アイラ:「うちのお嬢様のすごい話」
私の幼い頃の記憶は、辛く厳しいものが多いです。
いや、その当時は辛いという感情すら持てていませんでした。
今だから、当時の辛さが理解できます。
6年前まで、私が生まれた村を含む近隣の村は、当時の領主によって厳しい税を課せられていました。
国の定めていた税金の割合よりも何倍も高いそれは、当時の領主が私腹を肥やすためのものでしかありませんでした。
税という名目で収穫物のほとんどが奪われ、私たちはわずかに残った作物や野山に生えている草を食べていました。
それは6年前、今の旦那様たちが小隊を伴って、領主の捕縛にやってくるまで続いていました。
そして、新しく領主に任命された旦那様の下、私たちの村に笑顔が生まれました。
最初の頃こそギクシャクとした関係だった私たちと旦那様たちでしたが、誠実な旦那様の人柄に触れ、徐々に両者の垣根は低くなっていったと思います。
事件が一段落した後、なんと旦那様とロイズ様は、村々を回り、助けに来ることが遅れたことを謝っていたらしいです。
両者が打ち解けた最大の切っ掛けは、奥方様がお嬢様をご懐妊なさったことです。
奥方様がご懐妊されたと聞いた近隣の村の人たちは、普段からの感謝の気持ちを込め、自主的に旦那様に祝いの品を届けました。
それらの祝いの品を旦那様は断るわけではなく、やってきた人みんなにお礼を言うと、近隣の村の人たち全員を集めて、祝いの品のお礼としてご馳走を振舞ってくれました。
あの時は、会場に選ばれた私の村が、まるでお祭りのような賑わいを見せていました。
奥方様の出産にあたり、お屋敷のお手伝いさんという名誉ある役目は、最も近い村で育った私に白羽の矢が立ちました。
私が村長の家の第一子で、村で2人しかいない未成人の女性だったのもあります。もう1人は歯が生えたばかりの赤ん坊でした。
勤め始めたばかりの頃、失敗ばかりの私に、奥方様は怒るわけでも呆れるわけでもなく、むしろ、私の心配をするように接してくれました。
そんな奥方様に、1巡り(10日)も経たないうちに私はすっかり心酔してしまいました。
もちろん、旦那様やロイズ様も優しく素敵な方々ですが、奥方様は私にとって第二の母というべき存在です。
私もお屋敷での勤めも慣れ、時間ができると奥方様から「行儀作法を覚えてみない?」と尋ねられました。
最初は、恐れ多くて断っていましたが、何度も勧めてくれる奥方様や「生まれてくる子の手本になって欲しい」という旦那様のお言葉を受け、私は行儀作法を学び始めました。
行儀作法だけでなく、文字の読み書きや、簡単な計算などの勉強も一緒に教わることになりました。
教わることの全てが新鮮で、今まで歩いていた夜道に、突然ランタンの明かりをもらったような気分でした。
お嬢様は、生まれたての頃から、すごい方でした。
普通、赤ん坊は意味もなく泣き喚いたり、人の顔を見ては嬉しそうに笑うものです。
赤ん坊だったお嬢様は、無駄に泣いたりせず、私が何かを言うと、その言葉が分かっているかのように反応を示してくれました。
例えば、「おやすみなさい」と言えば、目を瞑って横になり、「ゴハンですよ」と言えば、静かに近寄ってきました。
3歳になり、ある程度言葉がハッキリと喋れるようになると、お嬢様のすごさが本格的に発揮され始めます。
以前から、奥方様に本を読んでもらっていましたが、ある日拙い言葉で「文字を覚えたい」と言ったのです。
それは「文字」というものが、何であるか分かっている様子でした。
お嬢様は、誰に教わるでもなく、「文字が言葉を表している」ということに気づいていたのです。
それは私が文字を教わりだした時、最初に戸惑った部分でもありました。
それを3歳になったばかりのお嬢様が理解されていることに、悔しさを感じる隙もなく、ただ驚きました。
文字の勉強を始めると、お嬢様はすぐに簡単な単語を書けるようになっていました。
村にいる子供たちとは、比べ物にならないくらいの聡明さです。
貴族のお子様というのは、これが普通なのかな?と、思い切ってロイズ様に尋ねてみました。
「いやいや、農民の子だろうが、貴族の子だろうが似たようなもんだ。お嬢様は、きっと“地精霊の申し子”に違いないな」
それで納得しました。
賢さを司る地精霊様の加護を得ているならば、幼くして賢くてもおかしくありません。
勇気を振り絞って、ロイズ様に質問したのは正解だったようです。