしているわけではないし、ヘリウム入り風船のように上空に向かって飛んでいくわけではない。

 空中で、ぴたりと、静止しているのだ。

 演出的に「私は風よ」アピールの如く、髪の毛が風に靡いていたりしない。ありのまま、そのまま浮いている。空中に張り付いている。

「……なぁ、なんかオバケみたいだから止めないか、それ」

 やっと出た言葉がそれだった。

 別にそういう類のものが苦手というわけではない。オバケなんて信じていない。しかしいっそ、ジェットパックとかいうアイテムのように、ゴォォォォと噴射音をたてながら浮上していてくれたほうが分かりやすい。オバケみたい、とは言ったが、しかしこれはある意味正しい評価だったのかもしれない。

 歩く男のすぐ後ろに、耐火服に身を包んだジェットパックを背負って空中を漂う(飛行する、飛翔する、ホバリングする)女性がついてくる……いや、それ男側が間違いなく前方に向かって吹き飛ぶわ。どんなに低く見積もっても擦過傷に打撲に火傷ですわ。そして死ぬ。

「他者から見えないといっても実体はあります。だから、人にぶつからないようにするには浮いて行動するのが基本です。特に昼間ですから」

「そりゃそうかもしれないが……っ!」

 空に向けて会話をしている少年が居る、なんて話になったら色々厄介なことになるのは間違いない。そして会話の途中で気づく、上を向くと彼女の下着が見えてしまうかもしれない、と。

 俺は溜め息をついて、指輪に手をかけた。親指と人差し指で挟み、親指で二回叩く。これにより、声を出さなくても会話ができる。

 ――聞こえる?

 ……はい、ばっちりです。

 ――じゃあ、行動しながらだけど説明するね。

 この近隣には、宝くじ売り場が四件存在する。そこをすべて巡ってみる、というのが今回の提案。学生は金が無い、だからまずは当面の生活資金が欲しかった。

 ……なんだか、生臭い話ですね。

 生臭いとは酷い言い方だ、と思った。自分ひとりならまだしも、ふたり分の食事を作らなければいけないし、水道光熱費もきっと倍くらい掛かるだろう。それに、半年後には引越しも考えている。多少なり自由に使えるお金も欲しい。しかし現在の貯蓄は殆どない。

 ――そういうわけさ。お金がなくても幸せになれるなんてのは嘘だと思う。少なくとも、この現代社会において、お金は武器であり保身でもある。こっちの生活資金が無くなったら、冗談抜きで、沙耶香さんもご飯に焼肉のタレをかける「だけ」の食事になるよ?


 この手法、友人が極貧状態を切り抜ける時に使った手法。


 ……それは嫌すぎです……。

 ――そんな訳で、まずはお互いのために、資金を集めたいわけだ。宝くじのルールについて簡単に説明すると、まず購入した段階で税金を支払っているから、所得税みたいな税金が掛からない。あと、一口五十万円以上になると手続きが面倒になる。

 宝くじは公益のための賭博みたいなもので、購入すると一定の金額が自治体に回るようになっている。つまり予め税金を納めたという形になっているから、税金が掛からない。ただし、当選金を分配する場合は贈与税に注意が必要。

 次に、アタリ金額が五十万円を超えた場合、手続きが面倒になる。印鑑や身分証明書の提示が必要になる上に、払い出しまで時間が掛かることがある。

 ……なんでそんなに詳しいんですか?

 言わせるな。仕送りには手をつけていないが、アルバイトで稼いだ僅かなお金で夢を買ったって良いじゃあないか。五十万円とか夢見すぎて寧ろ幻なんだが。

 ……つまり、最も面倒ではない方法は、一口五十万円以下のアタリで、なおかつすぐに手に入る程度の金額であること、ですね?

 ――その通り。さて、まずは一件目に到着だ。

 一件目はスーパーに併設された、宝くじの販売所。小さなプレハブに、小さなエアコンが載っている。表には「ビッグ宝くじ販売中」とか「番号ズにチャレンジ!」とか書かれている。当選者続出、という張り紙もされているが、分母(購入者数)が分からないからこの言葉にあまり意味は無い。というより、これからそれが嘘か本当か分かる。

 ……あの、ここまで来てから言うのもあれなんですが。あのですね……。

 ――解説やお説教なら後で聞くから、まずここの売り場で、まずはお手並み拝見、いいかな?

 ……はぁ、分かりました。で、どうするおつもりですか?

 ――所持金はあまりないから、エクストラスクラッチくじだな。

 スクラッチくじは、その場でコインで銀箔を削り落とし、当選の判別がつくという至ってシンプルなもの。とはいえ甘くみてはいけない。一等一千万円、二等は十万円、三等は五万円、他。

 もしここで外れるようなことがあれば、俺は宙に浮いている彼女の能力を疑問視することになるだろう。

 ……では基本、二等と三等狙い、でいいですか?

 ――そうだね、信じているよ。とりあえず十枚頼むから、沙耶香さんなりの方法で、うまくやってみてくれ。

 ……お任せ下さい。

 売り場の前に立った。ごくごく自然を装って。

「こんにちはー、エクストラスクラッチ十枚ください」

 千円札二枚をカウンターに置く。一枚二百円が十枚。

 椅子に座っていたショートヘアの若い女性が俺を見た。若いとはいっても当然、俺より年上なんだが。

 エクストラスクラッチですね、すぐ出します、と言い、くじの詰まった箱を取り出す。結構な数だ。時々来るお店なので見慣れた光景ではあるが、しかし改めてじっくり観察してしまうと、これだけ用意するということはそれだけ売れるということか。とか少し考えてしまう。ちなみにここは「バラ買いでも選ばせてくれる」唯一のゆるいお店なので、貧乏税だと分かっていても使ってしまうんだな、これが。

 一度深呼吸をする。宙を浮く沙耶香さんがゆっくりと降りてきた。勿論、他の人にはその姿は見えないはずだ。

 ――分かる?

 ……はい、まず、その箱の中に一等はありません。二等は……あれ、二本も入っていますよ。三等は……三本入っています。くじについては詳しくないですが、割合を考えると当たり売り場のように感じます。あとは十枚に一枚の割合で六等、あとは四等、五等がちらほらとあります。覚さんだけに見えるように目印打ちますね。

 くじの上をすっと手で撫でる。くじの一部から、透明な付箋のようなものが生えた。ちょっとびっくりしたが、正面に立つ店員さんの態度に変化は無い。つまりこれは、俺にしか見えないものなのだ。

 ――誤解しないでくれよ、少々チートだが、願いと生活のためだ……っ!

 ……そんなに心配しなくても大丈夫ですってば、偶然があなたを助けたか、今日はツイている日なんですよ、うん。

 沙耶香さんは、にっこり笑って再び浮上した。

 店員は、くじが引かれるのをじっと待っている。黙っているのもアレだから、他愛も無い世間話をしながらくじを選ぶことにしよう。

「いやー、それにしてもやっと少し涼しくなってきましたねー」

 赤いマークのくじを引き抜いた。上から……のような気がしたが、たぶん指輪から「それは二等です」と声がする。

「そうですね、今年はとにかく夏が長い感じでしたよね」

 店員が会話に乗ったので、二枚目の赤いマークのくじを引いた。夏、というキーワードに一瞬視線を道路に移した。涼しくなってきたとはいえ、まだ九月である。太陽の光で熱せられたアスファルトから、ゆらゆらと陽炎が……余計に暑くなりそうだったから、そこで考えるのを止めた。

 再び視線を箱に移す。どれにしようか迷うふりを続けながら、

「台風とか節電とかで、結構めちゃくちゃな夏になりましたよねぇ。まあ、台風の本気はこれからですが」

 緑のマークを引いた。それは五等です、と声がする。

「本当に困ったものですよね、エアコンを止めると蒸し風呂になってしまいますし、天気が荒れて停電すると、機械も動かせなくなってしまうので……」

 紫のマークを引いた。それは三等です、と声がする。

「ああ、そうか、当選確認とか登録って今は機械なんですよね、それは困りますね」

 紫のマークを引いた。ここで俺は思った、三等の残りの一本は残しておこう、と。そのまま続けて、隣の白いマークを引いた、本数を見ればわかる、六等だ。あと四枚。

 適当に二枚引いた。ハズレである。「えー?」という声が届くが、気にしないことにした。あと二枚。

「本当にお疲れ様です、っと、あと二本か……」

 そして実にわざとらしく枚数をカウントする、八枚、つまり残り二枚。最後に、黄色と緑を引いた。当然、四等と五等のはず。

 はい、十枚ですね、ありがとうございます。では、削ってみてくださいね。

 店員はそう言い、木箱を元の場所に戻した。

 ポケットから十円硬貨を取り出し、おもむろに削ってゆく。


 直後、周囲の人間と、店員が絶叫した。

 俺も、半分わざとらしく、半分本気で絶叫しておいた。

 合計金額は……三十万六千二百円。

 まじかよ……!

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