5歳:「忘れられない夜の始まり(2)」
ジルを思う存分愛でて癒されてから屋敷の中に戻ると、母親が廊下で不審な挙動をしていた。
「あの? お母さま、何をしてるんですか?」
「しー、ユリィちゃん、静かに」
窓からこっそりと裏庭の様子を眺めていたようだが……外からは、ロイズさんとハンスさんが稽古をする音が聞こえてくる。
2人の稽古を覗き見していたのだろうか?
「ほら見て、ユリィちゃん」
そう言って母親が指さす先には、アイラさんが立っている。
そういえば、アイラさんは2人の稽古が終わるくらいになると、毎日水とタオルを用意している。
「あの顔つき、そして、毎日欠かさず稽古を見学している理由……これは恋ね」
むちゃくちゃ楽しそうな顔をする母親。
女性の「他人の恋話や噂話が大好き」という生態は、世界が変わっても変わらないようだ。
「ねぇ、ユリィちゃん、アイラお姉さんとハンスお兄さんが恋人同士になったらイイと思わない?」
ふむ……?
シッカリ者に見えて、結構ドジっ娘な面があるアイラさん。
体育会系に見えて、結構情けない所があるハンスさん。
微妙にチグハグじゃないかな?
いや、アイラさんがハンスさんに惚れているなら、オレがとやかく言う問題じゃないけど。
ハンスさんは、悪い人じゃなさそうだから、多分、良い旦那さんにはなるだろうし。
父親から聞いた話、“地軍”は主に王都の防衛を担っていて、軍の中でも比較的エリートな部隊だそうだ。
となると、ハンスさんの給料は一般の軍人よりもいいはずだし、経済的な面でも……、
「……悪くないです」
「でしょでしょ?
こうなったら、ハンスさんにも豊穣祭に出てもらって、是非“花贈り”にも参加してもらわなきゃ!」
“花贈り”は、豊穣祭で自身の思いを花に託す風習だ。
花の色によってその意味が変わり、黄色なら“日頃の感謝”、白色なら“友への親愛”、赤色なら“確かな愛情”となる。
三色とも、村の近くで自生しており、この時期になると咲く花の色らしい。
これは先日、ちょうどイアンの宿題から覚えたばかり情報だ。
どうやら母親は、アイラさんがハンスさんに赤い花を贈る姿を夢見ているようだった。
「けど、ハンスさんには王都に恋人とか、もしかしたら結婚していたりするんじゃないですか?」
「うっふっふ、大丈夫よ。その辺りはあの人経由でばっちり確かめてもらっているから。
軍の仕事が忙しくって、2年前に恋人に振られてから、独身でいるって聞いたわ」
この話に父親も一枚かんでいるのか……。
いや、母親に巻き込まれたって言うのが正しいと思うけど……と、いつかの酒盛りの席の与太話が、オレの頭をよぎる。
まさか……、ハンスさんがオレに手を出さないように、とか考えてないよな?
「ああっ、アイラちゃんがハンスさんに赤い花を送る光景を直接見たいけど、とても無理そうね。
ユリィちゃん、わたしの代わりに2人の愛の行く末を見届けてきてね?」
真剣な眼をして、オレの両肩に両手を置く母親。
愛の行く末って、少し表現がオーバー過ぎな気が……はい、そんなキラキラした目をされたら断われません。いつも自分が使っている技だけにな!
オレが承諾の返事をしようとした時……
「あっ……ユリィちゃん、ごめん……シズネさんを呼んできてくれるかな?」
「!?」
「お腹が、ちょっと痛くなってきたかも……」
そして、オレの新しい人生の中で、忘れることのできない一夜が始まった。