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自作小説倶楽部 第2冊/2011年上半期(第7-12集)  作者: 自作小説倶楽部
第8集(2011年2月)/テーマ 「キス」&「口笛」
16/44

NO.9 紫草 著 キス『終わりない旅』

『終わりない、旅』1 (小題:キス)


   Ⅰ


 逃げ出されたのは、自分。

 それも完全に消息を絶たれて、初めて気付くという醜態ぶり。


 彼女が何を考え、何をしたかったのか。

 その心の底を、一度でも真正面から知ろうと思ったことがあったろうか。

 何もかも分かったような顔をして、つき合っていたということか。

 否、つき合っているというのも間違いかもしれない。

 気が向いた時、時間ができた時、誰とも約束のない時、ただ飲もうとメールをするだけ。沙柚が断わってくることは、一度もなかった。

 沢田凪は、もう数えきれなくなった溜め息をつき、グラスに残っていたビールを飲み干した。

 行き着けのお店。沙柚と出逢った店先。思い出の多過ぎる店には、足が遠のくかと思った。

 でも、それは逆だった。

 沙柚の話をしたい時、沙柚を知る共通の友人はマスターしかいなかった。凪は以前にも増して、足繁くマスターの店に通うようになった。


 土岐、否、離婚をしたと言っていたから今もそう名乗ってる保証はないか。沙柚は旧姓も嫌っていたから、果たして旧姓に戻ったかどうか。それも分からない。

 それは結果的に、今の名を知らないということになる。

 沙柚と会えなくなって、三年が経った。

 結婚もしていない。恋人もいない。何も変わらない生活の中で、沙柚の記憶だけが鮮やかに残っていた。


 少し北の地方へ仕事に来た。

 寒いところは苦手だと言うと、沙柚は、南よりも北の方が似合うと言っていた。海が好きだというと、稜線を背負う方が似合うとも言っていた。

 何故、そんなことを言ったのだろう。

 北国の冬は、今にも雪が落ちてきそうで、そうすると別れた朝を思い出すから嫌いになった。

 早目に打ち合わせを済ませ帰ろうと歩いていると、ベビーカーを押す女性の後ろ姿が目に入った。

 その姿は、ちょうど沙柚の背格好のようだった。


 ふと、彼女は結婚したんだろうかと思った。

 もし実家に戻ったとしたら、また何処かへ嫁いだかもしれない。彼女は父親の持ってくる話を断わることがないと話していた。

 今思えば、何故断わらなかったのだろう。

 子供の頃ならいざ知らず、大人になったのなら、自分の意思で結婚を拒否することができた筈だ。

 そんなことも聞くことはなかった。

 聞いてはいけないような気がしていた、というのは言い訳だろう。

 結婚しているのかという確認すら、最後の夜までしなかった。


 その時だった。

 愚図り始めた赤ん坊をあやす為に、彼女はベビーカーを止め赤ん坊の方へ回りしゃがみこんだ。


 体に電流が走ったようだった。

「沙柚」

 赤ん坊を抱きあげた女性に向かい、凪は声をかけた。


   Ⅱ


「凪」

 彼女の呼ぶ声は、別れた朝と何も変わらず心地良く凪の名を呼んだ。

 ところがその時、赤ん坊が泣き出してしまい、彼女は頭を下げ歩き出した。赤ん坊を抱いたままベビーカーを押し、暫く歩き、そして一軒の家の前で止まった。

 彼女はベビーカーをその場に残すと、家の中へと消えた。

 凪は思わず駈け寄り表札を見ると、その名は土岐でも原口でもなく全く別の名前になっている――。


 結婚したのだろうか。

 沙柚の子供だろうか。

 すれ違う人に見られながらも、凪はその場を離れられずにいた。

 今度は誤魔化したりしない。

 本当のことを聞いて帰ろう。もし、あの赤ん坊が沙柚の子供でも黙って受け入れる。

 どんな結婚をしていても、もう逃げることも逃げられることもしない。


 一時間以上が経った頃、沙柚が玄関から現れた。

「凪」

 塀に背を寄せ、人の目を避ける為に下を向いていた。だから一瞬、沙柚の声だと分からなかった。

「久し振りだね」

 その言葉に慌てて顔をあげると、ベビーカーを片付ける為に出てきた沙柚が微笑んでいた。

 その表情を見てしまうと、凪は言葉が出てこない。いつも、そうだった。

 ふんわりと優しく微笑む沙柚に、癒されていた。

 でも実際の沙柚は、苦しい日々を送っていたんだ。


「沙柚。結婚したのか」

 単刀直入に聞いた。

 今更、時候の挨拶など必要ないだろう。

「した、と言えば凪はどうするの」


 まただ。

 こうして聞く側から、聞かれる側へと入れ替えられる。

 以前は何も気付かなかった。自分が何も教えられていないことに気付いたのは、沙柚が消えた後だった。

 それは何故か。

 今のように、知らないうちに質問を質問で返され聞こうと思ったことを何ひとつ聞いていなかったからだ。

 でも今は違う。改めて、聞いた。

「沙柚は結婚したの? あの赤ん坊は沙柚の子供なのか」

 沙柚は微笑んだ。

 幸せそうに。

 でも、この笑顔の裏にあるものは分からない。

「ちゃんと答えろ」

 凪は、初めて大きな声で沙柚を問い詰めた――。


   Ⅲ


 凪の大きな声に、家の奥から女性が一人現れた。若い。高校生かもしれないくらいの若い子に見える。

 沙柚は、彼女の許に駆け寄ると小さな声で話をし、彼女は家の中へと戻っていった。

「この少し先にカフェがあるから、そこで待ってて。ペンギンのマークがあるから分かる筈」

 沙柚は腕を真っ直ぐ伸ばして示すと、そう言った。

「用事ができると困るだろ。携帯の番号、教えて欲しい」

 そう言って携帯を出すと、沙柚は首を横に振った。

「凪は変わってないんでしょ。だったら分かるからいい。凪に用事ができたら、そのまま帰って」

 たぶん、そう言われるだろうことを、そのまま返された。

 確かに、沙柚と別れた後も番号は変えていない。


 でも沙柚は変えただろ。


 しかし、その言葉は出なかった。

 沙柚はベビーカーを持ち上げると、家の奥の方へと消えてしまったから。

 凪は仕方なく、沙柚の指した方向へと歩き出した。

 程なくして、それらしいカフェが見つかった。ペンギンズカフェ。この北の地方には垢抜けたオシャレなカフェだった。

 中に入ると他に客はなく、女性の店主らしい人が好きな場所に座ってくれと言う。凪は外の見える四人掛けの席についた。

 水を運んできてくれた店主に珈琲を頼むと、沙柚が来るであろう方向を見続けていた――。


 もう現れないかもしれないな、と思った。

 珈琲は三杯目を空にしていた。

「お勘定、お願いします」

 凪は、料金を払って外へ出た。

 そこに、沙柚の姿は見えなかった。


   Ⅳ


 駅に向かう凪の背中は、常に沙柚の視線を意識していた。

 しかし懐かしいとも呼べる感覚は、いつまで経っても襲ってこない。


 やはり、結婚したのだろうか。


 脳裏を過ぎるのは、その言葉ばかりだった。

 あの時、出てきた女性は誰だったのか。

 凪は自分がつくづく嫌になった。

 突然、目の前から沙柚がいなくなった、あの時と何も変わってはいない。

 何ひとつ聞くことなく、連絡先ひとつ教えてもらうことなく、この北の街を後にする。もう訪れることはないかもしれない。

 新幹線の時間は迫っていた。


 何故、あの時、この時間に帰ると、新幹線の時間を告げなかったのか。

 否、それよりキャンセルして、この街に留まるべきか。

 いろいろ考えるものの、たった一つの事実が凪の行動を支配した。あの時、沙柚は言ったのだ。

 自分からは連絡ができると。

 つまり、それは連絡する気がないということだ。

 凪は、予定通りの新幹線に乗る為に駅へ行くことを選択した。


 新幹線のホームに立つ。

 在来線と余り変わらない、和やかな空気が流れている。

 これが北の街独特のものなのか。それとも沙柚がいると分かった街だからだろうか。


 凪はふと、土産を買ってこいと言われていたことを思い出し、売店に足を向けた。

 適当に見繕い、紙袋を提げたところで改札を抜けてきた沙柚の姿を、はっきりと捉えた――。




 沙柚。

 言葉にならない彼女の名前を呼んだ。


「凪。ごめんなさい」

 息を切らしている彼女の言葉は、なかなか続かなかった。

 彼女の言葉を待っていると、新幹線が入ってきた。

 新幹線を遅らそう。そう思って告げようとすると、沙柚は再びあの笑顔を見せた。

 そして、少しだけ背伸びをして、微かに触れるキスをした――。


「お元気で」

 沙柚はそう言うと、凪の体を車体の扉に押し込んだ。

 振り返ると、そこには泣きながら立っている沙柚の姿が在った。


「会いたいよ、また。どんな形でもいいから。沙柚を手離したくない」

 そう言った凪の言葉に、沙柚は首を横に振った。そうしているうちに扉は閉まる。

「沙柚」

 ほんの少し触れた彼女の唇の感触が残っていた。

 その唇で、彼女の名を呼んだ。

「待ってる。いつまでも」

 聞こえないかもしれない。

 それでも叫ばずにはいられなかった。

「連絡して」


 いつか、もう一度逢いたいと思ってくれる日がくることを。

 ただ待っている。

 その時、携帯にメールが届く。

 沙柚からだった。


―私、結婚はしてないよ。

―ベビーシッターの仕事をしてる。さっき会った彼女が赤ちゃんのママ。

―もしも、また何処かで偶然出逢ったら、今度こそゆっくりお話しようね。


 電話番号は書いてない。

 でも返信したメールは、確かに届いた。


 凪の沙柚を待つ人生の旅は、今、始まったばかりだ。そして、それは永遠に終わることはないだろう――。

 席につき、自らの唇に触れる。

 沙柚のキスは、以前と変わらず愛おしいままだった。香水を使わなかった沙柚の、彼女独特の残り香が凪を夢の世界へと導いた。


                     【了】


                    著作:紫草


NicottoTown サークル「自作小説倶楽部」より 2月分小題【キス】

『君戀しやと、呟けど。。。』

 http://blog.goo.ne.jp/murasaki-sou


 より

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