私が絵を描けなくなる話。
5歳の時でした。
ええ、まあ。そのくらい。
私が絵を描き始めたのは。
ちょうど、5歳の時だったんです。
母は仕事で忙しく。
父は仕事で忙しく。
私にとって二人は。
家に時々出入りする、不思議な大人で。
私の面倒は、隣の家の祖父母が見てくれて。
故に。私に取っての世界は、祖父母の家でした。
そこには7つ上の従兄弟がおりまして。
私は、彼を大層羨みました。
凛々しい目つき。大人の顔つき。
7つ上なんですから。
ピアノが弾けて、なんでも知っていて。
7つ上なんですから。
小さな世界の中で、唯一比較できる、同じ子供。
追い縋る背中は、とても大きく感じられました。
ええ、7つも上なんですから。
自由帳がありました。
祖父母が描けと言いました。
毎日、2ページ。
上の段は従兄弟に。下の段は私に。
その日見たモノを、そのまま描けと。
なんらかの教育が施されました。
従兄弟の絵は、大層上手く感じられました。
私の絵は、ひどく拙く感じられました。
従兄弟の絵には、筆記体のサインがありました。
中学校で学んできたそうです。
私の絵には、ひらがなの名書きがありました。
小学校で漸く練習したからです。
従兄弟の絵は、色鉛筆を使っておりました。
中学校ではよく使うそうです。
私の絵は、泥のようなクレヨンで作られました。
それしか持っていなかったからです。
大人は従兄弟を褒めました。
見習えと、私に微笑みながら言いました。
当然な事だと思いました。
ただの一度も褒められませんでしたが。
彼の方が、よく出来ていたのは。
あまりにも明白だったから。
ああ、追いつかなければ。
この上の段こそ、私が追い縋る背中。
この通りに、ならなければ。
そう思っておりました。
いつか、本や映画みたいに。
私も成功する日が来ると信じていました。
従兄弟は、やがて絵を描かなくなりました。
高校受験が近いそうです。
従兄弟は、私に構わなくなりました。
中学で女を作ったそうです。
自由帳の上の段は空白になりました。
もう、私は誰の目も気にせずとも良いのです。
お下がりの色鉛筆を貰いました。
これで、私は好きな色を描けるのです。
私は描きました。
アニメのキャラクター、漫画の主人公。
庭先の犬、学校の時計、巨大ロボット。
私は描きました。
今日の食卓、父母の似顔絵。
私の顔、祖父母の顔、従兄弟の姿。
ですが、ですが。ですが、ですが。
何故。何故。何故。何故。何故。何故。
祖父母も、父母も、誰も。
私だけの自由帳に、見向きもしませんでした。
子供二人を褒める場だから意味があったのか。
従兄弟の絵を純粋に褒めて、私はついでだったのか。
私の絵が、それほどまでに拙かったのか。
今では知る由もないことですが。
ただ悟ったのは。
大人達からの賞賛も。
誰かのような、理想の腕も。
もう、永遠に手に入らないという事でした。
小学校の課題でした。
水彩画で優秀賞を取りました。
中学校の課題でした。
油絵で金賞を取りました。
高校生の時でした。
ふと、絵が描けなくなりました。
ただ、純粋に。
もう疲れたなぁ、と思ったのです。
あァ、私のような凡夫はここで退場致しますが。
あァ、なんとも阿呆と笑ってくれるでしょうか。
この文を最後まで読んでくれたのならば。
あの自由帳にも、何か意味があったのでしょう。
どうか、私以外の天才の皆様の活躍を。
非才の私は、泥の下からお祈り申し上げます。
貴方の絵には、きっと幸多からんことを。




