NO.8 ルティマ 著 キス 『私の場合。』
私にもこんな感情があるのだと気が付いた。
それだけでなんだか感謝の気持ちでいっぱいになった。彼はいつも店に来てくれる上顧客。
私は客をもてなす立場。
特定の男性に特別な感情を持つのは、仕事柄邪魔になる。
それが顧客に向いているのなら尚更のこと。
「姉さん」
店のロッカールームで声を掛けてきたのは、半年前に入ったばかりの新人。
この子に仕事のアドバイスをしたことがキッカケで、よく話をする仲になった。
「なあに?」
「姉さんには本命さんいるんですかあ?」
「本命・・・・・・」
「バレンタインじゃないですかあ~」
「ああ。・・・そうね」
「元気ないみたいですけど。何かあったんですか~?」
彼女に微笑み返す。不思議な顔をされたが、フォローすることをしなかった。
この時頭の中は、お客さんに渡すチョコをどこで購入するかの考えでいっぱい。
翌日、早く起きて少し遠出をする事にした。
何時も関わらない朝の通勤ラッシュに揉まれ、店に会いに来てくれる人たちが疲れる原因の一つを再認識する。
結局、毎年のように幼馴染が経営するショコラ専門店に足を運ぶ事にした。
「久し振り。もうそんな時期だね」
「そう。そんな時期なのよ」
「いつものでいいかと思って、勝手に用意しちゃったんだけど」
「あら、本当?」
ショーケースに、宝石のように並べられたチョコを大袈裟だと思いながら見入っていた。
「嫌なら他のに替えるよ」
「そうねぇ・・・」
お言葉に甘えようと考えていると、彼にだけは特別なものをあげるべきだ、と。もう一人の自分が言う。
「そのままでいいわ。他にとびきり良いのを一つ」
「包装は?」
「それも一番良いやつ」
数が多いから店に直接送ってもらう事にしたけど、これだけは手持ちで持ち帰った。
夕方、店に行ったらちょうどチョコが届けられていて、今日来る予定のお客さんの分を段ボール箱から取り出し、別に用意してくれたロゴ入りの紙袋に入れる。
淡々と作業をしているうちになんだか虚しくなってきた。
チョコなんて渡して、これだけで気持ちって伝わるのかしら?
「お客様ですよ。例の若社長」
「分かったわ、すぐ行く」
呼びにきたマネージャーが去った後、特別包装してもらった包みを手にした。
こんな事で伝わるとは思ってもいないけど・・・。
自分の気持ちが少しでも伝わるといい。
「・・・・・・本当に好きなのよ」
呟くように言うと、そっとキスをした。
堪えきれずに目から溢れ出た思いを拭い、彼が待つテーブルへと急いだ。
思いを託したチョコのプレゼントを持って。
END