第7話『風と樹の記憶』
人は、知らないものに不安を抱く。
そして、時に――知っていたはずの誰かが、知らない顔を見せたとき、少しだけ迷う。
けれど、それはきっと悪いことじゃない。
知ることは、怖いことじゃない。
本当の姿を、ゆっくりと重ねていくこと。
風は語る。
樹は記す。
ふたりの少女は、ずっとそばにいた。
ただ、まだ“語られていなかっただけ”の真実が、
今日、ひとつだけ明かされる。
――風が叫び、樹が目覚めたとき。
その記憶は、エリオスの心に深く刻まれる。
午後の授業が終わったころ、学園の放送塔から警報が響いた。
「東側の実習林にて魔力異常を確認。生徒は近づかないように――」
けれど、エリオスたちのクラスは、マギカ先生の一声でその森へ向かうことになった。
マギカ:「よーし、これは特別演習のチャンスだね! 心と体の訓練、いっちょ行ってみようか!」
いつもより軽すぎるそのテンションに不安を抱きながらも、生徒たちは森の奥へ足を踏み入れた。
⸻
異変は、想像以上だった。
木々はざわつき、地面からは瘴気が立ち上る。
そして――突如、それは姿を現した。
土と根をまとい、巨木のような四足歩行の“魔獣”。
その体は腐食し、目だけが赤く光っていた。
エリオス:「なんだ……あれ、動いてる木……?」
リセリア:「ちょっと、マギカ先生!? あれ、本当に“訓練”!?」
マギカ:「うーん、予想以上だね☆ けど、こういうときこそ実力が出るんだよ。逃げてもいいし、戦ってもいい。さあ、どうする?」
その無責任な一言に、生徒たちがざわついた。
魔獣が咆哮を上げた瞬間、地面が揺れ、前衛の一人が吹き飛ばされる。
エリオス:「まずい……!」
思わず飛び出しかけたそのとき、風が走った。
リセリア:「下がってて、エリオス」
リセリアが一歩前に出る。
その瞳が、風と同じ色にきらめいた。
――次の瞬間、彼女の背にある“耳”が、尖っていくのが見えた。
周囲が息をのむ。
生徒:「……え、今、耳……?」
フィローネ:「……隠してたけど、もういいよね。お姉ちゃん」
リセリアはふっと笑った。
リセリア:「バレちゃったなら、仕方ないね」
そして右手を高く掲げ、叫ぶ。
リセリア:「《裂風穿牙》!」
風が奔流となり、鋭い槍となって魔獣へと突き刺さる――
だが、それでも動きを止めることはできなかった。
魔獣はうなり、蔦を伸ばして反撃してくる。
そのとき、静かに歩を進めたのはフィローネだった。
フィローネ:「自然の声が、苦しんでる……」
彼女は地面に手をつけ、そっと詠唱する。
フィローネ:「《緑静領域》……この森に、静けさを」
彼女の周囲に、光る葉脈が浮かび上がり、地面から幾重もの“樹の結界”が展開された。
それは、魔獣の動きを緩やかに封じ、同時に空間の魔力を浄化し始める。
空気が変わる。
風と樹が、ふたりの少女に呼応するようにうねりはじめた。
エリオス:「リセリア……フィローネ……君たち、エルフだったの……?」
ふたりは微笑んで、うなずいた。
フィローネ:「うん。でも、隠してたわけじゃないよ。ただ、“言うべきとき”が来てなかっただけ」
リセリア:「それに、あんたが“知っても変わらない”って思ったから」
風と樹が重なり合ったとき――
ふたりの力が同時に解放された。
共鳴魔法、《双牙陣風》!
風刃と蔦がひとつになり、刃の嵐が魔獣を包みこむ!
魔獣の体が裂け、樹皮がはがれ、苦しげなうなりと共に、大地に崩れ落ちた。
⸻
静けさが戻った。
森の空気が、ほんの少し澄んでいる気がした。
風が、いつもより近くに感じた。
樹の鼓動が、胸の奥と重なった気がした。
リセリアとフィローネが見せた姿は、
これまでと“何か”が変わっていた。
でも、それは知らなかっただけのことで――
ずっと一緒にいた“ふたり”に、変わりはない。
エリオスは知った。
自分だけじゃない。
この世界には、まだ語られていない力があって、
まだ知らない“誰かの想い”がたくさんあるということを。
そのすべてが、
彼の中に、ひとつの“記憶”として残っていく。
――風が運び、樹が記した今日の記憶が、
また一歩、未来を変えていく。