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私が絵を描けなくなる話。

作者: 才能のなかった人。
掲載日:2026/06/10

 

 5歳の時でした。


 ええ、まあ。そのくらい。


 私が絵を描き始めたのは。

 ちょうど、5歳の時だったんです。



 母は仕事で忙しく。

 父は仕事で忙しく。


 私にとって二人は。

 家に時々出入りする、不思議な大人で。


 私の面倒は、隣の家の祖父母が見てくれて。

 故に。私に取っての世界は、祖父母の家でした。



 そこには7つ上の従兄弟がおりまして。

 私は、彼を大層羨みました。



 凛々しい目つき。大人の顔つき。

 7つ上なんですから。


 ピアノが弾けて、なんでも知っていて。

 7つ上なんですから。


 小さな世界の中で、唯一比較できる、同じ子供。

 追い縋る背中は、とても大きく感じられました。

 ええ、7つも上なんですから。



 自由帳がありました。

 祖父母が描けと言いました。


 毎日、2ページ。

 上の段は従兄弟に。下の段は私に。


 その日見たモノを、そのまま描けと。

 なんらかの教育が施されました。



 従兄弟の絵は、大層上手く感じられました。

 私の絵は、ひどく拙く感じられました。



 従兄弟の絵には、筆記体のサインがありました。

 中学校で学んできたそうです。


 私の絵には、ひらがなの名書きがありました。

 小学校で漸く練習したからです。


 従兄弟の絵は、色鉛筆を使っておりました。

 中学校ではよく使うそうです。


 私の絵は、泥のようなクレヨンで作られました。

 それしか持っていなかったからです。



 大人は従兄弟を褒めました。

 見習えと、私に微笑みながら言いました。


 当然な事だと思いました。

 ただの一度も褒められませんでしたが。


 彼の方が、よく出来ていたのは。

 あまりにも明白だったから。




 ああ、追いつかなければ。

 この上の段こそ、私が追い縋る背中。


 この通りに、ならなければ。

 そう思っておりました。


 いつか、本や映画みたいに。

 私も成功する日が来ると信じていました。




 従兄弟は、やがて絵を描かなくなりました。


 高校受験が近いそうです。


 従兄弟は、私に構わなくなりました。


 中学で女を作ったそうです。




 自由帳の上の段は空白になりました。

 もう、私は誰の目も気にせずとも良いのです。


 お下がりの色鉛筆を貰いました。

 これで、私は好きな色を描けるのです。



 私は描きました。

 アニメのキャラクター、漫画の主人公。

 庭先の犬、学校の時計、巨大ロボット。


 私は描きました。

 今日の食卓、父母の似顔絵。

 私の顔、祖父母の顔、従兄弟の姿。



 ですが、ですが。ですが、ですが。

 何故。何故。何故。何故。何故。何故。


 祖父母も、父母も、誰も。

 私だけの自由帳に、見向きもしませんでした。



 子供二人を褒める場だから意味があったのか。


 従兄弟の絵を純粋に褒めて、私はついでだったのか。


 私の絵が、それほどまでに拙かったのか。


 今では知る由もないことですが。




 ただ悟ったのは。

 大人達からの賞賛も。

 誰かのような、理想の腕も。

 もう、永遠に手に入らないという事でした。




 小学校の課題でした。

 水彩画で優秀賞を取りました。


 中学校の課題でした。

 油絵で金賞を取りました。


 高校生の時でした。

 ふと、絵が描けなくなりました。


 ただ、純粋に。

 もう疲れたなぁ、と思ったのです。




 あァ、私のような凡夫はここで退場致しますが。

 あァ、なんとも阿呆と笑ってくれるでしょうか。


 この文を最後まで読んでくれたのならば。

 あの自由帳にも、何か意味があったのでしょう。


 どうか、私以外の天才の皆様の活躍を。

 非才の私は、泥の下からお祈り申し上げます。


 貴方の絵には、きっと幸多からんことを。



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