夜勤の境界線
エセスは書類の束を捲りながら、ふと手を止めた。
彼女の視線が一枚の依頼書に留まる。
リスティはカウンター越しにその様子を眺めていた。
「……リスティさん、これどうでしょう」
エセスが差し出したのは、一枚の護衛任務の依頼書だった。
目的地は街から少し離れた交易路沿いの小さな集落。
夜間の護衛で、モンスターの出没が報告されているらしい。
「とある街の護衛任務です。夜間帯の巡回がメインで、報酬も悪くないですよ」
リスティは依頼書を手に取って、内容をざっと確認した。
出発時刻が日没後、終了が明け方近く。
完全に夜勤だ。
「……これ、夜勤ですね」
リスティは静かに言って、依頼書をカウンターに戻した。
「はい。申し訳ないんですが、夜間の現場に今、人手が足りなくて……」
エセスが申し訳なさそうに頭を下げる。
リスティは軽く首を振った。
「すみません、僕、これは受けられません」
エセスの目が少し丸くなった。
「え……?どうしてですか?リスティさんなら、きっと……」
「現場に出る人がいないのはわかります。でも、僕が夜勤に出たら、逆に皆に迷惑をかけるだけなんです」
リスティは淡々と、しかしはっきりと言った。
エセスが首を傾げる。
「迷惑……ですか?」
「僕、視力が悪いんですよ。昼間は問題ないんですけど、夜になると本当に見えなくなる。暗闇で敵の動きを捉えられなくて、味方の位置もぼやける。そんな状態で現場に出たら、フォローどころか足手纏いですよ」
リスティは少し自嘲気味に笑った。
「この間の夜勤のブラックウルフ討伐でも、そうだったんです。暗くてほとんど何も見えなくて、魔法のタイミングを全部感覚で合わせるしかなくて……味方の位置がわからなくて、誤爆しそうになったり、敵の突進を見逃したり。アレ、チャップさんに『下がってていいよ』って言われたから、サポートで仕事する事は出来ましたが、本音で言えば、夜勤はあまりやりたくないですね」
エセスは書類を握ったまま、じっとリスティを見ていた。
彼女の表情が少し硬くなる。
「……そうだったんですか。私、リスティさんの事、普通に夜勤出来る人だと思ってました。でも、Aランクになるなら、夜勤もやってもらわないと無理ですよ?ギルドのランク査定では、夜間任務の対応力がかなり重視されてるんです」
リスティは小さく息を吐いて、カウンターに視線を落とした。
「そんなAランクって言っても……それ皆さん、安全管理しっかり出来てます?夜勤を強要して、無理やりこなさせて、事故が起きてから『仕方ない』って。そんなのだったら、僕、Aランクにならないでいいです。Bランクのままでいいですよ」
その言葉に、エセスは一瞬、言葉を失った。
彼女はゆっくりと依頼書を引っ込めて、代わりに別の書類を探し始めた。
「……確かに」
エセスは静かに呟いた。
「リスティさんの言う通りかもしれません。夜勤を『評価の条件』みたいに扱ってる現状は、おかしいですよね。安全を度外視したパーティがAランクに上がって、ちゃんと管理してる人がB止まり……これ、ランク査定の見直しが必要ですね」
彼女はペンを取り、依頼書の欄外に何かをメモした。
リスティは少し驚いて、エセスを見た。
「見直し……ですか?」
「はい。私の方から上層部に提案してみます。夜間任務の強制を減らして、代わりに『安全管理の実績』や『拒否の正当性』を評価項目に入れるとか。リスティさんみたいな人が、ちゃんと評価される仕組みにしないと……」
エセスはそこで言葉を切って、微笑んだ。
それは、いつもの穏やかな笑みとは少し違う、決意のこもった表情だった。
リスティは軽く肩をすくめて、苦笑した。
「僕が言っただけで、そんなに動くんですか?」
「動きますよ。だって、リスティさんはちゃんと『なぜできないか』を説明してくれたんです。それが本質ですから」
エセスは書類の束を整えて、別の依頼書を一枚取り出した。
「とりあえず、今日はこれ以上夜勤は押しません。代わりに、明日の朝から出来る仕事で、何かいいの探しますね」
リスティは小さく頷いた。
「ありがとうございます。それでお願いします」
カウンターの向こうで、エセスが書類を捲る音が響く。
陽はまだ傾ききっていないのに、部屋の中の空気が少しだけ軽くなった気がした。




