3歳:「バーレンシア家の人々(3)」
朝のお見送りが終わると、居間で母親による勉強の時間となる。
生徒はオレとアイラさんだ。
元々、アイラさんの奉公は行儀見習いのような意味も兼ねているらしく、家事を手伝いながら料理や裁縫を学び、時間を作って、母親から簡単な学問や様々なマナーなどを学んでいたらしい。
最近は母親がオレに本を読み聞かせている合間に、アイラさんは母親から色々なことを教わっていた。今は刺繍を習っているようだ。
「さてと、昨日はどこまで読んだかしら?」
「水の精霊王さまが、風の精霊王さまと、西の島で出会ったところです」
「と言うことは、ここからね」
オレは母親の横に座り、広げられた本を横から覗き込む。
母親は本の文字を一文字ずつ指でなぞりながら声に出し、オレに読み聞かせることを意識してゆっくりと読む。
これはオレに字を教えるための学習の一環だ。
「1人でご本が読めるようになりたいです」とのオレの申し出を受け、先日から文字を教えてくれるようになった。狙い通りだ。
文字さえ読めるようになれば、父親の書斎にある本で自習することもできるようになる。
今、母親が読んでくれているのは、この世界の神話だ。
まず、母親が一文ずつ読んで、それぞれの単語の意味を教えてくれる。
物語のキリが良い所で、母親は一度オレに本を渡し、本の読み直しをさせる。
アイラさんは、そんなオレと母親を横目に見ながら、黙々と刺繍の針を動かしている。
オレが本を読み直している間に、母親がアイラさんの様子を見にいき、質問を受けたり、気づいたところを指導をする。
「じゃあ、ユリィちゃん。最初の言葉は『月』よ」
「はい!」
最後に、母親が今回読んだ話から、いくつかの単語を選んでオレに見えないようにして読みあげる。その単語をオレが土板に書く。
土板というのは、あまり高さのない薄い木箱に細かくしっとりした土を敷き詰めたものだ。
細い棒を使って文字が書け、土を均せば文字が消えて繰り返し使える。
紙は貴重品らしく、重要な文書にしか使われない。前世の世界のように白いノートに書き取りながら練習などはできない。
土板なら、作るのも簡単だからだ。
この世界の文字は、6個の親文字と5個の子文字と呼ばれるモノを組み合わせた30文字からなり、前後にある文字の並び方によって同じ文字でも複数の発音をもっている。感覚としては日本語における漢字に近い。
例えば「よ」と言う文字で、「むよう」と「きよう」なら、「ムヨウ」と「キョウ」と発音する。「き」の文字の後に「よ」がある場合は、「ヨ」にならずに必ず「ョ」と発音する。
それから、同じ意味の言葉でも「丁寧さ」の度合いにより2つから3つほどの違いがあるらしい。神話の本は、ほとんどが最も丁寧な言葉を使って書かれているため、教材としては最適のようだ。
文法としては、基本的に「主語」「述語」「修飾語」の順番に並ぶ、どちらかと言えば英語に近いだろう。
「形容詞」は、それぞれの単語のすぐ後ろにつける決まりになっていて、キッチリしたのが好きなオレには嬉しい仕様になっている。
母親が出す問題に、いくつかの単語を正解し、いくつかの単語をわざと分からない振りをした。
大人の理解力と子供の記憶力の良さを持っているオレは、かなりの速度で文字を覚えてつつある。が、あまり子供らしくない行動は取りたくないので、まだ覚えていない振りをしたのだ。
さて、どのくらいなら、不自然ではなく、ちょっとした天才程度で済むだろうか。
人のいい母親を騙しているようで、少しだけ、ほんの少しだけ良心が咎める。
しょうがない、と割り切っている。これは、オレの我侭なのだから。
もしオレが大人の精神を持っていことがバレたら、どうなるだろう?
3歳児が大人顔負けの、下手をすれば、今の文明以上の知識を持って喋るのだ。
それは、「すごさ」を通り越して「おそれ」を招かないだろうか? オレには、その可能性が決してないとは言い切れない。
……この両親なら、あっさりオレの存在ごと認めてくれそうだ、というのは今のところオレの願望でしかない。